218 北へ抜けて、そして水の大精霊(召喚)
闇の大精霊に水の大精霊を任せ、俺たちは人混みを掻き分け、北へ、北へ。
「ヒカル、大精霊さま方は他の大精霊さまの領域には入ることができませんから、迷宮を越えることができればもう大丈夫ですよ!」
走りながらリフレイアが言う。
俺たちの屋敷がある場所は、水の大精霊の領域の中でも、迷宮からほど近く、つまり街の中心に近い場所にあるから、水の領域から逃れるのに、それほど時間はかからない。
闇の大精霊による足止めがあれば十分だろう。
迷宮都市メルティアは、4柱の大精霊の存在によって迷宮が作られている。
北には土の大精霊。
西には火の大精霊。
南には水の大精霊。
東には風の大精霊。
とにかく今はできるかぎり遠くまで逃げるしかない。
もう迷宮は目と鼻の先だ。
大精霊の気配は遠く、どうやら闇の大精霊がしっかりと足止めをしてくれているらしい。
「北か東か西か、どっちがいいんだ?」
「このまま逃げるなら北ですね。どうします? このまま街を出ますか?」
「そうだな。いちど距離を置いた方がよさそうだ」
なんとか逃げられそうではあるものの、まだ危険はある。
俺たちでは――いや、そもそも人間では大精霊には敵わないのだから。
「グレープフルーも大丈夫か?」
「走るのは得意にゃん。でも、これからどうするのにゃ? 私、あんまり状況が飲み込めてにゃいのですけど」
「悪い。逃げ切れたら説明するよ」
迷宮の周辺は広場になっていて、どの方角へも行きやすい。
北と東は西や南と違って建物が少ない。
迷宮広場の外縁部にこそ、それなりに建物があるが、そこから少し行けば農地が広がっているのだ。そこまで行けば、全力で走り抜けるのに不都合はない。
そうして迷宮横を通り抜けて、北へ。
リフレイアが言うには、これでもう水の大精霊は追って来れないということらしいが……。
「隣町までこのまま行きましょう。どうせ街も出るつもりだったわけですし、なんだったらこのまま旅立っちゃっても」
「さすがにジャンヌを置いていくわけにはいかないだろ」
「そうですか? じゃあ、見つけてこないとですね。いずれ」
「いずれって」
広大な耕地が広がる街道を走り出せば、もう街を抜けられるのは確定したようなものだった。
水の大精霊はもう追ってこられない。
さすがに愛され者であることを大精霊に暴露されるとは想像していなかったし、今後もこういうことが絶対にないとは言えない。
俺は転移者で、今だって何億もの人間に観賞されている最中なのだ。
だが、街を出てしまえば、俺を知る者はほとんどいなくなる。
ひとまずの危機は脱することができると見ていいだろう。
「このままうちの実家に避難するってのもいいかもですね。そんなに遠くないですし」
「リフレイアの実家って、光の大精霊がいるんじゃなかった? また同じようなことになるのは嫌だぞ」
「シルティオンの大精霊さまは、自然神殿の方ですし、大丈夫ですよ。愛され者を殺したって記録もないですし」
「そういうものか」
なんかそれを聞くと、大精霊を使役する迷宮都市ってのはずいぶんと歪なものなんじゃないかという気がしてくる。
まあ、そのぶん迷宮から得られる精霊石による利益が大きいのと、もうそれを知ってしまったらそれなしでは生きられないという状況が重なった結果なのだろう。
地球の人類だって、いまさら電気がない生活はできないだろうし、同じことなのかも。
「そうですよ、それがいいですよ! フローラにも――あ、妹ですけど、ヒカルにお礼言わせたいですし!」
走りながら、すっかりその気なリフレイア。
確かに街を出て遠くの大陸に渡るとなれば、1度は実家に挨拶に行く必要もあるだろう。
今生の別れ……は言い過ぎかもしれないが、移動手段が発達していない世界だ。未来になにがあるか未知数である以上、後悔しないように生きるのは、日本での生き方よりもずっと大事なことであるのかもしれない。
「じゃあ、そうしようか。シルティオンってどっちにあるんだっけ?」
「メルティアから見て北東ですね。一本道ですし、すぐですよ」
「すぐったって、一日じゃ無理だろ?」
「走って3日くらいですかね」
とすると、さすがにジャンヌと合流してからだな。
左右に農地が広がる土の大精霊の領域を走る。
