205 ギルミナ茶、および2人きりの夜 ※リフレイア視点
ジャンヌさんを見失った私は、ヒカルと合流する前に一度家に戻ることにした。
宿に泊まると言っていたし、わざわざ探してまで連れ戻す必要はないだろう。
彼女だってもういい大人なのだし、それも自分の選択だ。
「さてさて。二人っきりとなれば、食事もちょっと考えたいな。お酒を飲んでもいいし……。ふふ……」
つい口元がゆるんでしまう。
ヒカルを好きになったばかりのころは、猛烈果敢に攻めたい一心だった。
ずっといっしょにいたかったし、いつでもくっついていたかったし、より2人の関係を強固で強いものにしたかった。
初恋に浮かれていたのだと思う。
ヒカルの事情を私はあまりちゃんと考えていなかったし、自分の気持ちを抑える術を知らなかったのだ。
そんな私だったが、一度離れたことで少しだけ落ち着いた。
彼への気持ちが冷めたというわけではない。この胸の中で熾火となって赤く赤く今も燃え続けている。
再会して。一緒に暮らすようになって。
私は、表面上はアプローチを掛けたりもせずにいた。
それとなくベタベタしちゃうこともあったし、それはそれで楽しかったが、やはりジャンヌさんの目があったし。
……それ以外にも遠回しなアプローチや誘惑は地味にやっていたのだけど、ぜんぜん相手にされていなかったとも言うが――まあ、それはさておきだ。
とにかく久しぶりの二人っきりの夜。ここは大事にいきたいところだ。
――ん?
(あれは――ギルミナ茶!)
帰路、市場の屋台で、とある珍しい茶葉が売られているのを発見した。
あのお茶は、今は地元に戻っている元パーティーメンバーの娘が「すごい効き目よ?」と見せてくれたことがあるやつだ。あの特徴的な形の葉。間違いない。
なんでも、一杯飲ませるだけで男性をその気にさせるとか……。
(でもな……どうしようかな……)
「それ一袋ください」
「はいよ。お嬢さん、これの飲み方は知っているのかね?」
「あー、はい。だいじょうぶです。だいじょうぶ」
「強い茶だからね。気を付けとくれよ」
(……いくらなんでも、さすがにアレを飲ませるってのもね……。徐々に距離詰めていこうって決めたわけだし……)
「はっ!?」
いつの間にかギルミナ茶が私の手に握られていた。
なんか店主とやりとりしたような記憶があるが、まあ問題はないだろう。
それにしてもまさか銀貨12枚とは。すごい値段だ。
こんなものには頼らないと心の中で考えていたはずだったが、買ってしまったものは仕方がない。
そもそも、このお茶は単純にお茶として美味しいらしいし……。よし。
私はその
知らずに買った!
知らずに買ってヒカルと一緒に飲む!
まったく問題ない!
