157 返しきれぬほどの恩、および家訓 ※リフレイア視点
フローラはそのうち寝てしまったようで、静かな寝息が聞こえてきた。
私は布団を整え、少しやつれた横顔を見る。
病気がなければ、妹は今頃は正規騎士として青春を謳歌していたはずだ。華奢で可愛いフローラは同世代でもモテていたけれど、乱魔病に罹ってからは、お見舞いに来る友達すらほとんど来なくなっていた。
乱魔病は、精霊から嫌われることで起こる病だと昔の人は考えていたらしい。
お医者様が言うには、それは完全な迷信で、いわゆる生まれながらの「嫌われ者」とは全く違うものらしいけれど、街の人たちにはまだその迷信を信じている人が多いのだ。
さらに、乱魔病がうつると考えている人までいる。その影響で、フローラが病気になってからは家に来るお客様の数まで減った。
聖堂騎士試験に通ったのなら、私は正規騎士としてこの家を支えていかなければならない。
婿を取り――母と同じように。
私は長女だし、妹の面倒だってこれからもずっと見ていかなきゃならない。
ヒカルといる時には、頭の隅に追いやっていたけれど、それが――現実だ。
ヒカルが私といっしょにいられないと言って私は反発したけれど、でも、私にだって戻らざるを得ない事情があったのだ。
それがわかっていたから、戻りたくなかった。
戻って……現実を見てしまったら、戻れなくなってしまうから。
家族を捨てることができなくなってしまうから。
「ヒカル……私……どうしよう」
ベッドの脇に腰掛けて小さく呟く。
なんのしがらみもないただの探索者であったなら、何も迷うことなんてなかったのに。
ヒカルは婿に来てくれるだろうか。
彼がここに来てくれればすべてが解決するが――
(無理だろうな……)
彼は愛され者だ。
私の家はすぐ隣が大神殿だ。光の大精霊様は男嫌いだが、愛され者は例外のはず。
「はぁ……」
切ないため息が洩れ、私はしばらく思案の海で溺れていたが、階下から声が聞こえたことで現実へと引き戻された。
声はだんだん近付いてきて、ドアをノック。メイドのサーシャが顔を出した。
「リフレイア様、フローラ様、お医者様がお越しです」
言われて、立ち上がる。
往診に来てくれるお医者様は、乱魔病のことを長く研究している人で、薬を探しながら大陸中を旅しているような人で、治療費はかなり高いが、腕は確か。
まあそれでも妹の容態はほとんど良くなってはいないのだが、悪くなっていないだけでも治療が効いている証拠だ。
乱魔病は本人の成長によって、身体がどんどん動かなくなっていく病なのだから。
「こんにちは。リフレイアさん、お久しぶりですね」
「ご無沙汰しております、先生」
「どれ、早速ですが診察しますから、フローラさんにも起きてもらって――――」
診察のためにベッドの脇の椅子に座りかけたまま、先生は動きを止めた。
その視線の先には、ヒカルから貰った枯れない花がある。
「……え? こ、この花は……? どうしてこれが、ここに……?」
「この花がどうかしたんですか?」
「す、少し見せてもらっても……? ちゃんと……根もある……」
先生が震える指で何かを確認している。
指どころか、声さえも震わせ、お付きの看護師すら口を両手で覆い瞳を潤ませている。
(な、なんなの……?)
とにかく普通ではない様子。
「間違いない……。この永続光、精霊力の循環性……。蒼月銀砂草だ……」
まるで神像を崇めるかのように、ヒカルから貰った花を両手で恭しく持ち、恍惚とした表情を浮かべている。
「リフレイアさん! これは、リフレイアさんが手に入れたものですか!?」
「え、ええ。正確には貰ったものですけど」
先生の顔に歓喜の色が浮かび上がってくる。
「貰った!? 誰に!? い、いや、どこで、どこで手に入れたんですか!? 私も入手できそうなルートは当たっていたのに、さっぱりでしたのに」
「で、ですから、人に貰っただけで……」
「その人はこれの価値を知らなかったのか!? い、いや……フローラさんの病気を知っていて渡してくれたのか!?」
「なっ、なんなんですか? 説明してください!」
顔面を紅潮させ1人で興奮している先生だが、私はなんのことやらさっぱりわからない。
「この花の根が乱魔病の特効薬になるんですよ! フローラさんは治ります!」
「えっ!?」
「しかも、これだけ立派な株からならば、10人は乱魔病の患者を救うことができる! これを私にゆずって下さい! もちろん、対価はお支払いしますから! お願いします!」
私は、先生が後半に言った言葉が聞き取れなかった。
――治る?
