132 死線を超えて、あるいは真実の行方 ※セリカ視点
ビルから離れた場所で、健二さんからスマホを受け取る。
解放のタイミングなんかや、やり方を指示する為のものだ。
連絡相手はイズナさんで、彼女には今回の監禁の意図をしっかり伝えてあるし、理解もしてくれている。変なことにはならないだろう。
海外からでもIP電話なら使えるし、Wi-Fi経由でしか使わないから問題ない。
「……ひとまずこれで一段落か」
「お疲れぇ~。ごめんねぇ、私、こういうの役に立たなくて」
祖父の家に入ってからほとんどずっと喋らずにいたカレンが申し訳なさそうに言うが、逆だ。
私はこういうことでしか役に立てないのだから、私がやらなきゃ意味がない。
「あんたにはこれから炎上工作で死ぬほど働いて貰うから……。まあ、私も翻訳のほう、さっさと取り掛かんなきゃだけど」
どっちかというと、ここからも私のほうが忙しいだろうか。
カレンのほうは、もう翻訳用AIの作成が終わっているからだ。
しかし、実翻訳作業のほうは、まさにここから。しかも、この数時間分、他の研究チームより遅れてしまっている。
兄を炎上させるのも、世界各国で火を付けて回らなければならない。カレンだけでなく、私も手伝う必要があるだろうし、マッチポンプ宜しく、かいがいしい妹としてマスコミにも涙涙で出演して、盛り上げる必要だってあるだろう。
私はスマホから自分のチームへ連絡した。
最初の翻訳語が決まったからだ。
兄が送られてしまった、リングピル大陸。そこの公用語から翻訳を開始する。
◇◆◆◆◇
兄はこちらの思惑通り、面白いくらいに炎上した。
特に日本での炎上は想像を絶するもので、まさか家に火を付けるバカまで出るとは思っていなかったが、これに関しては逆に両親に引っ越しを決意させる良い口実になった。
兄が森を抜けるまで、実際には危ない場面がたくさんあった。
それでも、炎上の効果か視聴者数で兄はトップになれたし、その恩恵でクリスタルはどの転移者よりも獲得できた。紆余曲折あったが、森を抜けることができたのは、私の仕込みによるところが大きいだろう。
無論、一番頑張ったのは兄だ。
闇の精霊術と精霊の寵愛のシナジー。なにより、兄の不屈の精神があったからこそ、あの長い長い森を抜けることができたのだから。
だから、森を抜けることができて。
無事に、生き残ることができて。
私は気を抜いてしまっていたのだ。
ずっと張り詰めていたから。
これでひとまず大丈夫だと。
あとは、事後処理をすれば、少なくともすぐ死ぬような目には遭わないだろうし、森で培った精霊術で生活の糧すら得られるだろう――
そんな風に考えていたのだ。
『ピンポンパーン! 異世界転移者総視聴者数ランキング発表のお時間です!』
画面の中で、そんな言葉が木霊する。
神からのアナウンス部分だけは、不思議と異世界語ではなく、誰が聞いても理解できる意味不明な神の言語が使われている。
ちなみに私には日本語に聞こえる。
『おめでとうございます! 転移者ナンバー1000「クロセ・ヒカル」。あなたが、第一回視聴者数ランキング第一位の栄冠に輝きました! 優勝の副賞として3ポイントが進呈されます!』
私は、そのアナウンスをぼさっと聞いていた。
マリアージュフレールの紅茶を飲んで。
もう少し動向を見守ったら久しぶりにゆっくり寝ようかな。
そんなふうにすら考えていたのだ。
「お兄ちゃんが1位か。ポイントももうちょっと早くくれれば楽だったのにね」
「そうだニェ~。ホント、神はタイミングが悪いじぇ」
「ね」
正直に言えば、達成感すら感じていた。
それは、おそらく兄も同じだろう。
疲れ果てているだろうに、清々しい顔をしている。
森から出た喜びで少しだけ涙をこぼして。
その後は、ひさしぶりに笑みすらこぼしているのを見て、私もカレンも本当にホッとしていたのだ。
――神から、機能追加のアナウンスがなされるまでは。
『そして! 本日より地球の視聴者よりのメッセージを受け取ることができるようになります! ステータスボードに、メールボックスが追加されておりますのでご確認下さい』
突然の告知に、私は紅茶を噴き出した。
「ごほっ、ごほっ! うそでしょ!? なんで、このタイミングなのよ!? カレンッ!」
コンピュータの前に座る妹に指示を飛ばす。
一秒間に10文字以上は軽く打鍵するカレンならば、誰よりも早く、一番に兄にメッセージを送ることができるはず。
メッセージを本人に届ける機能は、おそらくどこかのタイミングで実装されると、予想はしていた。
だが、よりによってこのタイミングとは!
