219 後悔、なのに嫌われ者 ※ジャンヌ視点

「知らない天井だな……」


 見慣れた板張りではなく、漆喰が塗られた天井。

 私――ジャンヌ・コレットは、身体を起こして周囲を見回した。

 磨り硝子の窓から差し込む光で、少しずつ記憶がはっきりしてくる。

 

 殺風景な部屋だが調度品の質は良い。異世界にしては清潔な寝具と、麻栗木チークに似た木材を用いたシンプルながら立派な寝台。

 枕もフカフカで、どうやらこちらの世界の品としては珍しく、羽毛が入っている模様。

 木窓が主流のメルティアにあって、この宿はガラス窓を備え付けている。


 なるほど、さすがは貴族向けの宿だけはあるということか。実際、金の階級章を見せるまでは、フロントに辿り着くこともできなかったわけで、一般庶民はお断りということなのだろう。

 無論、私が泊まったのは貴族向けでも一番安い――おそらくは侍女か執事用で用意された――部屋だが。


「朝……。いや、もう昼前か……」


 私は迷宮都市メルティアでも指折りの高級宿をとって、一晩ふてくされて過ごしたのだ。


 ベッドから這い出て、洗面台へと向かう。

 この街にはいちおう上水道があるが、蛇口を捻れば出てくるというほど便利にはできていない。だが、この宿はさすがというべきか、水の精霊具が備え付けられていて、それに近いことが可能だ。

 頼んでおけば風呂にも入れるらしい。


 私は洗面台に水を張って顔を洗った。

 備え付けの小さな鏡に映る顔は、普通に健康そうで笑ってしまう。

 昨日起きたこと。心が乱されたこと。私の身に備わった「体力アップ」と「生命力アップ」は、全くそんなものは斟酌しない。

 泣き明かして夜を過ごそうと――そんなことは。


 軽い柔軟体操をしてコンディションを確かめる。

 何も問題ない。

 肉体は元々万全だが、心のほうまで驚くほどスッキリと落ち着いていた。

 一晩経てば、なにもかもが元通りに回復――なんて、RPGじみた能力だ。

 それが、ポイント取得の恩寵由来のものなのか、あるいは転移者すべてに適用されるものなのか少し考えてから、転移者全員に適用ならあの愛らしき同居人が、あれほどずっと引きずるわけがないと思い直す。


 備え付けのベルをチリンと慣らすと、すぐにノックの音。

 入室してきたメイドに朝食の用意を頼む。


 ステータスプレートで確認すると、時刻はすでに昼間近だ。

 チェックアウトの時間を過ぎており、二日分の料金を支払うことになりそうだが、別にそれくらいの余裕はある。問題ない。


「……それにしても、視聴者数多くないか?」


 時刻を見たついでに目に入ったが、なんと3億超えだ。

 私がクロと離れたことで、動向が注目されているのだろうか。

 にしても、3億超えは異常な数字だ。クロが何かしているのか、あるいはなにかが起きているのか。


 ここでダダを捏ねていてもしかたがないということくらい、自分が一番わかっていた。

 クロは優柔不断でグジグジしたやつだけど、彼がそうなってしまうのも理解できないわけでもないのだ。

 私だって、同じ状況ならメッセージなど二度と開かないだろう。

 実際、ただこの世界で暮らすだけなら、メッセージ……いや、地球との繋がりなど邪魔になることこそあれ、ほとんどメリットはないのだから。

 唯一、他の転移者の動向を知ることができるとか、その程度のことだろう。

 視聴者数によるクリスタルやポイントはもちろんメリットだが、それはメッセージなど見なくても勝手に増えるし、本質的には関係がない。

 というより、それを目当てに行動するのは危険だ。私だって、結果として視聴者が増えたというだけで、狙って行動していたわけではない。


 幼馴染み――ナナミのことであいつが心を乱されるのもまた、理解できる。

 誰だって――私だって――自分が助けてやらなければと思い詰めるだろう。

 

