149 探索者の列、そして黄昏冥府街
5日経ち、ついにメルティア大迷宮の閉鎖が解かれた。
迷宮の入り口には、多くの探索者たちが詰めかけ、一組ずつ迷宮の中に吸い込まれていく。
俺とジャンヌは、予定通りグレープフルーを雇い、三人で探索に乗り出していた。
「ついに迷宮探索のスタートか。待ちわびたぞ、この時を!」
剣をカチャカチャと鞘からちょっと抜いては差し抜いては差ししながら、ウキウキと落ち着かないジャンヌ。
よほどダンジョンが楽しみだったようだ。
「うちの仲間たちもみんな餓死寸前だったにゃ。ヒカルしゃんが持って来てくれる魚で、なんとか生き長らえたようなものにゃん」
「そりゃ、大袈裟だろ」
とはいえ、この5日間は俺も釣りばかりしていた。
実際、ある程度、物を揃えてしまえば、それ以上必要なものなんてなかったし、ジャンヌはジャンヌで全然金を持ってなくて、ギルドで資料を読むか、散歩するか、一緒に釣りをするかくらいしかやることがなかったからだ。
フルーも誘ってみたが、海に近付かないのはリンクス三箇条の一つだからと固辞されてしまった。詳しく突っ込んで訊きはしなかったが、良くない歴史があるらしい。
とはいえ魚は、リンクスたちには滅茶苦茶に感謝され、ジャンヌもモフモフしても許される程度には彼女達と仲良くなれた。
リンクスたちも撫でられるのが嫌いというわけではなく、そんなことをしてくる人間がいなかったから戸惑っていただけなのだそうだ。今では自分から撫でられに来るリンクスがいるほどである。
だんだん懐いてくるのは猫といっしょだな……という感想を抱いてしまったのは内緒だ。
「さて、初日だしどうしようか。いきなり3層でも問題ないと思うけど」
「クロ。この私がステージジャンプをすると思うか? 1層からキッチリクリアしていくに決まっている」
「1層を……?」
1層はほぼスケルトンしか出ない層で、ほとんど稼げない。
そのくせ、ボス級の魔物はそれなりに強く、割に合わないらしい。
普通のスケルトン相手に初心者探索者が棍棒を振り回して戦闘訓練を重ねる場所。それが、メルティア大迷宮の一層という場所だ。
列は徐々に進んでいるが、入場にはもう少しかかるだろう。
探索者ってこんなにいたのかと驚くほど、今日は混んでいる。
「一層は街になっているのだろう? 住んでいる人間もいると聞いたが」
「家のない人がたまに住み着いたりするにゃん」
「ええ? スケルトンも出るのに? 危険だろ」
「魔物は人間がいる場所では湧かにゃいから、狭い部屋の中にいれば大丈夫らしいにゃん」
「そうなのか……」
『黄昏冥府街』の名の通り、巨大な空間の中に、石造りの街があるような階層だ。
確かに人が住める程度には堅牢な住居がいくつもあるとは思ったが、実際に住んでいる人がいるとは……。
とはいえ、綺麗な状態の家は少ない。街を構成する家々は壁が崩れていたり、屋根が無かったりするのだが、さらに破壊しても、気付くと元の状態に戻っているそうで、なかなか謎が多い。
ある程度荒廃した『街』という状態から、さらに荒廃することも、発展することもない、時間の止まった街。
だからこそ、黄昏冥府街なんて洒落た名前が付いているのかもしれない。
「この5日間で、迷宮の攻略資料をある程度読み込んできたが、迷宮は少しずつ形を変えているのだそうだぞ。破壊された場所は時間と共に復元するが、必ずしも同じ形に復元するわけではないらしい」
「そうなの?」
「ああ。まあそれほど大きく形を変えたりはしないそうだが、完全に同じものが復元するわけでもないんだそうだ。……まあ、だからなんだという話ではあるが」
ジャンヌは迷宮そのものに興味があるそうで、暇そうにしているギルド職員を捕まえては、いろいろと聞き出したらしい。
