213 秩序を乱して、そして漆黒の中で
俺はすぐさま結界石を割った。
すぐ近くにいた大精霊が弾かれたように離れていく。
「くふふ……悪あがきよ。しかし、焦れれば焦れるほど、そなたを味わうのが楽しみになるというもの」
だが、大精霊は悠然と笑い、そのまま彫像のように動きを止めた。
こちらの結界石の効力が切れるまで、そのまま待つ……そういうつもりなのだろう。
フェルディナントに「結界石」のことを聞き知っているのだ。これが貴重品であることも、有効時間があることも、すべて。
すぐそばには、フェルディナントだったモノが転がっている。
大精霊に吸い尽くされて風化し、ほとんどもう装備品だけしか残されていない。
まさか、こいつもこんな風に自分が死ぬとは思いもよらなかっただろう。
そして、その姿はすぐそこにある俺自身の未来の姿なのかもしれなかった。
(同じ転移者が死んだってのに……なんで俺、こんなに落ち着いてるんだろうな)
フェルディナントが俺にとって敵だったのは間違いないが、それでもその突然の「死」にそれほど衝撃を受けていない自分が不思議だった。
この街に住み、あの迷宮で長く過ごしたことで、人の「死」に知らず慣れていたのだろう。
大精霊のような「神にも等しい存在」を唆したのだ、そういうこともある……そんな風に感じている自分がいる。
「……リフレイア。嫌かもしれないが、フェルディナントの装備、こっちに渡してくれるか」
「いいですけど……どうするんですか?」
「こいつ、あの仮面の男への連絡手段があるって言ってただろ。確認しておく」
もし、迷宮内にいる人員に連絡を送る手段があるとなると、見つけるのは難しいかもしれないが、こいつの仲間――ファントムはまだ単独で2層は無理だろう。
他の第2陣転移者が仲間にいたとしても難しいと思う。
ならば1層を探せば良いだけだ。それならば、そこまで難しくはない。
街中に潜伏されている場合は少し面倒だが、理由無くリンクスを連れ回すのは、それはそれで難しい。となると、互助会周辺が一番ありえるだろうか。
もちろん、連絡手段そのものがハッタリの可能性もある。
(……さて、死体漁りは久しぶりだな)
迷宮にたどり着いたばかりのころ、俺は迷宮で亡くなった探索者が残した装備を売って生きていた。そんなことを思い出す。
「……やっぱりか」
ポケットの中にあったのは結界石だった。
俺が攻撃を仕掛けていたら、これを割り、嘲笑いながら仲間へと連絡していたのだろう。
すべてのポケットを探り、バッグのほうも探る。
短剣や、財布、手帳にペン。
結界石。スクロール。
そして、マッチとロケット花火。
(ロケット花火……? ああ、これで連絡するつもりだったのか)
つまり、もともと結界石を使ってから花火を打ち上げて知らせるつもりだったのだろう。
ここからリンクスの互助会までそれほど距離があるわけじゃない。ロケット花火の破裂音なら、問題なく聞こえるはず。
単一の連絡手段としては確かに優れている。
(……それにしても、結界石にスクロールか)
フェルディナントは白昼堂々と大精霊を動かし俺への攻撃手段とするなど、ずいぶん大胆なことをしてくる奴だったが、本人はかなり慎重なタイプだったようだ。
結界石が2つ。スクロールも3ポイントで交換できる
転移したてということを考えると、自己強化よりも、保険にポイントを割り振るタイプだったのか。
あるいは、なんらかのデメリットを取得して、ポイントをたくさん持っていた可能性もある。
俺はフェルディナントの荷物をシャドウストレージへ入れた。
結界石の有効時間はおよそ12時間。
視聴者数は12億を超えて、未だに伸び続けている。
俺から10メートルほど離れた場所に佇む大精霊。
「これから……どうします? 大精霊さま動かないみたいですけど……」
リフレイアが心配そうに言う。
「……とりあえず、リフレイアはフルーを保護してきてくれないか? こいつの言ってた『連絡手段』って、花火を打ち上げて知らせるっていう原始的な手段だったんだ。てことは、音が聞こえる範囲にフルーもいるはずだから」
「でもヒカルが――」
「俺は大丈夫だ。結界は12時間保つしな」
「……わかりました。でも、ヒカル。絶対に無茶なことはしないでくださいよ? フルーちゃんの無事が確認できたら、私、水の神官長様にも説明してみますから」
「ああ、ありがとう」
多分、神官に何を言っても無駄だとは思うが、気持ちは嬉しい。
とりあえず人質の心配さえなくなれば、俺一人ならどうにでもなるのだ。
ステータスボードの奥の奥にある、『後から取得できるデメリット』。
そのうちの一つである【ランダム転移】を選べば、とりあえずこの急場を脱することができる。