この花が、特効薬?
妹の病気が……。不治の病といわれた乱魔病が……治るって?
「せ、先生……冗談ですか? そんな、貰った花なんかでそんなこと――」
「冗談なんかじゃありません! この花……蒼月銀砂草は、この世界で唯一の乱魔病を治すことができる薬なんです!」
「じゃ、じゃあ本当に妹は……フローラは、前と同じように……?」
「治ります。治りますとも。すぐに……ほんの数日で回復するはずです」
「うそ……」
最後のセリフは、妹のものだった。
いつのまにか起きて、こちらの話を聞いていたようだ。
「嘘ではありません。リフレイアさんのおかげです。治りますよ。私は、この草を求めて世界各地を旅していましたが、まさか、お姉さんが見つけてくれるとは。精霊王様の思し召しというやつですね」
「わ、私……治るの……? 本当に?」
「本当ですよ。良いお姉さんを持ちましたね」
その日、2度目の妹の泣き声は、悲しみの響きではなく喜びの色を含んでいた。
◇◆◆◆◇
それからは、かなり慌ただしかった。
枯れない花だが、根が完全に無くなるとさすがに枯れるとかで、一回分だけを切り取りフローラに飲ませることに。
先生が鞄から道具を取り出して、切り取った根を細かく削いで行く。今度はその根を小さな薬缶に入れて火に掛けると、独特な甘い匂いが部屋に充満していく。
「良い匂いでしょう? この匂いは精霊たちが『愛され者』に感じる匂いと同じものだと言われているんですよ。大精霊様が愛され者を欲する理由がわかる気がしますね」
先生のちょっとした雑学。
ヒカルもこんな匂いがするのだろうか。今度、嗅いでみよう。
十分に煮出された薬液を、フローラに飲ませる。
先生が言うには、もうこれで徐々に精霊力の循環が戻っていくのだという。
「さて、残りの9回分ですが、こちらをゆずっていただきたいのです」
場を改めて、先生は言った。
この場には私と母だけだ。父は祝賀会を開くと叫んでどこかに行ってしまった。
「その花はリフレイアがいただいた物と聞いております。どうなの? リフレイア」
「そうですが、もちろん構いません。先生にはフローラのこともよく見ていただきましたし、不治の病で苦しむ人たちが助かるのならば、それをくれた人も許してくれるでしょう」
ヒカルは花をくれたときに、なんとかって病気に効くと確かに言ってはいた。でも、乱魔病とは違う名前のものだったから、彼だって乱魔病に効くとは思っていなかったのだろう。
彼の性格からして、病気の特効薬になるのなら、有効に使ってくれとか、そんな風に言うんじゃないだろうか。
「ありがとうございます。では、お代ですが」
「お代ですか?」
「ええ。貴重なものですから、当然、相応の金額で買い取らせていただきます」
「はぁ」
その時、私も母も、おそらくフローラの治療費分を補填できるくらい貰えればいいとか、たぶんそんなことを考えていた。
だが、先生が提示してきた額は、そんな予測をはるかに上回るもので、母も私も最初は冗談かなにかだと思ったのだが、どうやら先生は本気であるようだ。
「ありがたい話ですが、そんな金額では、治療を受けられない人も多く出るんじゃないですか?」
私は疑問をぶつけた。
うちの家は、フローラの治療費でちょっと傾きつつある。正直に言えば、お金はあればあるほどいいだろう。家の補修も後回しだからか、だいぶ荒廃した雰囲気があるし。
でも、お金持ちや貴族なんかしか治療を受けられないのでは本末転倒だ。
「いえ、治療費で元を取るわけじゃありませんよ。この花はね、貴族にたか~く売れるんです。花が死なないギリギリまでを薬として使って、残りを貴族に高く売れば元を取れるんですよ。だから、花を私が買い取るというより、貴族に売る仲介を私がして、仲介料として薬効のある根を貰う。そうすれば全員が得できますからね」
「貴族って、そんな金額でこれを買い取ってくれるんですか? 花として?」
「ええ。枯れずに光を放ち続ける花は『永遠の繁栄』の象徴。王族への献上品としても喜ばれるらしく、欲しがる貴族が多いんですよ。この花は滅多に手に入りませんから。ちなみに、私も扱うのはたった3本目です」
「そんな貴重なものだったんですね……」
ヒカルは餞別だと言って軽い調子でくれたけれど、そんな貴重なものだったなんて。
それだけのものを私にくれた。
それは、それだけ私のことを大事に想ってくれている証なのではないだろうか。
大事な話の最中なのに、口元が緩んでしまう。
「リフレイア。聞いているんですか?」
「あっ、はい。大丈夫です」
