第14話 アカデミー 後編
僕たちはアカデミーの地下倉庫に連れて来られました。
階段を下りると、左右に鉄格子の嵌められた部屋がいくつも並んでいて、見た目には牢獄と変わりは無いようです。
「ほうほう、アカデミーにこんなところがあるとは、知りませんでしたぞ」
先生が仰有ると、先導していた衛兵さんが手近な扉を開けて言いました。
「ここは収蔵庫でございまして、貴重な資料を保存しておりますから、ご覧の通り防犯対策をしっかりとしているのです。さ、どうぞこちらに、ここはまだあまり物を入れておりませんので、窮屈にはならないと存じます。今、椅子とテーブルをお持ちしますので」
衛兵さん達は別の部屋から豪華なテーブルと椅子を持ち出して、敷物の上に配置すると、木箱の中から立派なお茶道具を取りだして並べました。
「少々ご不便をお掛けしますが、私たちも役目でございますので、ご容赦ください」
「いやいや、ありがとう。なあに暫くの辛抱だろう。ホルト氏が戻れば元通りさ」
「ハッ、私たちもそう願っております。では、失礼します」
衛兵さん達は、申し訳なさそうに鉄格子の鍵を閉めると、戻っていきました。
「ふふっ、これはまた立派な応接セットだね。王宮から保存に回されてきたのかな。ティーセットも極上品だよ。トビー君、早速で悪いがお茶を淹れてくれるかね」
「はい、先生」
僕は空間収納から茶葉を取り出すと、金で縁取られた白磁のポットに入れ、神気術で少々熱い湯を作り出して、十分に茶葉を開かせました。
「カップの口当たりが良いね、さすがは献上品だ」
先生は芳しい茶の香りを楽しみながら、ミリアン謹製のローストナッツのクッキーを召し上がって、満足そうな溜息を吐かれました。
そうして僕たちがお茶を楽しんでいると、階段を下りてくる足音が聞こえました。
「おや、もうお茶を召されましたか。こちらの準備が整ったと聞いたので、お湯と茶菓子をお持ちしたのですが」
鉄格子の外にはラポネさんが、ポットと山のように菓子を積み上げた銀の盆を持っています。
「おお、ラポネ君。どうです、一緒にやりませんか」
さあ、さあと促されて、ラポネさんが鍵を開けて入って来ました。
どっさりと菓子の乗った銀の盆を豪奢なテーブルに置くと、まさに王侯貴族になったようなお茶会の設えです。
ラポネさんは、しきりに鼻をうごめかせながら席に着くと、私が注ぐお茶をワクワクして見つめました。
「ああ、さすがにワシュフル先生の飲まれる茶葉は一級品ですね」
一口啜ると、うっとりと目を閉じて、カップから漂う芳香を楽しんでいます。
「茶葉もそうだが、淹れ方が大事なのだよ。そもそもアカデミーのお茶は…」
ここぞとばかりに先生は先ほどの小間使いの淹れたお茶への不満をぶつけられます。
「わ、分かりました、先生。今後は善処しますので。それよりも聞いて戴きたい事があるのですよ」
ラポネさんは降参とばかりに長い両耳をパタパタと振って、ようやく先生の不満を収めました。
「ふむ、まあ分かってもらえたなら、それでよろしい。それで、私に話があるということだが、その前にアカデミーは一体どういうことになっているのだね」
「先生、それこそが私が聞いて戴きたいことなのです」
ラポネさんは事ここに到った経緯を話してくれました。
「事の起こりは一月程前です。私がいつものように大方の事務処理を終えてホルト院長の決裁を戴きにあがると、ちょうど扉が開いて院長が出てこられたのです。院長は『では、後は頼みますよ』と部屋の中に向かって仰いました。その後、私に気付かれて書類はいつも通り机の端に置いておくようにと指示され、出かけられました。院長を見送った後入室すると、部屋にはロベスさんが居ました。ああ、先ほど院長が声を掛けられたのはロベスさんだったのだなと思い、軽く会釈して書類を机の端に置こうとしたところ、ロベスさんが『今の院長の指示を聞いたかね』と言うので、『ええ、後を頼むと言われたことですか』と言うと『そうだ、私は院長に後を託されたのだ。書類をよこし給え』というので、ロベスさんが然るべき所へ保管するのかと思い手渡したのです。ところが、彼はそのまま院長の席に座るとその書類に決裁のサインをし始めたのです。驚いた私が『それは正式な文書ですから院長のサインが』と言いかけると、ロベスさんはサインを終えた書類を私の方へ滑らすのです。こんなことをして、また書類を作り直さねばならないと若干の非難を込めてその書類を見ると、なんとそこには院長そっくりのサインがしてあるのです。『分かったかね、私はいつも院長の代わりにこうしてサインをしているのだよ』とロベスさんは言うのです。『後を頼むとはこうこうことだから、君は院長代理の私の指示に従えば良いのだ』と言われて、私はサインのこともあり、先ほどの言葉を聞いたこともあって、それからはロベスさんの指示に従うことにしたのです」
「ふうむ、ロベスさんは、それまで何をしていた人なのかね」
