156 帰郷、および家族 ※リフレイア視点


 私の実家は、聖なる山とされるルクス山の中腹にしがみつくようにしてできた街シルティオンにある。

 光の大神殿がある以外には、これといって名物もない街なのだが、それでも大精霊の恩恵は大きく、明らかに便の悪い土地であるにも関わらず、街はそれなりに発展していた。


「はぁ……」


 道中何度目とも知れないため息をつく。


「ほんとに帰ってきちゃった……」


 ルクス山の麓までたどり着いたら、実家まではもう数時間も掛からない。

 ここに来るまで私は何度も立ち止まり、やはり引き返すべきかと逡巡した。

 納得して別れてきたつもりではあったが、未練どころか実感すらないのだ。分かたれてはいけない半身を、言われるがままに置いてきてしまった……。

 そんな喪失感だけがあった。


「はぁ……」


 ヒカルの事情はわかる……つもりだった。

 それに、少し離れてみれば、向こうだってすぐ寂しくなって、もしかしたら会いに来てくれたりするかもしれない。

 自分だって、聖堂騎士の試験に合格したら、すぐ会いに戻ればいいのだ。別に今生の別れというわけでもないのだから。


「はぁ……」


 理屈ではそうわかっていたけれど、私の心が晴れることはなかった。

 離れれば離れるほどに、愛しさが増していく実感だけがあった。

 彼は強いけれど、でも迷宮は危険なところだ。

 一人で潜っていれば、事故はいつだってありえる。

 もし、自分がいない時になにかあったら――


「うう~~~~。もう~~~~~」


 完全に思考の迷路に迷い込んでいた。

 まだ別れて4日しか経っていないのに、すでに会いたくて死にそうなのである。

 この苦しみも、一目会うことができれば、解消される。

 そういう確信があった。


 かといって、すぐ会いに行くのもはばかられる。

 彼には彼の事情があり、そして、彼だって私のことを憎からず想っているはずなのに、それでも一時の別れを選択したのだ。

 それを反故にしていいとも思えない。


 私は自分の真面目な性分を呪った。


「きっとヒカルは、私が聖堂騎士の試験を受けずに戻ったら軽蔑する……。会いたいけど……死ぬほど会いたいけど…………嫌われるのはもっとイヤ……」


 急な山道を重い鎧姿で登りながら、つぶやく。

 とにかく一度実家に顔を出し、聖堂騎士の試験を受けて合格する。

 そしたら、大手を振って会いに行ける。


 この初恋を諦めるつもりは、これっぽっちもありはしないのだから。


 ◇◆◆◆◇


 私の実家は、光の大聖堂のすぐ隣にある。

 敷地の一部は、大聖堂と共同で使っているほど隣接しているのだが、ちょうど大聖堂の食堂の休憩時間だったのか、木陰に置かれたベンチで懐かしい顔がタバコをくゆらせていた。


