尖り屋敷で死んどけ

尾八原ジュージ

尖り屋敷で死んどけ

「やっぱいいよねぇ~天馬先生。でもさぁ、ウチの周りあんまミステリとか読む子いなくってぇ、本の話できるのってミリちゃんくらいだから超うれし~」

 とかなんとか言いながら、結局いつもあたしにマウントをとりにくるのだ。万代子まよこはそういうやつだった。


 知る人ぞ知る、という感じだったミステリ作家の天馬弥五郎が突然メジャーになったのは、確か一年前、ある著作がSNSでバズりにバズったのがきっかけだった。それからびっくりするような勢いで映画化が決まって新刊も出て、ついでに顔出しした本人がちょっと思ってもみないくらいのイケメンだったので、あっという間に超人気作家になってしまった。

 あたしはもう十年近く前、ダサいブレザー姿の女子高生だった頃からの天馬弥五郎ファンだ。推し作家が売れるのは嬉しいけど、このもてはやされ方はなんか違うんだよな……などとモヤモヤしつつ愛読し続けていたのだけど、そこに食いついてきたのが万代子だった。

 万代子は一応幼なじみで、腐れ縁だ。この女には基本的に友だちというものがおらず、したがって常におしゃべりに飢えている。今回、一大ムーヴメントの波にのって天馬ファンになった万代子は、しかし感想を共有すべき仲間を持っていなかった。そんな折、どこかであたしも同じく天馬ファンだと聞きつけたらしく、「ミリちゃん天馬先生のファンなんだって~? ウチも~!」とすり寄ってくるようになったのである。

 あたしも好きな本の感想を言い合える同志はほしい。だから万代子がいてよかったよかった――と思えたらいいのだけど、そこはそれ、すでに言ったとおり万代子には友達がおらず、それには相応の理由がある。

「天馬先生って人気あるけどぉ、ウチくらいディープなファンになるとぉ、なかなか話合うひとっていなくってぇ~。ミリちゃんがいてよかったなーって……あっ、でもミリちゃん、先生のデビュー作持ってないんだよね~?」

 小洒落たイタリアンレストランの小粋なテーブルの向こうで冷めきったフォカッチャをつまみながら、万代子はニタニタと笑う。これだよこれ。万代子ってやつは、いつだってクソみたいなマウントをとりたがるのだ。

「いや、持ってるから」

「でもそれって電書でしょお~? やっぱファンたるものさぁ、紙と電書、両方持っていたいじゃ~ん?」

 クソである。もう何度この会話を繰り返したことか。

 天馬弥五郎の実質的な商業デビュー作は、十年前に出版された『密室偏愛アンソロジー』という短編集の中の一作、『尖り屋敷の女』だ。元々世に出た部数が少なかったうえ、未だに重版されていない本書は現在、中古本をプレミア付きの価格で購入するか、日本中の古本屋を根気よく探し回るよりほかに手に入れる手段がないと言われている。幸い電子書籍版があるので読むこと自体は手軽にできるのだが、紙の書籍を入手するのは、一人暮らし薄給会社員のあたしにとっては結構しんどい。

 一方、万代子の実家は金持ちだ。プレミア付きの書籍も親の金で手に入れることができる。そういうわけで彼女は、一応古参ファンであるところのあたしに、かくも鬱陶しくマウントをとっているというわけなのだった。

 こんな目に遭うなら紙で買っときゃよかった――万代子の話を聞き流しながら、あたしはそんなことを考える。バズって人気が出る前なら、もっと安く入手できたはずなのに。もっともあたしが紙の『密室偏愛アンソロジー』を持っていたら、万代子はもっと別のポイントで無理やりマウントをとってきただろうけど、それはそれとして悔しい。むかつく。そもそも万代子さえいなかったら、あたしは電子版で十分満足していたはずなのだ。それもむかつく。

 ああ、なんとか紙の『密室偏愛アンソロジー』を手に入れて、それでこいつの頬を思いっきりひっぱたいてやりたい。電子書籍で同じことをすると、精密機器が壊れるおそれがある。

