128 異変、あるいは神の悪戯 ※セリカ視点
ザァザァと雨の音が強くなる。
転移者たちは、ポイントというものが割り振られ、それで自らを強化したりアイテムと交換したりしてから異世界へ旅立つらしい。
ならば、実際に配信が始まるのはもうしばらくしてからだろう。
「…………え?」
パソコンを操作していたカレンが、幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせている。
何か、想定外なことが起きたのだろうか。
いや……神の実在。異世界の実在。そして異世界転移など。想定外なことばかりだ。
今更、驚くようなことなど――
「あ、あれ……? なんで……。セ、セリカン……。お兄ィが……」
唇を戦慄かせ、涙を決壊ギリギリになるまで溜めたカレンを見て、私は神や異世界などより、もっと重大ななにかが起きたことを悟った。
なにが、どうして、そうなったのか――
ディスプレイに映し出された、毎日何度も見た顔。
『転移者№1000クロセ・ヒカル』と顔写真入りで表示されたソレを見て、私は足下から世界そのものが崩壊するかのような感覚に陥った。
「え……ちょっと……。そ……それ……公式よね……?」
「一覧が更新されたから、見たら……なぜかこうなってて……。ねえ、お兄ィがなんで?」
「待って…………」
私は表示されたそれを丹念に目で追った。
小さな違和感。
その正体はすぐにわかった。
わかってしまった。
「ナナミ姉さんがいない…………」
ナナミ姉さんは転移者№422だったのだが、そこには元々423番だった転移者の名前がある。番号が……繰り上がっている。
姉さんの姿はどこにもない。
転移者一覧から――消えていた。
嫌な胸騒ぎが胸を広がっていく。
何かが起きた。
そうとしか言いようがない。
私はスマホを取り出し兄に電話を掛けたが、呼び出し音だけがいつまでも続き、数分鳴らし続けても出ることはなかった。
姉さんとの別れを悲しんでいて出ない? いや、兄はこれだけ鳴らし続ければ、どんな状況だろうと出る。そういう人だ。
ナナミ姉さんの家電にかけても、誰も出ない。
今日は元日。おじさんもおばさんも家にいるはずなのに。
「私、ちょっと見てくる。カレンはそっち見てて。何かあったら連絡して」
姉さんの家でなにかあったのは間違いないだろう。
確認してくるしかない。
「一人で行くの?」
「まだテレビ局がそのへんにいるでしょ。協力してもらうわ」
両親は年末年始にかけて、二人で温泉旅行に行っている。
私達も、あんなものは当てにはしていない。
私は家を出て、大通りで撤収準備をしているテレビ局のクルーを捕まえた。
「こんにちは~。あのぉ、転移者一覧見ました?」
「えっ? 君はナナミちゃんの家の隣の」
「セリカです。ナナミ姉さんとは家族同然の付き合いで……」
世間話をしているうちに、クルーの一人が転移者一覧を確認。ナナミ姉さんが一覧から外れていることに気付いた。
「なんでナナミ姉さんが外れているのかわかんないから、付いてきて欲しいんです。お願いできますか?」
私のお願いにお互いの顔を見合わせてから、慌ただしく行動を開始するクルー達。
撮れ高があると踏んだのだろう。
信じたくはないが…………1つだけしか可能性はないだろう。
世界は確実に狂い始めていて、ネットを通してその狂乱は十分過ぎるほど理解しているつもりではあった。でも……まさか、自分のすぐ近くでその歪みを目の当たりにすることになるとまでは、考えていなかった。
――ただの考えすぎであってほしい。
だが、兄が異世界転移者に選ばれていて、なおかつナナミ姉さんがリストから消失していることから、導き出せる答えは一つしかないのだ。
彼らには、その証人になってもらう。
もしかすると「犯人」が現場に残っている可能性もあるから、大人の力があればなお良いのだ。
カメラを回しているクルーの姿を見なかったことにし、私はナナミ姉さんの家の玄関の前に立った。
祈る気持ちで、チャイムを鳴らす。
返事はない。もう一度チャイム。やはり返事はない。
兄がいるはずの。おじさんもおばさんもいるはずの家に。
「出ませんね」
そう言いながら、私はドアを開けようとした。
文字通り、家族同然の付き合いなのだ。小さなころは、完全に出入りしていた程度には。
しかし、ドアには鍵が掛かっている。
「……変ですね。誰もいないはずがないんですが」
「ナナミちゃんが転移から免れて、家族でどこかに行ったとかは?」
「まだ9時15分ですよ? 転移が9時。もし免れたのだとしても、そんなすぐに出かけるなんてことはないでしょう。雨の元日ですよ?」
「それもそうか……」
もう残された可能性はそう多くなかった。
私はポケットから合鍵を取り出した。
うちは両親がアレだから、おじさんとおばさんが気を遣って、いつでも入って良いよと渡してくれたものだ。
……こんな形で使うことになるなんて。
鍵を開け、中に入る。
玄関には兄の靴がある。それで、私の仮説はほぼ確信に変わってしまった。
シンと静まりかえった室内。
大きな声で呼びかけてみたが返事はない。
「ほ、ほら。誰もいないんじゃないか? 鍵だって掛かってたし」
テレビ局のクルーの一人が、愛想笑いを浮かべながら言う。
この違和感がわからないのだろうか。
