133 訪問者、そして転移者同士

 

 海からあがった俺は服を着替えた。

 シャドウストレージに濡れた服を放り、フラフラと街中へと歩き出す。


 心の底に暗い何かが澱んでいた。

 泳いでも泳いでも、それが晴れることはなく、ただ心を重くさせただけだった。

 ……いや、それでも体が疲れた分、マシだろうか。


「酒でも飲むか……」


 今日はもうダメだと、自分自身を俯瞰して見れる程度には落ち着いていた。

 ダメな日はダメ。そういう諦めは大切だ。

 この世界でずっと生きていくのなら、この先、何度でもこんな気分になることはあるのだろう。

 そのたびに死にたくなっていたら身が持たないし、そんな面白おかしい姿を視聴者たちに見られ、コンテンツとして消費されたくもない。

 ならば、うまく感情をいなす・・・術を身に付けるしかないのだ。


 俺はリフレイアに初めて連れられて行った店に入った。

 二人掛けのテーブルに座り、適当に注文する。


(選ばれたのが俺で良かった……か)


 そうかもしれない。

 俺が選ばれたなら、セリカやカレンが選ばれていたとしても不思議ではないだろう。

 どうして俺が選ばれたのかは、謎なのだから。

 俺なら、男だし、こんな世界でもなんとか生きていける。

 セリカなら……いや、あいつは生きていけるか。カレンは無理だろうな。


 運ばれてきた甘いカクテルを飲み干しながら、そんなことを考えた。

 母さんも、深い意味なんてなくそう言ったのかもしれない。……だとしても、俺はそんな風に言って欲しくなかった。

 せめて、家族くらいには天の采配を呪っていて欲しかったのだ。


 甘い酒が脳に回り、世界がフワフワと輪郭をぼやけさせる。

 良い気分だ。なにもかも忘れてしまえそうなほど。

 

 チリリンと店のドアに取り付けられたベルが鳴り、ふとそちらを見ると、一人の客が入ってくるところだった。


 若い、不思議な雰囲気を持った女だ。

 不健康そうな青白い肌で、無造作に切ったストロベリーブロンドの髪は、ぴょんぴょんと外側に撥ねている。

 肌が出るところがない全身鎧を着込み、腰に幅広の剣を差し、背中には巨大な盾を背負っている。こんな街中でフル装備とはかなりの変人だ。


(探索者か……。どっかで見たことあるような……誰だっけ……どこで――)


「黒髪の少年……。お前がヒカルだな?」


 女はまっすぐ俺の所に来て、そう言った。

 俺はその声を聞いた瞬間に思い出した。

 ナナミが転移する前に、何度も見た顔。

 事前人気投票一位、ジャンヌ・コレット。

 異世界転移者だ。


 俺は椅子を倒しながら慌てて立ち上がり、ジャンヌから距離を取った。

 とはいえ、狭い室内。圧倒的に不利な状況だ。

 しかも俺は酒も飲んでいる。


 ジャンヌは、俺の動揺を見ても全く動じず、ただまっすぐにこちらを見詰めている。

 俺は森を出たときのメッセージを思い出していた。


<メッセージ機能ができて良かった。お前のところに他の転移者を送る。絶対に裁いてやるからな。震えて眠れ>


 確かにそう書いてあった。

 だから、俺は他の転移者に対して慎重に接していた。

 結局、アレックスは刺客ではなかったが、ついにその時が来たということか。


「俺を……殺すのか」

「だとしたら……どうする? 戦ってみるか? この私と」


 剣呑な気配を放射するジャンヌ。

 到底、平和な世界から来た人間とは思えない殺気に飲まれかけるが、俺とてこの世界で死線をくぐってきたのだ。ただ、殺されてなどやるものか。


「ちょ、ちょっとあんたたち! こんなところでケンカはやめとくれよ! やるなら外でやっとくれ!」


 店のオバさんが出てきて怒られてしまった。

 俺は、テーブルに代金を少し多めに置き、外に出た。


 逃げてもいいが、この女には視聴者達が味方に付いているのだ。

 わざわざ殺す為に俺のところまで来る奴をいくら撒いても無駄だろう。リフレイアの時とは事情が違う。


(勝てるか……?)


 相手がどんなスキル構成かは不明だが、装備を考えれば体力や生命力に多くポイントを振っているはずだ。精霊術を使うかはわからないが、使ったとしてもそう多くは使えないはず。強い術も使えないだろう。

 ならば、闇の精霊術には分があるだろうか。


「お前、幼馴染みを殺したらしいな?」


 少し広い場所に出て立ち止まったジャンヌは言った。

 やはり、その話を聞いてここまで来たのだ。

 俺を殺す為に。


「殺してない」


 俺はなるべく抑えて答えた。

 こんな状況になってもまだ、俺は視聴者を楽しませたくはなかった。

 きっと、俺が声を荒げて抗弁する姿を望んでいるのだろうが、そんな姿を見せてやるものか。


「そうか。ならば、死んだ地球の恋人のことを忘れて、こっちで恋人を作っているという話は?」

「作ってない」

「だが、キスはしたそうだな」

「……そんなことまで知っているのか」


 やはり視聴者はとんでもない出歯亀だ。

 俺だって月だけしか見ていないとは思ってはいなかったが、こうして第三者から指摘されるのはさすがに気分が悪い。

 そもそも……なぜ関係ない奴にこんな風に問い詰められなければならない?