やはり神は私たちの敵なのだ。
兄が転移させられたのは、あるいは偶然である可能性も考えた。
だが、なぜやっと森を抜けて命が助かったこのタイミングなのだ――
「カレン、送った!? 何百通でも送っていいから、はやく――」
しかし、私が見たのはコンピュータの前で顔を赤くして動きを止めるカレンの姿だった。
「セ、セリカン……お兄ィになんて送ればいいかな……、元気に頑張ってとか……?」
「あ、あほっ! この子はほんとお兄ちゃんのことになるとポンコツになるんだから――」
妹を椅子から強引にどかして、兄にメッセージを送る。
だが、壁掛けのディスプレイには、兄がメッセージを開き、そして呆然としている姿が映し出されていた。
兄が見てしまったメッセージに、どのような罵詈雑言が並んでいたかなど、もはや確認するまでもない。
「……間に合わなかった……か……。お兄ちゃん……」
「せ、セリカァ……ゴメン……わたし……」
「しょうがない。神が悪いよ……」
メッセージ機能が前触れ無く追加されるリスクのことは、当然頭に入っていた。
だから、『兄を炎上させる』それ自体が一種の賭けだったのだ。
視聴者を得られずに森で兄が死ぬ確率と。
森を抜ける前にメッセージ機能が追加される確率と。
だがメッセージなら、私かカレンならば、いの一番に送り届ける自信があった。
十分に勝算のある賭けだったのだ。
――視聴者獲得の為に、わざと炎上させているだけだから心配しないで。
――家族みんな元気にやってるから大丈夫だよ。
――生きて。
そう伝えるつもりだったのに。
失敗すれば、こうなるってことくらい、十分過ぎるほどわかっていたはずなのに。
だから、悪いのはカレンでも神でもなく――
画面の中の兄が、涙を流しながら弁明する姿が心に突き刺さる。
この状況を招いたのは私だ。
私が、兄を助ける為に選択したことだった。
「お兄ちゃん……私、間違えちゃったのかな……」
絶望に染まり土気色の顔のまま、ふらふらと歩き始める兄の姿に、私は謝罪の言葉を届けることすらできずにいた。
「セリカン……、お兄ィこのままじゃ死んじゃうよ……どうしよう……どうしたらいいかな。メッセージ送ってるけど……開いてくれないよ……どうしよう……私…………」
「大丈夫。私たちのお兄ちゃんだぞ。そう簡単には死なないよ」
妹を責めるつもりにはなれなかった。
責めても仕方が無いというのもあるし、なにより、私だって完全に気が抜けてしまっていたのだ。もし、私がメッセージを打ち込んでいたとしても、ワンテンポ遅れていた可能性が高い。
「お兄ちゃん…………」
フラフラと歩く兄をただ私は見ていることしかできない。
兄の命がギリギリでも繋がったことは、本当に嬉しい。
でも、心を壊すつもりはなかった。
どうしたら、兄の心を救うことができるのか。
――まだ、私達にはできることがある。
「カレン。動くよ。お兄ちゃんをバックアップする体制を整えて、どんな状況でもサポートできるように」
「うん。それは私だってそのつもりだけど…………あいつはどうする?」
あいつ――オザワは、兄が安全な場所に辿り着いた時点で解放し、警察に逮捕してもらうつもりでいた。
だが、状況が変わった。
メッセージは古い順に開いていくしかない仕様だ。兄のメッセージボックスは未読の罵詈雑言で埋め尽くされているだろう。兄がそれをすべて開く可能性は低い。
つまり、今オザワを解放して、手のひらを返したメッセージが兄に届いたとしても、それを開く可能性は限りなく低いということだ。
――ならば、この視聴者たちを今手放す意味は薄い。
神に悪意があるのかどうかはわからない。偶然間が悪いだけという可能性もある。だが、『偶然兄が選ばれた』時点で、その可能性は低いような気がしていた。
オザワは悪意に対抗する保険としてもうしばらく保持しておくべきだ。
「オザワはもうしばらく置いておきましょう」
「わかった」
今世紀最大の大炎上の当事者に仕立てることで、兄を最も視聴者の多い転移者にすることができた。
脱出に使ったクリスタル数を考えると、1位でもギリギリだったのだから、この選択自体は間違いではなかったはず。
でも、10日目という節目までに冤罪を晴らしておかなかったのは、明らかな失策だった。
私たち自身も、兄が命を掛けていることに感情のリソースのほとんどを奪われ、冷静な判断ができなくなっていたのだろう。
どこか……もう少し早いタイミングでオザワを解放し、逮捕させることで、世論に手のひら返しをさせることは、十分にできたはずなのに……。
「間違えちゃったよ……私……。ねぇ、叱ってよ……。お兄ちゃん……」
私の言葉は、兄に届くことはない。
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