「……一人、付いてきてください」
私はクルーの中から一番屈強そうな男を指名し、盾にしながら家の中に入った。
そして、答えはすぐそこにあった。
「……おじさん、おばさん」
「う、うぁわああああああああああ!」
クルーが腰を抜かしたかのように、尻餅をつく。
ダイニングキッチンでは、おじさんとおばさんが血溜まりに倒れていた。
ピクリとも動かず、死んでいるようにしかみえない。
クルーたちが叫び声を聞いて、部屋に入ってくる。
私は救急車の手配を頼み、頼りにならない屈強な男とは別の若いADを捕まえて、上の階を確認することにした。
膝が震え、吐き気と涙が込み上げてくる。
それでも、私は脚を前に進めた。
まだ犯人がいるかもしれないと言い含めると、ADはマイクスタンドを武器のように構えて前に立ってくれた。なかなか頼りになる。
そして、何度も何度も訪れたことのある、その第二の自室といっても良い部屋の扉を開いた。
「…………姉さん」
覚悟はできていた。
兄が転移者一覧に名を連ねていた時点で。
ナナミ姉さんの名前が消えていたことで。
ナナミ姉さんもまた、血溜まりに沈んでいた。
こちらは、おじさんとおばさんとは違い「生きている可能性」そのものがない。
転移者は「万全な状態で転移される」のだから、かすかにでも生きていたのなら、転移者から弾かれるわけがない。
姉さんは殺された。
死んだから転移者一覧から外されたのだ。
なぜ、それで兄さんが転移者に選ばれることになったのかはわからない。
わからないが、この状況はいかにもマズかった。
――誰が、
どう見ても。
『セ……セリカン……。ヤバいかも』
繋ぎっぱなしのインカムからカレンの声。
今にも死にそうなか細いその声で、私はさらに何かが起こったのだと悟った。
「……どうしたの?」
『お兄ィが、魔物だらけの森の中からスタートになっちゃって……、このままじゃ……死んじゃう……』
どうして、こううまくいかない。
私とカレンの手を以てしても、欲しい物が何もかも手からこぼれ落ちていく。
「悪いけど、こっちも状況が悪いわ。姉さんが殺された。おじさんとおばさんも」
『えっ、ええっ……!? なんで……? えっ……殺されたって……。死んだの……?』
「理由はわからないけど。私もすぐには戻れないから、指示を送るわね。まず、犯人は逃げたみたいだから家の周りのカメラ、繋がるものは全部さらっておいて。たぶん、うちのカメラにも映ってると思う」
こんな状況なのに、感情とは別の回路が脳に存在するかのように私は冷静だった。
別の人格が一つの肉体に宿っているかのように、全体を俯瞰して状況を観察している自分がいるのだ。
そして、今のこの状況は、非常にまずいものだった。
全身がそう警鐘を発している。
我が家には、カレンが付けたカメラが8個ほど常に稼働している。
天才美人双子姉妹と騒がれテレビ局に追い回された時に取り付けたものだ。犯人がナナミ姉さんの家から出て逃げたのなら、カメラに映っているはずだし、そもそも家に入った瞬間も映っているだろう。
犯人の特定は容易い。
おじさんとおばさんはダイニングで殺されていた。
ということは、玄関から家に招き入れたということだろうか。
犯人は顔見知りか、それに近い人間。
ナナミ姉さんの友達を名乗る者か、親類。そんなところだろう。
『お兄ィ……ほんとにヤバいよ。は、はやく戻ってきて。これじゃ……』
「落ち着いて。お兄ちゃんのほうは、今はなにもできることないんでしょう? まず犯人を見つけて。絶対カメラに映ってるから」
問題は犯人が、誰だかわからなかった場合だ。
『で、でも犯人なんて警察に探させればよくない……? それより、こっちのほうが』
カレンの言い分もわかる。
兄が転移してしまった。ナナミ姉さんは家族ごと殺されてしまった。
殺しの理由はわからない。元々、ナナミ姉さんの家族に恨みを持っていた人間の犯行かもしれないし、転移予定者を殺せば自分が選ばれると勘違いした人間の仕業かもしれない。
「カレン。お兄ちゃんは森を抜けなきゃ死ぬような状況なのよね? わかってる情報だけ頂戴」
『うん。森を抜けるには370キロ以上歩かなきゃダメで。でもお兄ィはポイントを残して転移したみたいで、そのポイントの使い方次第ではもしかしたら、なんとかなるかも……みたいな』
「ポイントか……。やっぱり有用そうなの?」
『クリスタルだけでも、相当あれこれ交換できるみたいだけど、ポイントで貰えるものは性能段違いで高そう。ポイントが潤沢にあれば安全に抜けられるかもってくらい』
「そっか。そうよね……」
ある程度は事前に知らされていたが、やはりポイントは重要になる。
そして、そのポイントを得る最大の手段は『視聴者数』だ。
「……メッセージとかメールの機能は? それか電話とか。連絡手段」
『ない……。言葉も予想通り異世界語の自動翻訳が走る仕様みたいで、何言ってるかも全然』
「了解」
こうしてカレンと通話している間にも、テレビ局のクルー達は、警察や救急車の手配を進めている。
クルーの一人に応急処置の心得のある者がいたようだが、おじさんもおばさんも、すでに死後硬直が始まっておりダメだったようだ。
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