もちろん、どこに飛ばされるかなどわからず、生き残れるのかも不明だ。
だが、このキルゾーンからは確実に逃れられる。最悪、それを使う可能性も考慮に入れる必要があるだろう。
まだ朝早い時間ではあるが、だからこそ住民は活発に活動している時間でもあった。
日本と違って、なにかあっても横目に通り過ぎるような人は少ない。
娯楽の少ない世界なのだ。こんな
噂が噂を呼び、住民たちが徐々に集まり始めていた。
神官たちも、大精霊へと必死の説得を試みているが、どうやら大精霊はそれを聞くつもりがないようだ。
微動だにせず、ただ悠然とそこにある。
「なあ、あんた。大精霊サマがこんなとこに来てて、さっきはあんたの知り合いを食っちまったみてぇだが……どういうことなんだ? あんた、なんか知ってんのか……?」
すぐ近くにいた野次馬のオジサンが話しかけてきた。
そのオジサンを皮切りに、他の人たちも興味深げに近くに来ている。
結界を触る者や、小さい子どもたちまで。
結界は「悪意のある者を遠ざける」もの。俺に対して悪意を持たない者を遠ざけることはできない。もちろん、結界の内部に入ることもまたできないようだが――
「あんたの知り合いなんだろ? なんで食われちまったんだ? 愛され者だったんか?」
「えっと、いえ。ほとんど知らないヒトで、自分でもなにがなんだか……」
そんな風に答えるのが精一杯だった。
誰が見たって、俺は
みんなそれがわかっているからか、それともわかっていなくても結界の薄い膜が珍しいのか、人々の視線が俺へと向いていた。
無遠慮な視線を、人々の囁きを、結界は遮ってはくれない。
直接、俺に話しかけてくる人は少ないが、ひそひそと話す声は普通に聞こえてくる。
聞こえてきてしまう。
「大精霊さま、こんなに神殿から離れていて大丈夫なの……?」
「愛され者が逃げ出したらしいぞ」
「水の大精霊さまは温厚でいらっしゃるからな。誰か悪いことをしたやつでも見つけたのだろう」
「さっき神官殿に話を聞いたが、どうやら愛され者がらみらしい」
「そこの男がそうなんじゃないか? 大精霊様もそんなようなことをおっしゃってなかったか?」
「あの膜はなんだ? 気味が悪ィな……」
「見ない顔だな」
「じゃあ、なぜ逃げないんだ? あの膜みたいなのは? 大精霊様が作ったものか?」
「あの愛され者が捧げられれば、大精霊様も神殿に戻ってくださるのでは?」
「このままじゃ、迷宮になにか影響が出るかもしれん。それからでは遅いぞ。この街は迷宮ありきで成り立ってるんだから」
「水だってどうするんだ……? 大精霊さまが綺麗な水を出してくださっているんだぞ」
「やばいかもな」
「はやくなんとかしないと」
人々の視線が物理的な圧を伴って、俺を包み込んだ気がした。
ぞわり――と。背中を冷たい手で撫でられたような感覚が走る。
――オマエのせいなんだろう?
――早く食われてしまえよ
――それが愛され者の役目だろう?
――街を壊す気か?
――オマエが捧げられれば、それで解決するんだよ
彼らの、そんな心の声までもが聞こえた気がした。
実際、俺を見る瞳の奥に、そういう気持ちが潜んでいるのは間違いない。
誰とも知れない、事実異邦人である俺の命なんかより、自分の生活や街の安寧のほうが大事なのだから。
だから――当然だ。
大精霊を連れ出したのが、フェルディナントだからとか。
そんなことは関係がない。
俺がここにいる以上、大精霊は動く気がないのだから。
「…………ダークネス・フォグ」
闇がじわりと結界の内部を黒く染め上げていく。
人々の視線が届かぬように。
フォグの闇は結界の外には出ない。
だから、外からは漆黒の球体のように見えているのだろう。
人々のざわめきがさらに大きくなる。
「これは闇の精霊術か?」「愛され者は術は使えねぇはずだぞ」「何か良くない術かもしれない」「大精霊さまが滅ぼそうとしたなら魔王なんじゃ……?」「そういえば、迷宮で見かけた奴かもしれない」「神官さまに相談してみにゃぁ」「こんな術は見たことがないぞ」「こんな街中で精霊術を使うなんて」「どこかの犯罪者なんじゃないか?」「聖堂騎士はなにをしているんだ」
(どうする……。このままじゃ……)
どんどん状況が悪化していく。
俺は、耳を塞ぎたくなる衝動を抑えて、これからのことを考えた。
リフレイアがグレープフルーを確保してくれれば、とりあえずの心配はなくなる。
あるいは、フェルディナントがいなくなった時点で、もうその心配はないのかもしれないが、安心はできない。
相手は何をしでかすかわからない奴らだ。
だが、その心配がなくなったら――