 ストレスをフォークの先っぽに込めて、あたしはデザートのチョコレートケーキをゆっくり、じっくりと突き刺す。まぁ、あたしも何の得もなしにクソマウント女に付き合ってるわけじゃない。万代子の話に適当に相槌を打っていれば、普段入れない価格帯の店でタダ飯を食うことができるのだ。へ~すっごいね~万代子ってやっぱファンの中のファンだよね~尊敬~しゅご~いとかなんとか言いながら食べるケーキは、やっぱりそれなりのお値段だけあってそれなりに美味しい。

 それになんだかんだ切り捨てずにいるのは、万代子を憐れんでいたからだった。鼻の穴を膨らませてマウンティングする彼女の姿は、はっきり言って滑稽で、なんならちょっと面白かった。友だちも恋人もいない、まともな職歴もない、こんなことでしか自分の価値を確かめられない可哀そうな女――あたしも内心、そうやって万代子を見下して気持ちよくなっていたのだ。つまりあたしたちは似た者同士なのだった。


 そんなわけで元気にレア本マウントをとっていた万代子だったのだけど、ある日突然彼女の実家がなくなったというので急転直下、あたしもずいぶん驚いた。

 なんでも万代子の父親の事業が失敗して両親は失踪、残された万代子はポカーンとするよりほかになく、でもいきなり生活レベルを落とすなんて芸当はできずに、どんどんどんどん行き詰っていったらしい。ひさしぶりに実家に帰ったら、万代子のでっかい実家があったところがいつのまにか更地になっていて、あたしは夢でも見ているような気分になったものだった。

 万代子はぱったりとあたしを誘わなくなった。もうご飯を奢ってもらえなくなったのは残念といえば残念だけど、クソみたいなマウンティングをされることもなくなった。万代子は無駄にプライドが高いので、奢ることができなくなった今、あたしに合わせる顔がないらしい。

 ちっとも連絡がこなくなった後、街中でたまたま見かけた万代子はなんていうかボロボロだった。髪はボサボサ、服はヨレヨレ、目は虚ろで、あたしは思わずゾッとしてしまった。


 連絡がこなくなって数ヵ月が経ったある日、万代子から小包が届いた。

 開けてみるとそれは『密室偏愛アンソロジー』だった。家がなくなったのにまだこんなもの持っていたのか、と驚きながらも、あたしはまずページを繰った。というのも、一部のページがごっそりと抜け落ちているのだ。

 思った通り、その中に『尖り屋敷の女』はなかった。収録作品の中でそれだけが、カッターのようなもので丸々切り取られている。

 届いたのはその歪な本だけ。他には手紙もなんにもない。

 でも、いやな予感がした。

 あたしはスクーターを飛ばして、送り主の欄に書かれていた住所に向かった。そこは小さな、今にも傾いて潰れてしまいそうな古いアパートだった。インターホンなんてものもなく、ドアをドンドン叩いて呼びかけたけれど返事がない。ふとドアノブを回してみると、それは抵抗もなくギィッと開いた。

 異臭が鼻をついた。ゴミ袋だらけの六畳ほどの小さな部屋、毛羽だった畳の上に万代子が倒れていた。

「ちょっと万代子! 大丈夫!?」

 あたしは部屋に上がり込むと、万代子の肩をゆすったり叩いたりしてみた。反応はない。あたしは横向きになっていた万代子を仰向けにし、顔にかかっていた髪を払いのけた。

「ひっ」

 思わず声が出た。

 万代子は両目をかっと見開いたまま、動かなくなっていた。その口の中にぎっちりと紙が詰まっている。試しに一枚取り出して開いてみる前から、あたしにはそれが切り取られた『尖り屋敷の女』だとわかっていた。

 万代子は自殺したのだ。本のページを食べ、喉に詰めて窒息死した――突拍子もないけど、でもそうやって死んだに違いないとあたしは確信していた。そうやってあいつは、最後にもう一度、特大のクソみたいなマウントをかましていったのだ。これは絶対に考えすぎじゃない。万代子ならそれをやりかねないとあたしは知っているのだから。

 いいでしょミリちゃん、電書じゃこんなことできないでしょ――


 生ゴミを食わされてるような気分になりながら、あたしは警察に通報した。

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