148 ネコチャン屋敷、そしてガルール

 次の日、俺は宿を引き揚げ(先に支払っていた分は返ってこなかった)、借りた屋敷へと向かった。

 家賃は高いが、庭付きの一戸建てで迷宮へのアクセスも良い。この街で借りるなら、これ以上ない物件だ。神殿から遠いというのもポイントである。


 俺がこの世界に転移してくる時に取ったギフト『精霊の寵愛』は、この世界では『愛され者』というのだが、精霊力を外から補填できるというメリットがある反面、大精霊から愛され――食べられてしまうというデメリットがあり、感知される距離に入ると大精霊が神殿から飛び出してくるのだ。

 実際、一度危ない状況になったことがあり、俺はこの街では大精霊がいる神殿には近付かないように過ごしている。


 屋敷に到着。ジャンヌの部屋の窓は閉まっている。

 もう早朝とは言えないような時間だが、まだ寝ているのだろうか。


 カギを開けて、家に入る。

 蛍光灯もLEDもない世界では、屋内はとても暗い。俺は暗視のギフトを持っているからいいが、普通はストレスに感じるだろう。照明器具の代わりになる精霊具が売っているらしいから、値段次第でそれを買ってもいいかもしれない。


 ジャンヌはやはり寝ていたので、起こして今日どうするかを訊ねた。


「買い物をするのだろう?」

「まあ、俺はそうだな。あと、ちょっと他にも用があるけど、そっちはすぐ終わる」

「私も行く。迷宮が開くまでけっこうあるんだろう? ゲームでもあれば、5日なんてあっという間なんだがな……」


 確かに向こうの世界なら、5日間の休みなんてあっという間に過ぎる。

 だが、この世界では積極的に時間を使わなければ持て余す。まあ、街を見て回るだけでも、十分暇潰しにはなるが。


 ジャンヌの支度を待ってから、俺達は外に出た。


「ちょっとギルドの横の建物に用事があるから」

「ギルドの横?」

「ああ。リンクス互助会にちょっとね。ホントに寄るだけだから」


 こないだの釣りで魚が有り余っているのだ。

 リンクスは猫だから魚が好きだろう。偏見かもしれないが。


 少し歩いてリンクス互助会の古い建物に到着。

 何人かのリンクスたちが、建物の前でウトウトとひなたぼっこをしている。


「こんにちは。グレープフルーはいる?」

「んナ? フルーちゃん? いると思うけどナ」

「今は休みニャヨ? 迷宮はお休みニャヨン」

「わかってるよ。ちょっと差し入れがあって」

「差し入れ? すぐ呼んでくるナ!」


 黒と白のリンクスがパタパタと屋内に入っていく。

 どうもリンクス達はこの建物の中で生活しているらしい。もちろん全員ではないだろうが、アパートを借りるのも金が掛かる。大精霊と契約するお金を貯めるまで、協同生活で節約するのだろう。


「……おい、クロ」

「ん? どした」

「なんだ、今の生き物は」


 頬を紅潮させ、とても真剣な表情だ。

 リンクスを見たことがないのか。


「ネズミ人間か? 耳が大きかったし、でもあんまり髭が生えていなかったから、ネズミじゃなくて、イタチとかか。それともイヌ……は違うか、ネコっぽくもある。とにかく哺乳類と人間の混血みたいな――」

「お、おちつけ。リンクスはたぶん猫の獣人だ」

「ネコか! ネコ……ネコ人間……。あんなのがいるのか……」


 なんだか妙に興奮しているようだ。

 まあ、俺も最初に出会った時は驚いたけれども。

 ていうか、リンクスはかなりネコっぽいと思うけど、ジャンヌにはネズミに見えたのだろうか……? 育ってきた環境の違いというやつだろうか。

 