「師匠! リフレイア、ただいま戻りました!」


 私が声を掛けると、師匠はゆっくりと顔を上げ、眩しそうなものを見るような目で微笑んだ。タバコの火を地面でもみ消し立ち上がる。


 一つ括りの髪を伸ばしっぱなしにして、頭に布を巻き付けた姿は、私が1年前に家を出た時となにも変わらない。


「おかえり。無事でなによりだ。心配したぞ? 私が薦めておいて言うのも変だが、迷宮は危険な場所だから」

「ええ。本当に。何度も死にかけましたよ」


 あははと、私は笑ったが、実際ヒカルに助けられなければ、あの迷宮でマンティス相手に命を落としていたはずだ。

 師匠は、私の腕の筋肉を確認して、嬉しそうに笑う。


「強くなったな。ここの騎士たちでも、これだけの位階を持つ者は少ないと思うぞ?」

「師匠から剣を習っていたおかげです」

「私は最低限しか教えていないし、迷宮は命が軽い場所だからね。生き残れただけでも、リフレイアは才能があるということだ」


 彼女は私の師匠だ。

 迷宮都市では当時知らぬものがいなかった、サラマンドル級の探索者「絢爛のカノープス」。

 精霊術を上手く扱えず、ふてくされて剣ばかり振っていた私に、巨大な剣を使った戦闘術を、そして生きていく強さを教えてくれたのは彼女なのである。

 私にとっては、剣だけでなく人生の師匠でもある。


「しかし、良い顔になったなリフレイア。向こうで恋人でもできたか」

「え~? えへへ……わかっちゃいます? やっぱり」

「ああ、少し見ない間に戦士の顔になった。迷宮は良い修行場になっただろう。それで……使えるようになったんだな? フォトンレイが」

「ええ。ばっちりです」

「そうか。……鈍色にびいろの汚名も返上だな」

「今度そう呼ぶ奴がいたらフォトンレイで撃ち抜いてやりますよ」


 実を言えば、フォトンレイどころか、第5の術まで使えるようになっていた。

 自分には精霊術の才能がないと思い込んでいた私にとって、あれよあれよと数週間の間に3つも術が発現したという現実は、まるで夢かなにかのようですらある。

 ただ、そのことが自分とヒカルとが別れる要因の一つになってしまったことは、運命の悪戯としか言い様がない。


「フローラとはもう会ったのか?」

「いえ。今戻ってきたところなので。家族とはまだ」

「そうか。今日はちょうど医者が来る日だったはずだ。顔を見せてくるといい。リフレイアが聖堂騎士になれると聞けば、フローラも安心するだろう」


 師匠はそう言うけれど、妹は悔しがるだけなんじゃないだろうか。

 本当は彼女のほうが先に聖堂騎士になれるはずだったのだから。

 

