第260話 エピローグ〜歌姫と問題児〜
あの激闘から数ヶ月……寒い冬が終わり、世界には再び春が巡っていた。
暖かくなった季節に、芽吹く新たな生命に、急ピッチで各都市や道路の再建が行われていた。モンスターの素材に頼らない、いや頼れない生活は、様々な困難を人々に突きつけている。
それでも人々から笑顔が絶える事はない。
降りかかる困難は大きくとも、輝く陽の光と広がる大地の加護に、皆が笑顔で日々を慎ましく過ごしている。
かつて最前線の街と呼ばれたイスタンブールも、巨大な壁は姿を消し、二重構造の歪んだ都市の解体が始まっていた。人、物がせわしなく行き交うイスタンブールの街は、あの頃と変わらず、いやあの頃以上に雑多で活発な雰囲気だ。
毎日がお祭り騒ぎのような都市の一角を、リリアはカノンと二人で歩いていた。奇しくもそこは、リリアが初めてユーリに声をかけたあの通りだ。
行き交う人々を眺め、リリアが少しだけ彼の事を思い出して顔を曇らせた。温かな春の日差しも、通りに並ぶ店々も、街を歩く人の顔も……何もかもが変わっているはずなのに、今もあの日のことが思い出せるのだ。
だからなるべくこの通りには来ないようにしていたのだが、今日はカノンが一緒なので仕方がない。事情を知らないカノンには悪気がないのだ。事実今も周囲をキョロキョロと様々な店を物色するカノンは、リリアの顔色の変化になど気づいていない。
「えーっと。あとは何を買うんでしたっけ?」
首を傾げたカノンに、とリリアが慌てて笑顔を取り繕った。
「ちょっと待ってね」
取り繕うリリアが懐から取り出したのは一枚のメモ用紙だ。様々な事が後退した世界で、今やメモ書きは立派なTO DOアプリの代替である。
メモを見ながら「うーん」と唸るリリアに、一際強い風が吹き付けた。リリアの手の中でバタバタと暴れたメモが風に乗って吹き飛ばされる。
「あ、まって――」
思わずメモを追いかけたリリアが、通行人にぶつかりった。
「ごめんなさい」
頭を下げて駆け出そうとするリリアを「ねーちゃん、ちょっと待ちな」とガラの悪い声が引き止めた。
リリアが振り返れば、「あー痛てて」とわざとらしく肩をさするゴロツキの姿があった。
「人にぶつかっといて、『ゴメン』だけで済むわけねーだろ?」
ニヤニヤと笑うゴロツキを前に、周囲の人々が分かりやすく距離を取った。街々の復興が続く中、こうして力と暇を持て余した存在が、治安を悪化させているのも今の時代における問題の一つである。
「こっちは相方の肩が折れたんだ」
「あー痛えな」
誰がどう見ても筋骨隆々の男が、リリアのような華奢な女性にぶつかられたくらいで肩が折れる事など無い。それでも通行人はこの面倒事に関わりたくないように、遠巻きにそれを眺めるだけなのだ。
「どうしてくれんだよ?」
リリアに顔を近づけるゴロツキだが、リリアはそれを真っ直ぐ見返した。
「どうもこうも、その程度で肩が折れるわけ無いと思いますが」
呆れた顔のリリアに、脅しの効かなかった男がわずかに声を詰まらせた。リリアのような華奢な女性が、この脅しに毅然と対応出来るなど思っても見なかったのだ。
「そうでしょう! その無駄に大きな身体は飾りでしょうか?」
リリアと男達の間にカノンが滑り込んだ。
「何だテメーは! ガキはすっこんでろ!」
カノンに向けて肩を抑える男が凄んだ。
「だ、誰がガキですか! これでも立派なレディですよ!」
よく分からない所にキレるカノンだが、男達はそんなカノンを押しやってリリアへと距離を詰めた。
「なあねーちゃん。俺の肩、どうしてくれんだよ」
凄む男に、カノンが「いい加減にしないと怒りますよ!」と叫んだ。
プンスコ怒るカノンを男達が振り返り、顔を見合わせ「ギャハハハハハ」と醜い笑い声を上げた。
「怒るとどうなるんだ?」
「俺達に教えてくれよ」
カノンを前に指を鳴らす男の一人が、「よく見りゃこいつも上玉じゃねーか」と下卑た顔で舌なめずりをした。
「あまりしつこいと、人を呼びますよ!」
眉を吊り上げるリリアに、男達が更に笑い声を上げる。
「呼んでみろよ。ヒーローが来てくれるといいな」
ゲラゲラと笑う男達が、行き交う人々に「呼ばれてるぞ?」と声をかけては、また笑っている。
「じゃあそろそろ、向こうでゆっくり話でも――」
「おいこら、通行の邪魔だ。退け、木偶の坊」