「なんにゃ、なんにゃ? お腹が減って死にそうだから、あんまり動きたくにゃいんだけど」

「なんだかフルーの知り合いみたいナ? こっちナ、こっちナ」

「お腹が減って目が回るにゃん。にゃにゃにゃ……んな? ヒカルしゃん!」


 ぼやきながら外に出てきたグレープフルーは、俺を見て顔を輝かせた。

 魔王討伐の時はいっしょに迷宮に入れなかったし、それからも一度も会ってなかったから、かなり久しぶりに感じる。

 実際には数日くらいのことなのだが。


「聞いたにゃん! 魔王討伐の第一等だって! さすがはヒカルしゃんにゃん!」


 にゃんにゃんとはしゃぐグレープフルー。魔王討伐の第一等に選ばれたのは偶然なんかの要素も大きかったと思うが、喜ばれると俺も嬉しくなってくる。


「フルーちゃん、そんな有望株と知り合いナ? ボクにも紹介して欲しいナ」

「私も2層専門の斥候から早く脱出したいニャヨ」

「私がヒカルしゃんと出会えたのは、運が良かっただけにゃん」


 リンクス同士がにゃんにゃん喋っている姿はなかなか癒やされる可愛さがある。

 隣のジャンヌの目が血走って見えるのは気のせいだろう。


「フルー。お前らって魚食える?」

「え? にゃんで急に。魚は大好きですけども」

「いや、こないだ釣りすぎちゃったから。お裾分け」

「ホントにゃ!? 死にそうにゃくらいお腹が減ってたから、嬉しいにょわわわー!」


 突然、変な叫び声をあげるフルー。

 なにかと思ったら、後ろからジャンヌが抱き付いていた。


「ふぐふごふごふご……。にゃにがにゃんだ。このネコちゃんめ……ふわふわもふもふして、こいつ……ふごふごふご」

「にゃにゃにゃにゃにゃ! にゃんですか、この人! すごい力にゃ! 離れにゃいぃぃぃ!」

「うちはペット禁止だったんだぞ……ずっと生き物飼いたかったのに……ふごふごふご。なんなんだ、この生き物は……ネコなのか……おっきいネコちゃんなのか……こいつめ……。ふごふご、ネコチャン……」


 グレープフルーに抱き付いてモフモフの毛に顔を埋め、なにやらブツブツと呟くジャンヌ。客観的に見て、とても恐ろしい。

 近くにいたリンクスたちもドン引きだ。


「にゃにゃにゃにゃー! 取ってぇ~。この人取ってにゃ~~」

「ほら、ジャンヌ。離れろって、まだ紹介もしてないんだぞ」

「ふがふがふが、も、もう少し……」


 凄まじい力でフルーをなでなでし続けるジャンヌをなんとか引っぺがすと、ようやく彼女は正気に戻った。


「いやぁ、済まなかった。長いストレス生活の反動でね……。許して欲しい。私はジャンヌ。ジャンヌ・コレットだ」

「じゃ、ジャンヌしゃんも、探索者なのかにゃ?」

「そうだ。といっても、昨日登録したばかりの新人だけどね」

「にゃるほど、にゃるほど。私は斥候のグレープフルーにゃん。機会があったら、雇ってくださいにゃ」


 モフモフされてもそれほど嫌でもなかったのか、普通に営業をするグレープフルー。

 なかなか精神的にタフだ。

 ……と、言いたいところだが、俺の後ろに隠れながらなので、やはりけっこうビビっているようだ。そりゃビビるよ。俺もビビった。ジャンヌは同じ地球人だけど、ちょっと常識が通じないエキセントリックさがあるな。


