189 子どものころの話、そしてヲリガミさんと迷宮へ

 ヲリガミちゃんねるは俺が小学生に上がるころには、すでに人気の配信者だった。


 俺の両親は子どもと遊ぶタイプではなかったから、俺もセリカもカレンも、ゲームやインターネットを小さいうちからかなり活用していた。

 今ではネットを自分の手足以上に活用しているセリカとカレンだが、当然、最初からそんなふうに使えていたわけじゃない。

 最初は――彼女達が三歳くらいのころは、ゲーム機で動画を見るくらいしかやっていなかった。

 そんな中、俺たちがよく見ていたのがヲリガミちゃんねるだったのだ。

 妹たちは3歳違いで俺が面倒を見ることが多かったのだが、毎日の彼の配信にはかなり助けられた。


 ヲリガミさんの影響は大きく、セリカとカレンが最初にハマったゲームはマインクラフトで、おそらく2人――特にカレンがコンピューターに強くなったのは、マイクラで遊びながら学んだ経験が大きかったのだと思う。

 俺もよくいっしょにヲリガミさんのチャンネルを見た。

 初期の折り紙動画もあまさず見て、俺たち兄妹は折り紙もいろんな種類が折れるようになった。

 小学生のころ、あまり良い思い出のなかった俺にとって、いつも明るいヲリガミさんの姿はハッキリ思い出せる数少ない思い出の1つだ。


 あの頃の俺は、なんというか……少しグレていた。

 なぜ自分が妹たちの面倒を見なければならないのかとか、なぜ自分が家のことをやらなければならないのかとか、なぜいつも自分だけが怒られるのかとか。

 ……妹なんていなければ。

 今にして思えば幼過おさなすぎて恥ずかしいけれど、そんな風に思っていたのだ。


 妹たちが懐いてくれば懐いてくるほどに、そんな思いは強くなっていって、自分の感情をコントロールする術など持たない小学生のこと、態度にも出ていたに違いない。

 少なくともセリカにはそれは伝わっていたはずで、彼女が小学2年生に上がるころには率先していっしょに家のことをやろうとした背景には、そんな俺の態度が関係していたのは間違いないだろう。

 カレンはマイペースなままだったけど。


 仲が悪かったわけじゃない。

 3つ下の妹たちは家族に対して無条件に懐いていて、良いとか悪いとか、そんな発想自体を持たないくらい幼かった。

 どれほど頭が良かろうと精神的には幼児には違いなく、正真正銘、等身大の子どもだった俺は、そんな……ある意味脳天気にすら見え、そのくせ俺など比較にすらならないほど頭の良い妹たちのことが邪魔で、憎らしいとすら思っていたのだ。


 母親は口癖のように「あなたたちはお兄ちゃんとは違うんだから」と2人に話し、2人も「違う」のだとわかっていたのか「はーい」と明るく答えていて、それが俺の気持ちを暗くさせた。

 怖くてそのころの話を2人に振ったことはない。どれも幼い頃の話だ。


 俺が中学に上がるころには、もう2人ともなんでも自分でできるようになっており、時々振り回されることがあったくらいで、俺も変な態度を取ることはなくなっていた。


 大人になった。

 そういうことなのだろう。

 あるいは、母親から過大過ぎるほどの期待を背負っている2人への憐憫もあったのかもしれない。


 子どものころはわからなかった。なぜ自分がと思った。

 でもその頃にはわかっていた。特別すぎる彼女達こそが、本当の意味で「なぜ自分が」という思いを常に感じながら生きていたということを。


 だから、高校受験をするころには、俺は高卒で就職して家に残り親を養い、2人の妹は外に逃がすと――そう進路を決めていた。

 あの親から彼女達を引き離してあげられるのは俺しかいないのだから。


 本当は俺も逃げたかった。 

 父親は自分のことしか考えておらず、母親は俺に対して極端に冷淡。いっしょに暮らすのは苦痛以外の何者でもない。妹達やナナミがいたから、だましだまし何とかやれていたのは否定できなかった。

 だが、決めていたのだ。


 俺が高校に入学する頃には、すでに両親は仕事もほとんどしておらず、あの家はセリカとカレンの稼ぎでなんとか回っていた。俺が逃げたら、セリカとカレンはずっと母親から離れることはできない。

