第13話 アカデミー 前編

 「トビー君、なんだか疲れているようだね」

夕食の席で先生が僕の顔を覗き込みました。

「ええ、まあ、はい…」

「散策で何かあったのかね」

「はあ、まあ、ちょっと刺激的なことがありまして」

姫君との約束で先ほどの事を話すことは出来ませんから、僕は初めての場所で見慣れない色使いをした人と出会って衝撃を受けたのだとお話しました。

「ほうほう、それもまた貴重な体験だったね。若い内はたくさん刺激を受けることが成長に繋がるというものだよ」

「そう…ですね」

先生の言葉に僕は苦く笑うしかありません。

 そこへ給仕が今夜のご馳走を運んできました。

焦げたチーズと濃厚なミルクの匂いがふわりと漂います。

縁高の分厚い陶器の皿に盛られていたのは、ぐつぐつと煮えたグラタンです。

「ほっほ、早速名物が来たね。さあ、いただこうか」

先生は焦げてぱりっとしたチーズの表面をスプーンで割って、中からトロリとしたソースをまとった大ぶりの牡蠣を掬い取りました。

「此処の牡蠣グラタンは絶品でね、マクマから新鮮な物が届くのだよ。私はこれが好物でね、ハドソン夫人は私が泊まると、この時期必ずこれを出してくれるのだよ」

先生は勢いよく湯気の立つ牡蠣を口に入れて、ほふほふと熱を逃がしながら美味しそうに召し上がっています。

僕はちょっと熱いのが苦手ですが、それでも芳しい牡蠣の誘惑には抗えません。

「はひゅっ、はふっ、ほへはっ、ふまひっ」

熱い塊を口中で転がすようにして、ホワイトソースと一体になった牡蠣のエキスを味わいます。

「うーん、たまりませんねえ」

口中の熱を冷ますように白ワインを含んだキンネルさんがごくんと喉を鳴らして流し込むと、溜息をつきました。

 表面の皮がパリッと焼けて中がふんわりとしたパンに、焦げたチーズソースを乗っけて食べるのも美味しく、僕たちは時間を掛けて最後まで冷めなかった陶器の皿を、まるで洗ったかのようにピカピカにしてしまいました。

そして僕は、夢中で食べている内に奇天烈な姫君のことなど綺麗さっぱり忘れてしまったのです。

 翌日、僕たちはヌガを二頭繋いだ辻ヌガ車を頼んでアカデミーの正面玄関に乗り付けました。

赤い煉瓦造りの高い建物で、弧を描く車寄せには庇が伸び、観音開きの玄関の先は広いホールになっていました。

吹き抜けの天井にはステンドグラスが填め込まれ、荘厳な光が降り注いでいます。

 ホールの奥にある扉から出てきたカプロ人らしい反り返った二本の短い角と、白い顎髭を蓄えた執事さんに先生は言葉を掛けられました。

「叙賜会員のリチャード・サ・レ・ワシュフルですが、院長は居られますかな」

「ワシュフル様」

執事さんは丁寧にお辞儀すると、少々困ったように眉尻を下げて答えました。

「ホルト院長は、ただ今不在でございます」

「ほう、それは残念。いつお戻りになられますかな」

「それが…しばらくお戻りにはなられないとか…」

「はて、アカデミーの院長たる方が、期間も明らかにせず不在とは」

「申し訳ございません」

「それでは年金の担当者に会わせていただけますかな。本日の用向きは私の年金支払いに関してなのでね」

「承知致しました。こちらへどうぞ」

 執事さんに案内されて、僕たちはホールの左右にある階段から二階の応接室へと通されました。

「院長に直接会えば話が早いと思ったんだがねえ、まさかしばらく戻らないとは、いったいどうしたことなのだろうね」

「私も院長様の事までは存じ上げず、ご報告出来ずに申し訳ありません」

「いやいや、キンメル君のせいじゃないよ。アカデミーの院長なんてのは、いつだって革張りの上等な椅子にふんぞり返っていなきゃいけないものだからね。それが自分の城を離れるなんて事は普通考えもしないよ」

