129 2度目の別れ、あるいは失わぬ為に ※セリカ視点

 いつまでもこの場所に留まっているわけにはいかなかった。警察が来たら事情聴取でかなりの時間が取られてしまうからだ。聴取は任意かもしれないが、断って押し問答になる時間すら惜しかった。


 私はナナミ姉さんの部屋に入り、まるで眠るような姿のまま身体を横たえる姉の足下に立った。

 すでに命の気配はなく、それは姉の姿をした物体へと変わり果てていた。


(ナナミ姉さん……)


 すでに、私とカレンは昨夜のうちに、この姉同然に育ってきた女性ひととの別れを済ませていた。

 今生の別れになるとわかっていたから、もう昨夜のうちに私もカレンも涙が涸れ果てるほど泣いた。

 正しく、優しく、時に厳しい。兄とは別の良心を持つ彼女の存在に、私達はどれだけ助けられたかわからない。

 だから、彼女を人生設計の共犯者に誘ったのだ。私もカレンも、姉さんのことが好きだったから。

 その彼女と、二度もお別れをすることになるとは、運命の悪戯にしても性質たちが悪い。


「……犯人には必ず報いを受けさせるからね。それに……お兄ちゃんのことも、私たちが必ず助けるから」

 

 私は小さくそう呟いて、部屋を出た。

 現場の状況を一通り確認してから、ショックで、これ以上ここには居られないとテレビ局クルーに断り、家へ戻った。

 ……いや、十分にショックは受けているのだ。兄がいたなら、抱きついてワンワン泣いて一日ジタバタと暴れていただろう程度には。

 ナナミ姉さんは冗談抜きで家族同然の人で、こんなことがなければ本物の家族になるつもりだったのだから。

 でも、状況は悲観に暮れる時間を私に与えなかった。


「戻ったわよ」

『セリカン……。なんで、こんなことになっちゃってるの……? 私、どうしたら……?』

「落ち着いて。いえ、落ち着いてなんていられないけど……やれることをやるしかないよ。お兄ちゃんは?」


 部屋に戻った私は、顔を真っ青にしてベソをかきながらも画面に釘付けになっている妹を尻目に、兄の状況を確認した。

 

「…………なるほど。これはマズいわね」


 兄は不幸中の幸いか、ポイントをかなり残して転移したらしい。であれば、結界石という1ポイントで12時間効果が続く安全地帯を作り出すアイテムが交換できるはずだが、これはあくまで危険な状況の回避。あとは身体を休める時間を作り出すことにしか使えないはず。事前に公開されていた情報に、そうあったから間違いない。 

 この森の中では、圧倒的に有用だろうが、距離を稼ぐのには使えない。


 ステータス画面はすべて「異世界語」だ。

 アイテム類も、地球側からは何なのかわからない。

 情報量は多いから、数日で文字翻訳はある程度目処が立つだろうが。


 とにかく、生身の状態では、どんな魔物だろうと出会った時点で終わりだ。

 それなのに、人里まで370キロメートルも離れているという。

 服装も白い貫頭衣のみ。ポイントを使ってブーツを仕入れたようだが、あまりにもささやかな装備。

 すでに――かなり甘く見積もっても『絶望的』な状況だった。


「セ……セリカァ……」


 涙ぐむカレン。

 彼女にも、この状況がどういうことなのかわかっているのだろう。


 すでに私達は姉を失った。

 これでさらに兄まで失ったら。

 私達の人生設計は完全に白紙になる。

 幸せはこの手からこぼれ落ち、ただ二人で身を寄せ合って生きる以外なくなるだろう。


 ならば。

 そうなりたくないのなら、出来ることをやるしかない。


(お兄ちゃん……ごめん)


「カレン。犯人は? カメラに映ってたでしょ?」

「うん。解析したけど、これお兄ィのガッコの人。SNSもやってて写真多かったから間違いないニェ。逃げた方向から考えて、家に戻ったみたい」

「情報まとめといて。住所とかいろいろ」

「りょ」


 カメラの映像には、リュックを背負った兄と同世代の男がフラフラと裏の塀を乗り越えて逃げていく姿が映し出されていた。

 普通なら怪しさ満点だが、異世界転移当日だったことと、雨が強く降っていたことで、あまり人に見られることもなく逃げおおせたのだろう。

 こうして証拠が残っていれば、逮捕はすぐのはずだ。……通報すれば。


「そいで、どうする? 通報する?」

「しない」

「なんで?」

「……このままだと、お兄ちゃんが犯人だと思われるでしょ。だから……そのままにする。それよりカレン。出かけるよ」

「え? え? なんで? どこに?」

「お祖父ちゃんとこ」


 父方の祖父とは、私たち兄妹だけ交流がある。

 父親が絶縁されている関係で、私達もそれほど頻繁に会うわけではないのだが、私は社会勉強として、あとは頼み事があるときに兄といっしょに何度も会っている。

 私より兄のほうが気に入られているようだが、だからこそ祖父は協力してくれるだろう。


 ◇◆◆◆◇


 着替えをバッグに詰め込んだ私とカレンは、ほとんど着の身着のまま家を飛び出した。

 警察が来てからだと事情聴取を躱すのも一苦労だろう。

 中学生だからと免除してくれる可能性もあるが、今は時間が惜しかった。


 裏口から家を出た時には、まだ警察は来ておらず、テレビ局にも見つからずに大通りでタクシーを捕まえることができた。

 祖父の家までは1時間ほどだろうか。

 私とカレンはタクシーの中で着替え(運転手さんがすごく気まずそうにしていた)、その間もハラハラと兄の様子をタブレットで確認しながら、翻訳プロジェクトのメンバーへの連絡関係や、動画配信サイトプロジェクトのほうもメインで追う転移者が変わったことを伝えたりと、やることはいくらでもあった。

