日常、から、異変

 土曜日は買い物、日曜日は再び家の片づけに追われ俺の休日は丸ごと潰れた。

 なにせ女子高生が満足できるものなど何一つないのだ。

 アイとユウキは手持ちの資金をふんだんに使っていた。私服(下着を含む)を数着。アイは大人しめの、ユウキは動きやすいもの選んだ。

 ショッピングモールの階を上がって家具売り場へ。ベッドを買うことに。アイは折りたたみのマットで済ませいたが、ユウキは組み立て式の立派なものを選んだ。おかげで日曜日は俺とユウキで慣れない工作に苦しむ羽目になった。

 アイは脚付きの椅子と背の高い机を買い、ユウキは座椅子とテーブルを選んだ。姉妹とはいえ血の繋がりのない二人の好みは違うものなのだろう。二人で共通している家具は姿見ぐらいだった。

 続いて家電。アイはミュージックプレイヤー。ユウキは小型のテレビを購入。ユウキは自宅からノートパソコンを持ってきていたので、彼女の部屋には2つのモニターを置くことになる。必要なのか?と聞けば、当然とユウキは小ぶりな胸を張った。

 ドラッグストアで俺はお払い箱を申しつけられた。そりゃあ、俺も女子高生の化粧品コーナーや生理用品の買い物に付き合いたくはない。

 そんなわけで二人の買ったものをいったん車に運んだ。

 二人が選び、買って、運ぶ。その繰り返しを繰り返した。

 昼飯はそのままショッピングモールで済ませた。昨晩は寿司だったからとユウキは有名なステーキハウスに飛び込んでいった。俺もアイも文句はなかった。

 すべての買い物を終えたのは午後三時。家に帰ったのが四時前だった。流石に三人とも疲労困憊で、この日はピザのデリバリーで済ませることに異論はなかった。

ちなみに二連続で油を摂取した俺の胃はもたれた。年を取ったと実感して悲しくなった。


「今晩はカレーにします」


 そんなわけでアイが料理の腕を振るうのは日曜日になった。

 アイは堂々と立派に膨らんだ胸を張って宣言した。大人しめの私服の上から、エプロンと三角巾を身に着けて準備万端である。


「さんせーい!」


 カウチソファーに寝転び、ノートパソコンのに釘付けになりながらもユウキは諸手を上げて喜びを露わにした。


「アイのカレーは絶品だよ。楽しみにしててね!」

「ふーん」


 ソファーから動く素振りすら見せないユウキが何故だか自信満々に教えてくれたので、俺は顔に出さずに喜んだ。

 なんといってもカレーである。家庭的なカレーなんて久しぶりに食べるのだ。童心が騒ぐのも仕方あるまい。

 アイがカレー作りに取り掛かったのは日曜日の三時からだった。一時間かけて俺とユウキが家具を作り終えたころには、食欲をそそる香りが2階にも届いてきていた。


「お腹すいたね」

「降りてみるか」


 作業を中断してリビングに向かった。ユウキが言いださなければ俺が言いだしていただろう。それぐらいカレーの香りというものは強力なのだ。


「もう食べるんですか?」


 俺とユウキが腹を空かせているのを見て、アイはちょっと呆れつつもカレーを皿に盛ってくれた。

 アイのカレーは絶品だった。俺の舌がレトルトに親しんでしまっていることを差し引いても美味いカレーだ。手間暇の掛けられた味であることはわかった。たぶん、玉ねぎをあめ色になるまで炒めてあるのだ。たぶん。


