現実に迷い、夢にも惑う

『意志ある全ての道半ばを征く者に、導きの祝福がありますように』


 恒久理想式イデアルクラウスに伝わる、幸福のおまじない。道半ばを迷うものが、最適な経路を選び取ることを願う、他力本願の想いの結実。

 迷った時は、都合のいい誰かが迷いを解消してくれると嬉しい。あると思います。


 まぁ、恒久理想式イデアルクラウスについては、拙作「魔王グレンゼルムの憂鬱」に出てくるもの――つまるところはただのフィクションなので、次元異なる現実に生きる我々にとっては、ある意味において無関係な概念である、といえる。

 必然、現実というのは都合良くものが進むわけではない。それでも、みたいな神秘的オカルティックな経験への憧れは、誰しもが夢見ることであるように思う。……過言かもしれんが。


 今日はつまり、そういう系統のおはなし。


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 あれは、なんだか寂れたガレージが一階にある、狭苦しい一軒家のようなところだった。町工場まちこうばの極小版、みたいな。都会の街並みに、そんなものがあるという認識イメージはないので、きっとアレは地元のような、半田舎――無間に広がる田園風景や、鬱蒼と茂る山と森に囲まれた空間ではなく、国道沿いにコピー&ペーストされたかのような、お決まりの『発展!』の風景が連なる、それ以外は「あぁ、住宅街ってそんな感じですよね」という空気が広がった、都合のいい半都会が舞台であったのだろう。

 そう、あの景色は厳密に言うと「都会」に属するのである。間違っても「老後はに住みたいな」などと、戯言たわごとをほざいてはいけない。ガチ田舎は、老後に住むような安寧の地ではない。そもそも、体力のある若いうちに、少々買い物に行けば全てが揃うような利便性高い生活を送りながら、敢えてその利便を捨てて生きるなど、正気とは言えない。


 正しくは「郊外に住みたい」くらいが通常は妥当である。もちろん、選択は自由だから、老後にガチ田舎に越すのも悪くはないのだが。ただ、田舎に夢を見るのは良くない。野生生物の大合唱、さも当然の権利のように家屋に進入してくる虫、そして田舎の助け合い名目の、自他の境界が入り乱れる、生存競争の場……。都会育ちの人間には、理解出来ない常識は、老後のあなたをボコボコにぶん殴ることであろう。

 まぁ、私もガチ田舎のことは伝聞でしか知らんのですが。それでも、その伝聞は一定以上の事実だと思う。だって、そうしないとまともに生活出来ない環境なわけで。処が違えば規則は変わる、そういうもん。


 ……いやまぁ、田舎と郊外と都会談義はどうでもよくて。どういう話の流れか、とかは夢なので最悪別にないわけだが、私はその町工場っぽいところに住んでいるらしい、小説家の師匠に会いに行ったわけである。拙作の展開等のアドバイスを受けるため、とかだったか。何にせよ、原稿を持って、原稿を見てもらうのが目的だったはずだ。


 実のところ、その辺りで既に設定が何となく怪しいのではある。まず、小説家が町工場みたいなところに住んでいる理由が分からん。住んでいたというより、その日はたまたまそこにいた、とかだったかもしれん。

 ……いや、別に町工場の二階とかに小説家が住んでいても、別に支障はないわけだが。そもそも、一階がガレージだったというだけで、町工場そのものではない。でも、師匠なんだし。師匠はもうちょっと良いところに住んでいてほしい、と弟子は思うわけです。何だかんだで、そこの雰囲気は好きだったかもしんないけど。


 そして、個人的な話ではあるが、私は原稿を師匠に添削してもらう、みたいなのは個人的に好まない感じがする。

 ただ、よくよく自分の行動を思い返してみると、未公開の書きかけの作品は、飲み会であった友人にはそこそこ見せている場合があるので、それは私自身が私の性質を誤解しているのかもしれない。それでも、私はきっと、明確に私が上位と見なしている、その道の尊敬する誰かに、実践以外での成果……途中の半端なもの、というのを見せたがりはしないと思う。

