第23話 治療
初冬の肌寒い朝を寝坊して、のんびりとやり過ごした僕たちは、たっぷりと朝食を摂った後、ハンサムと呼ばれる辻ヌガ車を雇って王宮へやって来ました。
門衛さんにホルト氏の見舞いであることを告げると、すぐに待合所に案内されました。
既に暖炉には薪が燃えており、これからポロの街は雪に閉ざされていくのだなと、本格的な冬の到来を実感します。
ほどなくロルフ隊長が現れて、僕たちをホルト氏の病室に案内してくれました。
まだ顔色が悪く、すぐに息切れしてしまうホルト氏からは、まず療養してから細かい事情を聞くことになっていて、今は身体を休めているところだそうです。
僕たちが病室に入ると、ホルト氏は明らかに苛々している様子でした。
「ああ、ワシュフル君、すまないが君からも頼んでくれないかね」
「ん? 何をです」
「この連中が私の荷物を渡してくれないんだよ。あれには大切な物が入っておるのに」
ホルト氏は苦々しげに側仕えの人達を差しました。
「大切な物とは何です?」
「ん、いや、君には関わりの無い物だが、私には大切な物なのだ」
「ふうむ、分かりませんな。それだけでは私も彼らを説得することは難しいでしょう」
「この私がっ、アカデミーの院長たるこの私が頼む事を、君たちは無視するというのかねっ。うっ、ゴホッ、ゴホッ…」
苛々と声を荒げて興奮したせいか、ホルト氏は激しく咳き込みました。
「院長、身体に障りますぞ。少し落ち着いて」
「これがっ、ゴホッ、落ち着いてなぞ、ゴホッ…」
「さあさあ、ベッドに横になって、君たち院長を楽な姿勢にしてあげたまえ」
先生は側仕えの人達に指示すると、小机にあった水差しからコップに水を移してホルト氏に差し出しました。
「要らんよ、放っておいてくれ」
ホルト氏は先生の手を払いのけようとして、ベッドに倒れ込みました。
「ううむ、これはいかんね」
僕たちは一旦病室の外に出て、ホルト氏の落ち着くのを待つことにしました。
実は先生はホルト氏の大切な物をご存じでした。
と、いうかホルト氏にそれを渡さないように指示したのは先生なのです。
「やはり中毒になっているようだね」
「ええ、先生の懸念していた通りになってしまいました」
ロルフさんも沈痛な面持ちです。
「昨日、彼の居る小部屋に入った時、書き物をしている脇にあれがあったので、もしやと思ったのだが」
「側仕えにその辺を話しておきましたから、きちんと対応してくれたようです」
ホルト氏の欲していた物は喫煙パイプだったのです。
先生はホルト氏が運び出された後、パイプや刻んだ煙草の葉が入った煙草入れを荷物と共にまとめて、欲しがっても絶対に渡さないようにと指示していたのです。
煙草が吸えなくなったホルト氏に禁断症状が現れて、ああして苛々が募っているのでしょう。
「この先、どうしたものでしょう」
「煙草の毒が体内から排出されて、禁断症状が治まるまで待つしかないのだが、それがいつの事になるのか見当がつかないのだよ」
その時僕は、ホルト氏を救出した際に体内の毒を神気で追い出したことを思い出しました。
「あの、先生」
「ん? トビー君、何か考えがあるかね」
「実はホルト院長を救出した際に、院長は意識が朦朧としていまして…」
その時の詳しい経緯を話すと、先生は是非もう一度やってみてくれと仰有いました。
それでホルト氏がようやく寝入った頃に、再び病室にお邪魔して僕が神気の流れを見ることになりました。
横たわっているホルト氏の神気を探ると、果たして身体のあちこちに少なくない淀みが見られます。
特に肺と頭の中が神気の滞りが酷いようです。
先日肺に渦巻いていた毒の煙は追い出したのですが、煙の固化した成分が内側にべったりと貼り付いているようです。
「これは、難しいな」
「厳しいのかね」
「ええ、煙草の煙が膠のように肺の中に貼り付いているのです。これを取るとなると神気を活性化させて温まった肺からゆっくりと気化させて、吐き出してもらうしかありません」
「つまり時間は掛かるが治るということですか」
「ええ…たぶん」
ロルフさんの問いに、曖昧な返事を返すしかありません。
僕は神気を操るだけで、病気を治せるわけではありませんから。
取り敢えずホルト氏の胸に手を当てて、流し込んだ神気がホルト氏の体を巡るようにします。
少しずつ、少しずつ滞っていた神気の流れを戻していくと、ホルト氏の体が熱を帯びてきました。
「うっうぅぅ…」
苦しそうなホルト氏の口から薄い煙が吐き出されて来ます。
「うっ」
その焦げたような渋いような臭いに思わず顔を顰めてしまいます。
ロルフさんが窓を、キンメルさんがドアを開け放ちます。
僕が神気の操作を止めると、ホルト氏の身体を巡る神気もやはり停滞してしまいます。
本来持っているスムーズな循環が行われていないのです。
