203 ナナミの情報、そして縛られて


「乗馬とは優雅ですね。私も地元にいたころは嗜みましたが、こちらの馬も地球と変わらないのですか?」


 気さくに話しかけてくるフェルディナント。

 本当にただ興味本位でやってきたのだろうか?

 普通に考えれば……そうなのだろう。

 変に疑ったりせず、転移者同士なのだし協力しあいたいとヲリガミさんは言っていたが、警戒しすぎている可能性というのは俺も少しは考えていた。


「むしろ、こっちの馬のほうが落ち着いてますよ」

「へぇ、それは助かりますね! 私、小さい頃に落馬したことがあって、未だに少し恐怖心があるんですよ。こちらの世界には自動車もありませんし、長距離移動には馬くらいは乗れないと――」


 当たり障りのない会話をしているだけだが、信用はできない。

 ナナミと俺を殺した、あの名前のわからない同級生のような人間が存在するのもまた事実だからだ。

 もちろん、そんな人間が第二陣に混ざっている可能性は限りなく低いだろう。それこそ無視してもいいほどの確率でしかないと、理屈ではわかっていた。


 だが、俺は割り切ることができなかった。

 心が、魂が、まだそこまで他人を信用できるほど回復していないのかもしれない。


「……用がないなら、帰ってくれませんか。練習がしたいので」


 俺は話を打ち切ることにした。

 どちらにせよ、もう俺たちは明後日の朝にはこの街を出るのだ。この街の第2陣転移者と友好を深める必要なんてない。


 フェルディナントは、話を打ち切られ――いや、その前からだろうか、何か考えるような素振りを見せ、そして、口を開いた。


「ヒカルさん……ひょっとして、この街を出るおつもりなんですか?」

「……え? いえ」


 俺はつい答えあぐんだ。

 行動を察知されていることに、言いようのない不快感があった。


?」


 フェルディナントが脈略なく突然俺の幼馴染みの名前を出す。

 

「は?」

「いえ……合流はなさらないのかな? と」

「合流……? どういう……意味だ……?」


 意味がわからない。

 こいつは何を言っているんだ……?


「ああ、そうか。あまり第2陣とは話をしていないんでしたっけ? じゃあ知らなくても無理はないのかな……。実はですね、ナナミさん異世界転移者に再選出されてしまいまして」

「……は? ……嘘だろ……?」

「嘘ではありません。あなたの妹さんたちと準備をしていたみたいですよ? もちろん、黒瀬ヒカルさん、あなたと合流するために」


 フェルディナントの淡々とした様子とは対照的に、俺は全身の血液が冷えていくのを感じていた。

 嘘を言っているような気配はない。

 ……いや、こいつは弁護士の卵らしいから、嘘はお手の物なのだろうか。


 だが――あの神なら。

 あの神なら、生き返ったナナミを第二陣に組み込む可能性が――十分にあり得る。


「私はこの街に来ている転移者とはだいたいコンタクトをとっていますが、ナナミさんはまだここには来ておりません。ですが、近づいては来ているのでは? ……たとえば、ほら、北から一心不乱にこの街を目指してきている人とか――」


 嘘だ! という思いと、本当かもしれないという思いが、頭の中をグルグルと回っていた。

 ナナミが本当に転移してきているのならば、俺と合流することを目指すだろう。

 どこに転移したとしても、真っ直ぐにこの街を目指すに違いない。

 それは疑いようがないことだ。

 もし逆の立場であったなら、俺だってそうしただろうから。


「転移場所の選択は大雑把なものしかありませんでした。例の北の人はリスクの高い『ダーツ転移』を選んだのでしょう。地図にダーツを撃って、刺さった場所に転移するという趣向のものでしてね。私は腕に自信がありませんでしたから、普通の転移を選びましたが……北の人には、無理をしてでもメルティアの近くへ絶対に転移したいという理由があったのでは?」