先生は小間使いの淹れてくれた紅茶を飲んで、顔を顰めました。

「こういうところに無神経なのがアカデミーの悪いところだ。皆、自分の研究以外には興味を示さないから古い茶葉なんかで茶を淹れて平気な顔をしておる」

 香りの飛んだ紅茶がぬるくなるまで待たされて、ようやく応接室の扉が開きました。

「あの、どうも、お待たせをいたしまして」

長い耳が特徴のクニクロ人が、赤い目をしておどおどと入って来ました。

「おお、ラポネ君じゃないか。君が居たのなら、キンネル君に私の名代である証拠云々の話が出て来るはずがないじゃないか。一体どうしたのかね」

どうやら先生はラポネというクニクロ人の担当者と面識がおありのようです。

「ええ、それが、そのう…」

ラポネ氏がドアの側で、もごもごと言い訳をしようとしているところを押しのけて、後から痩せて背の高いガストルが入って来ました。

「失礼、ラポネ君、私が代わろうじゃないか」

「おや、あなたは?」

先生の問いに背の高いガストルは、口の片端を曲げ見下すような視線で、僕たちを睥睨しました。

「お前がワシュフルとかいうイングランドの遭難者か。随分と島国風をこの世界に押しつけて偉そうな顔をしてるそうだな」

これには然しもの先生もムッとされたようです。

「初対面から、随分な物の言い様だね。君が何者か知らんが、謂れの無い侮辱を受ける気はありませんぞ」

「ふんっ、私はピエール・ド・ロベス。大陸人だ。野蛮で怪しげな島国の風習に染まりつつあるこの世界に、本来の秩序をもたらすためにやって来たのだ」

先生は、この大言壮語に呆れた顔をなさいましたが、落ち着いて本来の目的をお話になりました。

「大仰な自己紹介をどうも、そんな御託はともかく私は年金の話をしにきたのです。ラポネ君、説明をしてくれるかね」

「は、それが、そのう…」

「ふっ、それは私が止めたのだ」ロベス氏が片頬を吊り上げて笑いました。

「君が? いったい何の権利があってです?」

「私がホルト院長の代理だからだ」

「院長の? 本当かね、ラポネ君」

「本当だとも、さあ、ラポネ君、この島民ずれに言って聞かせてやり給え」

「あの…その、ホルト様が、その、出かけられる時…ロベスさんに、あ、後は頼むと…」

「なんと…で、それはいつ‥」

「分かったかね、私は院長に全権委任されているのだよ。したがって、私の決定は院長の決定なのだ」

先生の言葉を遮って、ロベス氏は勝ち誇ったように顎を反らしました。

「だが、キンメル君の話によれば、年金の支払いを拒んだのは代理の証拠が無いからという理由ではなかったかね。こうして本人が来ておるのだから、支給に問題はなかろう」

「いいや、認めん。認めんよ。僅かな功を誇って多額の年金をせしめよう等と考えておる輩には、一ペンスたりともくれてやるわけにはいかんな。おっと、ペンスなどという腐れ単位を口にしてしまったわ。なにが一ポンド二十シリングだ。一シリングが十二ペンスなどとクソ煩わしい。一フランなら十ドゥシーム、一ドゥシームは十サンチームと数えやすいものを、まっさらな異世界に面倒な自国の習慣を押しつけおって」

「まるで国金を自分の物のように言うとは呆れたものだ。そもそも通貨制度の導入を決めたのも、年金の支給を決めたのは女王陛下なのですぞ。君は陛下の決定を覆すつもりかね」

「やかましいっ、蒙昧な者共を舌先三寸で手懐けた詐欺師がっ。お前こそ国家を欺く謀略の徒だ」

「なんという侮辱だ」

この暴言には先生も腹に据えかねたご様子です。

「君は院長の代理というが、それを証明するにラポネ君の話だけでは根拠が足りないのではないかね。私の代理たるキンメル君を疑ったように、君自身も何らかの物的証拠によってその身分を明らかにせねばならないのではないかね。そもそも院長の職を委任するには、委任状が必要だし、その不在が長期にわたる場合には、当然ながら王宮にも報告の義務があるはずだがね」

「何を言うか、支給者が支給対象者の正当性を審査するのは当然だ。だが、その逆は無いわ。お前こそ、ワシュフル本人かどうか証明出来ないだろう。してみれば、ワシュフルを騙った贋物と言うことになる。おいっ、衛兵を呼べっ。この騙り共を捕縛して牢へ入れるのだ」

「なんと乱暴な。暴言であり、横暴であり、無思慮な言動を顧みない態度といい、君は到底文明人とは言えませんぞ」

「ふんっ、笑わせるな。島民ずれが知ったようなことを。その取り澄ました顔が歪むほど厳しく詮議してくれるわっ。おおっ、衛兵か、さっさと此奴らを牢へぶちこめっ」

数人の衛兵が入ってくると、すかさずキンメルさんが前に出て先生を庇いました。

「先生、ここは私が」

しかし、先生は首を横に振りました。

「騒いではいかんよ、キンメル君。まあ、ちょっと様子をみようじゃないか」

「えっ、はあ…」

僕もキンメルさんと同様に、先生を庇って此処を脱出するつもりでいましたが、落ち着いたお言葉に少々拍子抜けをしてしまいました。

しかし、それは衛兵も同じようで、困惑したように先生とロベス氏を交互に見るばかりです。

「どうした、早く捕らえんかっ」

ロベス氏の怒鳴り声に、ラポネさんがおずおずと声を出しました。

「あ、あの、ロベスさん、そもそもアカデミーに牢はありません」

「なんだとっ」

「え、衛兵は守備が任務で、勿論逮捕権はありません」

「ふふっ、文化芸術の殿堂に、暴力機関や無粋な牢などある訳がなかろう。君は何を勘違いしているのかね」

先生が薄くお笑いになると、ロベス氏は顔を真っ赤にしてラポネさんに怒鳴りました。

「どっ、何処か此奴らを閉じ込める所は無いのかっ、頑丈な檻はっ」

「檻というか、頑丈に作られた地下倉庫はありますが…」

「そこだっ、そこで良い。早く此奴らをそこに連れて行けっ」

こうして僕たちはアカデミーの地下倉庫に監禁されてしまったのです。

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