 きっと、可能であれば。本来、より良くするという観点において、途中で誰かの意見を賜ることもまた、重要ではあるのだろう。夢の中での経験は、もしかしたらそういう私の不出来も浮き彫りにしているのかもしれない。それでも、私は一旦変わらない。そもそも、師匠がいねえ。



 背景の説明に関しては、まぁそんなもんでいいか。もちろん、良いか悪いかでいえば、この文は概ね悪文である。本筋に関係ある話を、ほとんどしていないからな。仕方ないじゃん、夢の内容をあんま細部まで覚えてないんだからさ。

 いや、別にスッキリ短文で終わらせたって別に構わないし、むしろそうするべきではあるんだろう。そういうスタイルの創作とかも、憧れますよね。ツイッターの百四十字小説とか、アレ憧れてんだよな。


 ……はい。話を戻します。師匠は、年齢で言うと多分六十くらいの、妙齢の女性だった。気がする。あまり性格とかを覚えていないが、男みたいなさっぱりした感じの、気さくで聡明な人だった、と感じたように思う。もしかしたら、TSの属性も混じっていた説があるな。欲望の詰め合わせか?

 設定的には六十くらいの、言ってしまえば老婆に片足を突っ込みつつあるような師匠は、そうでありながら、妙に美人だった。そういうところは、ある意味で現実的リアルである。特に芸能人で顕著だが、今の時代は六十くらいの人でも、その字面から受ける想起イメージよりは遥かに壮健で、美しい人が多い。感じられる歳は、そのお御足の肌のハリが少し損なわれている、という程度だった気がする。


 まぁ、いもしない人の話ではあるし、諸々に美化が含まれているのは想像に難くないが。その師匠は、原稿用紙の左側半分の書き始めに、「〇〇(キャラクター名)について」的な題の部分だけが書かれた原稿を、多分机の上かなにかに置いたまま、


「読者の期待を裏切る創作はよくない」


 という旨の言葉をくれたのである。確かになー、って思った。ハッピーエンドを期待する読者に、それを嘲笑うかのようにバッドエンドをぶちまけるのは、好ましい振る舞いとは言い難い。


 そういえば、その原稿用紙に書かれていたキャラクター名も、魔法少女まどか☆マギカの誰かだった気がする。だが、私の知る範囲には、そんなキャラはいない名前だったようにも思う。

 具体的には覚えていないが、確か二文字だった。それでいて、マミではない。どちらかというと、ほむらだった。もちろん、ほむらでもないのである。ガチ存在しないその二文字の表すイデアが、結論のみを伴って認識される現象、アレは夢の中に存在する不思議の一つである。


 まぁ、そもそもただのキャラ名だけの記述ですからね。私の想起が根本から間違っている、という可能性の方が、本来はありそうな線と言える。それに、まどマギは「期待を裏切った創作」ではない。ほのぼのしてるのかと思ったら不穏だっただけだし、最後も別にバッドエンドではない。ハッピーエンドかは知らんが。


 ここからは急速に失速……というと、今までの記述にまるで勢いがあったかのような表現になってしまうが、どちらかというとボリュームが減るという意味で。

 その後は、師匠に連れられて焼肉を食べに行ったり、なんの脈絡もなく師匠と一緒に海辺、海水浴的なものに出向いたように記憶している。焼肉でもなんでも、外食に連れて行ってくれる人というのは得難いものである、と私が普段どれだけ思っているのかがよくわかる。


 んで、師匠。やっぱ、凄い美人さんだった。なんか知らんけど、滅茶苦茶好きだったよ。恋い焦がれる、とでもいうのか。どんだけ見目麗しいとはいっても、少なくとも設定的には全然おばあちゃんだというのに。


 普段はもう自己肯定の失墜――というよりは社会的不適合感にグデングデンに腐りながら生きて、伴侶を得るとかも烏滸がましいみたいな発想で日々を生きてはいる訳だが、その一方で、他者との関わり自体を完全に絶てる訳でもなく、愛し愛されというのは、やはり渇望して止まないものなのかもしれない。



 あ、もちろん師匠が私のことを愛してくれたとか、そういう話ではなく。そんな都合のいい話はありませんよ。夢じゃないんですから。


 いや、夢ではあるが。夢だから都合よくなる、というわけはないですよね。

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