「迷宮で生まれたもの――例えば3層の植物なんかを持ち出すと、迷宮の外ではすぐに風化して消えてしまうのだそうだ。例外は精霊石と神獣の贈り物だけ。そう考えるとかなり特殊な場だ。この迷宮というやつは、一種の異界と考えてもいいだろうな」
迷宮のウンチクを披露してくれるジャンヌ。
必要なことはだいたいリフレイアが教えてくれていたから、俺は全然迷宮に詳しくなかったんで、助かる。
確かに、探索者は精霊石のみを持ち帰ってくるし、迷宮内のゴミや死体が装備していたものなどは「迷宮が生み出したもの」ではない。
つまり探索者は、迷宮から精霊石を掘り出してくる鉱夫ということだ。
なにせひさしぶりの迷宮開放だからか、人が多い。
全部で500人ほどいるだろう。迷宮の入り口は広場になっているが、それでもすし詰めに近い状態である。
探索者も多いが花を持った一般人みたいなものも多い。
「あの人たちは、探索者じゃないよな? なんだろ」
「クロのほうが私よりも先輩なのになんで知らないんだ? 死んだ人間は精霊になって空に上がり、浄化され精霊流となって世界を巡る。精霊流は世界の精霊力の均衡を担っているが、未練を残して死んだ魂は、死後も精霊流に乗ることができず地に潜ると言われているんだよ。この世界の弔いが火葬なのは、そのへんの宗教観あってのことだろう」
「なんでそんなに詳しいんだ?」
「いや、設定は大事だぞ。攻略の助けになったりする」
「設定って……」
確かにゲームみたいな世界ではあるが、俺たちは異邦人なのだから、世界のことを知るのは「浮かない」為にも必要なことなのかもしれない。
それに、ジャンヌはなんだかんだ真面目なのだろうな。
それとも、精神的な余裕というものだろうか。
俺は、この街にきてずっと精神的に磨り減った状態だったから、そんなことを考えたこともなかったし、調べようとすら思わなかった。
「地に潜った魂は魔物へと生まれ変わる。つまり、精霊石は、元々は人間だった者たちの魂なんだよ。そして、その石は精霊具や魔導具のエネルギーとして使われることで、空へと昇り、浄化されるというわけだ。……あの花を持った人たちは弔いだな。亡くなった身内を弔うのか、それとも救われない数多の魂を弔うのか、そこまではわからないが。特に、第一層は未練を残した人間が死後蘇る場所と言われているらしいから」
闇市の店主に、死んだ探索者の精霊石を売った時に、似たようなことを言われたような記憶はあったが、「死んだら精霊になる」というのが、この世界の死生観なのだろう。
「お、順番だ。行こう」
話している間に、迷宮の入り口まで辿り着いていた。
入り口を守る門兵に、タグを見せ迷宮に入る。
◇◆◆◆◇
迷宮の中は相変わらず精霊力が濃厚で、薄暗く、落ち着く空間だった。
なんだか久しぶりの感覚だ。
不思議なもので、強く「帰ってきた」という気持ちが湧いてくる。
「思っていたよりも狭いんだな。魔物は?」
なんだかんだで、魔物と戦うのが楽しみらしい。
ジャンヌには、ある意味では当たり前な転移者の若者らしさがあった。
その点、俺は、たった1ヶ月でスレすぎてしまった。
「まだ入り口と迷宮内部とを繋ぐ隧道にゃん。ここを抜けてからが第一層ににゃります」
「そうなのか?」
「けっこう各階層への距離が長いからな。さあ、着いたぞ」
「おお……! すごいな……!」
黄昏冥府街は、まるで夕暮れ時のように天井が赤く煙っている。
その煙が光源となっているのか、2層と違いある程度の明るさがあり、松明などがなくても探索に支障がない場所だ。
少し離れた場所で、初心者らしき少年が棍棒を使ってスケルトンと戦っている。
「奥に城まであるじゃないか! クロはここをすっ飛ばしていたのか? もったいない……」
