208 フェルディナント ①
フェルディナント視点
「どうやら予想以上に効果があったようだ」
俺は高性能周辺地図を見ながら、策がうまくいったことにほくそ笑んだ。
先ほどまで固まっていた転移者を表す2つの点が、急速に離れていく。
少なくとも時間稼ぎにはなるだろう。
「まさか、あの北の転移者がソウマ・ナナミだと本気で信じたわけでもないだろうが、まだこのネタで揺さぶれそうだな」
ソウマ・ナナミのことは調べられる範囲内のことだけだが、知っている。
異世界転移者は、神に選ばれた時点で公共のモノになったと言わんばかりに、すべてが暴かれるからだ。
初期のころは多少問題になったようだが、結局、転移者は「別の世界にサヨナラする人間」。それは実質「天国へ行く者」と同じということなのだろう。
死者に人権がない――法的には違うが、実質はどうにもならないというのが実態であり、転移者たちは家族構成から結婚、恋人の有無、職業、学校での成績、趣味、将来の夢を書いた文集まで暴かれる。
それでも転移者に選ばれ転移するまでは肯定的な報道が多いのが特徴で、おそらくまだ転移者が地球上に存在するからだったのだろう。第一陣が転移した後は、さも「もう死んだ人間だから」とでも言わんばかりに、あることないことをタブロイド紙は書き立てた。それも、ソースはインターネットというような杜撰な記事をである。
今頃は俺についてもいろいろと書かれているだろう。
そういうわけで、ソウマ・ナナミの情報は一通り持っている。
まず見た目はメガネをかけた大人しそうな印象。ハイスクールでも目立たない生徒だったらしい。クロセ3兄妹の幼馴染で、家族同然に育ったとか。
セリカ・クロセやカレン・クロセとは比べるべくもない凡人。そもそも、最初に選ばれたときにオザワ・ユウイチとかいう男に簡単に殺されている。格闘能力もなく、頭脳も十人並。要するに「普通の少女」ということだ。
なればこそ、なおさら転移場所のあの選択肢でダーツを選ぶ可能性は低い。
そうでなくとも、あのセリカ・クロセがブレーンとして付いているなら、堅実な道を選ばせるはずだ。
彼女なら絶対にそうするだろう。
「……セリカ」
もうすぐだ。
ここまで長いようで短かった。
もうすぐだ。
もうすぐあなたを解放してあげられる――
◇◆◆◆◇
神を自称する存在により始まった異世界への強制転移。
最初、俺にとってのソレは完全に他人事だった。
俺には俺の人生があったし、転移する者たちは世界でたったの1000人と、ほとんど誤差みたいな数字でしかなかったからだ。
娯楽としての価値は感じるが、現実として自分との関わりは薄いだろう。……いや、「異世界」が本当にあるとなれば、犯罪が増えるかもしれない。
となると、関係が無いというわけでもないのか――そんな風に考えていた。
初めてセリカ・クロセを見たのは、彼女がヒカル・クロセの無罪を訴えている姿をテレビのニュース番組か何かが放送していた時だった。
俺はその姿に目を奪われた。
ネイティブさながらに兄の無罪を主張するセリカ・クロセはアネモネの花のように可憐で、世の中にこれほど聡明で美しい人がいるのかと驚いた。
俺はその日から、毎日彼女の動向を追うことが日課となった。
こんなふうに他人に興味を持ったことは初めてだった。
彼女のことを考えただけで、胸が苦しくなった。
彼女の声を聞くだけで、全身が熱くなった。
俺はその気持ちを誰にも口にしなかった。
大人っぽく見えたセリカ・クロセがまだ13歳のローティーンだということもあったし、この気持ちがTVスターに対して抱くのと同種のものだと、客観的に自己分析できていたからだ。
それは、異世界が自分とは関係が無いのと同じように、自分にとっては関係がないこと。
――そのはずだった。
クロセ・ヒカルの放送はルームメイトに隠れて見た。
TwiN/SiSによる編集版。それほど金に余裕がなかった俺にとっては、無料で見られ翻訳版もあるそれは都合がよかった。