リリアに手を伸ばそうとする男達の真後ろから、聞き覚えのある声が響いた。
「何だテメーは?」
男達が振り向いた先には、フードを目深に被った一人の男。リリアの場所からは男達が邪魔でその姿が見えないが、声の主が見えるカノンは驚き固まっている。
「おい、兄ちゃん。取込み中だ。アッチに行ってろ」
「バカか。テメェらヨゴレの事情なんて知るか。殺されたくなきゃ三秒で消えろ」
聞き覚えのある声どころか、どう聞いても彼にしか聞こえない傲岸不遜な言い回し。それらに固まるリリアを、「巻き込まれるさかい、ちょっと下ろか」とこれまた聞き覚えのある声が、リリアの後ろから聞こえた。
振り返る先には、フードを目深に被った金髪の――
「ヒョウ、さん?」
――目を見開いたリリアに、「しーっ」とヒョウが悪戯っぽい笑顔で人差し指を口に当てた。
ポケットに手を突っ込んだまま睨みつけるフードの男に、ゴロツキ達が完全に向き直った。
「誰がヨゴレだ!」
「ヒーローのつもりか? 馬鹿が!」
怒声を上げるゴロツキを前に、フードの男が「フッ」と見覚えのある嘲笑を浮かべた。
「ヒーローだぁ? バカ言ってんじゃねぇよ……」
歩きながら間合いを詰めたフード男が、一人の肩に手を乗せた。
「……俺はな、どこにでもいる善良な一般市民だ」
フードを取り払ったそこにあったのは、いつもの笑顔を浮かべるユーリの姿だ。男達の肩越しに見えたユーリの顔に、カノンやリリアが大きく目を見開いた時、バキバキと乾いた音が周囲に響き渡った。
「ぎゃーーーーー!」
叫びを上げるゴロツキが、肩を抑えて後ずさった。
「肩が! 俺の肩が――」
「おいおい、反対も折れてんだろ? ならさっきみたいに『痛て』くらいで済ませろよ」
嘲笑を浮かべるユーリに、「テメー」ともう一人のゴロツキが腰の短剣を引き抜いた。
「死ね!」
ゴロツキが突き出した短剣にユーリが体を開く。
通過するゴロツキの腕を、ユーリは左腕で捻りながら、右肩に担いだ。
逆関節を極めた一本背負いが、ゴロツキの腕を破壊する。
枯れ木のような音を掻き消す轟音で、ユーリがゴロツキを思い切り地面に叩きつけた。
「腕、腕がっ――」
叫びジタバタするゴロツキの顎をユーリが踏みつけた。
「覚えとけ。もしまたあの女に手ぇ出すようなら……次は腕一本じゃすまねぇぞ」
底冷えするユーリの瞳に、ゴロツキが震えながら頷いた。
「分かったんなら、行け」
顎で通りの向こうをしゃくるユーリに、「ヒィィィ」と情けない悲鳴を上げてゴロツキ達が逃げ出した。
「おい、忘れもんだぞ!」
落ちていた短剣をユーリが放り投げれば、ゴロツキの
「あああああああ」
遠くで悲鳴を上げたゴロツキが、足を引きずりながらも必死で逃げていく――
「んだよ。格好だけでガッツがねぇな」
顔をしかめたユーリが、溜息をついてリリアを振り返った。
「お前もお前で、毎度毎度バカに絡まれんなよ」
いつもの笑顔を浮かべるユーリに、リリアが固まっている。
「俺がたまたま通らなけりゃ――」
「よう言うで。通りでリリアちゃんっぽいのが絡まれてるって聞いて、全力疾走したくせに」
ケラケラと笑って裏事情を話すヒョウを、「てめっ」とユーリが赤ら顔で睨みつけた。
ユーリとヒョウ。二人が見せるいつも通りのやり取りを前に、リリアは相変わらず固まったまま……そんなリリアの目の前でユーリが「おーい」とゆっくり手を振った。
「……ユーリ?」
ようやく口を開いたリリアに、ユーリが「おう」と力強く頷いた。
「……どうして?」
「話すと長くなるんだが……」
困った表情でユーリが、ヒョウに目を向けた時、背後からカノンがユーリにタックルを食らわせた。
「よく分かりませんが、良かったです!」
ワンワンと泣きじゃくるカノンに、「実はアタシもいたりして」と横からトアが顔を覗かせた。
「わああああん! トアさんまで!」
人であふれる通りで、ワンワンと泣きじゃくるカノンに、ユーリが苦笑いを浮かべてリリアを見つめた。
「とりあえず、ただいま」
微笑んだユーリへ、涙を浮かべたリリアが抱きついた。
「お帰り……お帰り……」
ボロボロと涙を落としたリリアが、ユーリの胸に顔を埋める。
「夢……じゃないのよね」
「頬、つねってやろうか?」
ニヤリと笑ったユーリの頬を、リリアが泣き笑いでつねった。
「痛ぇだろ」
「夢じゃない……」