「お城には強いボーンナイトが出るにゃん。稼ぎにもならないから、無視する探索者がほとんどにゃんですよ?」
「いいじゃないか。剣の修行になりそうだ」
ジャンヌの目的はもちろん「迷宮の踏破」なのだろうが、その根本に「強くなりたい」という願いがある。
確かに、その目的を達成するのに迷宮はうってつけの場所だ。
戦う相手には事欠かないし、いろんなタイプの魔物も出る。
一対一の真っ向勝負でマンティスあたりに勝てるようになったら、その時点でリフレイアよりも強いということになるわけだ。
ジャンヌのスキル構成はまだちゃんと訊いていないが、体力や生命力に振っているのは間違いない。
「とにかく、始めるか。ちょっとそこのスケルトンと戦ってみる」
「サポートはいるか?」
「危なそうだったら手を貸してくれ」
ジャンヌはそう言って剣を抜いた。
幅広な鋼鉄の片手剣だ。左手には巨大な盾を構えている。
対するスケルトンは丸腰。本当にただの人骨である。
ちょっと見ただけでも、気の毒なほどの戦力差。サポートなどどのみち必要ないだろう。
そんな可哀想なスケルトン相手でも全く油断せずジリジリと距離を詰めるジャンヌ。
カチャカチャと音を出しながら歩くスケルトンは、ジャンヌの接近に気付いて臨戦態勢を取る――と思われたが、いきなり踵を返した。
つまり――
「逃げた!? 魔物って逃げることあるんだ」
「んんん~!? 私も初めて見るにゃん」
ジャンヌは逃げていくスケルトンに追いすがり、剣を振り下ろした。
頭蓋骨を叩き割られ小さい精霊石になるスケルトン。
「やはり逃げるか。つまらんな」
「一層の魔物じゃ実力差がありすぎるんじゃないか?」
「おそらくそれは関係ない。メッセージに書かれていたことを信じるのなら、私が『嫌われ者』だかららしい」
「嫌われ者? なんかの冗談か?」
「私は『精霊術の才能がない』というデメリットを最初に取った。その状態のことを現地で『嫌われ者』というらしい。この嫌われ者は魔物からも嫌われ逃げられるのだそうだ」
「嫌われ者……」
それは、つまり俺の『愛され者』と対を成す特性なのではないだろうか。
だが、俺のところに魔物が寄ってくるということもなかったような……いや、普通に近くにいれば寄ってきていただろうか?
俺は魔物とまともに武器を打ち合うような戦いをしたことがない。
近付いた時は相手を殺す時。そういう戦い方をしていたから。
いずれにせよ、ジャンヌからすれば「相手が逃げてしまう」というのは消化不良なのだろう。精霊石を稼ぐにはプラスに働くだろうが、純粋に戦闘を楽しむには邪魔なだけだろう。
それにしても、そんなデメリットを最初に取るなんて、やっぱりジャンヌは少し変わっているな。普通は異世界に行けるとなれば、魔法に憧れるだろうに。
「探索しながら、逃げない魔物を探すしかないな。あの城にいるボーンナイトが逃げずに戦ってくれるならいいんだが」
「じゃあ、行ってみるか」
「無論、行く。ただ、探索はこなしながらな」
「家を一つ一つ探っても、にゃにもありませんよ?」
迷宮には宝箱が出るわけでもないわけだし、細かい探索にはあまり意味がない。
実際、適当な家の扉を開けると、普通に人が生活していて驚ろかされたりした。
この人達は迷宮が閉鎖されていた間、どうしていたのだろうか?
まさか、こんなところでずっと7日間も過ごしていたわけでもないだろうし……。
そんな、1層で暮らす人たちに、ジャンヌはストレートに「なぜこんな場所で暮らしている?」とか訊くから、それはそれで驚かされたが……。
なんにせよ、1層は探索者がわざわざ探索するような場所ではないのだろう。
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