俺が通っていたのは、ベルギーではまあまあ名門といえる大学の法学部。
卒業前には法学士試験を受け弁護士になるつもりだったが、俺は他の学部生のような正義感があるわけではなかった。親が弁護士だったし、自分もなんとなくその後を継ぐ――そんな動機だったのだ。
夢中になれること――趣味も夢もなかった。
ただ、このルートに沿って生きれば、それなりに苦労のない人生を送れる。そういう諦観にも似た現実だけが横たわっていた。
そんな俺だったが、法という正義に沿って依頼人を弁護すれば良い「弁護士」という職業は、自分には向いていると思えた。
俺なら、どんな凶悪犯の弁護でも問題なくできるだろう。
そう思えるくらい、俺は自分にも他人にも興味がなかったのだ。
淡々と進む灰色の毎日に彩りを添えてくれたのが、セリカ・クロセだった。
俺にとっては彼女が初めての「夢中になれるもの」だったのだ。
ヒカル・クロセは危険な状況を乗り越え生き延びた。
それは、セリカ・クロセの声をこの先も聞いていられるということであり、1ファンであった俺は素直に喜んだ。
ヒカル・クロセが死んだ場合、彼女は実況を辞めてしまうだろう。
そうなったら、もう彼女と俺とは接点がなくなる。
ヒカル・クロセにはどうあっても生き延びて貰わなければならなかった。
そんな日々が続いたある日。
セリカ・クロセが隣国であるフランスに来る。
その情報は、日本語をなんとか聞き取ろうと四苦八苦しながらリアルタイム実況を聞いている時にもたらされた。
フランス、ジャンヌサン、イッテクル、シバラクオヤスミ。
わかる単語だけで、それがどういう意味なのか電撃が走るように理解できた。
念のために翻訳を走らせて確認すると、彼女自らジャンヌ・コレットの養父への挨拶に訪れるという話だった。
(会えるかもしれない)
寮のあるルーヴァンから、電車を乗り継げばパリまで2時間程度。
行けぬ場所ではない。金もなんとかなるだろう。
(会える)
(会える)
(セリカ・クロセに会える)
その事実は、俺の胸を激しく高鳴らせた。
自分が発しているとは思えない激しい熱を感じた。
それからの行動は早かった。
夢中だった。自分を抑えるという発想はなかった。
彼女がいつ来るかなんてわからない。明日かもしれないし、十日後かもしれない。
だから、もうすぐにでも動く必要があった。
気付いた時には、俺はフランス、シャルル・ド・ゴール空港にいた。
セリカ・クロセはアメリカからファーストクラスに乗って来るだろう。
まさか自分がこんなグルーピーみたいなマネをするとは、思いも寄らなかったが、悪くない気分だった。
俺はそこで丸一日出待ちをした。
今までの自分ならば、時間の無駄と切り捨てていたような時間だ。
セリカ・クロセとの出会いは、知らなかった自分をいくつも見つけてくれた。
会って、一言でいいから感謝の言葉を伝えて。
応援しているから頑張ってほしいと伝えて。
あわよくば、連絡先の交換なんかもできるかもしれない。
そんな夢想にも似たシミュレーションをして待った。
ただ待っているだけなのに、感じたことがない充実感があった。
「来た……! 来た!」
たくさんの大柄なアメリカ人たちに混じって、彼女は姿を現した。
見逃す可能性も考えていた。
だが、それは杞憂だった。
彼女は特別で。俺が彼女を見逃すわけがなかったのだ。
画面で見たよりも、ずっと華奢な体躯。
青み掛かった美しい黒髪。
知的な眉。芯の強さを表した切れ長の目。
そのすべてが、俺の目には眩しいほどに輝いて見えた。
ボディガードと思しき黒服が、護るように彼女に付き添っているからというわけではない。
なぜなのか自分でも理解できないが、俺は一歩もその場所から動くことができなかった。
(あ…………ああ……)
紳士的に挨拶をして、一言二言だけ話して、握手をして去る。
丸1日かけて決めたプランだったのに、まるで自分の身体ではないかのうように脚が言うことをきかない。