「ロベスさんはホルト院長の個人的な秘書でした」
「はて、個人的な秘書に公的な代理を任せることがあるだろうか」
「ええ、私も後からよくよく考えてみて、どうも変だと思ったのですが、院長もその内お帰りになるだろうし、事務も滞らないのでその時までは現状を良しとしてしまったのです」
「それで、一月も経ってしまったという訳だね」
「はい、最初は院長の事務的な代行をしているだけだったロベスさんが、日に日にアカデミーの職務に口を出すようになり、今では、そのう…独‥裁‥的な事態になっておりまして…」
「なるほど…ホルト氏の行方は調べたのかね」
「はい、十日ほど経った頃に、あまりにご帰還が遅いので、ロベスさんに尋ねたのです」
「ふむ、それで?」
「心配しなくても、間もなく帰るというだけで…」
「しかし、一月はちょっと長いようだね」
「はい、それで先生がいらっしゃったので、ご相談をと…」
「なるほど…簡単に言うと、アカデミーはロベス氏に乗っ取られ掛かっているという訳だ。まずは院長不在の件を王宮に連絡して、それなりの対処を取って貰うことにしよう」
先生は僕に預けていた手紙に、新たにアカデミーの現状を書いた紙を数枚追加しました。
「私は勿論、キンメル君も目立つからここを出られないが、トビー君ならラポネ君に隠して貰いながら、抜け出せるだろう。王宮に行って私の手紙を誰かに渡してくれたら、事態はかなり良くなるはずだよ」
「王宮‥ですか」
一瞬、あの奇天烈姫の顔が浮かびますが、王宮に伺ったからといって滅多に会える方ではありません。
そこは安心していいでしょう。
「門衛に私の名を出せば、然るべき人に取り次いでくれるはずだ。しっかり頼むよ」
「はい、承知いたしました」
こうして僕は、先生のお指図で王宮に向かうことになったのです。
さて、目立たないようにアカデミーを出るには、ラポネさんの影に隠れて行くのが一番良いということで、僕はラポネさんの後ろから抱きつくようにして、二重回しを頭から被って一緒に歩いて行くことにしました。
僕も小さい方ですが、ラポネさんもあまり背の大きい方ではありません。
結果、ラポネさんのお尻だけが大きく膨らんだような状態になってしまいました。
「なんだか不格好だが、遠目には分からんだろう」
そんなことを先生は仰います。
鉄格子の部屋を出て階段を上がると、すぐに衛兵さんに出遭いました。
「おや、ラポネさん。どちらへ」
「ええっ、いやいや、私は何処にも行かないよ」
まさかすぐに衛兵さんに遭うとは思わず、ラポネさんは気が動転して変なことを言い出します。
「ああ、いや執務室とは方向が違うので、どちらへ行かれるのかと」
「へあっ、ああ…えっと」背中越しにラポネさんの心臓がドキドキしているのが伝わってきます。
「ラポネさん、落ち着いて。ちょっと外の空気を吸いに行く事にしましょう」
「うん、そうだね。そうしよう」ラボネさんが大きく頷きます。
「ん? どうしました」
「い、いや、その、ちょっと、そ、外の空気を吸おうかと思ってね」
「ああ、そういうことですか。では、こちら側が近いのでご案内しましょう」
「あ、いや…」
「おーい、手空きの者は集まれ」
衛兵さんが集合を掛けると、忽ち四、五人の衛兵さん達が僕たちの回りを囲みました。
これは拙いなと、僕はいつでも風の神気術を発動させられるように準備しました。
捕まりそうになったら、空中へ逃げる算段です。
ラポネさんには申し訳ないけど、使命のためにはやむを得ません。
すると、衛兵さんはちらりと僕の方を見ました。
「そのままですと少々不審なので、誰かさんに見とがめられないように吾々が回りを警備しますね」
衛兵さんはにこりと笑いました。
これ絶対ばれてるやつですね。まあ、こちらの味方をしてくれるようなので、ありがたいのですが、まだラポネさんは分かっていないようです。
びくっびくっと背中の筋肉を引き攣らせながら、玄関とは別の目立たない戸口へと誘導されます。
「さあ、ここなら目立たずに外の空気が吸えますよ。あ、戻るときにはちょっと変装ぐらいしてから声を掛けてくださいね」
そう言って衛兵さん達は行ってしまいました。
「ふうーっ、生きた心地がしなかったよ」
ラポネさんが、額の汗を拭っています。
「えっと、ラポネさん。本当に気が付きませんでした?」
「え、何をです?」
「あー、いや。えーと、こちらの戸口の事です」
僕はちょっとごまかすことにしました。本当にラポネさんは正直な人のようです。
「うーん、私はいつも執務室と関係部署の往復しかしないからねえ」
「そうですか。それではラポネさん、送っていただきありがとうございました」
「いやいや、王宮へのご報告をよろしくお願いしますよ。トビーさん」
ラボネさんに別れを告げて、僕は王宮へと足を向けました。
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