ステータスボードを開いて、ランダム転移について調べる。
【ランダム転移 : 現在の場所からこの世界のどこかへランダムで転移する。即死級の場所への転移はないが、最大級の準備をしてから選択するように! 特典として10ポイントが進呈される。『愛すべき者』を連れていくことも可能】
最後の手段であり、最も確実な手段。
みんなと離ればなれになってしまうが、生きていれば再会の可能性はあるのだ。
迷惑をかけるくらいならいっそ――
「ダークネスフォグ」
闇が闇を補強して、質量すら感じる暗闇の中、俺は息を潜めた。
人々の喧噪は、激しさを増している。
神殿の外に出た大精霊。その異常さが、人々の不安を喚起させたのだろう。
カンッという音に続き、何かが地面に落ちる。
見ると、それは拳大の石だった。
誰かが結界に向けて石を投げたらしかった。
その後も立て続けに、カン、ガンと何かがぶつかる音。
ダークネスフォグの中では、俺は向こう側がちゃんと見える。
だから、民衆が石を投げる様子も、呼ばれて来た聖堂騎士が剣を振る様子も、すべて見えていた。
もちろん、結界はそんなことでは割れたりしない。
音が続かないのは、敵意を持った瞬間に結界が「見えなく」なるからだろう。
その特性は強いが、逆に敵と認定する前ならば、結界も内部もちゃんと認識できてしまうのだ。石を投げる人々も、まだそこまで明白な敵意は持っていないのかもしれない。
むしろ、敵意を持ってくれたほうが――
そんな風に考えかけて、俺は頭を振り目をつぶった。
(どのみち……もうこの街にはいられない……か)
ランダム転移を使わずに、この急場を凌げたとしても、俺が街に住み続けるのはもう無理だ。
神殿も黙ってはいないだろうし、なにより街の人間が俺が住み続けるのを許さないに違いない。
俺は明確に「街の秩序を乱す者」になってしまったから。
「ダークネスフォグ」
まあ、それでもいい。
どうせ、もうこの街を出るつもりだったのだ。
闇の精霊術だって、人に見られたらヤバいのではと思っていた。
それも、もうやぶれかぶれだ。
リフレイアだって、別に闇の精霊術が迫害されてるとか全く無いと言っていたわけだし、俺が術を使えることは事実でしかない。
今更、隠しても仕方がないし、あのフェルディナントが作り出したこの状況に無様に屈するのもバカバカしい。
「ダークネスフォグ」
……本当にバカバカしい。
なんで俺がこんな目に?
俺がなにをした?
どちらかというと、迷宮探索を通じて街に貢献してきたのでは?
ようやく、少し落ち着いてきていたのだ。
異世界転移なんてものに巻き込まれて、酷い目にあって。
それでも、ようやく少しはマシな感じになってきていたのだ。
これから、こっちの世界で生きていくということを、少しずつ受け入れられるようになってきていたのに。
「ダークネスフォグ」
結界の中の闇が、その暗さを増していく。
俺ですら一寸先も見えぬほどに、暗く
質量。粘度すら感じる漆黒。
一寸の光すら通さぬその闇が、結界の中ではち切れんばかりに蠢いている。
「ダークネスフォグ」
この結界が消えれば、水の大精霊はすぐに襲いかかってくるだろう。
そうなればひとたまりもない。
唯一、魔術くらいは少しは通るかもしれない。
ディスペルが通じるならば、希望があるだろうか。
だが、それでどうなる?
倒すことができない以上、結局はジリ貧だ。
逃げればいい? どこに?
街の外まで逃げる? もし大精霊がそこまで付いてきたら?
そのせいで、迷宮が崩壊したら?
この状況は、あのフェルディナントが言った通り――すでに
「ダークネスフォグ」
ズブズブと闇が自分自身の中にまで染みこんでいくようだった。
重ね掛けされた闇の顕術が、周囲の雑音すら遮断していく。
――きゃっきゃ
――うふふ
精霊たちの声が聞こえる。
普段よりもハッキリと、明確に。
それは俺を喰おうと待つ水の大精霊などより、ずっと身近で頼もしく、いつもいっしょにいてくれた闇の精霊たち――俺の『味方』だった。
――こまってるのね
――たべられちゃうの?
「……ああ、困ってるんだ」
――こまってるのね?
――たべられたくないよね?
――なにかできるかな?
「……逃げられたらいいんだけど」
――きっとできるよ
――みんなで力をあわせれば
「……力を合わせる……か。どうするんだ? 俺にできるかな」
――できるよ
――できるわ
――あなたには、できる
――1度はやったことがあるんだから
――そうでしょ? あなたには……できるはずよ、
――だから、私を……
――
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