まったく問題はないが、ヒカルが帰ってくる前に身体は清めておくかな……。
◇◆◆◆◇
「ジャンヌは?」
「まだ戻ってませんけど、そのうち帰ってくるんじゃないですか? まあ、お茶でも飲んでどうするか考えましょう」
身を清めて服も着替えてお湯を沸かし始めた頃、ヒカルは戻ってきた。
けっこう戻るまで時間がかかったから、彼は彼でジャンヌさんを探していたのかもしれない。
ギルミナ茶を2人分淹れてテーブルの上に置く。
香辛料のような少し刺激のある香り。ちなみに、このお茶は男性のみならず女性にも効果があるらしい。
さっき少し味見をしてみたが、香りに反して味はスッキリとして飲みやすい。
椅子に腰掛け、テーブルに両肘をのせて項垂れる姿は、少し憔悴した様子で、出会ったばかりのころのヒカルを思い出す。
少し伸びたツヤのある黒い髪が頬に落ちて、なんともいえない色気を醸し出している。
男性にしては繊細な指先でカップを持ち、少し荒れた唇がそれを迎える。
最近の落ち着いたヒカルもいいけど、こういう憂いを含んだ影のあるヒカルもまた最高なんだよなぁ。
押し倒して滅茶苦茶にしてやりたくなる……。
おっと! 早くもギルミナ茶の効果が出始めているかもしれない。
落ち着け……。
落ち着け……。
「飲んだことない味だな……。こんなの家にあったっけ?」
「さっき買ってきたんです。ちょうど市場のとこでジャンヌさんを見失っちゃったんで」
「ふぅん。なんだか体がポカポカしてくる味だ」
ヒカルはこの世界のことに詳しくない。
当然、ギルミナ茶のことも知らないはずだ。……というか、万が一飲んだことがあったら上手く誤魔化さなければならなかったが、知らないなら問題ない。
というか、お茶はいつも私が買ってきていたからヒカルは知らないだろうという読みが当たった。
まあ、そうでなくても市場で売っているお茶は種類が多い。普段は少し高級なタル豆茶を淹れているが、これは完全に私の好みで買っているものだ。
実家ではずっとこれだったから。
それにしても、ギルミナ茶。普通に美味しいな……。
ヒカルが言うように、体がポカポカしてくるし、この香りがクセになるというか……。
さすがに効能が効能だから、常飲はマズかろうが。
「ジャンヌ、怒ってたか?」
「え?」
お茶のことを考えていたから、一瞬なんのことだかわからなかった。
危険な茶だ。お酒と組み合わせたら最強なのでは?
私は椅子をヒカルの横に運び、隣に座った。
一瞬、ヒカルが「なんで?」という顔をしたが無視する。
「少しだけ怒っていたかもしれませんけど……どちらかというと戸惑いのほうが大きかったんじゃないですかね。ほら、ヒカルってジャンヌさんのこと、ほとんど全肯定してたじゃないですか」
「全肯定って……。そんなことないだろ?」
「ありますよ。少なくとも否定はしたことないんじゃないですかね。私との時はあれだけ頑固だったくせに!」
「……それは悪かったけど、仕方ないだろ。ジャンヌには返しきれないほどの恩があるんだから」
話しながら、私はピッタリと身体をヒカルにくっ付けた。
今日の私は胸元が大きく開いた服を着ている。腕に胸を押しつけると、ヒカルが顔を少し赤くするのがなんとも楽しい。
これはジャンヌさんから教わったことだが、彼ら転移者たちの元の世界では、コレが好きな男性が多いのだという。
そうとなれば使わない手はない。
ヒカルは少し頬を赤らめながらも、しかしまだ冷静さを保っているようだ。
お茶の効能が発揮されるのはまだなのだろうか。
「どうしよう……」
ヒカルの小さい呟き。下を向いて、悩んでいるようだ。
どうするもこうするも、やはり部屋を移動するべきでは?
しかし、このまま連れ立って2階に行くというのも、なんだか気恥ずかしい。もう少し、ここで盛り上がってからのほうが良いのではないだろうか。
まだ日も高いし。
「……ヒカルはどうしたいんですか?」
だから、ついそんな意地悪な質問をしてしまった。
ヒカルだって男だ。
普段から私が薄着でいるとチラチラ見ていることわかってるんですからね?
「本当は……ジャンヌが正しいってわかってるんだ。頭では……そうわかっているけど、でもやっぱり俺はナナミを待ちたくて」
「ん?」
あれ? なんだか真面目な話じゃない?
そういう流れだっけ?
身体が熱くなっちゃった……とかそういうアレじゃなかったかな。
「……ナナミが転移者に選ばれてこっちの世界に来ているのがもし本当だったとしても、『奈落の転移者』はさすがにナナミじゃないと思う。地図を見る限りじゃ、確かに積極的にこの街を目指しているっぽいし、そんな転移者は『奈落の転移者』だけかもしれないけどさ……。ただ単に大きい街を目指してるだけかもしれないし、迷宮を目指しているだけの可能性だって高いんだもんな。この辺にはメルティアにしか迷宮ないんだろ?」
「え、ええ。そうですね……」
「少なくともジャンヌと対立するような話じゃないし……リフレイアが『謝れば済むでしょ』って言うのも当然だな。はぁ……。やらかしたな……」
あ、あれぇ?
