204 ジャンヌの弱み、および逃走 ※リフレイア視点

「あ、いたいた。ジャンヌさんおかしいですよ。急に」

「……レーヤか」


 ジャンヌさんは道の脇でうずくまっていた。

 少し目が赤いから、泣いていたのかもしれない。

 彼女と一緒に暮らすようになってから日は浅いけど、こういう姿を見るのは初めてで少し驚く。もしかすると、彼女はヒカルのああいう頑なな所を見たことがなかったのかもしれない。

 再会してからのヒカルは精神的に安定していたから。


「クロは……?」

「置いて来ちゃいました。ヒカルがいれば馬たちも逃げないでしょうし。……それにしても、本当にどうしたんですか、ジャンヌさんらしくもない」

「私らしくない……か。……そうでもないさ。レーヤは知っているか知らないが、私は神から『生命力アップ』のギフトを貰って、精神力を底上げしているんだよ。普段、何も気にしていないように振る舞えているのは、それのおかげ。……本来の私はこんなものだ」

「なんだかよくわかりませんけど……私はそういうのもいいと思いますよ。超然としていて何を考えているかわからないより。だって私、ジャンヌさんが旅を楽しみにしているってのも知りませんでしたし。だから、ちょっと驚いちゃいました」


 なにか逃げるように旅に出るって決まったわけだし、ヒカルもジャンヌさんも淡々としていたから、そんなに楽しみにしていたとは気付かなかった。


「だって仕方ないだろう……? 元々は迷宮を踏破するなんてデカいことを言っていたのに、やっぱり旅のほうが面白そうで楽しみなんて……言えないよ」

「えー? なんでですか? 別にいいじゃないですか。迷宮って緊張しますし、そんなに楽しいものでもないですよね?」

「いや、戦闘自体は楽しいけど。でも……そうだな。迷宮の中は暗いし、やっぱり少し気が滅入るよ。クロはむしろ迷宮の中のほうが活き活きしてるような気がするが」


 確かにヒカルは迷宮内で気が滅入ったりするタイプではない。

 探索者は迷宮内で何日も活動できる精神的強さが必要なのだが、ヒカルは強さとは関係ない方向で……なんというか迷宮が性に合っているようだった。

 私もジャンヌさんと同じように迷宮内は別に好きではない。特に4層は環境も悪いし。


「まあ、とにかく戻りましょう。馬の練習だってまだ途中ですし」

「……いやだ。顔を見られたくない」

「そんな子どもみたいなこと言わないで、さあさあ」


 手を引いて動かそうとしても、嫌だ嫌だと地面に座り込んで頑なに動こうとしないジャンヌさん。まるで駄々っ子だ。

 なんだか妹が小さかった頃を思い出すな……。


「もう。迷宮の中ではあんなに強いのに。……まあそれはヒカルもそうですが。こういうのって、向こうの世界の人の特徴なんですか? 戦闘は得意だけど人間関係は苦手みたいな」

「……いや、私とクロがそういうタイプというだけだ。……特に私は兄姉だっていなかったし……家族もいないし、友達も……いなかったから、本当は人とどう接したらいいのかわからないんだ」

「別に私やヒカルとは普通に接してるじゃないですか」

「キャラを作っているからな」


 こういう話をジャンヌさんとするのは初めてだ。

 いっしょに暮らしているから、話は普通にするしヒカルの話で盛り上がったりすることもあるけど、ジャンヌさんの意外な弱みということなのだろうか。キャラというのがなんなのかはわからないけれど。

