第16話 捜索 前編
王宮からアカデミーへの帰り道、少し寄り道をして行きます。
ハドソン夫人に今日は帰れないと伝えなければなりません。
旧市街まで歩いて、蔦と苔で覆われた木造ホテルの玄関を入ると、夫人が出迎えてくれました。
「まあ、トビーさん。お帰りが遅いので、お昼はどうなさるのかと思っておりましたわ。おや、先生は?」
「それが、実は…」
僕が詳しい話をして、今日は帰れないかも知れないと言うと、夫人は驚きながらも僕に暫く待つように言うと、奥へ戻って行きました。
その間に部屋に戻って、僕の空間収納にこれから必要な物と残して置く物とを分けることにしました。
ちょっと悩みながら整理を終えてロビーに戻ると、ハドソン夫人が大きな篭を二つ持ってきました。
「こちらに御夕食とご朝食を用意しましたので、アカデミーまでお持ち下さい」
「こんなにたくさん温かい物を、ありがとうございます」
「夜は冷えますから、お大事になさってください。また明日、夕食を作っておきますわ」
僕は感謝してご馳走を収納に詰め込んでホテルを後にしました。
さして遠い道のりでも無いのに、既に日は傾いて冷たい風に身体が冷えてきます。
インバネスコートのケープを掻き合わせ、鹿追帽を深く被り直して道を急ぎました。
帰宅時間が近いのか、庁舎を巡る人々の足も忙しげです。
アカデミーの煉瓦の壁も、西日にその赤みを一層色濃く鮮やかにしています。
玄関を抜けると大ホールの向こうから衛兵さんがやって来ます。
「ワシュフル先生のとこの書生さん、もう用事は終わったんですか」
「え、ええ。おかげさまで」あれ? 変装がバレてますね。
「では、収蔵庫に案内しますね」
「はい。ありがとうございます」
階段を下りて収蔵庫に着くと、ワシュフル先生は豪華な安楽椅子にゆったりと身体を預けて読書中でした。
「先生、今戻りました」
帽子を取って挨拶すると、皆さんの目が一斉に僕に向けられます。
「誰だね、君は」
「何者だっ」
さっきまで親切だった衛兵さんが、腰の剣に手を掛けています。
「ええっ、僕です。トビーですよ」
「トビーさんは、そんな茶色の耳をしていないぞっ」
身構えたキンメルさんが叫びます。
あ、そうでした。変装していたんですよね。
「ちょ、ちょっと待ってください。今、変装を解きますから」
僕は慌てて耳と片目の周辺をゴシゴシと擦りながら、元に戻れと念じました。
「や、耳が灰色にっ」
「トビー君じゃないか」
「なんだ、帽子を深めに被っていたから、分かりませんでしたよ」
そうでした。せっかく変装したのに、見えなきゃなんにもなりませんね。
ホテルへ寄った時も帽子を取らなかったので、ハドソン夫人も気付かなかったのでしょう。
僕は、こういう所が抜けているようです。
「お騒がせして、すみません」
「やれやれ、君には毎度驚かされるねえ。そんな能力も持っていたんだね」
「いえ、これは殿下からお借りした宝具が原因でして…」
「へ? 殿下ですとぉ!」
衛兵さんが驚いて声を上げます。
「ええ、アイリーネ殿下にお目に掛かりまして、アカデミーの現状をお話して参りました。こちらが殿下からお預かりした親書です」
「おおっ」
「そう簡単にお会いできる方ではないのに、すごいですね」
「はあ、ちょっとしたご縁がありまして」
昨夕のピンクショックが頭を過り、思わず顔を顰めてしまいます。
「ははあ…成る程」
先生はどうやら昨日の僕の様子に結びつけられたようで、微笑を浮かべていらっしゃいます。
「それで、殿下からホルト院長の捜索を命じられたのですが、僕は院長さんのお顔も種族も存じ上げないので、お教えいただけないかと思いまして」
「ふむふむ、さらりと私の助手を使うとは、殿下も王族として強かにお育ちになっておられるようだね」
先生は殿下の親書を読みながら、こめかみに浮き出た青筋をピクピクさせて、和やかに微笑まれました。
ホルト院長はスティリゴ族といって、夜間活動が得意な飛鳥類に起源を持つ種族で、非常に探究心の強い賢者だそうです。
研究に寝食を忘れることもしばしばで、姿を見せなかった当初は誰もがまたかと思っていたのだそうです。
「それで事態の把握が遅れてしまったようなんだよ」
無事で居てくれれば良いがと先生は溜息を吐かれました。
「しかし君、スティリゴ族が少数とはいえ、種族の特徴だけで探し出すのは些か厳しいのではないかね」
「ええ、ホルト院長がスティリゴ族というだけでは行方が追えません。出来れば院長の纏っていた神気の質が知りたいのです。そうすれば、その痕跡を辿って行けるかも知れません」
「ほうほう、神気の質かね。これはまた新しい研究分野だね。出来ればその辺を詳しく聞きたいものだが、今はそんなことを言っている場合ではないね。トビー君、どうすれば君はホルト氏の神気の質を知ることが出来るのかね」
「院長の居られた部屋に入ることが出来れば、神気の残滓を感じることが出来るのですが…」
「つまり院長室ということか…確か今はロベス氏が使っているのじゃないかね」
「そうですね。今はロベス氏の執務室と化しています」
衛兵さんの言葉に先生は、良いことを思いついた顔をして仰有いました。
「では、その執務室に私の名代と言うことで、トビー君を連れて行ってくれないか。トビー君、今から私が言うことを覚えてロベス氏と交渉する振りをするのだよ。その間に君は神気の残滓を感じ取ると良い」