これ全然、お茶効いてなくないですか?
私はすでにけっこう効いちゃってる感じなんですけど?
ヒカルは項垂れながらも、ため息を漏らしている。
密着攻撃もなんだかあんまり効いてなさそう。
「……とにかく、ジャンヌには謝るよ」
ヒカルは前を向いてそう言った。
うんうん。謝ればいいんですよ、あんなのは。
真面目に相手にするだけ無駄です。
そんなことより、私のほうを見るべきでは?
……じゃなくて。
冷静になるのよ、リフレイア。
私がお茶の効能に惑わされてちゃなにがなんだかわからないでしょ。
私は頭を振って雑念を振り払った。
とりあえず、今はまだヒカルにはギルミナ茶の効果も出ていないようだし、まだまだ夜は長いのだ。
まだ慌てるような時間じゃない。
とりあえずここはヒカルの味方をして甘やかそう。母も殿方はとにかく甘やかせって言ってたし。
それにまあ、私としてはどちらでもいいのだ。本当に。
この街でヒカルと結婚するのでもいいし、旅に出てヒカルと結婚するのでもいいし。
強いて言えば、人工神殿からは離れたほうがいいかもしれない。
大精霊様たちが「愛され者」が好きなのは、人工神殿の大精霊様も天然神殿の大精霊様も同じではあるが、天然神殿の大精霊様は「愛され者」を見つけたからといって、追いかけてきて捕まえたりはしないのだ。
さすがに契約をしようとすれば食べられてしまうだろうけれど、少なくともこの街よりはヒカルにとっては暮らしやすいだろう。
別に迷宮がなくても、金等級を持っていれば護衛や用心棒として生きていくことも可能だ。普通に料理屋なんかをやってもいい。
子どもは4人は欲しいなぁ。それぞれに、土、水、風、火の精霊契約をさせたら家族で迷宮に潜ったりとかいいんじゃない?
「リ……リフレイア? 大丈夫か? ボーッとしてるし、顔も赤いけど」
「……え? ええ。はい。大丈夫です。ちょっと考え事してまして」
いけない、いけない。
「コホン。えっと……とにかく謝るのはいいと思います。戻ってきたらさっさと謝りましょ。それで、その後はどうするんです? 旅に出るんですか? それともここに残る? それとも私?」
「わ、わたし……? いや、予定通り旅に出るつもりだ。ジャンヌには謝ってさ」
「あれ? ヒカルはそれでいいんですか? 幼馴染みを待ちたいんですよね?」
「意固地になっちゃったけど、ジャンヌが言うとおり、本当かどうかなんてわからないから」
「じゃあ、本当に幼馴染みの人がこっちに来ているなら?」
「そうなら、待ちたいけど……」
「なら待てばいいじゃないですか」
なんでジャンヌさんの考えに合わせようとするかな。
自分がそうしたいなら、そうすればいい。
それだけの話なのに。
「待ちたいっていう、それがヒカルのしたいことなんだと思いますよ? ジャンヌさんの言い分もわかりますけど、ヒカルはヒカルのしたいことをすればいいんです」
「でもな」
「でももヘチマもありませんよ。私は私のしたいことをしてますよ? ジャンヌさんだってそうです。ヒカルだけが、やりたいことできずにいるじゃないですか。そんなの悲しいですよ」
「リフレイア……」
「あ、お茶のおかわり淹れますよ」
ていうか、私も飲み干してしまった。
味も美味しいし。やっぱり常飲してもいいかもしれない。
迷宮で飲むのも案外良いかも。なんだかカッカするし戦闘意欲が向上しそう。
「……あの転移者が言ったこと……嘘かもしれないけど、メッセージが復活すればすぐわかることなんだよ。あと、数日でわかるような嘘で俺を騙すことに意味があるとも思えない。……あー、違うな。結局、俺はナナミがこの世界に来ているっていう話を信じたいんだ」
話を聞きながら、ティーポットに茶葉を入れる。
さっきより少し多めにしてみよう。
「俺……ナナミがこっちに来ているなら、会いたい」
「じゃあ、それがヒカルのやりたいことですね」
