131 兄の危機、あるいは実行 ※セリカ視点

「あ、ヤバい」


 話の山場を越えたのを見て、カレンがスマホを取り出し、兄の様子を確認して呟く。

 立ち上がって画面をのぞき込むと、兄の前に大きな猿の魔物が飛び出してきたところだった。

 ゴリラよりも遥かに大きく、到底人間が戦えるようなサイズではない。


「ちょ、うそでしょ!? こんなのが出るの!?」

「ど、どうしたんだ!? まだなんかあったのか」

「これ……!」


 テーブルに出しっぱなしのタブレットを起動させると、すぐに兄の姿が映し出された。 

 炎を身に纏った大猿が兄に吠え立てる姿を見て、私は心臓を握り潰されるような気分になった。


「お、お兄ちゃん! ど、どどど、どうしよう。できること――できることなんて……」


 こうして、すぐ近くで画面越しに見ているというのに、なにもできない。

 見ているだけしか――できない。

 なんて無力なことか。

 私は、初めて神が作り出したこの状況を呪った。

 アレが神なのかどうかは諸説あるが、神は神でも邪神に違いない。


 大猿が身体が竦み上がるような咆吼をあげながら、兄へ躍りかかる。

 ほとんど棒立ちに近い格好で、逃げることも、もちろん戦うような仕草すらできずにいる兄。

 

 私は目をつぶってしまった。


「あっ! 結界石!」

「えっ!? あっ、そうか!」


 突然の魔物襲来で頭から抜け落ちていたが、兄は結界石らしきものを交換していたのだった。

 画面に『結界石使用中 残り11時間59分』の文字が表示されている。

 大猿は、兄を突然見失ったかのような仕草を見せ、口から炎を吐き散らしながら走りまわり、そのままどこかへと行ってしまった。

 兄は放心状態で地面に座り込んでいる。


 結界石は確かに有用なアイテムで、命は繋がったように見える。

 だが……これでは……。


「……お祖父ちゃん。見ての通り、お兄ちゃんがこの森を生きて抜けるのは、難しいと思う。視聴者数が世界で一番になったとしても……どうかわからないくらいに」

「だったら、なおさら……やるしかねぇんだろ?」

「うん。ありがとう、お祖父ちゃん」


 結界石の効果が強いというのは、唯一の明るい材料だ。

 12時間の有効時間があるということは、今日はおそらくそのままギリギリまで粘るだろう。

 兄が作ってくれた貴重な時間だ。

 私はその間にやれることをやりきらなければならない。


 ◇◆◆◆◇


「それと、お祖父ちゃん。世界規模で炎上させたら、私たち家族も無事じゃ済まないから、引っ越すことになると思う。そしたら、これまでみたいには会えないかも」


 私は祖父に計画のあらましを話してから、最後に付け加えた。


「引っ越す? どこにだ?」

「たぶんアメリカ」

「はっ? アメリカって……あのアメリカか?」

「うん。前から私とカレンは向こうの企業とか研究室とかに呼ばれてて。ちょうどいい機会だから。……問題は両親だけど、お金渡しとけば問題ないだろうし」


 うちの両親はどうしようもないが、お金が稼げて遊んで暮らせると言えばよろこんで付いてくるだろう。本当は祖父に身元引受人になってもらいたいが、そういうわけにもいくまい。

 あんなでも、私たちの両親に違いはないのだから。


「……コウイチは相変わらずか」

「うん。相変わらずブラブラ遊んでるよ。名目上は専業主夫ってことになってるけど」


 うちの家計は母親が夜の仕事で稼いだものだけで支えられている。

 当然、それだけでは欲しい物も買えないので、小学校のころから、私とカレンが稼いだ金を入れて家計を回すようになり、今では母もあまり働かず、父は遊んでばかりで、我が家は正直かなり特殊な環境なのである。


「あんなバカから、オメェらみたいないい子が生まれるんだから……ったく、絶縁なんてせずに、うちでもっとキッチリ教育すりゃよかった。そのせいで、オメェらにも迷惑かけちまってよ……」


 懺悔のごとく絞り出す祖父だったが、さすがに私も「そのとおり」というわけにもいかず、とりあえず黙っておくことにした。

 あの両親に迷惑を掛けられたというのは事実だったからだ。

 兄と私とカレン。

 三人いたから、ここまでやってこれたのだ。あとは、兄が母と戦って放任を勝ち取ったからというのも大きい。


「お祖父ちゃん。私たちが無茶なお願いするのはこれが最後。アメリカに行ったら、そんなにこっちに戻って来れないし。……犯人解放のタイミングとかも向こうから指示することになると思う」