 私は優秀な妹の存在で、けっこう劣等感を味わってきたから一人っ子というのは気楽そうだなと感じてしまうのだけど。


 私はヒカルやジャンヌさんの世界のことを見たことがないし、知らない。

 魔道具のようなものが大量にあって、という精霊力みたいな力で便利に暮らしているらしいが、根本的にはここと同じような世界で私たちと同じように暮らしているのだろう。

 私はヒカルが別の世界の人間だなんて、本人に言われるまで全く想像すらしなかったわけだし……。

 となれば違う世界と言ったところで、さして変わらない、似たようなものに違いない。


「私は、知らず知らずのうちにクロに甘えてたんだな。だから、旅に出るっていう約束を反故にされたと感じて……ついカッとなってしまった。私より、あんな奴の言うことを信じるなんて。あんなの嘘に決まっているって、少し考えればわかることだろう? レーヤだってそう思うよな?」

「え、えええ? 私には判断できませんよ」

「第2陣転移者に選ばれる確率が75億分の300なんだぞ? 天文学的な確率だ。いくらなんでも無理筋すぎる。まして、ナナミがこの街を目指しているだと? あんな口車にアッサリ乗せられるなんて……」


 悔しいのか、それとも怒っているのか。

 ジャンヌさんは顔を伏せたままで、よくわからない。


 私は結局、彼女たちの事情がちゃんと理解できていないのだと思う。

 なぜ信じられないのかもわからないし、なぜヒカルがあの人の言うことを信じたのかもよくわからない。

 どちらでも問題ないように対応すればいいだけという気もするが、なにかそうできない理由があるのだろうか?


「私の言うことだけを信じていればいいのに……」


 小さくそんなことを呟くジャンヌさん。

 

「クロは……いつも優しいだろ。私の言うことも否定しないでいてくれるし、絶対に裏切らなそうな安心感があるし」

「う、裏切らないかなぁ……そっかなぁ……」


 ジャンヌさんの独白は続くが、ヒカルが裏切らないかどうかはさすがに安心しすぎと思う。彼だって普通の男の子なのだし、しっかり手綱を握っておかなければ、どこに行ってしまうかなんてわからないのだ。

 私が少し目を離した隙にジャンヌさんとの同棲が始まっていたように……。


「……私、大事にされてるって思い上がってたんだ。でも、あいつにとっては幼馴染みのほうがずっと大事だった。わかるか? レーヤ、お前だってそうだぞ。私たちはしょせん2番目3番目だ」

「え~? いない人と競う意味なんてなくないですか?」

「……レーヤは強いんだな」

「ヒカルは私のことが好きだって、ちゃんとわかってますからね!」

 

 ヒカルは凄い術師だし戦闘では凄腕だけど、人間的にはむしろ脆さがあるタイプだ。幼馴染みのことも、彼のその弱さを突かれた結果なんじゃないかと思う。別に恋愛関係ではなかったというし、ジャンヌさんの焦りは見当違いだ。

 少し前までの私はそのことを知らなかったから、グイグイ押していたけど……今はジックリ焦らずいくことにしたのだ。それに……私には切り札の『約束』がある。


 ……それはそれとして、結局どうするのだろう。

 旅に出るのか、それとも延期するのか。

 正直、私はどっちでもいいのだけど。


「とにかく戻りましょうよ」

「……顔を合わせたくない」

「いっしょに住んでるんですから、遅かれ早かれ顔は合わせることになりますよ?」

「じゃあ宿に泊まる。レーヤはクロについていてやってくれ」


 なんでそうなるの? と思わずにはいられないが、ジャンヌさんもなかなか頑固だ。


 ◇◆◆◆◇


 埒があかないので、私はジャンヌさんを置いてヒカルのところに戻った。

 ヒカルは馬の練習もせずに、空中に目線をさまよわせながらボンヤリとしていた。

 こっちもこっちで重症だ。


「リフレイア……。ジャンヌは?」

「顔を合わせたくないですって。でも、ヒカルが謝れば済みそうな感じですよ」


 駄々っ子と化した女の子は、謝ってなだめるに限る。

 旅に出るにせよ、まだ迷宮に潜るにせよ、人間関係がギクシャクするのは危険を呼ぶのだ。時間が経つと、解消が難しくなるというのもあるし、拗れるまえにさっさと謝ってしまうに限る。

