第22話 祝宴

 「こ、こ、こ、これは、おおお王女ででで殿下には、ごごごご機嫌麗しく」

いつも穏やかで落ち着いているハドソン夫人が、王女殿下のご来訪と知った途端にこの有様です。

まあ、僕も初めてお会いした時は、似たようなものでしたけど。

 一応、殿下とは東門で別れて僕たちは、アカデミーには寄らずにハドソンホテルへと帰ってきました。

夕餉には予定通り茸のフルコースが出ると言うことで、一旦部屋に戻り二日ぶりの風呂を堪能し、のんびりとお茶したり仮眠したりして夕食までの時間を過ごしました。

 ハドソン夫人には夕食にお客様を招待したので二、三人増える事と、夫人にも同席をお願いしたのでした。

お忍びの殿下を持て成すのに、主が知らないというのは信義に悖るし、こんな機会は滅多にないので、面識を得ることは彼女にとっても良いことだと先生はお考えになり、内密に夫人にも紹介することにしたのです。

 夕食の時間になり、お客様がいらっしゃいましたとハドソン夫人が食堂に案内したのは、ボンネットを深く被り町娘の格好をした殿下と、こちらも商家の若旦那といった風情のラルフさんです。

「やあやあ、ようこそ」と、先生が中央の席を進め殿下の隣に着席なさいました。

その向かいにキンメルさんと僕が並び、ハドソン夫人が着席すると、殿下が「ふうっ」とボンネットを取られたのです。

それを見た夫人が、いつもの穏やかで落ち着いた物腰を失って斯くの騒ぎです。

「ああ、堅苦しい挨拶は抜きで構わないわよ。もうプライベートだし」

うはっ、口調変わってるし。それで良いのか王女殿下。

僕はそっとロルフさんを見ましたが、こちらもしれっと一般人みたいな顔をしています。

「なによ、トビー。変なこと考えてるでしょ」

「イイエ、ナニモカンガエテナイデスヨ」

「まあ、いいわ。今日はトビーのおかげで良い思いが出来たし、一応お礼言っとくわね」

「へへえーっ」

「もうっ、アンタも大概ねっ」

そりゃ、これだけ振り回されれば慣れもしますよ。

 早速夕餉というには豪華なメンバーによる祝宴が始まりました。

まず前菜は、茸と兎肉のテリーヌです。

挽いた兎肉と細かく刻んだ茸を生クリームで和え、蒸し上げてから冷めて切り分けた物に茸をブイヨンで煮た汁を煮詰めたソースが掛けられています。

「ほお、香り高いの」

「金秋茸と紅葉茸を使っております」

「ほお、香りは金秋茸、味は紅葉茸という訳か」

「はい、どちらも新鮮でしたから、良い香りと味が出ていると思います」

「うむ、確かに…しかし香りか…」

「殿下、どうかされましたか?」

「ん? いや、なんでもない。気のせいじゃろ」

「はあ」

殿下はなにやら小首を傾げておられましたが、残さず綺麗に召し上がりました。

 次に出されたのは、雪見魚の白子茸ソース掛けです。

昨日ヤドックさんと市場で仕入れた雪見魚から取れた白子をソテーして、刻んだ茸をクリームソースに仕立てて香り高く仕上げてあります。

大ぶりでふっくりとした白子を切るとトロリとした中身がソースと混ざり合います。

濃厚な旨みと茸の香りが、一気に口中に広がったかと思うと、泡雪のように溶けてなくなります。

「旨いね、いくらでも食べられそうだよ」

「ええ、口に入れると旨みだけ残して溶けてしまいますね」

先生のお言葉に、キンネルさんも目を細めて絶賛です。

 そしてメインは二重丸茸と丘赤牛のミンチステーキです。

丘赤牛の肉を細かく刻んで、火を通した玉葱のみじん切りと合わせ、二重丸茸を混ぜ込み楕円形に成形した物を炭火でじっくりと焼いた物だそうです。

「ほぁ、噛むとじゅわっと肉汁と茸のソースが溢れてきます」

「ふむ、満遍なく柔らかく、どこを切っても同じ味がするステーキとは素晴らしい」

「二重丸茸の香ばしい食感がたまりませんな」

皆さんの絶賛にハドソン夫人も満面の笑みです。

 続いて茸と雪見蟹の冷製が出ました。

これも昨日市場で買い求めた大きな蟹を使った物です。

蟹の腹身を丁寧に解して金秋茸と暁舞茸を刻んで軽く煮込んだ物と錦水菜を混ぜ合わせゼリーで固めています。

コンソメにワインビネガーを加えて酸味を付けたソースが掛かっていました。

濃厚なミンチソテーの後に、さっぱりとしたアクセントとなって、口中を爽やかにします。

 そして暁舞茸、金秋茸、紅葉茸を贅沢に使った茸の饗宴スープの登場です。

刻んだ金秋茸と紅葉茸に賽の目に切った暁舞茸を、ホワイトグースのレバーペーストと共に、丘赤牛のすね肉を煮込んで取ったコンソメに入れ、パイ生地で蓋をしてオーブンで蒸し焼きにした物です。

