212 結界から出て、そして嗤う大精霊
「……ふん。とにかく、お前はもう終わりだ。諦めてさっさと出てこい。それともあの猫獣人を見殺しにして、そこに引き籠もるか?」
従うのは癪だが、他に選択肢はなさそうだ。
俺が殺されれば済む――などとは思っちゃないが、どうやら結界から出ないで済ませることは難しそうだ。
だが、俺だってタダで殺されるつもりはない。
どんな連絡手段を持っているかは知らないが、指先ひとつというわけにはいかないだろう。必ず隙はあるはずだ。
大精霊からは10メートル以上も距離が離れている。
対してフェルディナントとの距離は2メートル強。
すぐさま接近し、奴がどこかへ連絡を入れる前に術で動きを封じて無力化。
位階の差もあるし、経験の差もある。
やれるはずだ。
結界石はフルーに渡す分としていつも予備を1つ持っているから、フェルディナントを無力化してから、大精霊に襲われる前に再度割って結界を張ればいい。
……こんなことなら、結界石を常にフルーに渡しておけばよかったが、今更言っても仕方がない。どのみち、不意打ちには向かないアイテムだ。
「出るよ。だが、グレープルフルーの身の安全は約束してもらおう」
「ああ。俺だって別に無用な殺しをしたいわけじゃない。そこは安心してもらっていい。お前が殺されてくれれば、それでOKだ。そこのリフレイア・アッシュバードやジャンヌ・コレットに手を出すつもりはない。無論、こちらを攻撃してくるというのなら話は別だがな」
嘘か真か。それでも俺は奴のことを信じる以外にない。
「ちょ、ヒカル! こんな人の言うことなんか聞く必要ありませんよ! 私がとっちめてやる! ヒカルのことを知っていて、大精霊様を連れてくるなんて!」
「リフレイア。フルーが人質に取られてるんだ。……堪えてくれ」
リフレイアが俺のために怒ってくれることは、素直に嬉しい。
実際、彼女なら、一刀の下にフェルディナントを斬り捨てることも可能だろう。
だが、こいつだってそんなことは重々承知の上でここに出てきたはず。
いや……そうか。
なるほど、ポケットの中に隠しているのは、結界石だということなのかもしれない。
結界石だったら、それを割るだけでリフレイアの攻撃は無効にできる。
俺が仕掛けたとしても同じだろう。
こちらが反撃してくる可能性など、一番最初に考えるはずなのだ。
そこに対して無防備であるはずがない。
究極、あいつは今このタイミングで結界石を使ってもいいのだ。その上で、俺が出てくるのをゆっくり待てばいいのだから。グレープフルーを人質に取っている以上、持久戦にはならない。
リフレイアが離脱してフルーを助けに行くのも無理だ。
その動きを察した時点で、あいつは仲間へ連絡をするだろう。
フルーには戦闘力がない。
街中では警戒だってしないはず。
ただでさえ非力な
そして、そんなこと……到底容認できるはずがない。
たとえ、これが俺自身の命を捨てる選択なのだとしても。
(――結局、ジャンヌに謝ること……できなかったな)
今頃は、まだ宿で寝ているだろうか。
リフレイアも、こんなことに巻き込んでしまって申し訳なかった。
人質が取られていなかったら、ランダム転移を選択して逃げるのも可能だったが、こいつはそれすらも織り込み済みで、だからこそ、グレープフルーを人質に取ったのだろう。
――その悪意に対して、不思議と怒りも憎しみも沸いてこなかった。
この世界に来て。メッセージで多くの人の悪意に触れて。
いつか、こんな日が来る。そういう予感があった。だからこそ、俺もジャンヌも第2陣転移者を避けていたのだから。
向こうがその気になれば、もう俺たちにはどうしようもないとわかっていたから。
「ふっ、ふはっはははは! そんなに絶望的な顔をするなよ、ヒカル・クロセ! そうだな……もし大精霊と戦って生き残れたら殺さないでおいてやろう。俺は直接お前を手にかけるつもりはないからな」
歯を剥いて笑う、フェルディナント。
大精霊は神のごとき存在。彼らと「契約」して力を使わせてもらっている俺たちが、力の大本たる彼らに勝てる道理はない。
大精霊は「街」のエネルギーを賄ってしまうほど力に溢れた存在。
そんなものに、一個人がどうにかできるわけがない。
それがわかっているから、こいつは、そんなことを言うのだろう。
――だが、それでも、俺はそれに賭けるしかない。
事ここに至っては、それしかないのだ。どのみち。
こいつがその約束を守るかどうかなんてわからないが、せめて抵抗して終わりたかった。
助かる確率は万に一つくらいか。
それでも、何もしないでただむざむざと食われて終わるのだけは嫌だった。
せめて反抗の印を残したい。
この異世界転移、ひいては神に対しての反抗の印を。
「さて、そろそろ出てこいよ。グズグズしてると、本当にあの
その言葉に、俺は覚悟を決めた。
リフレイアが心配そうにこちらを見詰めている。
「ヒカル。大精霊様は説明すればきっとわかって下さるから。いざとなったら、私が止めてみせます……! 絶対に……!」
「ありがとう、リフレイア。大丈夫」
彼女だって大精霊は怖いだろうに、その健気な覚悟は、俺に勇気をくれた。
絶対に生き延びる。
そうでなくても、大精霊相手だろうと――必ず一矢報いてやる。
俺は腰の剣に手を添え、結界から一歩外に出た。
結界石の結界は、外に出ることで消滅する。
次の瞬間――
「くっ……ふふ…………」
10メートルは離れていたはずの水の大精霊が、フェルディナントのすぐ横に出現していた。
高速移動というより、そこに改めて発生したというほうが自然なほどで、或いは実際にそうであるのかもしれない。
俺は反射的に剣を抜き、魔力を練り始めたが、なぜか大精霊の精霊力の矛先は俺ではなかった。
ほんのわずか右手を動かし、指差す。
それだけで、フェルディナントへと濃密すぎる精霊力が絡みついた。
「なっ、なんだ!? おっ、おい! お前の標的はこいつだろうが! なぜ、俺を!? 離せ!」
それは、視認できるほど強大な純粋な水の精霊力だった。
大蛇の如く、
両腕、両足も縛り付けられ、すでに結界石を割るだけの自由すらないようだった。
あっという間の出来事だった。
俺は、呆気にとられ、大精霊を攻撃するタイミングまでも逸してしまった。
「ぐうッ……ぎ、ぎぎ……。く、くそ……相手を間違えてるぞ……。離せ……。早く、そいつを殺せ……」
「くっふふふふふ。愚か。愚か。たまらなく愚かよな」
大精霊は嗤った。
今この場での絶対的強者は誰なのか。それを否応無しにわからせるための嗤い。
「誰が……愚かだ……。離せ……」
「この我に命令とは、ずいぶんと偉そうよのう? 愛され者を餌にすれば、我を思い通りに動かせると思うたのか? 確かに、彼奴は美味であろうな。だがな……
その言葉がトリガーとなったかのように、フェルディナントに纏わりつく精霊力の濃度が爆発的に高まっていく。
悠然と水の大精霊はフェルディナントを拘束し続けている。
これほどの精霊術を行使しておきながら、顔色一つ変わらない。
大精霊の内部に渦巻く濃密すぎる精霊力は、
その姿は、まさしく自然の化身。
神あるいは、世界そのものが人の姿を成したものに違いがなかった。
「我が『愛され者』を味わうのと……そなたが、我が民を傷付けようとするのは、全く別の話よ。この街に住まう者は、
周りにいる野次馬達へ言い聞かせるかのようなその声音は、静かに、しかしどこまでも届く鐘の音のようだった。
ヒトとは違う。
絶対上位種であると、脳よりも先に魂が理解してしまうような――そんな声音。
捕らえられたフェルディナントは、青い顔をして――すでに喋ることもできないようだった。
あるいは、すでにもう――
「くっ、ふふふ。これだけ芳醇なる馳走の前にして、こんなものを口にしたくはないが。前菜にはちょうど良かろう」
「はっ……まさか……?」
「食べる気……みたいですね……」
リフレイアが少し驚いた様子で説明してくれるが、俺としては少し複雑な気分だった。
相手は人質を取り俺を殺そうとした卑怯者で、同情の余地はない。
どうやら、グレープフルーを殺すと宣言したのが大精霊の逆鱗に触れたらしく、完全に自業自得だ。
だが、一方でこいつは妹の彼氏――かどうかはわからないが、少なくとも知り合いなのだ。
今頃、どんな心境でセリカはこれを見ているのだろう。
こんなはずじゃなかったと涙を流すのだろうか。
より一層、俺のことを憎むのだろうか。
そんなことを考えると、少し胸が痛んだ。
水の大精霊が、フェルディナントにそっと唇を寄せる。
どこかで息を呑む声が聞こえる。
俺もその場に縫い留められたかのように、動くことができなかった。
すでに意識すら失いつつあるフェルディナントの体から、力が……生命力が失われていく。
まるで水分を吸い上げているかのようだった。
いや……相手は水を司る存在だ。実際に水分ごと吸い上げているのか。
フェルディナントの身体が、みるみるうちに干からびて――骨と皮だけのミイラのような姿へ――
と、そのとき不思議なことが起こった。
フェルディナントの右手が輝いて肉体を包み込み、まるで逆再生するかのように、元通りに身体を張りのあるものへと戻していくのだ。
すべてを戻し終えた後、右手にあったソレが砕け、ポロリと落ちた。
「あ……そうか。身代わりの指輪」
死を一度だけ肩代わりしてくれる奇跡の指輪。
だが、それも大精霊が相手では――
「ほう……
ただ、確定してしまった死をわずかに延期しただけにすぎなかった。
「くふ。くふ。くふ。なるほど、なるほど。自ら異界の者を名乗るだけある。
再度すべてを味わい尽くした大精霊は、大蛇の如き精霊力を解き放ちフェルディナントだったモノをポイッと放り投げた。
カラン――と、まるで流木が転がるような音。
それは決して人間が倒れた時に出す音ではなかった。
そんな肉体の残滓すら、風に吹かれ、サラサラの粉となり消えていく。
そこにはもう、力も命も肉体すら――なにも残っていなかった。
すでにすべてが奪われ尽くした後の、抜け殻でしかなかった。
――死んだ。
精霊石すら残さず、この世界から消えてしまった。
すべて、俺が結界から出て数分の間の出来事だった。
そして、大精霊の興味がこちらへと移る。
その瞳は、明確に「次はお前の番だ」と訴えかけていた。
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