127 道は別たれ人生は続く、あるいはその始まりの朝 ※セリカ視点

 私はリフレイアさんと別れ、ただずっと立ち尽くしている兄を、映像ごしに見ていた。

 兄の表情からは、何も読み取れない。

 そこにあるのが、未来なのか、それとも絶望なのか。

 今は『生きる』と言った、兄のその言葉を信じるしかない。

 そして、私は私のできることをしていくしかないのだ。


 スマホからイズナさんに電話をかける。


「セリカです。ええ……、そうです。手筈通りにお願いします。……はい。では」


 これで、ひとまずはあの男の始末が付く。

 上手く事が運べば私自身も一度日本に戻る必要が出てくるだろう。


「セリカン、これからどーすんの?」

「そうね、視聴率レースはまた……第2回がいずれあるだろうけど、今はお兄ちゃんのメンタルの維持が優先かな。実況は動きがあるときだけにしようか」


 正直、視聴率レース期間中は、私もカレンも無理をしすぎた。

 良い仕事は良い睡眠から。

 兄も、常時視聴者が億を超えている状況はしんどいだろう。もし自分だったとしても…………いや、私はたぶん平気だろうな。兄のように繊細ではないから。視聴者数など、ただの数としか認識しないだろう。メッセージでいちいち傷ついたりもしない。

 

 私達の兄妹は、繊細な兄と妹、そしてガサツな私という構成だ。

 私は誰にどう思われようと気にならない。


 ――よく掲示板で「セリカはファッションデレ」だと揶揄されていたが、そう見えたとしても仕方がない。

 私はカレンのように、半分しか血の繋がらない兄に淡い恋心を楽しむ時期は、とうに過ぎ去っているのだから。

 兄は私の人生そのもの。

 この愛の為ならば、私は鬼にも修羅にもなってみせる。


 家が燃え、姉が殺され、兄がいなくなったことで。

 私たち双子の幼年期は終わりを告げたのだから。


「セリカン、警察はちゃんとあいつが真犯人だと発表してくれるのん?」

「ま、大丈夫でしょ。証拠だってたっぷりあるんだしね、本人が自供してるデータまで付けたから。あとは世論を味方に付けて、ちょっとお偉いさんに献金でもすれば、すぐよ」

「けっこう小細工する感じだニェ~。もうちょっとシンプルにいったほうが良かったんじゃ?」

「……それは否めないわね。私もちょっと……かなり頭おかしくなってたから」

「いきなり好きな人とお姉ちゃんの二人を失ったから……」

「まだ失ってない!」


 結果的に上手くいったけれど、正直綱渡りだったのは確かだ。

 兄の命が繋がったのは、私たちの小細工よりもリフレイアさんの存在のほうが大きかっただろうし……。


 さっきの電話の相手はイズナさんといい、祖父の部下で私達の代わりに動いてくれている人だ。

 

 私はイズナさんに、ナナミ姉さん一家を殺害した犯人を監禁部屋から出し、警察署の側に捨ててくるように頼んだ。

 凶器のナイフを添えて。犯行当時の服に着替えさせて。自供した際のデータも添えて。さらに隠しカメラに映っていた姉さんの家から逃げていく動画まで付けて。

 監禁されていた件は口を割ったら両親を殺すと脅してある。それでも口を割るかもしれないが、その時はその時だ。


 あの日。裏社会の人間を使うという判断を下すことで、私は後戻りできないところに足を踏み入れたわけだが、後悔はない。

 どうせ、神の出現で世界は狂ってしまったのだから。

 兄のいない狂った世界で、まともに生きる意味などあるわけがないのだから。


「あ、お兄ィ動いた」


 カレンの声で画面を見ると、兄がようやく踵を返し歩き始めるところだった。

 憂いの表情から、少しだけ苦笑するような仕草を見せ、夕日を浴びて歩き出す男の子。

 その足取りは、確かに未来に向けて歩いて行くような力強さがあった。

 一つのことが終わって、なにかが吹っ切れたのだろう。

 ……私がそう思いたいだけかもしれないが。


 いずれにせよ、もう精神的に危ないところは脱却したと見ていいだろう。


 本当ならばもっと早く。

 森を抜けた時点で犯人を逮捕させ兄の汚名は濯ぐつもりだった。

 そうできなかったのは、運が悪すぎたから――あるいは、神の悪意の標的にされたか、そのどちらかだ。


 あんな森を出てすぐのタイミングでメッセージ機能を追加するとは、神とは悪魔のような奴だと呪いの言葉の一つも吐きたくなる。


 真犯人のオザワは、多少は事件から今までの期間のことを調べられるかもしれないが、どちらにせよ、すぐに死刑判決が出るだろう。未成年だろうが、3人も殺せば死刑に決まっている。過去の判例を見てもそれは間違いない。


 とにかく、これであの国との関係も終わりだ。

 閉鎖的で、陰湿で、保守的で、排他的で。

 私とカレンにとっては、あまり良いことがなかった国。

 兄がいなかったなら、私もカレンも、とうに腐り果てていただろう国。

 今、この乾いた空の下では、まるで遠い異世界のことのようにすら感じる。


 今や、この世界は「異世界」の話題で回っているといって過言ではない。

 私は個人ではもっとも、異世界コンテンツに関する権利を有する人間であり、アメリカでは完全にVIP待遇である。ほとんど亡命に近い形で渡米したが、2日で家族全員分の国籍が用意されたのには、さすがに驚いた。

