198 スキュラ強襲、そして混沌の獣

「ミ゛―――――ア゛――――!」


 それは突然現れた。

 いや、もともといたのかもしれない。奥のほうに隠れていたのか。

 ドーム状になった巣全体に残響音を伴い響き渡る、臓腑のど真ん中を貫くような、その名状しがたき叫び声は、ラミアとは全く別の異質なナニカがそこに現れたのだと否応なしに認識させられた。

 

 ザザザザと、地面に何かを擦り合わせるような音が響く。

 ラミア達も動きを止めて、その音の方向へと注意を払っているようだ。


(このタイミングで出てくるのか……)


 暗視を持っている俺にはの姿が見えていた。

 ラミアとは一線を画す3メートルを超す巨体。

 上半身はラミアと同じく女の姿だが、青白い肌と不自然に長い腕を持ち、さらには腹はバックリと割れ、牙が生えそろった猛獣の口になっている。

 下半身はさらに異形で、何本もの蛸の足のようなウネる軟体の触手が蠢く。

 魔王と同じカテゴリーの魔物。

 まさに混ざり合う――混沌の獣だ。


 背中に冷たい汗が伝う。

 運が悪い――いやそれとも良いのか。

 4層最強の魔物。

 スキュラのお出ましである。


「な、なんなんですか!? これ?」


 キョロキョロと周囲を見回して警戒するリフレイア。

 暗視を持っていない彼女には、アレがまだ見えていないのだ。


「スキュラだ。ラミアの巣に出ることがあるとは聞いてたけど……、どうする? 結界石を割るか?」

「いや、どのみち倒すつもりではいたんだ。ひと当てしてみるのも悪くないだろう。それに、ここで結界石を使うのは悪手だ。せめて入り口まで戻らないとフルーちゃんが置き去りになる」

「少しずつ後退しながら……か」


 ジャンヌは冷静だが、さすがに声が震えている。

 俺たちはラミアの巣を少しずつ前進しながら戦っていたから、巣の真ん中ほどにまで入り込んでしまっている。入り口まで戻るにも背を向けて走るのはリスクがある。


 なにより、スキュラのプレッシャーは痛いほどで、とてもじゃないが今、あいつから目を逸らせる勇気はない。


「ミ゛ーミ゛ミ゛ミ゛ミ゛ミ゛――!」


 奇っ怪な叫び声を発しながら、触手をボコボコと変形させる。

 紫色のそれはタコの足のようにも見えたが、今は巨大な狼の頭へと変貌している。


「ガァアルルアアアア!」


 狼の頭はそれ自体がスキュラとは別の意思を持っているかのように、唸り声を挙げ、血走った瞳を俺達に向けている。

 大気すら震わせる巨大な魔物の威圧感。それは魔王と対峙したことがある俺でも、背中に戦慄が走るほどだ。

 いつも強気なジャンヌも、さすがにわずかに腰が引けている。

 

 戦闘が始まってしまったら、逃げるのは不可能だろう。

 結界石を使い、一時的に避難することは可能だが、ここはラミアの巣。結界に引きこもっている間に、ラミアたちはまた数を増やしていき、脱出は困難なものになるのは明白。

 ここは敵地のど真ん中なのだ。


「……やるしかないな。というより、もとよりそのつもりだっただろう? クロもレーヤも」

「いや、せめてラミアを全部倒したあとにやりたかったよ。俺は」

「贅沢を言うな。探しても出てこないこともある魔物なんだぞ」

「わかってるよ」


 などと、問答している時間だってない。

 スキュラとは元から戦うつもりだったし、ちゃんと予習済みだ。

 どれほど強い魔物であっても、攻略情報がある魔物などそこまでの驚異にはならない……はずだ。


 精霊術を使わないことがわかっている。

 ジャンプをしないことがわかっている。

 攻撃射程がわかっている。

 属性がわかっている。

 なにより、どういう風に倒されたのかの過去の戦闘データが何百体分もあるのだ。


 これでレベルが適正であるならば、情報と実戦との差はあるにせよ、負けるほうが難しいというものだ。


「……といっても、ラミアが邪魔だな」


 問題はまだラミアが大量にいることだ。同時に戦うには相手の手が多すぎる。

 幸い、スキュラとラミアが連携してくることはないそうだが、だとしてもどちらもこちらを狙って攻撃してくることに変わりはない。


「ヒカル! どうしますか!?」

「クロ! どうする!?」


 全体の戦況を見て、指示を出すのは俺の仕事だ。

 とりあえず、全体に押し込まれるのは避けたい。


「リフレイアはそのままラミアの数を減らしてくれ! ジャンヌはスキュラの足止めを! 俺は両方のフォローに入る!」

「はい!」

「了解!」


 スキュラは翼を広げるように、触手を大きく開き絶叫。

 こちらを敵と認定し威嚇する野生動物みたいな行動だ。


「巨大ボス戦か。たぎるな!」


 目を爛々と輝かせて、数倍もの質量を有する巨大な魔物と正対するジャンヌ。

 盾を構え、スキュラの鞭のごとき触手の一撃を受け止める。


「ミ゛――――ア゛――――!」


 スキュラの声にならない叫び。

 狼の頭による噛みつきをバックステップでかわし、近くにいるラミアごと吹き飛ばす無数の触手による薙ぎ払いも、盾の後ろに隠れてやりすごしている。

 さすがに攻撃に転じるのは難しいだろうが、防御という点でジャンヌは、この凶悪な魔物相手でも対等以上に渡り合えている。


「ダークネスフォグ!」


 俺は邪魔なラミアを倒しながら回り込み、スキュラの上半身部分だけに闇の霧を発動させた。スキュラはラミアと違って、蛇女ではない。ということは、闇が通じる可能性があった。