「ありがとうございます。それでは、お金のほうは次回訪問時に持ってまいります」
話が終わり、先生は帰っていった。
これから国中に点在する自分の患者たちに、薬を飲ませていくのだという。
フローラは、もう大丈夫なはずだから、最初は少しずつ体を動かしていくようにと、それだけを言付かっている。
「リフレイア。あの花はどこで手に入れたのですか? 人から貰ったと言っていましたね」
「はい。メルティアを発つ時に、餞別としていただきました」
「そうですか」
母からすれば、娘の人生を救う薬をゆずってくれた相手ということになる。
そして、私にとってもヒカルは命の恩人。まさか、妹にとっても、いやこの家にとっての恩人になるとは、本人も思っていないことだろう。
「我が、アッシュバード家の家訓は覚えておりますね?」
「当然です。『受けた恩は必ず返す』」
「その通り。この恩には報いなければなりません。ですが、生半可な方法では返すことができないでしょう。これだけのものをいただいたのですから。わかりますね? リフレイア」
フローラが復活すれば、家の問題はすべて解決する。
治療費ももう払わなくてもいいし、それどころかこれまでの治療費で傾いた分すら、あの花の代金で賄うことができ、さらに余裕までできるくらいだ。
家は最初の予定通りフローラが継げばよく、私は大手を振ってヒカルのところに戻ることができる。
さて、どうお礼をするとしても、来てもらうことはできない。
彼は愛され者。
この家は大神殿のすぐ横にあるから、大精霊様に気付かれてしまうだろう。
「彼は事情があって街から離れられないので、こちらから出向くしかないと思います」
「そうですか……仕方がありませんね」
いずれにせよ、こちらが礼をする側なのだから、ヒカルをこんなところまで呼ぶというわけにもいかない。
「時にリフレイア。彼……と言いましたね? この花をくれた方とは、殿方なのですか?」
「え、ええ……そうですけど……」
「向こうで作った恋人ですね?」
「えっと……そうです」
「独身?」
「ええ……って、まさか――」
「理解が早いですね。リフレイア、あなた、その殿方に嫁ぎなさい」
淡々と、真顔でそんなことを言い出す母。
「嫁いで……身も心も捧げて、一生を掛けてこの恩をお返しするのです」
「ほ、本気ですか……?」
「嫌ならばフローラでもかまいませんが。いえ、フローラのほうが直接的に恩があるわけですから、そのほうが――」
「嫌じゃないです! 歓迎、歓迎、大歓迎! リフレイア、立派に恩を返してまいります!」
まさか、こんな話になるとは。
だが、願ったり叶ったりである。
それにしても……さすが私の母親だ。私と発想が同じである。
というか、私が気付かないうちに母親の考え方に毒されていたのだろう。
ただまあ、母はヒカルのことを知らないから、やり方そのものは考えていかなければならないだろうな。
ストレートに迫っても、ヒカルは間違いなく拒否する。
彼は少しずつ既成事実を作って懐柔していかなければダメなのだ。
とはいえ、母親が協力してくれそうな状況は悪くない。
私が聖堂騎士になる必要もこれで完全になくなったし、家族のことを考えずにメルティアに戻ることができる。
最高だ。
このとき、私の脳は過去最高速で回っていたと思う。
ヒカルの性格は、そう長くない付き合いでもなんとなく把握できている。
強引な母親に嫁げと言われて、もう帰る場所がなくなったと言えば、なし崩し的に側に置いてくれるだろう。
あとは、あの手この手でその気にさせれば――イケる!
彼が言う、元の世界から見られているという話も、どうだっていい。
見られたからどうだというのか。いくらでも見ればいい。どうせ実感はない。こちらに干渉することすらできないのだというものに、自分の人生を削られることなど、間違っている。
そんなことより、私にとってはヒカルと居られることのほうが重要だ。
そして、元の世界のことなんかより、ずっと今のほうが素晴らしいと分からせるのだ。
自意識過剰って言われちゃうかもしれないけど、私がいっしょにいて、彼と人生の素晴らしさを分かち合いたいのだ。
彼が私といっしょにいられないと、どれほど私を避けても。
彼が私といっしょにいられないと、どれだけ逃げようとも。
私は地の果てまでだって追いかけて、彼と添い遂げたいのだ。
迷惑でもいい。自分勝手でもいい。
それだけの価値が彼にはあるのだから。
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