 理性ではわかっている……はずなのに。

 自分が一番じゃなきゃ嫌だっていう、子どもみたいなワガママで、こんなことになってしまった。

 ――いや、実際に子どもなのだ。


「謝んなきゃな……」


 運ばれてきたコンチネンタルスタイルの朝食をモソモソと食べながら、これからどうするかを考える。

 ……どうもこうもない。

 別に、ナナミがこっちに向かっているのが嘘でもいいのだ。

 クロが納得するまで付き合ってやればそれで。それだけで良かったのだから。

 北から来る転移者がナナミだというのなら、こちらから迎えに行ってやればいいだろう。実際にその目で見てみなければ納得しないのだろうから。


 ◇◆◆◆◇


 昼食後、私は部屋を出た。

 フロントで精算するが、なかなかの金額だ。

 それでも、迷宮に潜ればすぐに稼げる金額でしかない。


 迷宮探索は正直かなり稼げるが、あくまでこれは命を天秤に掛けている結果であり、強くなれる者だけが得られる特権と言い換えてもいいだろう。

 弱ければ2層を越えることもできずに死に、3層の魔物には歯が立たず、1層ではほとんど稼ぎにならない。

 それがメルティアにおける迷宮探索者の実態なのだから。


 メルティアに一番多いのは、3層をメインとする一党だが、そんな六人パーティーを組み安定している銀等級シルヴェストルの一党ですら、1時間で魔物と2回程度戦い、稼ぎは時給十数ユーロ分程度。戦いの最中に、別の魔物の不意打ち――それがもしガーデンパンサーだったなら、確実に1人か2人は死に、最悪全滅――も、ありえるとなれば、どれだけ割に合わないかがわかるだろう。


 ただ、死が身近なのは、私たちだって同じだ。

 少し前に挑んだスキュラ戦だって、状況次第では誰かが死んでいてもおかしくなかったのだ。

 あくまで「今は上手くやれている」に過ぎず、年単位で考えれば、どこかで破綻したとしても不思議はない。

 迷宮探索は、ゲームオーバーしてもコンティニューすればいいだけのゲームとは違い、たった1つの自分の命を使ってやるものなのだから。

 無論、神からのギフトがある私たちは、尋常な探索者とは比べられないだろうが。


 故に、稼げる者が稼げるのは必定。

 まして、下層へ降りる者はより多くのリスクを――安定した稼ぎを得ようと思えばできるにも関わらず――取っているのだから、高級宿に気楽に泊まれる程度のことは、当然であるのかもしれない。

 

「そういえば、水の大精霊さまが神殿から外に出ておられるようですよ」


 それは、精算を終えて踵を返しかけた私への、フロント係からの軽い一言だった。

 こうしてわざわざ言うくらいだ、滅多にないことなのだろう。

 実際、私がこの街に来てから、そんなものは一度も見たことはない。


「大精霊は神殿にいるのではなかったのか?」

「大精霊さまは神殿から動けないのではないかと思われる方も多いのですが、実は違うのです。例えば、お祭りの時などは神殿から出ることもございます」

「そうか。なら、今は祭をやっているとか?」

「いえ、詳しい経緯はどうも……。ただ、誰かが手引きをしたとかなんとかで」

「手引き……?」


 誰かが、大精霊をなんらかの手段で外に出したということだろうか。

 そんなことが可能なのか? 大精霊は神に等しい存在だと聞いたが……。

 私は「嫌われ者」で一度嫌な思いをしてから、神殿には近付かないようにしていて、実際に大精霊を見たことはないが、案外、話が通じる存在なのだろうか?