「指示っておめぇ……」

「うん。指示。だから実行してくれる人、紹介して?」

「わあったよ」


 祖父はそう言って、人を呼んだ。

 この屋敷は会社・・の事務所も兼ねているから、常に組員が詰めているのだ。

 指示については、監禁のスケジュールやその間にやるべきことも、すべて絵はできている。丸投げにするには、少々厄介な部分もあるし、私が指示を出して管理しておきたい。


「おやっさん、お呼びですか?」

「おお、健二。おめぇとイズナとで、ちっとうちの孫の頼みを聞いてやってくれ。ケツは全部俺が持つから」

「ほう。お孫さんの。おやっさんに尻拭いなんてさせられませんが……どんな案件なんです?」

「それは、直接聞いてくれ。時間がねぇらしい」


 祖父が呼んできたのは、スーツをビシッと身に纏った神経質そうな男性と、これまたスーツがキマった茶髪の女性だった。

 私は二人にやることを説明した。


「ふむ。監禁場所もちょうど良い場所があります。西宮町の雑居ビルですがね、専用に改造した場所ですから、人に知られることもないでしょう」

「助かります。自供も取りたいから、警察から匿うという名目で呼びだそうと思ってるんで。ここに来るまでに携帯番号もLINEも割ってますから」


 二人共すぐに状況を理解してくれた。

 おそらく、組の中でも有能な人間なのだろう。とても助かる。


「では、自分は車取ってきますんで、イズナと詳細固めておいて下さい。セリカさん」


 ◇◆◆◆◇


 イズナさんの運転する車に、私とカレン。

 健二さんは、屈強な若い衆を二人乗せたハイエースでバイパスをぶっ飛ばし、真犯人の家へと向かっていた。

 その間にカレンが、犯人のLINEへメッセージを送っている。


『私は神だ。君の異世界へ行きたいという気持ち、見せてもらったよ。次の異世界行きには君を優先的に案内しようと思う。……だが、あれはマズかったね。このままでは君は警察に逮捕されて死刑にされてしまうだろう。私の部下達に君を匿うように命じた。すぐに到着するから、返り血のついた服や凶器のナイフを持って、家の外に出るんだ』


『家の者には、異世界に行く為の修行の旅に出るとでも書き置きしておきたまえ。次の異世界転移には少しエネルギーを溜める必要があり、時間がかかるのだ』


『スマホは警察に逆探知される可能性があるから、置いていきたまえ。こちらで、別の機器を用意する』


 溺れた者は藁でも掴むという。

 犯人は、このメッセージに、わかりました。ありがとうございます。と返事をしてきた。

 どうやら、本当に神からのメッセージだと信じたらしい。

 もちろん、直前で怖じ気づいて出てこない可能性もあるが、その時は強行突破でもいいし、合コンに誘うふりでも、なんでもいい。


「そこの角を曲がった先……いましたね。良かったア……自首されてたら詰んでました。では、計画通りにお願いします」


 アホで良かったと言いそうになったが、本当にアホで良かった。

 私達を乗せた黒塗りのセダンは、真犯人――小澤祐一オザワ・ユウイチの前を通り過ぎ、私達の後ろのハイエースが、彼を車内へと招き入れた。

 おそらく、サングラスをかけた屈強な男の間に挟み込まれ、心底ビビっているに違いない。

 ともかくこれで第一段階はクリア。警察よりも先に、身柄を確保することに成功した、ということが重要なのだ。


 オザワを監禁する場所は、本当によくある雑居ビルだった。エレベーター付きではあるが、築50年は超えていそうな古い物件で、用があってもあまり近寄りたくないような、不気味な雰囲気がある。


「ここ、昔からうちの組で使ってたんですよォ? 防音もされてますし、数ヶ月どころか一年でもいけます」


 おっとりした調子でイズナさんが言う。

 この人もヤクザなのだろうか。祖父との関係性はよくわからないが、ヤクザはそれぞれが個人事業主扱いだと聞くし、要するに関係者ということだろう。


「それにしても、やっぱり監禁部屋ってあるんですね」

「そりゃァ、いろいろ使い道ありますからねェ」


 私達は車の中から、ビルの中に連行されていくオザワの姿を見ていた。

 周囲に人通りはない。目撃者がいると面倒だったが、問題なさそうだ。黒いパーカーを着せられていたから、顔が割れる心配もないだろう。

 いずれにせよ、1ヶ月ほど兄が犯人だと世間を誤認させられればいいのだ。

 その後は、速やかに警察にオザワを逮捕させる。

 問題は、メッセージやメール機能がいつからスタートするのか、あるいは実装などしないのかだが、こればかりはわからない。

 いずれにせよ、兄が安全な場所に辿り着くまでだ。

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