 そして、それができないのであれば、もうパーティーなんて解消してしまえばいい。

 くだらないことで拗れたあげく迷宮内で全滅なんて話、何度も聞いた。自分たちがそれにならない保証なんてないのだ。

 ジャンヌさんは強いしサッパリした性格で嫌いではないが、私にとってはヒカルが最優先である。


「……謝るのはいいけど、旅は少し待って欲しい。そこは変えられない」

「幼馴染みがこっちに来ているかもしれないからですか?」

「そうだ。奈落の転移者がナナミだってのは、さすがに馬鹿げた話だと思うけど……でも、可能性があるなら……待ちたいんだ」

「じゃあ、なおさらジャンヌさんと話さなきゃですね」

「そうだな」


 結局のところ、ヒカルは謝る気はあるけど、折れるつもりはないようだった。

 ジャンヌさんはどうだろうか?


 馬を連れてヒカルといっしょにジャンヌさんのところへ戻る。

 ヒカルは馬の上でも空中に視線をやっていた。

 真白い顔でただ一点を見詰めている。


「ヒカル、それってステータスボード? でしたっけ。見てるんですか?」

「……ああ。メッセージを開くってジャンヌに言っちゃったからな」

「じゃあそのメッセージを読んでるんですか?」

「いや……。読んではいない……。まだ、ダメみたいだ」


 絞り出すような声音だった。

 前に確かヒカルから聞いたような記憶がある。冤罪でメッセージで罵倒されたと。

 私はそのとき……いや、今もだが、そんな「他人の言葉」を気にする必要があるだろうか? と内心思ったのだが、彼はまだそれを引きずっているらしかった。


「……でも、メッセージ機能が復活したら、絶対読むから」

「そんなツラいなら私も一緒に読んであげますよ?」

「リフレイアにはこれ見えないだろ。……大丈夫。読むよ」


 到底、大丈夫という感じではないのだが、まあ私も少し前まで母親から届く手紙を開くのが怖かったからわからなくもない。

 とにかく、そのメッセージ機能とやらが復活すれば、例の幼馴染みがこっちに来ているのかどうかが判明するのだそうだ。

 だとすれば、確かにあと数日、旅に出ることを延期することに問題があるとは思えない。


「あ、いましたね」


 ジャンヌさんはさっきと同じようにあぜ道に座り込んでいたが、私たちが近付いているのに気付いて立ち上がった。

 そして、こっちを一瞥してから一瞬逡巡した後、身を翻して一目散に街のほうへと走っていってしまう。


「逃げた! 逃げましたよ!?」

「マジか……。ずいぶんと怒らせてしまったみたいだな」

「ちょっと追いかけてきますね。ヒカルは馬を頼みます」


 ヒカルはまだ乗馬が私ほど達者ではないが、私が全力で馬を走らせれば追い付くことも可能かもしれない。

 宿に引っ込まれてしまったら、探すのは難しくなる。その前に捕まえないと。


 馬を全力で走らせて追いかける。

 人間がどれだけ頑張っても、馬のほうが速い。

 ……はずだったのだが。


「ジャンヌさん、すごい身体能力……。位階どれくらいあるんですかね」


 結局、追い付けず私は街で巻かれてしまった。

 まあ、でもこうなってしまったからには仕方がない。

 そのうち頭が冷えれば戻ってくるだろう。


「……ジャンヌさん、宿に泊まるとか言ってたな」


 それはつまり、久々に……私が戻ってきてから初めて二人っきりで過ごせるということだった。

 ヒカルはジャンヌさんに遠慮していたし、私も彼女との約束があったから何の行動も起こしていなかったが――


「……二人っきりかぁ! どうしよっかなぁ!」


 私はつい声を弾ませた。

 ジックリ攻めると決めてはいるが、時々はテコ入れも必要だろう。

 うん。

 

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