と、ふいに召喚した闇の大精霊と繋がっていた感覚が途切れた。
俺との距離が離れすぎたからか、それとも水の大精霊に倒されたのかはわからない。
「闇の大精霊が倒された」
「問題ありません。もうここまでは水の大精霊さまは追ってこれませんから」
リフレイアが軽くそう答えた次の瞬間だった。
俺たちの目の前に水の柱……いや壁が立ち上がったのは。
それは街道を塞ぐように垂直に吹き上がり、俺たちは足を止めざるを得なかった。
街道にいた人たちも、驚いて周りを見渡している。
「あひゃひゃひゃひゃ! まぁだ、こんなとこにいた! 人間はノロマよの!」
その声はすぐ近くで聞こえた。
水。精霊力。その途方もない存在の力が現れたことで、すぐに俺はそれがなんなのかを理解した。
まるで瞬間移動。
……いや、おそらく本当に瞬間的に移動してきたのだ。
「う……うそ……」
「大精霊は、領域を越えてこれないんじゃなかったのか……?」
「そのはず……ですけど……。なんで……?」
それは、つい先ほどまで俺の命を狙っていた水の大精霊だった。
サイズは人間大に縮小しているが、見間違えるはずがない。
強大な精霊力を内包した水の神。
「お前を捕まえて、ちょっと味見をして帰るだけじゃ! ほ、ほほ、簡単すぎる仕事なのじゃ!」
大きい水の大精霊より明るいというか……、バカっぽい感じだ。
「水の大精霊さまっぽくないですね? でも、見た目は大精霊さまだし……」
「リフレイア、こいつはたぶん水の大精霊に召喚された大精霊だ」
「そんなことわかるんですか?」
「なんとなくな。精霊力のかたまり方が同じというか、属性違いの同じものという感じがする」
そういう意味では、リフレイアの「ライト」と俺の「ダークネスフォグ」も、属性違いの同じものだ。これも感覚的にわかる。
ステータスプレートを見れば、闇ノ顕とか闇ノ喚とか、術の種類が記載されている。俺が今まで見た術は多くはないが、必ずしも同じ術があるわけじゃない。
リフレイアの使う「フォトンレイ」や「キュアグロウ」に準ずる術は闇にはないし、ジャジャルダンの使った「ウォータースクリーン」なんかも闇には同じ術はない。
だから、同術の対消滅は対属性に同系統の術がある場合のみに限られるというわけだ。
逆に言うと、俺にはフォトンレイを防ぐ方法がないし、リフレイアにはシャドウバインドを防ぐ手段がないことを意味する。
いずれにせよ、召喚術であるならば対処が可能だ。
向こうが行動を開始する前に俺はリフレイアとグレープフルーと手を繋ぎ、道の端に寄って結界石を割った。
瞬間的に半透明の結界が俺たちを包み混む。
それだけで、相手はもう手出しできないし、本物の大精霊と違いこいつは時間制限で消滅するはず。
まともに相手にする必要はない。
「ああっ! ズルい! その術を使われると手が出ないんだぞ。このォ……!」
水の大精霊(召喚)が、ピョンピョン跳ねながら怒っているが、見た目が人間サイズなのであまり怖くない。
道行く人も気にはなっているようだが、これが大精霊だとは思わないらしい。水の大精霊は見た目がかなり人間に近いからというのもあるだろう。
闇の大精霊は闇そのものだからな……。
「大精霊さまって召喚術も使えたんですね……」
「そりゃ人間が使えるものなら当然大精霊だって使えるだろ。さっき大精霊が使ったのも、ウォータースクリーンだと思うし。それより、これからどうするか……」
とりあえず、あの召喚された水の大精霊が消えない限り俺は動けない。
「あ、あのぉ。私はどうしたらいいんですかにゃん」
「説明するよ」
グレープフルーには迷惑をかけてしまった。
いや、迷惑なんて簡単な言葉では片付けられない。最悪、殺されていたかもしれなかったのだ。
本来、彼女には全く関係がないこと。俺のウィークポイントだからというだけの理由で狙われてしまったのだ。完全に俺の責任だろう。
つまり、何億もの人間に見られ、悪意に晒されるとはそういうことなのだ。
俺は……そのことをちゃんと理解できていなかった。
理解できているつもりだったが、どこか楽天的なところがあったのは否定できない。
俺はすべてをフルーに話した。
説明を聞いても彼女はあまり理解できていないようだった。
彼女にはそもそも俺が異世界転移者であることも言っていなかった。