「自分のしたいこと……してもいいのかな?」
「もちろん。むしろ、我慢をしすぎていると思いますよ? 私だって、いっしょに暮らしているのに、こんなにも何もないとは思いませんでしたからね」
おっと、余計なことを口走ってしまった。
だけど、これは本当に本当のことだ。
かつてのパーティーメンバーの娘達から聞いていた「男の子のこと」とは、ヒカルは掛け離れている。やはり別の世界の人だから、なにかが違うのだろう。
彼女たちの話では、二人っきりになったらすぐ襲いかかってくるということだったのだが……。
「……俺だって、リフレイアと一緒に暮らすことになるなんて思わなかったよ」
「でも、そろそろ慣れたんじゃないですか?」
「慣れた……のかな……」
曖昧に笑うヒカル。
私としてはけっこう生殺しである。
あるいは、ジャンヌさんにとってもそうなのかもしれない。
ヒカルがジャンヌさんのことをどういう風に思っているのかはわからないが、私のことは好きなはずだ。
……キスだってしたし。
ていうか、前に一度しているわけだし、もはや何度したって同じではないだろうか。
よし。
あー、ドキドキしてきた。
私は、お茶を淹れ直してまたヒカルの隣に座った。
ピッタリくっつくとヒカルの肌がひんやりと冷たくて心地良い。
「ヒヒヒ、ヒカル。どうですか? 我慢しなくていいんですよ? うぇへへ」
「ちょ、いやまてリフレイア。なんかすごく身体が熱いぞ!?」
「お茶の効果ですよ、お茶の効果! 火照ってきちゃって」
「いやいやいや、そういうレベルじゃないって!」
なんだかヒカルが慌て出すが、確かに身体が熱い。
もう脱いじゃおうかな。
「な、なんだこれ? このお茶のせいなのか?」
「ヒカルもこんな厚着じゃ暑くないですか? 私が脱がせてあげますよ。ほらほら」
「あ、暑くないし。てかリフレイアもこんなとこで脱ぎ始めるなって! 絶対、変だぞ!?」
「ちょっとお茶が効きすぎてるだけですから。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「なんにも大丈夫じゃないって! アイテム鑑定!」
ヒカルが空中に指をさまよわせながら、なにかをしている。
「ヒカル、ヒカル、ヒカル。再会してからも、ぜんぜん二人っきりになれなかったから、私こうみえて我慢してたんですよぉ。今日はもう到底我慢できそうにないんです。ヒカルだって同じですよね? 同じ気持ちですよね?」
「ヤバ……! なんだこのお茶。お前、何買ってきたの!?」
なんだか話が噛み合っていないが、ここはもう押しの一手でいこう。
「まあまあ、なんだっていいじゃありませんか。ただのお茶ですよ?」
「ただのお茶じゃないって! ああ、もう『ディスペル!』」
ヒカルが何か術を唱えると、私の中に何かが通り抜けていった。
同時に、身体の熱が急速に冷えていく。
あれ……? 私、なんかとんでもないことになってなかった……?
「効いた……のか? なんか、火の精霊力を活性化させる代わりに、火以外の精霊と契約している精霊術師が飲むと狂乱状態に陥るって書いてあったけど……」
「き……狂乱……」
なんか全然そういう雰囲気じゃないのに、1人でめちゃくちゃ盛り上がってしまった記憶だけが、まるで他人事のように頭の中に残っていた。
いきなり冷水をぶっ掛けられたかのように目が醒めてしまった今となっては、羞恥心のみが残るのみである。
「あ……あ、あ……。ちょっと……トイレに……。お茶を飲み過ぎてしまったみたい……」
居たたまれなくなって私は逃げ出した。
まさか、自分自身にここまで作用してしまうほど強いとは思いもよらなかった。
それにしたって、なんでヒカルには効かなかったのよ!
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