「マヨネーズある?」

「あるよ」


 ユウキの一言に眉が吊り上った。


「マヨネーズって、なんで?」

「なんでって、カレーにかけるの。美味しいよ」

「冗談だろ。カレーにマヨネーズなんてどうかしてるぞ」

「そんなことないって!まろやかになって、塩っ気もプラスされて、ずっとおいしくなるんだから!」


 俺が正気を疑うような声色で聞いたため、ユウキはムキになって反論してきた。


「かけてみてよ!おしいからさぁ!」

「いらん!」


 俺は銃口のように向けられたマヨネーズから自分の皿を死守した。なにゆえ、せっかくのカレーをゲテモノにせねばならんのだ。


「好きなものをかけて食べればいいと思いますけど」


 俺とユウキの論争の中、アイが加わった。手にはマヨネーズとに同じ形の容器を持っていた。ただし、中身は真っ赤なである


「ケチャップです」


 俺の視線を読み取ったアイが見せつけるようにケチャップを自分のカレーに振りかけた。

 赤と白。二色の調味料が容赦なくカレーに降り注いでいく様子を、俺は唖然と眺めるばかりだった


「どうかしてるぞ。そんなものをかけたらカレーが台無しじゃないか」


 二人がスプーンで一口頬張り、おいしそうにしている姿を見て、いよいよ俺は二人の味覚ち正気を疑った。


「ケチャップとマヨネーズなんてカレーに対する冒涜だ。かけるなら、もっとマシなものがあるだろ」

「じゃあ、タケオさんは何をかけるんですか?」

 

 食べ方にケチを付けられてムカッと来たのか、アイが鋭い目つきで反撃の矢を放ってきた。


「そうだよ。そんなに人の食べ方に文句言うなら、おじさんの食べ方教えてよ」


 ユウキも便乗して唇を尖らせてきたので俺は真っ向から受けて立った。

 カレーに何をかけるか。確かに難題ではある。

 ポン酢かゴマだれか。関西風か関東風か。広島から関西か。永遠の議論の一つともいえる。

 だが、俺は人それぞれだと逃げるわけにはいかない。大人として、この小娘どもを正しい道に導いてやらねばならないのだ。


「そんなのラー油に決まっているだろ!!」


 俺のまさに自分の中にそびえ立つ黄金の塊を見せつけてやった。さぁ、小娘どもよ。大人の味に平伏し、に、人生の標とするがいい。


「ありえないです」「気持ち悪い!」


 ちくしょう。











 夕食で負った心の傷を風呂のお湯で十分に癒した俺は失敗に気づいた。

 パジャマを忘れた。

 いままでなら気にせず股のものを揺らしてパジャマを取りに行っていたのだが、今となっては過去の栄光である。アイとユウキのセクシーな部分はそれなりに見てしまったからといって、なにもお返しをする必要もない。

 俺はじっくりと状況を図った。俺が風呂に行く直前、アイは食器を洗っていた。ユウキはソファーで食後のプリンを味わいながら日課のテレビを見ていたはずだ。

 難しいところだ。バスルームから俺の部屋まではすぐそこ。駆けこめば見つからない可能性のほうがずっと高いはずだ。

 だが見つかった場合のリスクも当然ある。ユウキは気にしないだろうが、アイに見られれば素っ裸で針のむしろを歩く羽目になるかもしれない。もっとも簡単なのは声を上げてパジャマを取ってきてもらうことだ。ちょっと、そこの女子高生たち。頼むから俺のパンツを取ってきてくれと。

 ため息が出た。それを頼むのはちょっと一人暮らしが長すぎた。おっさんには恥ずかしすぎたのである。

 そんなわけで、俺は湿ったバスタオルを腰に巻き、勝負に打って出た。

 なに、早足で飛び込めば、一分もかからない。いける。


「わっ!」


 俺が半裸で飛び出すのと、ユウキがトイレから出てくるのは全くの同時だった。出会い頭の事故。女子高生と半裸のおっさんが廊下でばったりと出くわしたのである。


「え、えぇぇっと、なに?なに!?」


 流石のユウキも半裸のおっさんの登場にどうしていいのかわかっていないようだった。トイレから出てきた姿勢のまま、車のヘッドライトで照らされた猫のように目を見開いて硬直している。