 嫌な予感がした。

 私を探しに来ないクロ。妙に多い視聴者数。誰かが手引きした大精霊。

 ナナミが転移しているという嘘。今のこの状況。

 すべてが何かのために噛み合っている。

 そんな――予感が――――


「なんでも神殿でも把握してない愛され者がいたとかで、それで大精霊さまが出てきたらしいですよ」


 ベルボーイが話を引き継ぐ。

 ザワザワと嫌な予感が背中を這い上がってくる。


「愛され者……だと? それは、どんなやつだ?」

「なんでも、真っ黒い服を着た黒髪の少年だったとか」


 点と点が線で繋がる音がして、私は自分のバカさ加減に舌打ちをした。


「その大精霊ってのは、どこに!?」

「えっ? 大通りに出て、北へ向かえば人だかりになっているようですので、すぐわかるかと」

「北!? 屋敷のほうか!」


 私は水の大精霊の領域で一番の宿に泊まっており、実は屋敷からそれほど離れた場所ではなかった。

 密かに、クロが探しに来てくれることを期待していなかったといえば嘘になる。

 私を見つけて、そして、一言謝ってくれればそれで良かった。

 それが、こんなことになるなんて。


「私は……本当にバカだ……!」


 私は彼に出会ってから、ずっと甘えていた。

 お姉さんぶって余裕な態度でいたけれど、そんなのは「生命力アップ」の恩恵で精神的にブレにくくなっていただけのこと。

 本当の私は、ただの地球の17歳でしかなかったのだ。

 自分に優しくしてくれて、頼りがいのあるエキゾチックな黒髪の男の子に、同世代の男の子にあまり免疫のない女が気色悪く懸想していただけ。


 そのことに気付かれないように、でも時々には精一杯のアプローチをしたりして。

 だから、自分が一番でもなんでもないことに気付いて、ついカッとなってしまった。

 そんな権利なんてないのに。

 救いようのないバカだ。


 大通りはいつも以上に人でごった返していた。

 元々、この辺りは人通りが多いが、それにしても異常だ。

 これはつまり、大精霊が神殿から出てきているからだろう。

 クロは無事なのだろうか。レーヤはなにをやっているのか。


 人混みを強引に掻き分け走る。

 街はそこまで大きくはない。全力で走れば、屋敷まですぐだった。


 そこにはいた。

 ひときわ巨大な体躯の女。

 水色のドレスを着たソレは、神といえば神に、魔物といえば魔物のようにも見えた。

 人間でないことは明らか。


「クロッ!」


 とにかく今は彼を探すことだ。

 だが、どこにも彼の姿は見えなかった。

 他の転移者らしき者の姿もない。杞憂だったのだろうか?


 大精霊はただ突っ立っているだけに見える。

 周囲の人間たちは、神官服に身を包んだ者以外は、ただの住民たちのようだ。

 どういう状況なのか理解できない。


 あの大精霊というやつは話ができる存在と聞いたが、本当だろうか。

 私は「嫌われ者」で、大精霊との「契約」ができないということは知っているが、実際のところアレがどういう反応をするのかはよく知らない。

 あるいは、いきなり攻撃を受ける可能性もあった。

 精霊術ならば、私には効かないはずだが、それも絶対かどうかわからない。

 なにせ、相手は神のごとき存在なのだ。

 焦っていたとはいえ、ミスったかもしれない。

 私は今まるごしだ。あれが敵対的な存在であるならば、打てる手がない。


 私は立ち止まり、大精霊の様子をうかがった。

 いきなり攻撃を仕掛けてくる可能性を考慮して。


「おお、臭う臭う。どうしたことか、ハズレモノがいるようだのう。堪らぬ臭さよ」


 超然と前を向き微動だにしなかった大精霊が、突然こちらに向き、鼻の周りの空気を散らすような仕草をしながら言った。

 その視線は明らかに私に向いており、周囲にいる住民たちも、ギョッとした顔をして私から距離を取る。

 ハズレモノとは……私のことなのだろうか。


「ほ、ほほほ。極上の芳香を楽しめたかと思えば、此度は凄まじき臭気を嗅がされる羽目になろうとはな。我の長き生でも初めてのことよ」


 周囲の住民たちも、明らかに戸惑いの顔。

 私もまさかだ。

 正面切って臭いと言われるとは……。


「おお、臭い臭い。鼻が曲がってしまうわ。食欲も失せるというものよ」


 いや、待て。そんな臭いなんてする?

 確かに昨日は風呂に入ってないけどさ……。


「堪らぬ堪らぬ。こんな場所にはとてもおれんわ。ほ、ほほほ」


 あっけにとられる私から距離を取るように、大精霊はすごい勢いで遠ざかっていった。

 周りにいる住民たちも私と同じようにポカンとしている。


「嫌われ者だ……」


 誰かがそう呟くのが聞こえると、その言葉が伝播していくかのように、人々の言葉が音という波になっていく。


 ――嫌われ者

 ――なんでこんな場所に

 ――神殿に近寄らせるな

 ――嫌われ者は聖礼後には間引かれるんじゃないのか

 ――そういえば確かに臭いぞ

 ――ああ、感じる、酷い臭いだ――


 私は、彼らの目を知っていた。

 異端者を見る目。異端者を排除する人間の目。

 心臓をキュッと掴まれたような心地になる。

 生命力アップの恩恵により、肉体のみならず精神にもバフが掛かっていなかったなら、私はその場に蹲っていただろう。

 

(この場に留まるのはまずいか)


 私は人混みを強引に押しのけて迷宮のほうへと走った。

 この場所に留まる意味はもうなかったし、そもそも留まること自体が危ない気配を孕んでいた。

 なんとか冷静な判断ができた自分を褒めてやりたい。


(なるほど、嫌われ者……。そういえばこの世界でどういう扱いなのかは、良く知らなかったな。いや、知らなくてよかったというべきか。伊達に30ポイントもプラスされるデバフではなかったというわけだな……)


 冷静にそう考えることができる自分自身が少し不気味だった。

 それにしても、クロはどこに行ってしまったのだろう――

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