だから、まばたきすらせず、俺は彼女を見詰めた。
それは本物のセリカ・クロセだった。
実況者のTwiN/SiSではなく、ただのセリカ・クロセだった。
画面越しじゃない。
本当の彼女がそこにいた。
わずかに幼さの残る横顔に浮かぶ疲労の色。
青白い肌は、栄養も睡眠も足りていない様子が見て取れた。
実況の様子から、彼女が兄であるヒカル・クロセと、幼馴染のナナミ・ソウマのことで胸を痛めていたことは知っていた。
だが、彼女は兄の無罪を証明するため、そして兄を視聴者レースで勝たせるために、精力的に活動していた。
彼女が妹と2人で、どれだけ多くのことをやっているのか、ファンなら誰でも知っていることだ。
本当は、自分自身も辛く苦しいはずなのに、それでも前を向いて彼女は戦っている。
その細い身体にムチを打って。
兄のために。
兄を生かすために。
各国を回って、他の転移者の親族とコンタクトをとっているのも、動画編集事業で金を稼いでいるのも。すべてが兄の為だった。
俺はなんとか脚を動かして、去りゆくセリカ・クロセの下へと走った。
ここで話しておかなければ、一生後悔するという確信にも似た何かがあった。
「レディー、突然すみません。セリカ・クロセさんですよね」
話しかけるとセリカ・クロセは少し驚いた様子を見せた。
ボディーガードが彼女を護るように立つ。
「Désolé. Je suis pressé.(すみません。急いでいるので)」
彼女は流麗なフランス語でそう言い、踵を返した。
もしかしたら、私以外にも彼女を出待ちするような存在がいろんなところにいるのかもしれない。
「あなたは、なぜそんなに頑張れるんですか? そんなに……辛そうなのに」
俺はとっさに口を開いた。
感謝の言葉も、応援の言葉も出てこなかった。
自分でもなぜそんなことを訊いたのか。
おそらく、彼女の壊れそうな横顔を見てしまったからなのだろう。
セリカ・クロセが立ち止まり、わずかに振り返る。
「……自分で始めたことだから。私はこの戦いから降りたりしない。決して」
それだけを口にして、彼女は足早に去っていった。
俺はその場所に縫い付けられたかのように身じろぎすることもできなかった。
それは彼女の覚悟の発露だった。
彼女の行動の動機は「愛」なのだろう。
家族としての愛なのか。それとも彼女自身が時々冗談めかして言うように、別の何かなのか。それはわからない。
そんな彼女の愛を兄であるヒカル・クロセは独占し、彼女の消耗に、愛情にすら気付くことなく、自分自身こそは被害者であるという顔をして生きているのだ。
ヒカル・クロセと、現地の異世界人であるリフレイア・アッシュバードとのロマンスは、多くの視聴者の関心を高め、今となってはその2人のカップルのことを知らない者は地球上にほとんどいないほどだ。
兄を愛しているくせに、しかし、セリカ・クロセは実況でも2人の恋愛を応援するかのように振る舞っている。
実際に彼女の姿を見るまでは、ただ妹として応援しているのかとも思っていた。
だが、あの痛々しい横顔を見た今となっては、それもまた塗り固められた彼女の「戦い」の一つなのだと理解できる。
彼女はあのまま兄に拘泥し続ければ、幸せになどなれないだろう。
いずれは、その身体のすべてを削りきってしまうことは明白だ。
ヒカル・クロセが死なない限り。
そうだ。
ヒカル・クロセが死ねば、彼女は解放される。
戦いから降りることができるのだ。
だが、どうする?
どうすればヒカル・クロセを葬り去ることができるのだろう。
文字通り、手出しのできない異世界。
あの金も行動力もあるセリカ・クロセですら、決め手に欠けているという状況。
俺が彼女のためにできることなど――ない。
それこそ、自分自身が異世界に行き――
直接手を下す以外には。
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