「そもそも、俺が誰とどうしようと、お前には関係がないだろ?」

「ああ。関係ない。だが、人に頼まれていてね。私はお前を見極める必要がある」

「俺は……何もしてない」

「そうか。ならば――――その剣で証明してみせろ」


 まるで騎士のようなセリフを吐いて、ジャンヌは剣を抜いた。

 無骨で装飾のない幅広で肉厚な剣。

 リフレイアの剣のように、規格外の大きさではないが、俺の短刀とは比べものにならないサイズだ。

 こいつも、伊達や酔狂でこんな装備を身に纏っているわけではないだろう。


 酒で鈍った頭が覚醒してくる。

 こいつはメッセージを鵜呑みにして俺を殺しに来た狂人だ。

 負ければ殺されるだろう。

 だが……それは魔物との戦闘とて同じ。


 ふと、転移前のインタビュー記事を思い出す。

 こいつは「戦って戦って戦って。そして強くなりたい」と答えていたはずだ。

 刃こぼれすら見える剣からは、転移してたった一ヶ月とは思えないほどの、経験がこびり付いて見える。


 ジャンヌが背中の巨大な盾を器用に外して、前面に構える。

 その姿は難攻不落な城塞を思わせた。

 だが、俺は元々正面から戦うようなタイプではないのだ。


「ふふふ……、うれしいぞ、クロセ・ヒカル。今まで出会ったどんな奴よりも、お前は強そうだ」

「だといいけどな」

「いくぞッ!」


 その言葉が合図になったかのように、前進を開始するジャンヌ。

 当然俺は、そんなものに付き合うつもりはない。


「ファントムウォリアー」


 俺はジャンヌに聞こえないほどの小声で、幻影の戦士を呼び出した。

 ガンガンと盾を叩きながら、ジャンヌへと迫るその姿は、本物の戦士にしか見えない。

 集まりつつある野次馬たちも、突然出現した戦士に歓声をあげた。


 ジャンヌと幻影の戦士が接触する瞬間。

 彼女の注意が完全に俺から外れたタイミングで、俺はダークネスフォグを展開させた。

 完全なる闇がジャンヌを包み込み――


(……なんだ? 精霊達が嫌がっている……?)


 ジャンヌの周りも闇に閉ざされているはずだが、フォグの効果が及んでいないことが感覚でわかる。半径50センチ程度だろうか。彼女を中心に精霊達が近付くことを嫌がっているような感じだ。

 なにか精霊術を遮るアイテムでも持っているのかもしれない。ダークネスフォグは効果が及ばなくてもフォグ自体が光を遮り同じ結果になるから良いが、他の術だったら完全に無効化されていただろう。


(危険な相手だ。だが、相性が悪かったな)


 結果が同じなら、やることは変わらない。俺は静かに後ろへ回った。

 野次馬達が大きな声で騒ぎ立て、俺の足音を掻き消してくれている。


 そして、その無防備な首筋に短刀をピタリと付けた、その刹那――


「甘いな」


 そう呟く声と共に、剣と盾を放り捨てたジャンヌが高速で振り返っていた。

 その強引な動きで、斬るつもりの無かった首筋が薄く切り裂かれる。

 だが、彼女はそんなことは全く意に介さなかった。

 彼女には何も見えていなかったはず。ということは、首筋に当てられた刃の冷たさで、俺の位置を把握したのだ。


 凄まじい膂力でシャツの胸ぐらを掴まれた俺は、振り払って距離を――と考えるまでもなく、あっという間に地面に組み伏せられてしまった。


 仰向けに倒され、ズシリと腹の上に馬乗りにされ、両腕を押さえ込まれる。

 マウントポジションだ。


「殺す時は一気にやれ。その一瞬の躊躇が命取りになる」


 首筋の傷は軽く1センチは切り裂かれているはず。ボタボタと血が流れるが、ジャンヌは気にもしていないようだった。


「くっ、くそっ……」


 確かに俺は躊躇した。

 殺すつもりなんてなかった。首筋に刃を当てれば観念して降参すると思ったのだ。

 甘いといわれれば、甘いだろう。

 シャドウバインドを使えば良かったと、今にして思い出す。そのことに思い至らなかったのは、そこまでしなくても倒せるという思い上がりがあったのかもしれない。

 ジャンヌが言うように、確かに甘い。

 こいつは自分を殺しに来た人間なのに。


 無表情で俺を見下ろしているジャンヌ。

 身体を動かそうとしても、1ミリたりとも動かすことができない。


 ――死ぬのか?

 ――同じ転移者に殺されて?


「くそっ、ダークコフィン!」


 今持っている術の中で唯一有効そうな術を発動させる。

 コフィンは強力な結界を発生させる術だ。彼女が精霊術を無効化するアイテムを持っているのだとしても、それを上回る範囲で包み込んでしまえば同じだ。

 しかし、ジャンヌは落ち着いていた。


「精霊術は名前でどんな術かわかるのが弱点だな。棺桶コフィンということは、相手を閉じ込める術か?」


 そう言うが早いか、ジャンヌは、俺の体をグイッと持ち上げ後ろから羽交い締めにした。

 そのままズルズルと引き摺りながら後退。術の有効範囲から外れていく。

 目の前で、誰も閉じ込めることなく空しくダークコフィンが完成。魔王さえ封じ込めることができた最強の術だったが、初見で対応されてしまった。

 確かに、精霊術は名前を精霊に語りかけなければ発動しない。

 だからって、こんな簡単に……。


「もう終わりか?」


 涼しい顔でそう言われて、俺は敗北を悟った。

 やろうと思えば、サモンナイトバグを出すという手もある。

 生身の頭部を攻撃すれば、それなりに効果を発揮するだろう。


 だが、それが逆転の一手になることはない。

 顔面に全力のパンチを食らっただけで俺は死ぬのだ。

 このまま首を絞められても同じだろう。

 あるいは、ナイトバグも無効化される可能性だってある。

 ……認めざるを得ない。

 もうこの状況になった時点で、俺は負けていたのだ。

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