207 2人きりの夜、そして2人きりの部屋
「あぶなかった……」
ベッドに寝転び1人つぶやく。
『ギルミナ茶:通常 リングピル大陸、ボルニード火山周辺に自生する植物。葉に火の精霊力が集まる性質があり、煎じて飲むことで体内の火の精霊が暴走し狂乱状態に陥る。薄めに煎じることで媚薬として使用されることも。非常に高価な薬草で火山周辺では稀に栽培されている』
さっき鑑定したお茶の説明だが、非常に高価だと出るほどだ。市場で買ったと言っていたが、安くはなかったはず。
効能を知っていて買ったのだろうか。
それとも普通に高級なお茶だと思って買ったのか?
俺たちはかなり稼いでいるし、多少高くても問題なく買えてしまうわけではあるけれど……。
「明日、訊けばわかるか。でも……訊きにくいな」
俺に媚薬を飲ませようとしたのか――なんて、訊けるわけがない。
どう答えられても微妙な気分になるだろうし……。
俺に効かなかったのは、毒耐性レベル1があるからだろう。
あるいは「精霊の寵愛」の効果か。いずれにせよ、俺まで狂乱状態になっていたら、あのまま――ということもありえた。
「……気を付けなきゃな」
ステータスボードには、リアルタイムの視聴者数が表示されている。
億を超える人間が、今この瞬間も俺の動向をうかがっている。
狂乱状態になったリフレイアに迫られているのを、何億もの人間が見ていたということだ。
「ダークネスフォグ」
闇が部屋を満たしていく。
この濃密な闇の中でなら、視聴者たちの視線は届かない。
(……少し慣れすぎていたのかもな)
この世界に。
この状況に。
「視聴者」のことを忘れていた瞬間がなかったと言ったら嘘になる。
暮らしの中で、それは本当に数字だけのことだったから。
1人の時間が減れば減るほど、考えなきゃいけないことが多かったから。
――キャッキャ
――ウフフ
闇の中、耳をすませば今も聞こえてくる無邪気な笑い声。
小さな精霊たちの声。
今ではそれが視聴者たちの笑い声なんかではないとわかってはいる。
だけど、あの頃の気持ちが同時に浮かび上がってくるのだ。
命からがら、あの森を抜けた時のことが、ふとした拍子に頭の中に浮かび上がり、俺の体を縛り付けるのだ。
第2陣転移者のこと。ジャンヌのこと。
リフレイアのこと。迷宮のこと。
旅のこと。暮らしのこと。
生きることに決めた。
大事なものもできた。
――でも、未だに俺は囚われたままなのだろう。
だから、ジャンヌとも衝突してしまうことになった。
本当か嘘かわからない情報に踊らされて。
……いや、ジャンヌを信じるのなら、やはり嘘……なのだろう。
でも、そんな嘘をつく理由がないともまた思うのだ。
わからないなら、わからないなりに考えて行動しなければならない。
でも俺は――
そんなことを考えていると、コンコンとドアをノックする音の後、リフレイアが部屋に顔を出した。
「ヒカル……。起きてます? 入っていいですか?」
少しバツが悪そうな顔。
「もう寝てました?」
すでに日は落ち、木窓も閉め切った部屋は元より真っ暗だが、俺の術によりさらに一切の光がない空間と化している。
「いや、寝てないよ」
ダークネスフォグを解く。
消していなかった燭台の明かりが力を取り戻し、淡く部屋を照らす。
「さっきはすみませんでした。とんだ醜態を……」
「ああ……驚いたよ。あのお茶は捨てたほうがいいだろうな」
「そうですね……。あとで捨てておきます……」
そう答えて、ドアのところでもじもじしているリフレイア。
何か言いたいことがあるのだろうか。
「……? どうしたんだ?」
「あー、いや。えっと。お腹減りません? 今日、夕飯まだですし」
「そういえばそうだな。そんなに腹は減ってないけど、なんか入れとくか」
リフレイアは俺よりも位階が高い。ということは、燃費は俺よりもずっと悪いはず。俺はそこまですぐに空腹にならないが、これは「精霊の寵愛」のおかげだろう。
外に食べに行くのでも良かったが、なんとなくジャンヌ抜きで外食に行くことに罪悪感を覚えて(留守にしている間にジャンヌが帰ってくる可能性もあったし)、家にあるもので軽く夕食を済ます。
旅に出るつもりだったから、少しずつ家の中も片付けており、不動産屋――というか家屋仲介屋には家を出る旨も伝えてある。
旅に出る準備はそういう面でもすでにかなり進んでいたのだ。
俺が今更「やっぱりナシで」と言い出したことでジャンヌが怒るのも当然といえば当然なのである。
「早く、ジャンヌに謝らないとな」
「そうですね。時間が経つほど拗れるものですから」
「だよなぁ」