 もちろん、本人の意思は尊重されるべきだと思う。2人が親と暮らしたいというのなら、別にそれはそれで構わない。でも、そうではないということを俺は知っていた。

 どうやったらこの家から逃げられるかを密かに相談しているのを聞いてしまったことが何度かあるからだ。

 俺は兄としてそれを応援したい。

 ……したかった。

 今となっては、すべて今更になってしまったけれど。


 とにかく家ではそんな感じだったけど、ヲリガミさんの配信を見ている時は救われていた。あの頃、自由にできる時間が少なくて友達もあまりいなかった俺にとって、彼のネット配信は救いだったのだ。


 そのヲリガミさんが、今目の前にいる。

 なにか手伝えることがあるなら、手伝いたいと自然とそう思えた。


「しばらくこの街にいるんですか?」

「んん~、そぉですね。ダンジョンでレベル上げをするのが効率が良いみたいですから、頑張ってみようかなと! 戦闘を! 血湧き肉躍る戦闘を!」


 彼は拳を握りそう言った後、小さく「ガラじゃないんですけどね」と付け足した。

 確かにレベルを上げるのは重要だ。

 力も強くなるし、持久力も増す。なにより外敵に対しての対応力が増すのは大きいだろう。人気の無い荒野で山賊に襲われた時などでも、レベルが高ければ切り抜けられる可能性が上がるはず。野生動物相手でも同様だ。


「戦闘経験あるんですか?」

「それがね、少しはありますけど、野生動物が相手で腰が引けてしまって」

「ああ、野生動物は怖いですよね。倒しても死体が残りますし」


 外にいる生き物は原則「魔物」ではないのだと前にリフレイアから聞いた。

 魔物と野生動物の違いは、発生の仕方の違いらしいが、厳密には元々はすべての生き物が精霊だまりから発生した「魔物」であるという説もあるとかで、なかなかややこしい。

 魔物も野生動物も、外で倒すぶんには肉体……つまり死体が残る。迷宮では精霊石が残るだけだから、なんというか清潔だ。そういう点でもハードルが低い。


「なにか、アドバイスとかあります?」

「えっと……そうですね。ジャンヌのほうが詳しいですが、やっぱりポイントの割り振りをどうしたかが大事だと思います。ヲリガミさん、体力アップは取りました?」

「取りました、取りました! レベル1ですけどね」

「それなら1層は問題ないと思います」


 1層は初心者向けの階層で、スケルトンは普通の人間と比べても動きが遅く、弱い。

 武器持ちは多少危険だが、油断しなければ問題ない。慣れればほとんど一撃で倒せるようになる。

 武器も棍棒でいいし、金も掛からない。

 その分、あまり儲からないがそこは仕方がないだろう。


 その後もいろいろ話したが、ヲリガミさんはかなり無難なポイント割り振りでスタートしたようだ。さすがは配信者を長くやっているだけあり、「長く続けること」の大事さをわかっているのだ。俺のようにすぐ死ぬビルドではなく、体力と生命力と耐性だけに割り振り、精霊術の契約も転移後に神殿でやったという。

 契約精霊は水。今のところ第3の術まで使えるらしい。


「クロ、今日の探索は午後からにしてもいいぞ。その男を少し案内してやれ」


 つい長話をしてしまったからか、ジャンヌが提案してきた。

 正直ありがたい。


「えっ、いいのか?」

「大丈夫だ。問題ない」

「リフレイアもいいのか?」

「ええ。大丈夫です。問題ない」


 ジャンヌの真似をして答えるリフレイア。

 じゃあここでとヲリガミさんと別れるのは、半端な気がしていたからありがたい。


 2人の厚意に甘えさせてもらい、俺はヲリガミさんを案内することにした。

 といっても、俺もこの街のことはまだ知らないことが多いのだが、最低限のことはわかる。

 宿や浴場の場所、あと鍛冶屋を紹介した。

 ドワーフ親父こと、ダルゴスさんの店で事情を説明すると、スケルトン用の鉄の棒を格安で譲ってくれた。

 メルティアの探索者見習いは、一層で棍棒を振り回すのが常だが、親父さんによると鉄の棒のほうが威力が乗るから安全らしい。

 たしかに棍棒より威力ありそうだ。


 俺が案内する間もヲリガミさんは、視聴者が常にいることを想定して喋り、時にカメラモードに切り替え、明るく笑い、俺も久しぶりに地球にいたころみたいな気持ちに戻ることができた。