「じゃあ、顔を出してきます。師匠、あとで手合わせしてくださいね? 多分、一本くらいは取れると思います」

「はは、たった1年で追い抜かされるほど老いぼれちゃいないよ」


 師匠といったん別れた私は、実家の門の前へ。

 いちおうは、何代にも渡って聖堂騎士を輩出してきた名門とされているが、聖堂騎士の給料が良かったのは昔の話。今では、古くからの家という以上の意味はあまりない。

 それでも母は聖堂騎士として誇り高く生きてきたし、それゆえに私のような落ちこぼれは肩身の狭い想いをしてきた。


「よしっ!」


 私は気合いを入れて、玄関扉を開いた。


「リフレイア、ただいま帰りました!」


 そう宣誓すると、玄関ホールの掃除をしていたメイドのサーシャが死ぬほど驚いた顔をして、駆け寄ってきた。


「リフレイア様! 生きてらっしゃったんですか!?」

「そりゃ、死んでないわよ。なんで死んだことになってるの?」

「だって、すぐ帰るってあの時言ってたのに、全然戻って来ないから……」

「ああ……そっか。いろいろあってね。それよりおめでとう。サーシャ、またメイドに戻れたのね」

「運が良かったです。パトラさんが寿退職したとかで」

「パトラ、やめたんだ」


 マンティスに襲われた後、私はパーティーメンバーである娘たちを先に帰し、自分は『命の恩人ヒカル』への礼が済んだらすぐに戻ると伝えてあったのだ。

 なのに、あれから3週間近く開いたわけだから、死んだと勘違いしてもおかしくないのかもしれない。


 ちなみに、私の前のパーティーメンバーは、うちで働いていたメイド2人と、地元の友達3人で構成されていた。

 2人のメイドがクビになったのは、単に私がいなくなることで仕事が減るから。そして、なによりフローラの治療にお金が掛かるからという二つの理由だった。

 それで、一攫千金……というか、結婚資金を求めて私と共に迷宮街へ来ていたのだ。


 私が発つ時には、家にはウェンディとパトラという2人のメイドだけが残っていたのだが、サーシャが言うようにパトラは退職。

 サーシャが再雇用されて、ウェンディとサーシャの総勢2名ということだ。


「クローディアは?」

「あの子はアン様達と婚活してますね。そろそろまとまりそうらしいですよ?」

「ええ~、本当に? あの子ったら、あんなに引っ込み思案だったのに」

「まあ、あの子は働くのも好きじゃなかったですしね」


 クローディアは、一緒に迷宮に潜っていたもう1人の元メイドだ。

 水の精霊術師で、私よりもずっと術の才能があり頼れる回復役だったが、まさかもう結婚とは。……私も負けていられないな。

 友人であるアン達も、別れ際に稼いだお金を結婚資金にすると言っていたし、みんなもう迷宮での暮らしをやめて、この街で身を固めるのだろう。


「リフレイア」


 刺すような声音で名前を呼ばれ振り返ると、母が立っていた。

 母は元……いや、予備隊所属だから、一応は現役の聖堂騎士だ。もう40歳を超しているが、立ち姿は凜としていて隙がない。

 毎朝の稽古も、少なくとも私が発つ前までは、毎日欠かさず行っていた。おそらく、剣の腕も、術の冴えも、正騎士だった時代と遜色ないのではないだろうか。

 自分に……そして他人にも厳しい人なのである。


 そして、私はこの人のことが少し苦手だ。

 

「お母様。リフレイア、ただいま戻りました」

「おかえりなさい。それで、術は使えるようになったのですか」

「はい。なんならここで見せることもできますが?」

「……冗談はおよしなさい。でも……良かった。よくやりましたね。フローラにも顔を見せてあげなさい」

「はい」


 それだけを告げて踵を返す母。

 1年ぶりに出会ったとは思えないほど、簡素な挨拶だ。


「奥様、相変わらずリフレイア様には冷たいですね……。1年ぶりなのに……」

「いいのよ」


 私には冷徹な顔しか見せてこなかった母の表情が、わずかに緩むのを私は見逃さなかった。

 私も昔の私ではない。

 ヒカルと出会ったことで、家族との関係は人生の一部分でしかないと知ってしまったからか、母とちゃんと話してみようという気持ちが生まれていた。1年前までは、あの母親に何を話しても無駄だと思っていたし、聖堂騎士になれたら見返してやれるなんて考えだって持っていたけれど。今は、本当にどれもどうでもいいことだ。

 彼女もまた、弱い1人の人間でしかないのだ。

 本当に強い人は優しいのだから。ヒカルのように。


 私は自室に戻り、荷物を下ろした。

 1年ぶりの自室は、出た時のまま変わっていない。ホコリも積もっていないから、メイド達が掃除をしてくれていたのだろう。


 バッグの中のものを出す。

 一番上に割らないように服の間に挟んでおいたポーション瓶を、そっと机の上に置く。


(薬……か)


 メルティアから去る時に、ヒカルがくれた乱魔病の薬。

 彼は「効くかもしれない」と言っていた。彼が言うのだ、変なものではないだろう。フローラが私の持って来た薬を飲んでくれるかはわからないが、多少強引にでも飲ませてみてもいいかもしれない。

 ただ、乱魔病を治す薬なんてほとんど存在しない。いくら、彼が「他の世界から来た人」であろうと、そんなものを偶然持っている可能性は低いと思う。


(でも、せっかくくれたんだしね。明日あたり持っていってみよう)


 今日は医者が来るというし、勝手に薬を飲ませるのも良くないだろう。


 私は、ヒカルから貰った枯れない花を一輪挿しに活けた。

 この花は、確かにずっと枯れることなく、旅の間、ささやかな光を放ち続けていた。これを飾ってあげれば、少しは慰めになるだろう。

 

「フローラ。ただいま」

「え? お姉ちゃん!? 生きてたのっ!?」


 ノックして部屋に入ると、フローラはベッドから飛び起きんばかりに驚きを露わにした。

 やっぱり死んだと思ってたんだ。

 そう考えると、母の態度は実にクールだったと言える。実の娘が生きて帰ったんだから、もう少し、喜んでもいいと思うんだけど。


「そりゃ、生きてるわよ。具合はどう?」

「悪くはないけど……良くもない。ずっと変わんないよ、残念ながら」

「そっか」


 乱魔病は、身体の中の精霊力がチグハグになってしまう病気だ。

 お医者さんが言うには、病気というより小さい頃から無理に精霊術を使いすぎることで、身体の成長に必要な精霊力が循環しなくなってしまうものなのだそうで、どちらかというとケガが癖になって治らなくなってしまったものに近い。