ナナミのことは、本当だったとしても信用できる人に保護をお願いしておくという手もある。リフレイアの先輩の探索者なら誰か受けてくれるかもしれないし、ギルドに頼んでおいてお金を残しておくだけでも違うだろう。
ナナミはギルドで俺の所在を訊ねるだろうし、いつかのリフレイアと同じように迷宮前で張る可能性もある。
信頼できる人に頼んでおけばさしあたり問題ない。俺達も旅に出てからでもメッセージで真実を知ることができる。
奈落の転移者がナナミじゃないかなんて、あのフェルディナントは言っていたが……常識的に考えてその可能性はない。リフレイアによると、あの「奈落」は俺が命からがら生還した魔境と呼ばれる森よりも、遥かに危険な場所だという。たとえマシンガンを持ち込んでいたとしても、生き抜けるはずがないのだ。
少し冷静になれば、いくらでも手はあった。
ナナミがどこからかここまで辿り着くことができるのなら、それなりに生きる手段を身に付けているだろうし、すぐに保護が必要ということもないはずなのだ。
食事中、リフレイアとも話し合って、とにかくジャンヌには謝り、旅にはとりあえず予定通り出発することにした。
それが八方丸く収まる方法だ。
ナナミが本当にこっちの世界に来ているのか……考えるだけで胸に痛みが走るけれど、俺が今この街にいる理由だって、そもそもジャンヌが迷宮を攻略したいと言ったからで、特段俺の意思があるわけではなかったのだ。
考えれば考えるほど、身勝手なことを言ってしまった後悔が胸を刺す。
「…………もしかしたら、戻って来ないかもな」
「えっ? 何がですか?」
「ジャンヌ。もともと、彼女は1人で活動してたわけだし」
「そんなわけないじゃないですか。あれくらいのことで。ジャンヌさんもヒカルも考えすぎだと思いますよ? もっと楽しみましょうよ」
「楽しみましょうったってな……」
「別にこの状況を楽しめって意味じゃないですけど、ジャンヌさんはともかくヒカルはなんていうか禁欲的すぎるって思いますよ? 今時、神官様だってもっと遊んでますって」
リフレイアには俺達の事情を、ほとんど余すことなく話してある。
生活を見られているという事実について、ちゃんと理解するのは難しいだろうとは思うが、それにしてもリフレイアはそもそも「気にしていない」のだ。
彼女は最初から「そんなものは無いに等しいのだから、気にする必要がない」と言っていた。それ以後も、ずっと彼女はブレることがない。
(……いや、ジャンヌも別に視聴者の視線なんか気にしていないか)
ジャンヌだけじゃない、アレックスだってそんなことを気にしているようには見えなかった。
つまりは、俺だけが異常と……いうことなのだろう。
そう理解できたところで、すぐにこれを気にせずに振る舞うなんて不可能なのだけれど。
「……とにかく、明日は朝からジャンヌを探しに行こう。見つけて、謝らなきゃ話にならないし」
「そうですね。どっかの宿に泊まってるでしょうから」
「安宿には泊まらないと思うから、かなり絞れるな」
この世界は個人情報を保護とかそういう発想はほとんどない。
相手が貴族や王族みたいなものなら別だろうが、そうでなければ宿屋に訊けばすぐに教えてくれるだろう。
案外、簡単に見つけられるかもしれない。
さしあたりの予定を立て、食後には普通のお茶を飲み、この日はもう寝ることにした。
異世界の夜は早い。
その代わり朝も早い。
ろくな照明がない――光の精霊具はあるが、ランニングコストが高いのでなんとなく使うのに躊躇してしまう――この世界では、暗くなったら寝て日が昇ったら起きるのがデフォの生活というやつなのだ。
……まあ、俺は暗視もあるし夜でも活動に困ることはないわけだが、それはそれ。早寝早起きの生活のほうが健康的なのも確かだろう。
日中、迷宮に潜ってばかりいるのが健康的かどうかは難しいところかもしれないが……。
「じゃあ、おやすみ」
自室に戻りベッドに入る。
ジャンヌは結局帰って来なかった。
第2陣転移者のことや、ナナミのこと。
気になることはいくらでもあるけれど、今すぐにできることはない。
――コンコン
ウトウトとし始めたころ、またドアをノックする音。
見ると、リフレイアがドアの隙間から顔を出していた。
「……どうした? ジャンヌ、戻ってきたのか?」
「あ~、いえ、そういうんじゃないんですけどぉ。ジャンヌさんは、今日はもう戻らないと思いますし、その……旅に出るとなると、こういう……二人っきり? みたいな機会もあまりないですし……?」
ごにょごにょと喋りながら、寝間着のままススススと部屋に入ってくるリフレイア。
な、なんだ……?