「なるほど、それは良い案ですね。トビーさん、準備が出来たら私が執務室へご案内しましょう」
すっかり仲間になってしまった衛兵さんを交えて、僕たちは準備を進めました。
衛兵さんは衛兵隊への根回しとラポネさんへの報告、僕は交渉手順を先生から教えて戴いています。
衛兵さんによると、カプロ人の執事さんはとても頑固で融通が利かないそうなので、制止を受けたら構わずに振り切って進んでしまえば、後のことは仲間の衛兵さんが上手くやるとのことでした。
キンメルさんは、どうやら今晩はここに泊まることになりそうなので、他の収蔵庫から必要な物を調達するそうです。
僕が先生から教えていただいたロベス氏との交渉内容をすっかり覚えてしまうと、いよいよ行動開始です。
階段を上がり大ホールから二階の院長室へと向かいます。
僕たちが以前待たされた応接室の前を通り、打ち合わせ通り執事さんの制止を無視して進むと、怒った執事さんが大声を上げて衛兵さんを呼び集めています。
そんな騒ぎを聞きながら、僕は院長室の扉をノックしました。
「なんだ、騒がしいぞ」
扉が開いてロベス氏が顔を出しました。
「こんばんは、ロベスさん」
ロベスさんは僕を見て眉を顰めました。
「む、おまえはワシュフルのとこの猫ではないか」
「はい、助手のトビーと申します。どうぞよろしくお願いします」
僕の丁寧な挨拶にも関わらず、ロベス氏は衛兵さんに向かって怒鳴りました。
「何故こんな奴を連れてくるのだ。牢に叩き込んでおけと言ったろうっ」
「ワシュフル先生の使者という事でしたので」
「何を、馬鹿なっ」
衛兵さんが、しらっと答えるとロベス氏はすぐに顔を紅潮させます。
大変怒りっぽい方ですね。
「おじゃましますね」
僕はロベス氏の足下を抜けて執務室に入りました。
「あっ、コラッ、待てっ」
ロベス氏が慌てて僕を捕まえようとしますが、全身バネのような筋肉を持つケット族とガストルでは敏捷性が違います。
僕はひょいひょいとロベス氏の手を躱して、執務室を逃げ回ります。
「ロベスさん、話を聞いていただけませんか」
「なにを聞けというんだっ、このっ、慮外者がっ」
「もう少し冷静に話し合いましょうよ」
「ふざけるなっ、この猫めっ」
お話になりません。ここはロベス氏の気が済むまで追いかけっこをしてあげましょう。
ぎりぎりで捕らえ手を掻い潜り、躱しつつ、僕は執務室の中に残るホルト氏の神気を探りました。
幸いこの部屋には余人はあまり入り込まないらしく、ホルト氏の神気は濃厚に感じられました。これなら残滓を追うことも可能でしょう。
僕が確実にホルト氏の神気を把握した頃、ロベス氏はすっかり息が上がり、足を縺れさせて床板の継ぎ目に躓きました。
どうっと倒れ込んだロベス氏が、恨みがましそうに僕を見上げて荒い息を吐きました。
「な…な・にを・言いた・いんだ。言いたいことが・あるなら、さっさと言って、出て行けっ」
乱れた髪のまま、いつもはきっちりと締め込んだカラーを外して、大息を吐くロベス氏に、僕は改めてお辞儀をして先生から教わった口上を述べました。
「逮捕権のない一般人が、口論の末に資格在るように見せかけた権力によって、一方的に無実の我々を監禁することは違法です。即刻解放し謝罪してください」
「ふざけるなっ、俺は院長の職務代理者だ。俺の権限によって、不審者を捕らえ拘束したのだ」
「職務代理者たる権限委任の証拠は、口頭では効力を有しません。然るべき証拠を提示してください」
「ふふん、証拠ならあるぞ」
そう言って、ロベス氏は内ポケットから、一枚の書類を取り出しました。
「ほれ、これがホルト院長から俺への職務委任状だ」
見れば随分急いだ筆記体で職務権限をロベス氏に委任すると書いてあり、その下には院長のものらしきサインが認めてあります。
これは先ほど先生に指摘されて、慌てて捏造した物であることが見て取れます。
「随分、お粗末ですね。ロベスさん」
「なにをっ」
「権限委任状には委任理由と期間を設けなければなりません。そして、当然ながら院長の任免権者である王宮へ、その旨届け出なければなりませんよ」
「知ったようなことをっ、このベストロがっ」
ロベス氏は突然僕に飛びかかり、両腕で身体をむんずと掴みました。
「やったぞっ、このクソ猫めっ、さんざん逃げ回りやがって。もう二度と偉そうな口を利けなくしてやる」
「暴力はいけませんよ。離してくれませんか」
僕は身体を掴んだロベス氏の腕に触れて軽く神気を流しました。
「痛っ」
驚いたように腕を退いて、ロベス氏は僕を睨みました。
「このクソ猫っ、今俺に何をしたっ」
「軽く神気を流しただけです。何も心配はいりませんよ」
「神気だとぉ、おのれ、怪しい術を」
「この世界の住人は皆、神気を身体に宿しています。痛がるのは女神様の祝福を受けていない人だけです」
「クソッ、妖術使いが…」
一度流した神気は、霧散するまでは暫く身体に留まります。
祝福のない方は、その間痛みが持続するようで、ロベス氏はしきりに腕を擦っています。
本当はここまでするつもりは無かったのです。
先生からも話を長引かせて、神気の痕跡が確認出来たら引き上げてくるようにとも言われていたのです。
しかし、このロベス氏は分からず屋で傲慢に過ぎます。
少々お仕置きをしても、先生はお許しくださるでしょう。
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