雇用主と被雇用者の関係だ。だから、彼女自身も俺のバックグラウンドを知ろうとすることはなかったし、明確な一線を引いて付き合っていたと思う。
俺自身も、自分の立場上、その線を守るようにしていた。
少なくとも自分自身ではそうあろうとしていた。
でも、結果はこのザマだ。
まだ仮面の男がそのへんにいるはずで、おそらくは俺を狙っている以上、グレープフルーを街に帰すわけにもいかなかった。
「フルー、ちゃんと給金は支払うから付き合ってくれ。しばらく街を出たりとか、可能か?」
「にゃにゃにゃにゃ……。互助会でちゃんと申請すれば問題にゃいと思いますけども」
「あー、じゃあ私が話してきますよ。ジャンヌさんも見つけてこなきゃですし」
「悪い。頼んでいいか?」
「まー、しょうがないですねぇ。貸しですよ。貸し」
「必ず返す」
リフレイアが俺と離れて行動するのも危険がないわけじゃないが、大精霊は街の人間である上に無関係であるリフレイアには危害を加えないだろうし、仮面の男は目視で確認する以外にリフレイアを捕捉する手段がない。他の転移者も同様だ。
そして、今、開けた場所にいる上に周囲に転移者らしき人影はない。
「仮面の男はおそらくまだ街中にいると思う。リフレイアに危害を加えようとする可能性は低いと思うが用心してくれ。まあ、地図があったとしても転移者じゃないリフレイアの居場所はわからないから、大丈夫だとは思うけど」
「ヒカルは本当に心配性ですね。まあ、それじゃあ、1度街から外れてグルっと回って火の大精霊さまの領域から街に戻りますよ。変装もしたほうがいい?」
「変装か。いいかもしれない。服を変えて顔を隠せばそうそうバレないだろ」
「……冗談だったんですけど。まあ、それでヒカルが安心するなら」
俺はシャドウストレージから、リフレイア用に買ってあったマントを出し、顔を隠すための長布を出した。旅立つ予定だったから、少しずつ荷物をストレージに入れておいたのが役立った。
「じゃあ行ってきます。って、この結界って外に出るとどうなるんですか?」
「そういやどうだろ。いちおう、もう一つ結界石を用意しておく」
外には水の大精霊がいる。
本当はこのタイミングで外に出るのは危険かもしれないが、リフレイアは全く不安そうな素振りもない。大精霊というものに対して、絶大な信頼を持っているのだろう。
結界からリフレイアが出る。
その瞬間、結界が消えてしまう可能性も考えていたが、問題なく維持された。
どうやら全員が外に出ない限り消滅しない仕様だったらしい。
リフレイアが外に出たことで、水の大精霊(召喚)は片眉を上げた。
「ん? ほほほ。どうしたのじゃ? その小僧を護るのではないのか? リフレイア・アッシュバード」
「私、別の用事があるので」
「そうかそうか。汝は最近めきめきと強くなってきておる。励めよ」
「ありがとうございます、大精霊さま」
なんだか気の抜けた会話を交わすリフレイアと水の大精霊。
なんというか、俺と対峙している時との温度差がすごいが、なるほど、これが本来の大精霊というものなのだろう。
人間の守護者であり、神。
執着されている俺――というか「愛され者」が異常なのだ。
……ていうか、名前とか覚えるんだ。大精霊って……。
「じゃあ、ヒカル。行ってきます」
「あ、ああ。頼む。気を付けて」
リフレイアは北に向けて走って行った。
俺は、このいつ消えるかわからない大精霊が生み出した大精霊が消えるまで動くことができない。
(俺の召喚術だと有効時間五分かそこらだけど、大精霊が生み出したものだと、もっと長いのは間違いないだろうな……。すでに30分は経ってるけど消えないし)
最悪「永遠に消えない」という可能性もある。
とりあえず、今使っている結界が切れるまでにこいつが消えなければ、次を考える必要があるだろう。
ただ、結界がある間は大丈夫だ。
できるかどうかはわからないが、もう一度闇の大精霊を呼び出すという手もある。
水の大精霊も最初は地団駄を踏んでいたが、今はもう半分諦めているのかボーッと突っ立っているだけ。
あとはリフレイアがジャンヌを連れて来てくれさえすれば――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます