217 闇と水 ※3人称
「彼を追いかけたいなら、私を倒して行くことね」
「無論、そうさせてもらう」
水の大精霊が手を軽く振ると、何もない空間から暴力的なまでの量の水が生み出され、闇の大精霊へと殺到する。
精霊術と人間が呼ぶもの。
それは大精霊が生まれながらに使える能力に名前を付け、世界に定着させたものにすぎない。
人間の術者のように、術名を叫ぶ必要などないし、予備動作も不要。
ただ望むまま、世界を改変する、人ならざる「神」の
しかし、それは闇の大精霊とて同様。
暴力的なまでの水の奔流。
人間ならば容易く飲み込まれてしまう津波めいた物量攻撃を、闇の大精霊は時空が歪むほどの深い闇を生み出し、すべてを受け止め――いや、受け入れた。
通常ならば、闇が水に対抗できるはずがない。
水は実体であり、闇はただの状態だからだ。
ただ「光がない状態」にすぎない。
普通であれば。
だが、闇の大精霊のもとには、
すべては闇の中。
闇に飲まれ、跡形もなく消え去ったのだ。
「それは上位顕術か……? 厄介なものよ」
「これがある限り、ただの水は私には通用しないわよぉ」
「ほほ。召喚者とはいえ人間のためによくやる」
「あなたには一生わからないでしょうねぇ!」
召喚された闇の大精霊にとって、召喚者であるヒカルは、自分の子であり、自分の親であった。
「愛され者」の呼称を最初に使ったのが誰なのかは不明だが、彼らを「愛してしまう」のは大精霊……いや、精霊としての本能。まして、自らを生み出した召喚者ともなれば、その狂おしき愛しさは自らの命を投げ打とうと全く惜しくないほどだった。
食欲で暴走している目の前で対峙している水の大精霊とて、「精霊」である以上、愛され者に対する想いは似たようなものだろう。
ヒカルを害そうとは思っていないはず。
愛しくて、手に入れたくて。
あくまで「結果的に殺してしまう」のだ。
それだけ精霊にとって愛され者は特別。彼らを構成している細胞とでもいうべき精霊ひとつひとつが強く強く愛され者を求めた結果なのである。
長く生き、精霊力の安定した大精霊であれば、愛され者にそこまで情緒を乱されはしないだろうが、迷宮都市の大精霊は人に使役され、常に力を使い続けているために、安定とは無縁。
この街の水の大精霊は、半自然半人工の神殿に座を置いているため他の三柱よりは安定しているが、それでも迷宮へ力を吸われ続けていることに違いはない。
だから、安定した大精霊よりも、力は劣る。
そのはずなのだが。
――それでも、これだけの力。ましてここは水の領域。せめて夜だったらよかったのだけれど。
水の大精霊が生み出す、圧倒的な水の奔流を捌きながら、闇の大精霊は歯噛みした。
大精霊同士といえば聞こえが良いが、結局、自分は生まれたての赤子のようなもの。
大精霊としての体裁は保たれているがそれだけ、それこそただの「動物」と「怪物」ほどの差があるのだ。
実際、足止めが精一杯で、攻撃に転じる余裕はない。
闇の特性で、水そのものは無効化できるが、それだけだ。
そうでなくとも、闇の精霊には攻撃手段が乏しい。相手が水でなく、風であったならすぐに蹴散らされていただろう。
――まあでも、足止めは得意だからね。主様もそろそろ逃げきったかしら。
水の大精霊が放つ超高圧の水の斬撃を、闇の中に身を潜め、あるいは闇へ飲み込ませることでやりすごす。
集まっていた人々は散り散りに逃げ出し、もう周囲には誰もいない。
精霊力の糸で繋がった召喚者が、迷宮を通り過ぎ、東の風の大精霊の領域へと逃れていくのを感覚で知った闇の大精霊はホッと息を吐いた。
「主様はもう風の大精霊の領域に逃れたみたいよ? いくらなんでも、自分の食欲のために街を壊したりはしないんでしょう?」
迷宮都市の一部となった大精霊自身が、街を破壊せずに移動できる範囲は限られている。
ただ領域から離れるだけなら1日やそこらで街が崩壊したりはしない。
問題は他の大精霊の領域へ足を踏み入れた場合だ。
迷宮は、力が美しい螺旋を描いているからこそ、均衡を保ち、同じ姿を維持していられる。故に、一カ所に力が偏ればそのバランスはすぐに崩れてしまう。
召喚された闇の大精霊のような、そこまで大きくない力であれば大きな影響力はないが、座を守る大精霊が移動するのはリスクが大きい。
「……なぜ、我がアレを諦めると思う?」
「私だって大精霊だから。わかるわよ。何千人もの人間……いえ、自分の命とは秤にかけられないってことくらい」
迷宮都市の一部となった大精霊は迷宮の崩壊と共に消える。
これは力の螺旋の暴走によって引き起こされる大崩壊といわれる現象で、場が「混沌」に支配されることにより個を維持できなくなるのだ。
大精霊は単一の精霊のみによって構成された存在。
混沌とは相性が悪く、「魔」の侵食を受けることで身体を維持できなくなるのだ。
だから魔王が迷宮からでてきた時には、即討伐に向かうのだが、その結果、大崩壊が引き起こされることもままあり、無事に終わることは少ない。
それでも、大精霊にとって魔王は脅威であり、自らが守るべき人間にとっても脅威。
放っておくという選択肢はない。
――なんとか役目は果たせたようね。
闇の大精霊は勝利を確信した。
まだ召喚時間には猶予がある。
風の大精霊の領域に、ヒカルはすでに逃れた。
水の大精霊は、そこまで移動するのは不可能だ。
だが、相対する水の大精霊はその涼しい顔を保ったままだ。
いや、わずかに顔をしかめているが、それでも余裕そうな態度なのが気になる。
このプライドの高い大精霊が、愛され者とはいえ人間にしてやられて、こんなに冷静でいるだろうか?
「口惜しや、口惜しや」
「そのわりには余裕そうだけど?」
「ほほ。自分でつかまえられなかったのが口惜しいだけじゃ。……ただで逃がしてやるほど我はお人好しではない」
「へぇ。なにか手があるっていうのかしら?」
「ある。我が最初に味わうことができんのは残念だが……まあ、これでも我のようなものじゃからの」
水の大精霊はそう言いながら、その水の精霊力を一カ所――合わせた手のひらへと集中し始めた。
「まさか……!?」
「あの小僧も使える術。我が使えぬわけがなかろう? 呼び出された存在であるおぬしにはできぬことであろうがな」
水が水を呼び、圧縮された水が手のひらで大きく膨らんでいく。
行き場をなくした水の精霊力が外へ出ようと足掻くように胎動しているのが、闇の大精霊にもわかった。
自分はこれを知っている。
ついさっき、自分がこれにより生み出されたのだから。
そして、水の大精霊本人が言うように。
人間が使えるのならば、大精霊が使えない道理がない。
その術の名は――
『サモン・エレメンタル』
水の大精霊の口から紡がれたその呪文が、精霊力の塊に命を与える。
脈動。恐ろしいまでに圧縮された水の精霊力の塊が、孵化するかのように鎌首をもたげ、やがて人の姿へ。
召喚者よりも小さいものの、人間大の闇の大精霊よりも大きく、なによりも人間とは隔絶した濃密な精霊力を持った水神の分身。
水の大精霊による、大精霊の召喚――
「さあ我が子よ。あの『愛され者』を捕まえておいで。少しの味見なら許す」
「行かせないわよ!」
「ふはははは。無駄じゃ無駄じゃ」
水の大精霊が生み出す何百もの水の刃。さらには1度に何十枚も生み出される水の壁。
とうてい闇の大精霊には、2体同時の足止めは不可能だった。
さらに召喚された大精霊ならば、他の大精霊の領域に踏み込んだとしても、迷宮都市を崩壊させるほどの影響力はない。
それは同じく召喚された存在である闇の大精霊が証明してしまっていた。
――主様……!
こうなってしまったらもうどうにもならなかった。
闇の大精霊が捨て身の攻撃で、万が一にでも水の大精霊を殺すことができれば、召喚されたほうの大精霊も消えるだろうが、それは迷宮都市のバランス崩壊を招く諸刃の剣。
いや、どちらにせよ、闇の大精霊には水の大精霊は殺すことは不可能だ。
圧倒的な力不足。
それでも時間はそれなりに稼げた。
召喚された大精霊も、術者から離れられる距離には限りがあるはず。
――主様……。なんとか、逃げ切って。
闇の大精霊にできることは、もう祈ることだけだった。
やがて召喚時間の限界が来て、闇の大精霊はもとの小さな精霊へと還元されていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます