210 朝、そして大精霊あるいは魔王の気配

 ざわざわとした精霊力のざわめきに目を覚ます。


「ん……なんだ……?」

「あ、起きた」

「うおっ」


 すぐ目の前にリフレイアの顔があった。

 ぱっちりと開いた瞳が、まっすぐ俺を見詰めている。

 正直、一気に目が覚めるほど驚いたが、顔には出さず口を開く。


「……そういえば、いっしょに寝たんだっけ……。おはよう」

「おはようございます。ヒカルって……やっぱり、異世界人だからなんですか?」

「えっ、なんで?」

「……だって…………ほんとに手を出してこないなんて。それどころか、すぐ寝ちゃうし」


 俺は身体を起こした。リフレイアはパジャマ姿のまま。

 彼女もまだ起きたばかりなのだろう。


 昨夜は緊張で寝られない……ということもなく、わりとすぐ寝てしまった。

 乗馬の練習もしていたし、疲れていたのだろう。

 さっさと寝てしまうに限ると、睡眠に集中していたのも良かった。

 うちは妹二人がお兄ちゃんっ子でわりといっしょに寝たがるタイプだったから、誰かと寝ることに慣れているというのもあったかもしれない。

 1人で寝たはずなのに、起きたらとなりにセリカやカレンがいたなんてことも、しょっちゅうだったし。それも小学生のころの話じゃなく、転移する直前までそんな感じだったのだ。2人は頭は良いが、精神的にはけっこうお子様なのだ。親がああだから仕方ないのかもだけど。


 それでも、寝起きのリフレイアにはドキッとしないと言ったら嘘になる。

 少しクセのあるプラチナブロンドの髪が頬に掛かって、艶めかしい。

 昨日は早めに寝ることに成功していなかったら、危なかったかもしれない。


「言ったろ。向こうの全人類にずっと見られ続けてるんだって。本当は、こうしていっしょに寝るのだって、ちょっと嫌なくらいだったんだぞ」

「その話は何度も聞きましたけどぉ……。こう……布で隠せば……」

「はいはい、もうこの話は終わり。ジャンヌは?」

「え? さあ? 私もまだ部屋から出てませんし。でも戻ってないんじゃないですか? 物音もしないし」

「そっか」


 俺はステータスボードから時間を確認した。

 朝6時。いつもの起床時刻だ。


 精霊たちのざわめきは続いている。


「今日ってなんかあるのか? 精霊たちの感じが変じゃないか?」

「え、そうですか? 私、何も感じませんけど」

「……この感じ。前に火の大精霊が神殿の外に出た時と似ているな。そういう予定でもあるのか?」

「大精霊様を外に……? そんなはずありませんよ」


 なにか、良くない感じだ。

 大精霊は俺にとって天敵のようなもの。

 その気配があるというだけで、落ち着いていられない。


「とりあえず一度外に出よう」


 俺は着替えるために寝間着のボタンに手をかけたが、リフレイアはベッドの上に座ったままこちらを見続けている。


「……あの、着替えるんですけど」

「おかまいなく」

「俺がかまうんだって!」


 リフレイアを、引っ張ったり押したりしてなんとか部屋の外に出そうとするも、恐るべき強情さを見せ、まるで巨石の如くビクともしない。

 これがテコでも動かないという奴なのか……。

 諦めた俺は、そのまま着替えることにした。まあ、別に見られて困るようなものでもない。

 

 寝間着を脱ぎ、装備を整える。

 いずれにせよ、今日はジャンヌを探しにいく予定だったのだ。

 ちなみに、リフレイアは俺が着替えている間、ずっとこっちを見ていたが、瞬きすらせず、微動だにしなかったので、もしかしたら目を開けたまま寝ているのかもしれない。


「ていうか、リフレイアはどうするんだ?」

「……」

「リフレイア? マジで目を開けたまま寝てるのか?」

「……おっと、すみません。まさか本当に着替えるとは思わず固まってしまいました。ありがとうございます」

「いや、感謝されてもな……」


 一緒に暮らしてみてわかったけど、リフレイアはけっこう変なところがある人だ。

 それが、異世界人と地球人との文化差によるものなのかなんなのかは、よくわからない。厳密なすり合わせが必要なほどはズレていないからというのもあるが。


「ま、なんにせよリフレイアも着替えてくれ。俺はその間になんかつまめるもの用意しておくよ」


 いちおうジャンヌの部屋を確認するが、やはり帰ってきていない。

 リビングルームもキッチンも、誰かが戻ってきた形跡はなかった。

 本当にどこかの宿に泊まったのだろう。


 精霊たちのざわめきは続いている。

 むしろ、少しずつ大きくなってきているような気がしていた。


 とりあえず湯を沸かし、お茶を淹れる。

 綺麗に片付いたキッチンを見る。この家に住んだ期間は短かったが、悪くなかった。

 ジャンヌを見つけたら謝って、予定通り旅立つつもり。この屋敷も契約解除の連絡をしておかなきゃならない。


 あのフェルディナントという転移者の言葉が嘘か本当かはわからない。

 ナナミのことが気にならないと言ったら嘘になるだろう。

 でも、もう決めたことだった。


「それにしても、本当になんだ……? 大精霊が外に出ているんじゃないなら、別の大精霊が現れたとか、それとも魔王が出現したとか?」


 魔王の可能性は低いと思う。

 なぜなら俺たちは金等級。魔王が出現した場合にはすぐにギルドから招集がかかるはずだからだ。

 

 ならば、新しい大精霊だろうか。

 大精霊の発生は自然現象であり、人間がどうこうできるものではないのだそうだ。

 ならば街中にいきなり何らかの大精霊が発生してもおかしくはないはず。


(だとしたらヤバいかもな……)


 大精霊は愛され者を感知する。

 この場所は神殿からある程度離れているから平気だが、自由に動く大精霊が相手では捕捉されてしまう可能性がある。


「リフレイア! ちょっと外の様子見てくる!」

「えっ、あっ、はーい!」


 下から呼びかけて外に出た。


(感じる……!)


 俺は大精霊に近寄ったことがほとんどないが、その濃密で純粋な精霊力は、間違えようがない。

 距離はまだ少しあるが、確実にソレは近付いてきているようだった。


(どうする? 逃げるか? でもリフレイアが)


 俺は愛され者だ。大精霊は天敵である。

 通りからは見えないから、まだ捕捉はされていないと思う。


 少し考えてから、俺は腰のポーチから結界石を取り出して割った。

 1ポイントは貴重だが、すでに異常事態に突入していると判断した。


 結界石は敵対者を遠ざける石。

 物理的にも遮断され、姿も見えなくなる結界を張る。ほとんど万能なものだ。


 ただし、大精霊ほど強大な相手には完璧ではない。

 過去2回大精霊相手に使ったが、そのどちらでも大精霊相手には「姿」自体は見えているようだった。

 大精霊は神に等しい存在だというから、「敵対心」がそもそもないからなのかもしれない。


「……ひとまず、これで安心か。でも、なんで大精霊がうろついてるんだ? 本当に新しい大精霊なのか……?」


 通りの向こうで人々の動きが慌ただしくなるのが見える。

 前に火の大精霊が現れた時と似ている。となると、やはり大精霊が脱走でもしたのだろうか。

 結界を張ってしまったから逃げるわけにもいかず、俺は家の外でその光景をただ眺めていた。


「あれ? ヒカル、どうしたんですか? それ、結界ですよね……?」


 装備を調えたリフレイアが出てきて言う。

 彼女は結界石を張ったところを二度見ているから、わかるのだろう。結界は半透明であり、なにかあるのがすぐにわかる作りだ。

 ちなみに出入りはできない。敵意がない人間には中身が見えるが、敵意がある者には結界そのものが見えない――つまり「そこにはなにもない」ようにしか認識できないらしい。


「向こう。たぶん大精霊が来てる。なんでかわかんないけど」

「え……? 確かに騒ぎになってるみたいですけど……。あっちって水の大精霊さまの神殿のほうですよ? まさか」

「水だとなにかあるのか?」

「水の大精霊様の神殿だけは、完全人工神殿じゃないんです。元々あった天然神殿を改造したもので、他の大精霊様よりも落ち着いてらっしゃるから」


 迷宮都市を造る場合、最低でも3体の大精霊を集める必要がある。

 大精霊の力が螺旋を描き、その中心に現れるものが迷宮――ダンジョンなのだ。

 そして、ほとんどの場合、もともと大精霊がいた場所――自然神殿をベースとして迷宮都市は造られる。メルティアの場合はそれが「水の大精霊」だったということだ。


 逆に、外から連れて来られ人工神殿に据え付けられて利用されている他の大精霊は、精神的に不安定なところがあるらしい。

 神というか現象みたいな存在である大精霊に、精神の安定不安定があるというのが不思議な感じがするが、そうだというのならそうなのだろう。


「私の故郷の大精霊様も自然神殿に元々いらっしゃった方ですから、かなり落ち着いていて、自分からは愛され者も食べないくらいで」

「じゃあ、もしかすると安全なのか?」

「……いえ、迷宮都市の神殿は安定維持のために愛され者を捧げているはずです。ヒカル、水の大精霊様が相手だと、ちょっと……マズいかもしれませんね」


 そんな会話をしているうちに、喧噪が近づき、その中心にいる者の姿が見えてきた。


「……あれが……水の大精霊……?」


 火の大精霊と同じくらいの身長の女性の姿。

 深海を思わせる澄んだ濃紺のローブを身に纏い、色素の薄い肌は向こう側が透けるほど青白く、髪も唇も瞳の色すらも同色で、まさしく水の化身であることを、その姿が雄弁に語っていた。


「……それより、ヒカル。横にいるの昨日のヒトじゃないですか?」

「えっ?」


 それは確かに、昨日俺にナナミの情報を教えてくれた第2陣転移者フェルディナントだった。


 フェルディナントは、こちらを見て口の端をつり上げ、右腕を持ち上げ意味深にこちらを指さし、何かを大精霊へと告げているようだった。


 水の大精霊の視線が俺とぶつかる。

 紺青色のローブが、長い露草色の髪が、質量すら感じる精霊力により浮き上がる。

 大精霊の感情が声となり波となり全身に浴びせかけられる。


 ――なんとなんと

 ――この芳しさ!

 ――これほどまでに熟れた者など!

 ――茫漠たる悠久を経て

 ――これほどまでに胸を焦がす想いを

 ――得られる日が来ようとは!


 ヤバい。

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