「あ、そのまま寝ててください。なんでもありませんから。なんでも……」
「い、いやなんでもないってことないだろ。え、ええ……?」
「はい、ちょっとおじゃましますね……。あ、そのまま寝てて下さい。本当、おかまいなく……」
流れるような動きで、ベッドの中に侵入してくるリフレイア。
俺のベッドは壁際にくっ付けてあるから、脱出の糸口を失った格好だ。
ていうか、謎すぎる。
「いいじゃないですか。ちょっといっしょに寝ようかな? なんて思っただけですし。ジャンヌさんもいないことだし? ね? こういう機会ってこの先、あんまなさそうですし? ね?」
「いやいやいや。ね? じゃないだろ。また、あのお茶飲んだのか!?」
「まさか、飲んでませんよ。……いや、少しお酒は飲んだかもしれませんが……ともかく、せっかく一緒に住んでいるのに埒があきませんし、私も、ちょっと添い寝のひとつもすれば満足しますから、たぶん」
「添い寝って……、本気で言ってるのか?」
「迷宮でだって、1つの毛布にくるまって寝た仲じゃないですか。それといっしょですって。そんなに身構える必要ありませんよ? ほらほら、横になって横になって」
ぐいぐいとすごい力で腕を引っ張られて強引に横にならされてしまう。
こういうのは拒否しにくい。
彼女の気持ちを理解していないわけではないが、正直、女性経験がなさすぎて、こういう状況でどう対応したらいいのかわからないのだ。
そうでなくても、精神的にこんがらがっている時だったから尚更。
「そんなに……嫌ですか? 私と寝るのが」
「い、嫌ってわけじゃないけど、何度も言ってるように視聴者が――」
「いませんよ、視聴者なんて。ジャンヌさんもそう言ってました」
「いや、実際にいるから」
「だとしても、ちょっと横で寝るくらいなら問題ないでしょう? ほらほら、目を閉じて。息を吸って~吐いて~」
リフレイアといっしょにいることには慣れたと思う。
でも、それとこれとはまた別問題だ。寝室で、1つのベッドの上で寝るという状況。緊張しないわけがないのだ。
逆にリフレイアのほうがなぜこんな平然としていられる?
そう思い、彼女の顔を見る。
燭台の明かりから逆光になっているが、真っ赤な顔をしてけっこう必死な感じだ。
あんまり頑なになるのは可哀想かもしれない。
(まあ添い寝くらいなら……)
この世界ではそのあたりは大らかだと思う。
安い宿屋では、大部屋で雑魚寝だったりするし、その場合、男女の別はない。
リフレイアだって、そういう環境でやってきたのだろう。
「寝るだけだからな」
「ふふ、もちろん。今日はそれでかまいませんとも」
なんかこういうのって男女逆じゃないのかな?
やはり異世界ともなると、そのあたりの感覚が違うのだろうか。
常識がわからない。
「じゃ、じゃあおやすみ」
「はい。おやしゅみなさい、ヒカル。もうちょっとくっついていいですか? いいですよね? ふふ、うへへ……」
リフレイアの妙に熱い体温。
柔らかい皮膚の感触に、変な気持ちが湧かないといったら嘘になる。
(こういう時はどうするんだっけ……。素数を数えるんだったか……それとも羊の数だっけ……)
いや、眠れないだろ。
こんなの。
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