085 風車、そして彩りの世界に触れて
「この街にある大精霊様の神殿は4カ所。背の高い建物だから、気をつけていれば近付いてしまうことはないと思いますけど、注意してくださいよ、ヒカル」
「ああ。あの時のヤキソバの店がアウトだったってことは、半径100メートルくらいに入らなければ大丈夫ってとこかな」
「ええ、私、こないだの休みの時に、神官様にそれとなく伺って来ましたが、大精霊様が愛され者を見つける距離は、大体100メートルくらいだそうです。でも余裕を持って、神殿とは距離を取ったほうがいいでしょうね」
「気をつけるよ」
あまりに自然で聞き飛ばしそうになったが、リフレイアはメートルという地球の単語を使っている。自動翻訳が走ってるから、自然と現地の単位に変換されているのだろうけど、俺の耳には彼女の声が日本語で聞こえているから、不思議だ。
というより、日本語で聞こえていると錯覚しているのか。当然、彼女が日本語を喋るわけがないし、メートルを知っているわけもないのだから。
この翻訳がいきなり消えたらどうなってしまうのか、ちょっと怖いな。
自動翻訳なしでスタートした人っているのだろうか?
「そういえば、大精霊って戦っても強いのか? 人間が討伐した記録とかさ。またうっかり追われる可能性もあるし、ダークネスフォグで逃げられるかどうか知っとくだけで、だいぶ楽なんだけど」
「え? ええええ、ヒカルって命知らずですね……。大精霊様は魔王でも無傷で倒せるくらい強いんですよ……? それに、人間が大精霊様を倒した記録なんてないと思います。というより、そもそも倒すなんて発想になりませんよ? 普通は。……意外と好戦的なんですね、ヒカルって」
「好戦的って……。一応確認しときたかっただけだよ。食われたくはないからな」
「大精霊様を倒した記録がないのは、彼らが私たち人間の味方だからなんですよ。大精霊様って親切で優しいですからね。……ただ、愛され者に対しては執着心があるというだけで」
「そこが問題なんだよ……」
あの森で出会った闇の化身は、闇の大精霊だったのだろう。そして、闇の大精霊は炎の大猿を一瞬で殺してみせた。まあ、大猿はあの時眠っていたから、不意打ちだったというのもあるにせよ、それでも並の相手ではない。
倒した記録がないってことは、倒せる可能性もあるということなのだろうか?
なんにせよ、大精霊にだけは気をつけなければ。
「ヒカル、風の大精霊様の支配圏のほうは、行ったことあります?」
「東側がそうなんだっけ? ないな。畑ばっかりだろ?」
「ええ。あとは風車ですね。ヒカルは見たことあります? 風車」
「ないな……」
正確にはある。
地球にいたころ、地元に風力発電の巨大な白い風車があったからだ。
でもこの世界の風車はそういうんじゃないだろう。
「じゃあ、ちょっと行ってみましょう! あの辺り、景色が良くて私好きなんです」
そうして、半ば強引に街の東のほうへ歩いていく。
少し強引なリフレイア。
そんな彼女に引っ張られていくのは不快じゃなかった。
ぽかぽかと暖かい日差しが降り注ぐ昼間の街を歩いたこと自体がなかったからだろうか。
商店が立ち並ぶ水の大精霊の支配圏を抜けると、いきなり広大な農園が広がる風の大精霊の支配圏になる。驚くべき極端さだが、不思議と調和を感じさせる風景でもあった。
それは、これがこの世界のスタンダードだからなのだろう。精霊と自然とが共にある世界。そんなこと、この世界に来て一度も考えたことなかったのに、不思議な気分だ。
リフレイアと手を繋ぎ、畑の脇の小道を歩く。
地平線まで延々と畑は続いており、何百人もの農夫たちが作業にいそしんでいる。
地平線の向こうには白い山々がうっすらと覗いており、方角的に俺が抜けてきた森はあの山の向こう側にあるはずだ。
小川のせせらぎが午後の光をキラキラと反射してきれいだ。