「パジャマを忘れたんだ」


 なぜか俺は冷静に、状況を伝えることができた。


「そ、そうなんだ。びっくりするじゃん。そんなカッコでさ。女の子が二人もいるんだよ?」

「すまん」


 ユウキは俺の見っともない格好から、視線を逸らそうとしているようだった。上手くいかないのは彼女の警戒心か、好奇心かが邪魔をしているのだろう。

 かく言う俺も、半裸で女子高生と会話をするという状況に、進むことも引くこともできずにいた。自分の一挙手一投足がユウキとの関係を気まずくしてしまいそうだった。


「ん、んっと、部屋に入ったら?寒いでしょ?」

「あ、あぁ、悪かった」


 ユウキが譲ってくれたので、俺はようやく自分の部屋まで歩きだした。実際、身体は冷えひえだった。冷や冷やしていたといったほうが正しいのかもしれない

 部屋に入ってパジャマに袖を通しながら、改めて自分の迂闊さを悔いた。

 いい加減に自覚すべきだ。独り暮らしではなくなること、思春期真っ盛りの女子高生と暮らすということの大変さ。もうちょっと緊張感を持て

 見つかったのがユウキでよかった。ちょっとギクシャクしたが、ユウキなら笑い話で済ませてくれる


「座ってください」


 という、俺の安っぽい考えはリビングで待ち構えていたアイのお堅い視線で打ち砕かれた。 

 自分の失態である。逆らう気など起きるはずもなく、ダイニングテーブルに夕食時と同じように三人で腰を掛けた。アイは表情を強張らせ、ユウキはにやにやと俺を見ている。

 ちくしょう、どんな告げ口をしたんだ


「ルールが必要だと思うんです」

「ルール?」


 てっきりお叱りを受けると身構えていた俺は、裁判長アイにおうむ返しした。


「そうです。例えば、部屋に入るときはノックをする。裸でうろつかないとかです」

「タオルは巻いてたぞ」

「当たり前のことですけど、やっぱりちゃんと言葉にしておくのがお互いのためです」


 俺が口を挟むことを許さず、アイは全てを言い切った。こうなると、俺の論法は通じそうもないことは薄々と理解し始めていた。


「あたしはいいんだけどね~。おじさんの裸はアイにはちょっと刺激が強そうだったからさ」


 ユウキはいつもの調子で囃し立てていた。さっき俺と出くわしたときは随分と舌の滑りが悪いようだったが、あえて言うまい。

 

「わかったよ。何から決める?」


 アイの提案はもっともだ。さっきのような失敗はなくしておきたい。この年になって恥をかくなんてごめんである。

 そんなわけで俺たちは家の基本ルールを決めていった。

 部屋の掃除を定期的に行うこと。

 挨拶をしっかりすること。

 部屋には勝手に入らない、入るときはノックをすること。

 家の中でもちゃんと身だしなみに気を使うこと(パンツを見せるなと言ったら、非難された)

 可愛くてたまらないユウキちゃんには優しくすること(却下)

 ・

 ・

 ・

 今思えば、俺たちのやった、初めての家族会議だった。










「まぁ、そんな感じです」


 昼飯時。俺は事務所でゴンさんに近況報告を行った。と、言うか事情を知っているゴンさんがしつこく聞いてくるので仕方なくだ。自慢できるような話じゃない。

 アイとユウキがうちに来てから二週間がたっていた。騒がしくもどうにか二人を日常の歯車に組み込むことができていた


「そうかそうか。うまくいってるようで万々歳だな」

「万々歳ってほどじゃないですよ。アイは事細かくルールを決めたがるし、ユウキはユウキでルールなんてあってもないようなもんで……昨日だって……」


 使った食器は自分で片づけることというルールが騒動の発端だった。ユウキは飲みかけのカフェオレを置いて風呂に向かった。ユウキの主張としては風呂上がりに一口だけ飲むために残しておいたというもの。

 そんなことなど知る由もないアイは片づけられていないコップを洗い、ユウキの怠慢だと叱ったのである

 些細なことだが年頃の女子にとってヒートアップする火種には十分だったらしく、ユウキは淡々と嫌味を並べ、アイは真っ向から火花を散らした。たいていはユウキがやる気をなくして平謝りするのが、たまに俺が二人の間に立って諌めなくてはならなかった。

 おかげさまで機嫌の悪い娘というものの厄介さが身に染みてしまっていた。


「俺からすれば羨ましい話だがな」


 ゴンさんにそう言われてしまえば、何も言い返すことができなかった。失ったものを再び手にできるということは幸運なのだ。幸福とは違うが、少なくともゴンさんは幸運を望んでいる


「でも、悪いことばかりじゃないだろ。それだって毎日、作ってくれてるんだろ?愛されてるじゃないか」

「そりゃあ、有難く頂いてますけどね」


 俺の机の上には取り出したばかりの弁当箱があった。アイがわざわざ作ってくれているのだ。夕飯のあまりだけではなく、毎朝しっかりとおかずを作ってくれている。

「適当にコンビニで済ませるから」と言ってはみたものの「2つ3つも大して変わりません」と押し切られてしまった。俺はとことんアイとの舌戦が弱かった。

 俺が昼飯を事務所で食うようになって困ったのは、職場の連中がこぞって噂話に熱中しだしたことだ。

 やれ新しい彼女ができただの、再婚の兆しだの。ヤスに至ってはキャバ嬢を孕ませて同居しているなどとデマを流してくれた。とりあえず、黙らせておいた。

 