 ダーツで転移場所を決めるなんて、そんな選択肢が増えていたのか。

 確かに、こいつが言うように、奈落に転移してしまった転移者がナナミだというのならば、この街を目指している理由になる。

 なにより、ナナミはダーツがけっこう得意だ。


「おっと、長々とすみませんでした。まあ、もし街から出るのなら、伝言くらい預かりますから、声をかけてください。今はだいたい迷宮の一層あたりにいますから」


 それだけを言って、フェルディナントは颯爽と去っていった。

 俺はその振り返ることすらしない後ろ姿を、ただ見送るだけしかできなかった。


「……なんか、変な人でしたね。ナナミさんって、ヒカルの例の幼なじみの人ですか? なんか、こっちに来てるとかって? どういうことなんです?」

「嘘に決まっている。クロ、あんな戯言、信じるわけないだろうな」

「あ、嘘なんですか? なんかホントっぽかったですけど」

「我々をこの街に留め置こうという策略だろう。そうでなければ、わざわざこんなところにまで来て、あんな話をするものか」

「はぁ~、そういえばそうかもですね」


 2人が話している間も、俺は上の空だった。


 ナナミがこの世界に来ている。

 この、何もない不便な世界で。この街を目指して。

 あいつが言うように、奈落の転移者がナナミであるというのも真実味があるような気がしていた。

 ナナミはあれで意外と行動力があるやつだ。

 セリカですら尻込みする場面で、ナナミが引っ張っていくことがたまにあったくらいなのである。

 最初の転移者に選ばれた時だって、最後は前向きにどう生きるかを考えていたほどだ。俺なんて、未だにどう生きればいいのかなんて考えることすらできないのに。


 ナナミがこの世界に来ている。

 今ではリフレイアもジャンヌもいるけれど、ナナミがいてくれたら俺ももっと前向きになれるかもしれない。

 うじうじと悩む俺をひっぱたいて、向こうの世界は大丈夫だと言ってくれるのかもしれない。


 ――それは、甘く危険な“”という名の毒だった。


 メッセージが真実なのかなんなのか判断する術がないように、フェルディナントの言葉もまた、真実なのか嘘なのか判断する術はないのだ。

 ジャンヌが「嘘だ」と一蹴したように。

 あいつの言葉は、俺にとってあまりにも都合が良すぎる。


 そう、わかってはいるのだ。

 ……わかっていても。

 俺はそれを無視して捨て去ることができない。


「おい! おい! クロ! 大丈夫か!? あんな奴の妄言に惑わされてどうする。奈落の転移者がナナミだと? そんなわけあるか!」

「で、でもさ……もし本当かもしれないし、むしろなんでその可能性に思い至らなかったのかって」

「おいおい、しっかりしてくれ。奈落の転移者は、地獄から這いだしてきたような魔物だか人間だかわからんような奴なんだぞ? 30代の実戦経験豊富なガチムチ傭兵に決まっている。私よりさらにか弱い感じのナナミなはずがないだろう!?」


 ジャンヌの言い分もわかる。

 ナナミがそんなに強いわけがない。

 というより、ほとんどの人間が無理だろう。


 だが、ジャンヌはうちの妹達のことを知らないのだ。

 セリカとカレンが。あの2人が万全の準備をしてナナミを送り出したのなら――地獄を抜けることだって可能かもしれない。

 転移時には銃の持ち込みだってできるし、この世界の魔物には普通に銃が効くはず。精霊力の命脈を撃ち抜けば、魔王でも一撃で倒せるだろう。

 それほど、銃の――とりわけライフル銃の殺傷力は高いのだから。


「ごめん、ジャンヌ。ナナミがこっちの世界に来てるなら、俺……ここで待たなきゃ」

「おい……本気で言っているのか……? 旅はどうするんだ。準備だってして、こうして乗馬の練習だってしたのに……。いや、それより、私は確信したぞ。あいつの言っていることは嘘だ。何か、私達をこの街に残したい理由があるんだろう。万が一ナナミがこっちに来ているとしたって、メッセージが回復してから改めて合流に動くんでもいいだろう? 準備だってしてきたし、私は……私だって楽しみに――」


 ジャンヌは正しく、俺が間違っているのだろう。

 ナナミが転移者に選ばれてこっちの世界に来ている可能性は、低いはずだ。

 理屈では……そうわかっているのだ。

 でも、その可能性に触れてしまった俺には――


「ナナミが……あいつが、俺がここにいると信じて辿り着いた時に、俺がここにいなかったら悲しむだろうから……ごめん」


 メッセージ機能が復活すれば、フェルディナントが嘘を言っているのか、それとも本当のことなのか、ナナミがどこにいるのか、そのすべてが判明するだろう。

 少なくとも、それまでは俺はこの場所を動くことができない。

 あと少しでわかることなら、なおさらだった。

 

 それに……わざわざそんな嘘をつくだろうかという疑問もある。

 現金なものだ。

 あれだけ信用できないと思っていたのに、俺はあいつの言葉を信じたがっている。

 ……いや、すでに信じてしまっていた。


「ジャンヌ。メッセージが回復するまででいいんだ。答えが出るまででいい。だから……旅に出るのは延期にしてくれないか」

「延期? 延期だと……? クロ……お前はメッセージを開けないんじゃないか? 私のメッセージを当てにしているのか? それなら願い下げだよ。私はお前の伝言役じゃあないし、自分が知りたい情報なら自分のメッセージで確認するのが筋だろう?」


 彼女の言い分は当然のことだ。

 ナナミを待ちこの街に留まるのなら、当然、メッセージだって自分で確認しなければならないだろう。


「……わかったよ。その時には……自分でメッセージを確認する」

「クロ……お前……。そんなにか。本気で言っているのか……?」


 俺のその言葉に、ジャンヌは驚いたようだった。

 ずっと触れずにいたメッセージを、俺が開くと言ったからだろうか。

 だが、ナナミがこっちに来ているのなら、それを確認できるのなら、俺はそれを開く覚悟を持てると思った。

 少なくとも、今はそう感じる。


「私は、楽しみにしていたんだ……旅に出ること」

「ジャンヌ」

「私は楽しみにしていたんだ!」


 そう言い捨てて、ジャンヌは街のほうへと走り去ってしまった。

 俺はそれを追いかけることもできない。


「いいんですか? ヒカル」

「俺のわがままだから。リフレイアもごめん」

「あー、私は別に。ヒカルといっしょにいられれば、場所はどこでも。それじゃ、私ちょっと追いかけて来ますよ」

「……頼む」


 ジャンヌが旅を密かに楽しみにしていたことくらい、俺にだってわかっていた。

 感情表現が豊かなタイプではないけれど、ジャンヌはカレンと少し似たところがあったから。


 俺が彼女といっしょにいるのは、死者蘇生の宝珠を譲って貰った恩を返すためだ。だから、ジャンヌの意に沿わない行動をするのは、まさに恩を仇で返すようなもの。

 ……そう。わかってはいるのだ。

 そうだとわかっていても、俺は自分のわがままを優先させてしまった。

 

 俺には、彼女を追いかける資格がない。

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