 ジャンヌとの戦闘も、明らかに目で追いながら戦っていたのを見たからというのもある。


 苛立つような声を発しながら、スキュラが闇雲に触手を振り回す。

 うっかりすると食らってしまいそうでこれはこれで危ないが、うまく距離をとっていれば無害だ。

 巻き添えに何体かのラミアが上半身と下半身を泣き別れにさせられた。

 すさまじい威力だ。俺など食らったら回復する間もなくお陀仏だろう。


「リフレイア! スキュラには闇が通じる! とりあえず、離れてラミアを倒していてくれ! ジャンヌは、うまく距離をとりながら、ラミアのほうを先に! スキュラは俺が代わる! くれぐれも、スキュラに近付かないようにだけ注意してくれ! 触手は射程が広い!」


 闇が通じるなら、俺が相手をしたほうがいい。

 ジャンヌがスキュラから距離を取ったのを見て、俺はダークネスフォグの範囲を広げた。

 精霊力ポーションを取り出し、あおる。


「閉ざせ、ダークコフィン!」


 スキュラはあまり移動力の高くない魔物だ。

 そして巨体。

 ダークコフィンは強力な代わりに発動までに時間がかかる術だが、こいつとは相性が良さそうだ。


「ア゛――ア゛ミ゛――ア゛――………………」


 質量を持った正20面体の闇の棺が、巨大なタコ女を闇へと封じる。


(……効いたか。でも……長くは保てそうもないな)