そうしてまた顔を埋めたリリアが嬉し涙を流し続ける。
晴れ渡る空の下、喜びに溢れた涙が地面を濡らしていた――
「お前か! 白昼の通りで暴れたというのは!」
「いや、それには理由があってだな」
「問答無用だ! 連行しろ!」
「ちょ、おい! ちょっと待てって」
「あ、すみません。それは私が――」
「む? 君が被害者の女性だね。もう安心したまえ」
警察組織に連れて行かれるユーリと、それを追いかけるリリア。なんとも締まらない再開に、ヒョウとトアが顔を見合わせ、カノンも「流石でしょう」と呆れた笑顔を浮かべてそれを眺めていた。
「そう言えば、どうして皆さん助かったんですか?」
小首を傾げたカノンに、ヒョウが「さあな」と天を仰いだ。
「忘れてもうたわ」
ニヤリと笑ったヒョウの顔に、カノンは「覚えてるじゃないですか」と口を尖らせて腕を振り上げた。
ユーリ達が帰ってきたという喜びの一報は、即座に街中を駆け巡る事になる……同時に期間早々、警察組織のお世話になった事も。
どれもこれもがユーリらしいと、誰も彼もが笑顔を浮かべながら、連行されたユーリの姿を一目見ようと、留置所に集まったのはまた別のお話……。
澄み渡った青空の下、その日はいつも以上に明るい笑い声が、街中に響いていた。いつまでも、いつまでも――
――『終末の歌姫と滅びの子』 完――
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イスタンブールから遠く離れた荒野の一角……そこは、数か月前にダンジョンがあったと言われるカッパドキアだ。
ダンジョンは姿を消しても、今なお残る地下都市跡には、表から逃げてきた人々が身を寄せ合うアンダーグラウンドが形成されつつあった。
そんなアングラの奥深く、誰も近づかない場所に一人の女が座り込んでいた。
「生体プログラム『アップルシード』……【白面】の作ったものですか」
壊れかけたコンソールを触るのは、かつてロイドの秘書としてそばに仕えていたシェリーだ。
「星の核へとアクセスすることで、ほんのわずかな過去を改変するプログラム……」
画面をスクロールしていくシェリーが、「一体いつから予測してたのでしょうか」とタマモの未来予知とも言える用意周到さに身震いした。
シェリーには全く読み取れないプログラムの一部に、ユーリ達が帰還できた理由が記されている。
タマモはこのプログラムを星の核に読ませることで、一時的に星に変わって『観測者』となっていた。しかもそれは今ではなく、過去のある瞬間において、である。
ある地点……つまりユーリたち八人が揃った時に合わせて、タマモは己を『観測者』とするプログラムを星へと注入していた。星が過去を辿っている最中だからこそ出来た芸当だろう。
『観測者』たるタマモが認識したことで、【八咫烏】の八人は、いや不安定だった量子の位置は固定されたのだ……この世界線に。
星の核を利用し、強制的に自分達の存在をこの世界に固定したタマモ。恐るべき頭脳と能力にシェリーは敵だった彼女の強大さを今まさに感じている。
ちなみにホムンクルスのトアの存在も、カノンの遺伝子と【八咫烏】の遺伝子と書き換えられている。
【八咫烏】の存在を世界線に固定する。つまりタマモやトーマもこの世界に戻って来れたのだが……彼らは魂だけの存在として世界に戻ってきた。。
罪滅ぼしか、はたまたあの世で仲間たちと語らいたかったからか。今となっては知るよしもなければ、シェリーにそれが分かる日は来ない。
一通りプログラムを上から下まで眺めたシェリーが、大きく息を吐き出した。
「私程度では理解は出来ませんが、来る日に備えて大事に保管しておきましょう」
コンソールを大事そうに脇においたシェリーが、大きくなったお腹をさすった。
「いずれ……何世代先になろうとも……」
淡く光るコンソールの画面が、お腹をさするシェリーの優しげな微笑みを照らす。
「ロイド様……あなたの夢は、【女神庁】は必ず復興させて見せます」
その笑顔を獰猛なものに変えた――瞬間、コンソールの電源が切れ、世界は完全な闇に包まれた。
Continue to 傭■■■■■■■■■■■■■■■ ザッザザザー………
夜にでもおまけを公開します。
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