自力で循環させる事が出来れば、煙草の毒素も徐々に抜けて行くのではないかと思います。
暫く神気を循環させた後、これ以上はホルト氏の身体に障りそうなので、明日また経過を見ると言うことにして僕たちは王宮を出ました。
ようやく暖まってきた街路から霧が消えて、束の間の冬陽が差し込んでいます。
官庁街を抜けてぶらぶらとホテルへ戻りながら、ヌガ車が行き交う大通りを歩いていると冬支度に忙しい街の人達が、時々僕たちを振り返って会釈していきます。
先生はシルクハットをちょっと持ち上げて応えながら、僕たちを振り返りました。
「どうやら昨日の一件で、ちょっと有名になったらしいね」
「殿下のお側に居ましたからねえ」キンメルさんがちらりと僕を見ます。
「まあ、轡取りでしたけど」
ほっほっと笑いながら、先生は陽気にステッキを回して歩いて行きます。
「まあ、好奇の目もあと僅かさ。明日王宮に行った後、アカデミーで溜まっている年金を受け取ったら帰ることにしよう」
「ええ、そうですね。そろそろファームズヴィルが恋しいですよ」
「無理もない。キンメル君はトンボ返りだったからねえ」
「この冬は家族でゆっくりしたいですね」
「然り、然り」
ところがそんな僕たちの予定は、午後にはあっさりと覆ってしまったのです。
黄葉栗のペーストを塗った甘いトーストと、雪見魚の冷燻と玉葱のスライスを乗せたトースト。刻んだ卵と暁舞茸のマイヨネッサ和え、定番の丘赤牛のローストビーフに紅葉茸のソース掛け等の昼食を堪能して、ゆっくりと食後の休息を楽しんでいるところへ、王宮からのヌガ車が到着しました。
談話室に案内されてきたのはロルフ隊長です。
「先ほどお別れしたばかりなのに、慌ただしいことですな」
「まあ、殿下は即断即決の方ですから」
ロルフさんは優雅にカップを口に運びました。
「殿下の素早いご判断とは、私たちに関わることと云う訳ですな」
「ええ、殿下の仰有るにはホルト氏の回復に見込みがあるのなら、トビー君に暫くポロに留まってもらい治療を続けて欲しいとの事です」
「王宮にも神気術使いが居られるのでは?」
「あのような神気の使い方が出来る者は居りませんよ」
「ふうむ、確かに…しかし、トビー君だけ置いていくわけには…」
「おや、先生も此方に留まられるのでは?」
「ん? それはどうした訳かな」
「殿下の親書に書いてあったと思いますが、先生はホルト院長不在の間は院長代理の任に付かれているのでは?」
「む、だが、まだ引き受けてはおらんよ」
「先生は過日アカデミーの執事に対して、院長代理の権利を行使したと聞いていますが」
「ほい、そうだったわい。これは断れないね」
「ご理解いただいて」
ロルフさんはしれっとカップの紅茶を飲み干しました。
「やはり殿下の即断即決は正しかったようですね。では先生、トビー君、明日からもよろしくお願い致します」
ヌガ車がホテルの門を出て行くと、先生はやれやれと溜息を吐かれました。
「これは当分帰れそうには無いね。ファームズヴィルには、連絡のためにキンメル君一人に帰ってもらおう」
「はい、先生。残念ですが、一足お先に帰って三姉妹達に報告しておきます」
「うん、よろしく頼むよ。それでは今から殿下に倣って即断即決でアカデミーに行って、年金を受け取ってこようじゃないか。キンメル君、それを明日持って帰ってメリアンに諸々の支払いを終えるように言付けてくれたまえ。朝一番で発てばファームズヴィルの近くまでは辿り着けそうかね」
「ええ、まだ雪が深くないので、明日中には着けると思います」
「うん、決して無理をしてはいけないよ」
「はい、先生」
僕たちはすぐにハンサムを雇いアカデミーに乗り付けました。
早速、衛兵長のペローさんの出迎えを受けます。
「先生、先日はお疲れ様でした」
ペローさんによると、警備隊が試神庭の犯人達を捕らえて来たタイミングで、院長室に居座っていたロペス氏を確保し、警備隊に突き出したそうです。
「それは重畳。誰も怪我は無かったのかね」
「ええ、あっという間でしたからね」
今までの鬱憤も晴らしたらしく、ペロー氏はニヤリと笑いました。
「ああ、先生。お待ちしておりました」
ラポネさんが転がるように階段を降りてきました。
「もうもう、決裁が滞っておりまして、書類が、書類が…」
「落ち着き給えラポネ君。まあ、書類については院長代理を受けてしまったので、私が決裁しようじゃないか。その前に年金の問題を片付けておきたいのだがね」
「ああっ、年金。そうですね。ああ、それがありました。ええ、ええ、ただいますぐにっ」
再び階段を駆け上がっていくラポネさんの後を追って、僕はやっと振り出しに戻ったような気がしたのです。
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