 相手は強大な力を持つ魔物だ。

 単純な力だけなら、前に戦った魔王をも凌駕するだろう。

 術を維持しているだけで、すさまじい勢いで精霊力が失われていく。


「フルー! ダークナイトをこっちで召喚する! そっちに気を配れなくなるから、もし魔物が来たら躊躇せずに結界石を割れ!」


 洞窟内では音がよく通る。

 入り口から、こっちをちらちらと確認していたフルーが、「わかったにゃん」と返事をするのを聞いて、俺は即座に精霊力を練り始める。

 結界石は1ポイント分のアイテムで、まあまあ貴重品だが、今は使い時だろう。


「サモン・ダークナイト!」

「クリエイト・アンデッド!」


 ダークコフィンを維持しながらの術行使はかなりキツいが、スキュラを封じている間に、ここである程度の余力を作っておかなければならない。

 俺は精霊力を振り絞って、2体の仲間を召喚した。

 フルーの護衛に召喚したダークナイトは、すでに時間切れで消えたことが感覚でわかっていた。

 クリエイトアンデッドは、信頼のリザードマンゾンビである。リザードマンが出す混沌の精霊石は売らずに保管してあるので、まだまだ呼び出せるのだ。

 ちなみに二回目に召喚したやつも、ラミアに集られて消滅していた。


 ラミアの数はさすがに減りつつある。

 ピークを越したのか、そろそろ打ち止めのようだ。

 地面に転がる精霊石は、シャドウストレージを使ってなるべく回収しているから、邪魔になることもない。


「ダークナイトはコフィンの中に入ってスキュラを攻撃! 息の根を止めてもいいし、無理なら触手の数を減らしてくれ。リザードマンはラミア殲滅の手伝いを頼む!」


 俺自身もラミアと戦いながら指示を送る。

 正直、ラミアだけでも数が数だ。決して余裕がある戦闘状況ではない。リフレイアは攻撃特化だが、その分ダメージを負いやすい弱点がある。


 リフレイアは一対一ならまず無傷でラミアに勝てるが、何体も殺到してくる状況では、運の要素が絡む。

 逆にジャンヌはどんな状況でも安定しているが、殲滅力そのものはリフレイアに劣る。

 1体倒す間に2体やってくるような状況では、さすがに分が悪い。

 ジャンヌが同時にさばけるのは3体ぐらいまでだろう。


 そうこうしている間にも、ジャンヌの周りにラミアが集まってきている。


「ぐっ、こいつら。無限湧きか?」


 ジャンヌがラミアの攻撃を盾と剣とでいなしつつ、返す刀で相手の腕と胴体を同時に斬り捨てる。

 彼女の膂力と獄炎鋼の剣をもってすれば、ラミアの体皮の防御力など紙に等しい。つまりほとんど防御不可能なのだ。

 それでも、数が勝れば押されてしまう。


 ラミアたちのあまりのしつこさに、ジャンヌも苛立ちを隠せずにいる。彼女はスキュラ――ボスモンスターと戦いたいのだから当然だ。

 だが、ラミアたちも必死である。すでに100体程度は倒されているのだ。俺たちを不倶戴天の敵と見なしているに違いない。

 双剣を使うラミアに手間取っている間に、ジャンヌにさらに別のラミアたちが群がってくる。


「くっ!」

「ジャンヌ! シャドウバインド! シェードシフト!」


 すぐさま加勢し、1体を倒す。

 こうして戦っている間も、スキュラのダークコフィンは維持し続けており、精霊力の枯渇で身体が熱くなってくる。

 かといって、術を使わないという選択肢はない。


 リフレイアも奮戦しているが、細かい傷を負い血を流している。

 だが、回復するだけの時間的余力をラミアたちは与えてくれない。

 まだスキュラとの戦いもあるが、決め手に欠けるまま少しずつリソースが枯渇していくのを感じていた。


「ミ゛―――ア゛――ミ゛ミ゛―!」

「な、マジか」


 パリン――と音がして、ダークコフィンが砕けた。

 中から、ダークナイトとスキュラがまろび出てくる。

 ダークナイト君はかなり頑張ってくれたのか、身動きのとれない魔物相手だから当然とも言えるだろうが、触手を4本も切ってくれたようだ。

 斬られた触手が、地面をビチビチと跳ねている。まるで蛸の足だ。

 スキュラは上半身にも刀傷を負い、深紅の瞳を憎しみに燃やして、ダークナイトに復讐せんと残る触手を蠢かせている。


「ダークネスフォグ! ダークナイトは下がって、ラミアの相手を!」


 今の状況ではダークナイトも貴重な戦力だ。再召喚するだけの余力はない。スキュラにむざむざ倒させるわけにはいかない。


 闇に捕らわれたスキュラが、闇雲に触手を振り回す。

 だが俺たちは射程外だ。

 哀れなラミアが1体巻き込まれたが、同士討ちは大歓迎である。


 スキュラは闇が効き、いちおうの足止めもできているが、安心はできない。

 音を頼りに突撃されるだけで死人が出てもおかしくないのだ。

 質量があるという時点で強いのである。明確な攻撃行動でなくても、轢かれるだけで死ねる。


「ダークコフィンは……無理だな。残りの精霊力じゃ1分も持たない。バインドじゃ、ほとんど意味がないだろうし、俺が接近して戦うのも……無謀か」


 正直、俺はスキュラ相手では接近戦は難しい。

 いちおう防具は身につけているものの、あの攻撃に耐えられるとも思えなかった。リフレイアは剣で受ければ、ぎりぎりしのげるだろうが、無理に試すのは危険だ。

 基本はジャンヌが防御し、崩して攻撃、そういう流れが必要だろう。


「ジャンヌ、交代だ! スキュラを頼む!」

「待ちかねたぞ!」


 ダークナイト君の活躍で、少しだけ余裕ができたところでスイッチ。

 今度は俺がラミアの殲滅に本格的に加わる。

 スキュラは触手が半分になっている。ジャンヌが防御に徹すれば、数分は確実に稼げるだろう。

 ギルドの攻略情報でも、触手を断ち切ってから本体をやるのが定石とあった。


「いくぞ! シャドウバインド! シェードシフト!」


 消費精霊力の少ない近接戦闘向きの術を唱えた、次の瞬間だった。


<おめでとうございます! あなたが転移者で初めて契約精霊術をすべて中級精霊術にまで成長させました。特典として3ポイントが進呈されます>


「えっ、なんだ!? 中級?」


 突然のことに、理解が及ばずにいると、さらに精霊の声は続けた。


<おめでとうございます! あなたが転移者で初めて魔術を自力で使用できるようになりました。特典として5ポイントが進呈されます>


「えっ、えっ!?」


 戸惑いながらも、バインドで動きを封じたラミアを倒す。

 魔術。

 確かにそう聞こえた。


 隙を見てステータスボードを開く。


【 闇の精霊術 】


 第三位階術式

・闇ノ見 【ダークセンス】 熟練度86

・闇ノ虚 【シャドウモーフ】 熟練度0

・闇ノ化 【ファントムウォリアー】 熟練度76

・闇ノ納 【シャドウストレージ】 熟練度98

・闇ノ棺 【ダークコフィン】 熟練度21

・闇ノ喚 【サモン・ダークナイト】 熟練度25

 第五位階術式

・闇ノ顕 【ダークネスフォグ】  熟練度2

 特殊術式

・闇ノ還 【クリエイト・アンデッド】 熟練度16


「……シャドウモーフ? シェードシフトが上のレベルにあがったのか!」


 闇の精霊術の項目で、唯一第二位階だった闇ノ虚が第三位階に上がり、次の術へと進化していた。

 地味にダークネスフォグも第五位階へとレベルアップ。

 そして、その下には表示されていた――


【 魔術 】


・魔ノ慄 【フィアー】 熟練度0

・魔ノ破 【ディスペル】 熟練度0


 それは、紛れもなく「魔王」が使っていた、あの術だった。

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