「愛妻弁当ならぬ、愛娘弁当だな」


 と、ゴンさんが暢気に言ってのけてくれたので、俺は曖昧に笑い返した。

 そう言われても頷くことはできない。アイのことが嫌いなわけじゃないが、いまだにどう接すべきかわからなかった。

 自分の娘、他人の娘。昔は簡単に愛情を注いでいたが、今のアイは容易に愛情を注げる相手じゃない。そもそも、注いでいいものなのだろうか?

 一緒に暮らしていてはっきりと目に見える線引きはない。それでも彼女との距離が触れられるほどの近さになると俺の中で大きなブレーキがかかってしまうのだ。


「食べないのか?ヤスたちが帰ってくるぞ」

「いや、食べますよ」


 些細な悩みの時間を切り上げて、昼食の時間に切り替え灯よう。ヤスたちの前で手作り弁当なんて食べよう日には、生暖かい視線にさらされ事になる。

 さっさと食ってしまおうと、俺は弁当の蓋を取っ払った。


『パパダイスキ♡』


 白米の上にキザミのりで、怪文章が描かれていた。今朝はユウキが弁当をよそってくれた。

 犯人はわかったが時すでに遅し

 ゴンさんの眼差しは生暖かくなっていた。。












 アイとユウキがうちにきて、三週間。俺はそれなりに、上手くいっていると思っていた。

 アイの生真面目に圧されたり、ユウキの気まぐれに手を焼かされることはあるが、味気のない俺の人生には辛めのスパイスを加えるぐらいがちょうどよかったのかもしれない。

 仕事が終わり家に帰ると出迎えてくれる人がいる。当り前のことが当たり前であることの素晴らしさを噛みしめることができている。難点は、家族と呼んでよいものかわからないことぐらいだ。

 そのことについては、もう悩むべきではないという結論に達した。少なくとも俺は一度アイを置いて去ったのだから、アイを娘として扱う権利は俺にはない。

 だから、アイが俺のことをどうしたいのかはっきりわかるまで、ありのままで接しようと思う。もしもアイが、もう一度、俺を『お父さん』と呼んで来たら……さて、どうしたものか

 ユウキも同様にだ。彼女は俺をどうこうするつもりはなく、今後の関係に悩む必要なんていないのだが、他人様の娘だからといってないがしろにするわけにもいかない。

 そんなわけで、俺は久しぶりに近場のケーキ屋で二人のためにケーキを買っていた。

 二人はごく一般的な女性に漏れず、甘いものが好きだ。ご機嫌取りというわけではないが、たまにサービスするのもいいだろう。

 車をガレージに停めて、ケーキの小箱を片手に家に入った。


「あ……」


 裏口から入ると廊下にはスマホを片手にユウキが立っていた。失態を思い出すシチュエーションだが、今回は別にやましいことは何一つない。


「よう、ただいま」

「……おかえり」


 家のルールに則って帰宅を告げると、ユウキは覇気のない返事をした。

 少し妙だった。いつもはもう少し笑顔と歯切りの良い挨拶を返してくれるのだが、いまは無表情で俺のほうすら見ていない。

 

「どうした?腹でも痛いのか?」

「別に……なんでもない」

「ほんとか?ケーキ、買ってきたんだが、あとで……」

「いらない」


 ユウキの対応はおざなりだった。手に持ったスマホの画面と俺を見比べて、深々と溜息を吐いた。思ったが。ため息ほどユウキに似合わない行為もない。

 そのままユウキはくるりと背を向けて、リビングではなく2階の階段に足をかけている


「彼氏と喧嘩でもしたのか?そういう時は、ちょっとばっかし無視して気を引くのがいいらしいぞ」


 ユウキは一段上で振り返った。

 俺はうまくやっているつもりだった。少なくともユウキとは軽いジョークを言い合える程度には、仲良くなっていたと思っていた。


「は?なに?ウザイんだけど」


 だからユウキの見せた拒絶の目と蔑みの言葉に、俺は心底、間抜け面を晒すことになってしまった。

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