「思ったより風が強くないんだな。風車なんてあるなら強いかと思ってた」
「逆なんですよ。風を大精霊様にコントロールして貰って、強風が起きないようになってるんです。あと風車がある場所だけに風を送ってもらったり」
「そんな便利に使ってるのか……」
大精霊は言わば自然現象で発生する神にも等しい存在。
それを、便利な動力として使うのだから、この世界の人間もなかなか逞しい。
「あっ、見えてきましたよ。風車」
リフレイアが指差す先には、風車が三基並んでいた。
今は動かす時間ではないからか動いていないが、なかなか大きい。
5階建てのビルくらいのサイズ感だろうか。四角い石を積み上げて本体を作り、風車の部分は――
「あれ、羽に使ってる素材、ミスリルじゃないか?」
「あっ、良くわかりましたね。軽くて丈夫な素材だし、雨にも強くて錆びないからって、ミスリルを使ってるんですよ」
「なんか、盗まれそうだな……」
「あれを盗んだら、大精霊様に殺されますよ、多分」
それは怖い。大精霊が相手では盗むやつもいないか。というか、全長10メートルもありそうな金属板を盗むのは不可能だろう。
風車の近くまで来ると、見上げるほど大きい。
中をチラリと見ると、どうやら粉挽きに使っているようだ。このあたりでは麦が採れるということなのだろう。
そうして、ぐるっと遠回りして、北の土の大精霊の支配圏のほうへ散歩を続けた。
土の大精霊の支配圏のほうもほとんどが畑だ。
「あー、いい天気ですね。どうです? たまにはお日様の下もいいものでしょう?」
「そうだな。考えてみたら、こういう時間ってすごく久しぶりだ」
目に痛いほどの明るさの中を歩いたのは、本当にいつ以来だろう。
もしかしたら、異世界に来て初めてのことかもしれない。
振り返ってみれば、この世界に来て、もうそれなりに経っている。そうにも関わらず、俺は今日この時まで、迷宮に引き籠もるばかりで、この世界のことを見ることができずにいたのだ。
(本当に綺麗だ……。こんなに色鮮やかな世界だったのか)
この異世界に来てしまったことも、夢か、そうでなくても何かの間違いだと思いたかった。本当の俺は今でもあの世界にいて、妹達と一緒に気楽に異世界転移者たちを見て楽しんでいるのだと、何度もそんな夢想をした。
でも、何度目覚めても、そこは暗い宿屋の一室で。
夢でも間違いでもなく、俺はこの世界に生きていた。
視聴率レースが始まり、1位を取ることだけに集中することで、この現実を忘れたかった。
……でも、1位を取れても、取れなくても。死ぬまで現実は続く。
今、俺がここにいることも。
隣で微笑むリフレイアも。
すべてこれが現実なのだ。
そんなことに今更ながら気付くことができた。
リフレイアが気付かせてくれたのだ。
「なら、強引にでも連れ出してよかったです。ヒカルが、何にそんなに追われているのか、私には分かりませんけど……。そんなにずっと張り詰めて生きるの絶対辛いですもん」
「そんなに無理してるように見えてたのか……?」
「だってヒカル、あんなに強くて探索も順調で、お金だって稼げているのに、全然笑わないですから」
あの時。地球からのメッセージを読んでから、俺はおかしくなってしまった。
俺の死を願う人たちが、俺を見ている。そのことで精神を冒されていた。
探索が順調でも、お金に余裕ができても、それに価値を感じることができなくなっていた。
だけど、彼女の言う通り、順調なのだ。
笑ったっていいくらいには。
「リフレイアには教えてもらうことばかりだ。ありがとな」
少し無理して笑顔を作ると、それを見たリフレイアはお化けでも見たみたいな顔をして、それから弾けるような笑顔を見せた。
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