「それはそうと、魚を入れる物がないから、台所かどっか、置けるところまで行きたいんだが」

「それなら、中で貰うにゃん。今、ちょっと中すごいことににゃってますけど」


 言われて、リンクス互助会の中に入ると、いるわいるわ、リンクスだらけだ。

 しかも、だいたいみんなダラケて寝ている。


「ふぉおおおおおおお! ネコチャン屋敷!」

「おちつけ。リンクスたちはネコちゃんじゃないぞ。勝手にモフモフするのは御法度だ」

「し、しかし! これが落ち着いていられるか!?」

「鋼の精神力はどこいったんだよ……」


 まあ、たしかにリンクスはみんな可愛い。この感覚はもしかすると俺たち転移者だけのものなのかもしれないが、ジャンヌがモフモフしたがる気持ちもわからんでもないのだ。

 しかし、ジャンヌがネコが好きだってのは少し意外だったな。

 やはり彼女も普通の17歳の女の子なのだ。


 案内された流し台に、こないだ釣った魚をシャドウストレージから取り出す。

 さすがに生きてはいないが、鮮度が落ちている感じはなく、変な匂いもしない。これなら問題なく食べられるはずだ。

 数は全部で57尾。こんなに釣ってたのか俺は。


「にゃにゃ~。ガルールがたくさんにゃん。美味しそうにゃ。こんなに貰ってもいいのかにゃん?」

「暇潰しで釣ったやつだからいいよ」


 この魚、ガルールっていうのか。

 アジじゃないんだな……。見た目はほぼアジだけど。


「暇ならフルーも釣ればいいのに。すごく簡単に釣れたぞ?」

「リンクスはみんな泳ぎが苦手だから、海は嫌いにゃん。落っこちたら助からないにゃ」

「なるほど」


 泳げないとなると、ちょっとリスキーかもしれない。

 時間があったら、俺が付き添って釣りをやってみるというのも手か。

 あれだけ手軽に釣れる海だ。食費の節約になるだろう。


「みんにゃ~。ヒカルしゃんが、ガルールをくれたにゃ~~~~」


 フルーが大きな声で呼びかけると、そこら中で寛いでいたリンクス達が目を覚まして、わいわい集まってきた。


「こんなに! 今日はガルールパーティーにゃ!」

「さっかっな♪ さっかっな♪ 今夜はお腹いっぱい魚が食べられるん♪」

「このままで食べられそー。今ならこのままでも食べられそー」

「ハラペコすぎて輝いて見えるにゃ……。こんな施しをしてくれるにゃんて精霊王さまみたいな人にゃ……」


 やはり迷宮が閉鎖されて干上がっていたらしい。

 こんなもので良かったらまた持って来てあげてもいいかもしれない。釣り自体も気分転換になるし、海も近いしな。


「ふ、ふふふうううう、クロ、すまんが私の身体をロープで縛ってくれないか。これ以上はもちそうにない……」


 鼻息すら荒くして、そんなことを言うジャンヌ。

 さすがに、縛るのはそれはそれで変態すぎるでしょ。


「用は済んだからもう出るよ」

「そ、そうか……」

「じゃあ、グレープフルー。また迷宮が再開したら呼ぶから」

「ほっ、ほんとかにゃ? 嬉しいにゃ。四層の予習をして待ってるにゃん」

「そうだな。頼むよ」


 迷宮が再開したら、俺とジャンヌで潜ることになる。当然、斥候もいたほうが楽だから、グレープフルーも雇うつもりでいた。

 三人は人数的に少なく不安もあるが、リフレイアの時だって三人だったのだ。

 二層や三層なら問題はないだろう。

 四層はジャンヌが慣れてきて、いけそうだったらチャレンジしてみてもいい。

 迷宮踏破は、5年というそれなりに長い期間を設定したのだ。焦る必要はない。


 リンクス互助会を辞した後は、また街中を巡って生活に必要なものを買い求めた。

 マットレスは職人のところに展示品があったので、それをそのまま買った。

 これで、今日からは俺もあの屋敷に住める。


 同年代の女性といっしょに住むということに、気恥ずかしさがないわけでもないが、ジャンヌにはそういう意図はないはず。

 ならば、俺も変に気にしないように努めるべきだろうな。

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