 当然、他の転移者の動向もチェックしたいし、いくら端末があっても足りないような状況だ。本当ならば自宅で機器をフル稼働させて情報収集をしていたはずだったが、本当にどうしてこんなことになったのか。


「お兄ィ、思ったより順調みたい。地図もあるし、魔物も……今のところ出てないから。なんとかなる……よね?」

「残り19ポイントで373キロでしょ? どうかな……」


 ポイントで交換できるアイテムの存在は、いくつか事前に公開されていた。

 結界石、ポーション、スクロール、地図。他にも装備類や自分の能力をアップさせるのにも使えたはずだ。

 だが、例えば、完全無敵であるとか、不死身であるとか、そこまで強力な救済措置があるわけではないだろう。それがあるならば、兄だってそれを取っているのだろうから。

 とすると、12時間のシェルターを作成する結界石がカギになるだろうか。

 自らをパワーアップさせるアイテムや能力で……そんなもので373キロメートルものサバイバルを切り抜けられるとは思えない。


「あ、あの……本当にここで良いんですか……?」

「はい。ありがとうございます」


 タクシーが目的地に到着し、降りる。

 今から行くと、移動中に祖父には連絡してある。まあ、私達はいたいけな中学生だし、なにより身内だ。ノーアポでも別に問題はなかろうが。


 高い塀に囲まれた豪邸。無数に設置された防犯カメラ。

 渡良瀬組という暴力団の組長の自宅。これが私達の祖父の家なのである。

 黒瀬姓は母親のもの。うちの家は少し事情が複雑なのだ。


 インターホンを鳴らし、対応してくれた若い組員に新年のあいさつに来たと告げる。

 門を開けてもらい、どんどん中に入っていく私の背中にくっつくように、カレンがおっかなびっくり付いてくる。カレンは私と違って繊細だし、そもそもあまり祖父の家に来たことがない。ヤクザ丸出しの家構えが怖いのだろうか。

 あまり親交がないとはいえ、血の繋がった親類なのだから、堂々としていれば良いのに。マフィアは昔から血の繋がりを大事にすると決まっているものなのだから。


「おお! セリカ! カレン! よく来たなぁ!」

「お祖父ちゃん! あけましておめでとうございます」

「あ、あけましておめでとうございます」

「おお、おお。孫が正月に来てくれるなんて、爺冥利に尽きるもんだ」

「まだ爺なんて言うような歳でもないでしょ~?」


 祖父はまだ60歳にもなってなかったはずだ。

 日々、鍛えているからか筋骨逞しく、ヘタをしたら40代でも通るだろう。


「今日は、元日の餅つきをやるからな。若いもんに宴会の準備もさせてるから、ちょうど良かった。食べていくだろう? 餅」


 ウキウキと孫の来訪を無邪気に喜ぶ祖父。

 この様子だと、兄が異世界転移に選ばれてしまったことは知らないようだ。

 ヤクザの世界では、異世界なんて夢みたいなもの、あまり関係ないのかもしれない。

 実際、すでにテレビでもパソコンでもスマホでも、異世界中継は見れるというのに、庭で餅つきの準備をする組員たちは、誰もそんなものを見てはいない。

 ……まあ、彼らは仕事中みたいなものだから、当然かもしれないが。


「ごめんなさい、お祖父ちゃん。今日は、すぐ戻らなきゃいけないの。……お兄ちゃんのことで」

「ヒカルの……? そういえば、今日は来れないっつってたが、なんかあったんか」

「ええ。それで、とても大事な頼み事があって」

「頼み事か……。わかった。客間で待ってろ」


 私達二人を眉尻を下げて出迎えてくれた祖父だったが、私が『頼み事』と言ったことで表情を一変させ言った。

 私がこれまでに何度か頼んだ『頼み事』が、ことごとく普通の子どもなら頼まないようなグレーなものだったからだろう。

 実際、今回の頼み事はグレーどころか黒も黒、真っ黒な頼みだ。

 その臭いを敏感に察知したに違いない。


 この家の居間はなかなか趣味が悪く、大理石のテーブルなどはこの家でしか見たことがないような品だ。飾られた調度品も、おそらくは名のある名工の仕事なのだろう。

 兄が言うには、かつては動物の剥製がいくつも置かれていたらしい。

 その名残というか、現在も足下はアムールトラの絨毯で、ちょっと踏むのも躊躇してしまう。


「……それで? ヒカルはどうしたんだ?」


 おそらく、客間に近付くなと子分達に言い含めてきたのだろう。

 少し遅れて祖父は居間のソファに腰を下ろした。


「とりあえず、これを見て欲しいんだけど」

 

 私はタブレットを取り出し祖父にそれを見せた。

 画面には森の中を周囲を気にしながら駆ける兄の姿が映し出されている。

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