ある意味、これが本日のメインともいえるでしょう。

 大ぶりの器に、こんもりと盛り上がったパイ生地をスプーンでサクサクと切るようにスープの中に落とし込んで、じんわりと味が滲みたところを戴きます。

「うーん、この香り、濃厚な旨み、シャクシャクとした食感、茸料理でこれ以上の物は無いね」

「まさに至高ですな」

「美味しいわ…けど、この香り…ねえ、ハドソン夫人、茸のコースはこれでお終いかしら」

「は、はい。この後、黄葉栗の甘煮をデザートとしてご用意しておりますが…」

足りなかったのだろうかと、殿下のお尋ねにハドソン夫人は恐縮して答えました。

「うーん、おっかしいわね。何か、もう一つ…」

そう言って、もう一掬いスープを口に含んだ殿下の目が、カッと見開かれました。

「分かった! コラッ、トビー」

「ひゃっ、はいっ」

いきなり矛先が僕に向かったので、驚いてスープをこぼすところでしたよ。

「アンタッ、まだ茸を隠してるでしょ」

「ええええっ」

「最初にテリーヌを食べたときから、何か腑に落ちなかったのよ。あの独特な香りがするのに、その味が無い。たぶん、香りが他の茸に移ったんだろうから、後の料理で出てくるのかなと、その時は思ったんだけど、最後に出された茸の饗宴にも入っていないってことは、あれを採った本人が出し惜しみしたってことよ。そうでしょ、トビー。アンタ、冠岩茸を隠しているわね」

「ひええーっ、お、おそれいりましたー」

 僕は収納からお土産用に取って置いた冠岩茸の塊をテーブルに提出しました。

「まあ、これは」

「おおっ、すごい香りだ」

「こんな立派な冠岩茸は見たことがないぞ」

「トビー」

「トビー君」

「トビーさん」

「い、いや、これは…ですね、ファームズヴィルのみんなにお土産にしようと思っていたんですよ」

「ホントなの、まさか一人で食べるつもりじゃなかったでしょうね」

「と、とんでもない。本当にお土産にするつもりでしたよ」

「ふーん、ま、お土産ならしょうがないわね。具のない香りの謎が解けたし、それは仕舞って良いわよ」

「へっ、良いんですか。では、えへへ」

「待ち給え、トビー君」

ほっと胸をなで下ろして、収納に仕舞おうとしたところで、先生からお声が掛かりました。

「さすがは殿下、素晴らしい嗅覚をお持ちですな。感服致しましたぞ。トビー君、せっかく見事な冠岩茸をお披露目したのだから、お土産の分を取り除けて残りを此処に居る皆で味わったらどうかね」

先生の仰ることです。勿論否やはありません。

「ええ、僕は構いません」

「ハドソン夫人、この人数で軽くこの冠岩茸を味わう料理を作れないかね」

「そうですね、冠岩茸はご覧の通り香りが大変強いので、少量でもお料理に活かすことが出来ますが、なんといっても魅力を最大に引き出すのはリゾットでしょう」

「おお、リゾットですか。お願い出来ますかな」

「はい、お任せ下さい。トビーさん、いただいて参りますよ」

「は、はい」

 ハドソン夫人は、大胆にも冠岩茸の塊を三分の一ほど、僕の目の前でもりっと折って持って行ってしまいました。

「あ、ああ…」

「そんな情けない顔するんじゃないわよ。食べられなくなった訳じゃ無いでしょ」

「ええぇ、そうなんですけどぉ」

「もう、しょうがないわね。私がアンタのお土産をもらったみたいなもんだから、その分補填してあげるわよ」

「え、ホントですか?」

「私がウソ言うとでも思ってるの?」

「いやあ、えへへへ」

「ファームズヴィルに帰るときには、びっくりするようなモノをあげるわよ」

「えへっ、ありがとうございます」

 王宮にはきっと珍しい食材がたくさんあるんだろうな。

どんな美味しい物をいただけるんだろうと、僕はすっかり妄想の中に入ってしまって、その後の殿下とロルフさんの会話を聞き逃してしまいました。

それが、後に驚くような事になるとは、この時は思いもしませんでした。

 そして、本日最後にして最高のご馳走がやって来ました。

掌で包めるような丸い器に、こんもりと盛られたマイスはとろりと軟らかく煮られて、食堂の光を受けて輝いています。

ふわりと香るのはロランで作られたチーズで、港町の潮風で熟成されたちょっとクセのある匂いが特徴です。

低く縮めた樽のようなチーズの上部をカットして窪みを作り、その中に出来たてのリゾット入れ、熱で溶けたチーズを削るように絡めたチーズリゾットなのです。

 皆の前にリゾットが行き渡ると、ウェイターが銀の小盆に乗せた冠岩茸を持って登場です。

香りの飛ばないように慎重に汚れを拭き取った冠岩茸を、一人一人に目の前でスライサーからリゾットに振りかけていきます。

薄くスライスされた茸から、得も言われぬ香りが部屋中いっぱいに広がりました。

「素晴らしい、素晴らしい香りだ。さあ、皆さん戴きましょう」

先生の合図で、皆磨かれた金のスプーンでリゾットを口に運びます。

金以外の金属では、僅かに味に金属臭が混じってしまうのです。

「うーーーん」

「くぅーーー」

「うむーーう」

皆さん、言葉が無いようです。

圧倒的な香りと味が口中を蹂躙していきます。

これはもう美味の爆発です。

皆夢中で食べきって、食後に鼻から抜ける香りを楽しんでいます。

お茶もデザートも、この香りを消すのがもったいないと、誰も手を付けないのです。

それで、僕のポケットから放出した黄葉栗を使った甘煮は、皆さんのお土産になりました。

こうして後々まで語り継がれる、ハドソンホテルの茸の饗宴は終わったのです。

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