 ヲリガミさんが、どれくらい俺の事情を知っているのかは知らない。でも、彼はそのあたりには触れず、ただの転移者の仲間として接してくれたのもありがたかった。


 そして、次の日。

 元々休みの予定だったので、朝からヲリガミさんと待ち合わせして迷宮へと向かった。

 リフレイアも、予定がないからと付いてきている。


「リフレイアさんも手伝ってくれるんですか? 悪いなぁ。でも、ありがたい!」


 朝からヲリガミさんのテンションは高い。

 視聴者を意識してか、常にオーバーリアクションである。

 彼からしてもリフレイアの撮れ高は高いと判断できるということだ。俺もいっしょに暮らすようになって、さすがに慣れてきたが、それでもドキっとする美人であるのは変わりが無い。

 ちなみにジャンヌはまだ寝ている。休日の食事は自分で調達することになっているし、1人でなんとかするだろう。果物も常に置いてあるし。


 ギルドに立ち寄り、探索登録をしてから迷宮に入る。


「ちょっと待って下さいね。う~ん、これはカメラモードのほうがいいかな……」


 どう撮るかを考えているヲリガミさんの表情は、いつものおちゃらけたものとは違い、とても真剣だ。

 この世界では視聴者たちとの触れあいはそれこそメッセージくらいのもので、その視聴者も俺は一時は……いや今だって積極的には増えて欲しいとは思えない、そういう存在だ。

 だが、彼にとっては地球にいたころと同じように、大事な存在なのだろう。


「そ・れ・で・は! いよいよ、ダンジョンに潜ってみようと思います! ダンジョンですよ、ダンジョン! まさか、自分がリアルダンジョンに潜ることになるとは、夢みたいですね! ギュ! 痛い! 夢じゃない!」


 すごい! 生配信だ!

 俺はステータス画面を操作して、カメラモードにしてヲリガミさんを映した。これは我ながらファインプレーだと思う。

 神による配信がどういう風に俺たちを映しているのかは不明だ。ずっと遠景から映している可能性もある。だから、ヲリガミさんはカメラモードを活用してるのだろうけど、カメラモードでは転移者本人の姿を映すことはできないのだ。

 俺がヲリガミちゃんねるを撮る!


「ヒカル、あの人って演劇の役者か何かなんですか? ずいぶん前にシルティオンに来た渡りの芸人一座で見たのに似てます」

「あ~、確かにそういうのと近いかもな。人にわかるように説明しながら動くという点では同じかもしれない」

「でも、ちょっと…………その……恥ずかしいですね」


 スススと微妙に距離を取るリフレイア。

 地球だったらカメラで撮っていれば動画を撮ってるとすぐにわかるが、この世界では理解されるはずもなく、奇人変人に見られてしまう。ヲリガミさんだってそんなことはわかっているだろうに、自分のスタイルを崩さずにいられるのは流石としか言い様がない。

 実際、ちょっと野次馬が集まってくるレベルで目立っている。異世界人には動画配信はまだ早すぎるのだ。


「ここは、リングピル大陸では2番目に大きい迷宮なんですね。その名も、メルティア大迷宮。ただの迷宮か大迷宮かは、その都市にいる大精霊の数で決まるみたいです。メルティアは火、水、風、土の4人。ん? 単位は、人でいいのかな? まあいいか。世界で一番大きな迷宮は、アリスマリスという都市にあるみたいですが、ここメルティア大迷宮も十分すぎるほど巨大で、なんと未だに6層までしか到達できていないそうです。ヤヴァイ!」


 たぶん、異世界の情報はかなり詳細なところまで、地球の人たちに伝わっているだろう。

 すべてが配信されているということは、俺が知りうる情報と同じだけ向こうにも伝わるということなのだ。迷宮のことなども当然そうだ。


 だが、そこはさすがヲリガミさん。

 ちゃんと初見さんにも優しく説明をしてからの突入だ。

 門番さんにも冗談を交えながら挨拶を交わして、迷宮に入っていく。


 実は今回、俺は共同での探索を提案した。

 こう言ってはなんだけど、俺の精霊術があれば、危険なく2層でレベル上げができる。リフレイアもいればさらに安定するだろう。

 だが、ヲリガミさんは「魅力的な提案だけど、それじゃあ意味がない」と固辞。

 驕った提案だったなと反省した。

 パワーレベリングなんて不正みたいなものだしな。ヲリガミさんがそれを受けるわけがないのだ。


 実況を交えながら、迷宮入り口を抜けて、第一層『黄昏冥府街』へ降りていく。

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