 まあ、私や両親はおこぼれみたいなもので、アメリカが本当に欲しいのはカレンだけだろうが、それは良い。どちらにせよ、あの子は私がいなければ十全には機能しない。

 とにかく、私が日本への技術供与はしないと一言云うだけで、あの国は異世界コンテンツにおいて、かなり不利な立場に追い込まれるだろう。

 自動学習型AIによるソフト翻訳は当然として、編集動画コンテンツに関しても、自社のもの以外でも、私の会社が株式をそれなりに取得していて、日本を締め出す程度には口を利くことができる。


 別に……掲示板が荒れたからその報復というわけでもないけれど。

 あれには私も一枚噛んでいて、わざと炎上させたのだから。

 それにしたって、あんな風に叩かなくてもいいでしょう? そう文句の1つも言いたくなってしまう。

 だからって……本当にそんないじわるをするつもりはない。ないけれど。


 自己嫌悪。

 自分が仕向けたことのくせに、理性ではそうわかっていても、嫌悪感だけはどうしようもない。


 私は羅針盤が定まっていない人間だ。

 なんでもそれなりにできる。

 なにをやってもそこそこのところまでいくだろう。

 それゆえに、進む道を選びきることができない。

 私はそんな自分のことが好きではない。

 唯一、兄だけが私の道を照らしてくれていたのだ。

 

 あの光を取り戻さなければ。

 私はずっと迷子のまま、どこにも進むことができないままだ。


 ◇◆◆◆◇


 時は1月1日。

 神に選ばれた転移者たちがいよいよ異世界へ転移する。

 その当日まで遡る。


「元日が雨なんて珍しいニェ~。25年ぶりだって」


 キーボードを慌ただしく操作しながらカレンが言う。

 確かに元日は晴れていることが多い。少なくとも私の記憶では、すべて晴れだ。


「それでどうなの? カレン。間に合いそう?」

「この天才に愚問~。万事問題なしよ!」

「そ、おつかれさま。こういう形で稼ぐのは想定外だったけど、まあ、使えるものはなんでも使わなきゃね。計画が狂った分、お金はどれだけあってもいいし」

「南の島がまた一歩近付いた~♪」


 異世界転移の狂乱は私たちにチャンスをもたらした。

 まず、異世界語の翻訳。これに関しては、私とカレンにとっては専門分野で、いち早く研究チームを立ち上げている。

 今はまだ情報がなさ過ぎるから本格的な始動は明日あたりからとなるが、いずれにせよ、準備は万端。言語翻訳用の高度AIの準備もできているし、スパコンの手配も抜かりない。

 異世界と一口に言っても、言語は何種類かあるだろうから、どの言語を選ぶかも問題になってくる。できれば、話者が多い言語が良いが、最初は手当たり次第やっていく感じになるだろう。

 いずれにせよ最初に翻訳に成功すれば、それがスタンダードになる。

 ライバルは少ないし、大昔の言葉を残った石版だけから翻訳するわけでもなし、それほど難易度が高いミッションではない。転移者の存在だってあるし。


 もう一つは、動画配信だ。

 元々、異世界転移者の一挙手一投足がすべて配信されるという話だが、当然それをずっと見ていられるほど現代人はヒマじゃない。

 となれば、動画を編集したものの需要が出てくる。

 すでに大手動画配信サービスも参入を表明しているが、転移者は1000人もいる。当然、大手とてすべての転移者に同様のリソースを割くわけにはいかないだろう。

 私とカレンは、日本人……特にナナミ姉さんをメインに据えて編集動画を配信すべく準備を進めていた。

 大手の動画配信サービスはほとんどが欧米の企業だ。

 アジア圏を中心に視聴者が獲得できれば、十分勝負できるだろう。


「……そろそろね。お兄ちゃんもナナミ姉さんとのお別れ、済んだのかしら」

「えっちぃことになったかな?」

「姉さんだからなぁ。どうかな」


 私はナナミ姉さんに同情していた。

 わけのわからない異世界なんてものに送られるのだ。

 それも、荷物すらほとんど持っていくことができずに。


「そろそろ時間だニェ~」


 壁に付けられた大型モニターでは、各国の異世界転移セレモニーの映像が映し出されている。

 全員が同じタイミングで異世界へ飛ばされるのだという。時差の関係から、日本は朝の9時。真夜中でなくて良かったが、できればもう少し遅い時間帯だったならとも思う。


 日本の番組で集まった転移者は全体の半分といったところだろう。

 なにせ、「この世界」とお別れするのだ。

 それは、これまでの社会で築いてきたものをすべて捨てて、裸一貫で未開の惑星へ移住するのと似ている。のんびりテレビなんぞに出演している場合ではないだろう。


 ナナミ姉さんのように、最後は愛する者とゆっくり過ごしたい者。

 旅立つ前に好きな食べ物を心ゆくまで堪能したい者。

 恐怖に怯えて酒に溺れる者。

 いろいろだ。


 テレビでは、カウントダウンが始まっていた。


 10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0。


 テレビの中の転移者たちが、一斉に姿を消す。

 私としては、肉体だけが抜け殻となって残るというパターンも考えていたが、そうはならないようだ。

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