 フローラは、今はもう1人で歩くこともできず、メイドの介助がなければベッドから出ることすらできないだろう。精霊術などもってのほかだ。


「それで、使えるようになったの? フォトンレイ」

「なんとかね。ギリギリだったけど」

「じゃあ受けるんだ? 試験。っていうかお姉ちゃん、剣のほうは1年前には合格レベルだったし、術見せだけみたいなものでしょ」

「そうね。でも私、正規騎士にはならないわよ。予備隊登録はするけど」

「えっ?! なんで!?」


 聖堂騎士には、常に神殿に詰めて働く「正規騎士」と、必要時だけ呼び出されて働く予備騎士が存在する。試験に合格したばかりの騎士はそのまま正規騎士として採用されるのだが、いろんな事情で予備隊登録をするだけということも可能。

 もちろん、予備隊でも聖堂騎士には違いない。最低限、家の……正確には母の誇りもそれで保つことができるだろう。


 そして、私はヒカルのところに戻ることができる。完璧な作戦だった。

 ただ一つ、妹をまたここに1人残していくことだけが心残りだが。


「お姉ちゃん、あんなに聖堂騎士になりたがってたのに……予備隊なんて。私のことを気にしているの? だとしたら、やめて」

「フローラ。あなたのことは関係ないの。これは私の我が儘だから。まだ母様にも言っていないけどね」

「本当は……なりたくなかったの? 聖堂騎士に」

「ううん。なりたかったよ、ずっと。でも、もっと大事なものができちゃったんだ」


 そう言葉にすると、それだけで暖かいものが心を包んでいく。

 この衝動を止めることはできない。

 病気の妹を目の前にしてさえ、私は彼との人生を渇望している。


 どうやら、私の様子が1年前と違うことに気付いたのか、フローラは驚きに満ちた表情をした。姉妹の勘というやつか、おそらく私のいう大事なものの意味を察したのだろう。


「大事なもの……か。お姉ちゃんは、この街を出て正解だったんだね」

「うん。それはそうかな。といっても、本当に最後の最後に……って感じだったけど」


 ヒカルと出会ったのは、ほんとうについ最近。ほんの数週間前だ。

 それまでの1年間はただ必死で……楽しいこともあったけど、それでも聖堂騎士になることを目標に生きていたのは本当のことだ。

 彼と出会って、私の価値観は根底から覆えされてしまったというだけで。


「……いいなぁ。私、初めてお姉ちゃんのこと羨ましいと思った」

「…………ごめんね。悪いお姉ちゃんで」

「いいよ。私のほうがずっと悪い妹だったから。光輝のフローラなんて言われて調子に乗っていたから、精霊王様がそれを見ていたんだ」


 そんな風にいわれて、私は何も言えなくなってしまった。

 確かにフローラは、天才だ麒麟児だと持て囃されて、調子に乗っていた時期がなかったといえば嘘になる。

 でも、それで何かの罰があるなんてことは、あるわけがない。

 あったとしても、彼女はもう十分に苦しんだのだから。


「あっ、これ。人から貰ったものだけど、綺麗でしょう?」


 私はヒカルから貰った光る花を、妹の部屋に飾った。

 薄暗がりの部屋で、淡く輝く花は美しく、せめて妹の心の慰めになればと思わずにはいられない。


「貰ったって。男の人? 花を贈ってもらったの?」

「え? うん」

「……そっか。ほんとう、綺麗ね。……外の世界にはこんな花もあるんだね」


 そう呟いてから、フローラは毛布を被った。

 押し殺した泣き声が薄暗い部屋に響き、私は動くこともできずにいた。


 私は精霊術を覚え、聖堂騎士になれる。

 でも、それで妹のことが解決するわけではない。

 フローラが何を考え、私のいないこの1年を過ごしてきたのかはわからない。あるいは、私が奇跡みたいな治療法を見つけてくる……そんな夢を見ていたのだろうか。


 乱魔病は、精霊力の循環が上手くいかず、身体を思ったように動かせなくなる病だ。

 妹は、介助がなければ歩くこともできず、治る手立てもない。

 一生を……ベッドの上で過ごすしかない。


 ヒカルとの出会いで浮かれて、ちょっと戻ったら聖堂騎士の試験だけパスして、またすぐにメルティアに戻ろう……そう考えていた。

 それは、実家を捨てるということで……同時に、妹のことも捨てるのを意味していた。

 でも、こうして嗚咽を漏らす妹を前にして、私は自分の罪深さを糾弾されているかのように感じていた。


(……本当、悪いお姉ちゃんだな、私は)

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