第257話 日はまた昇る
加速したユーリが、右に左にステップを交えながらトーマに迫る――独特のステップはユーリの身体を二つ、三つと分身させ……トーマの前には駆ける三人のユーリが出現した。
迫る三人のユーリを前に、トーマの瞳が油断なく光った。
「そこだ!」
トーマが剣撃を飛ばしたのは、まさかの天井だ。
事実トーマの剣撃の先には、天井に着地するユーリの姿があった。
トーマの放った剣撃と、天井を蹴ったユーリの飛び蹴りがぶつかり合う。
一瞬の拮抗の後、ユーリの蹴りがトーマの剣撃を掻き消した。
迫るユーリの靴底に、トーマが舌打ちをもらして左腕を上げた。
ユーリの蹴りを受け止めるトーマの左腕。
衝撃でフロア全体が大きく揺れる。
ミシミシと軋む左腕に、トーマが顔を歪めてユーリの足を払い除けた。
ユーリがクルクルと回転して着地。
動きが止まったユーリ目掛けて、今度はトーマが突っ込んだ。
両手で持った剣をトーマが振り下ろす。
鼻先を掠める切っ先……が、跳ね返るようにユーリの喉元へ襲いかかった。
トーマの左切り上げを、ユーリがブリッジ。
と同時に、左足をトーマの左頬へ。
ユーリの変則的な蹴り上げを、トーマが仰け反って躱す。
空振ったユーリはそれでも止まらない。
倒立のまま開脚回転。
迫る連撃に、トーマが堪らずバックステップで距離を取った。
再び切れた間合いに、トーマが大きく深呼吸をしてユーリを睨みつけた。
「……しつこいな。そろそろ死んでもいいんだぞ?」
「やなこった。死ぬときゃ家族に看取られて大往生って決めてんだよ」
挑発するようなユーリの笑顔に、「この期に及んで……」とトーマが顔を歪めた。
「こんな時だから、だろ」
鼻を鳴らすユーリに、トーマが眉を寄せた。
「こんな時だからこそ、希望を語らねぇでどうすんだ」
嘲笑を浮かべるユーリを、トーマは黙ったまま睨みつけている。
「世界に復讐だ? 皆の無念を晴らすだ?」
嘲笑を浮かべたままのユーリが、
「そうやって皆のためだ何だと……お前はお前の弱さを皆のせいにしてるだけだろ」
ユーリがイヤホンケースの蓋を「パチン」と鳴らした。
「……さい」
「隊長として生きるだ? 笑わせんな」
「……るさい」
「お前がするべきだった事は――」
「うるさい!」
初めて見せるトーマの激昂した表情と、憎悪に染まった瞳。その圧を真正面から受け止めるユーリだが、「ケッ」と鼻を鳴らすだけで涼しい顔だ。
「お前に何が分かる! あの時の絶望が! あいつらを手に掛けた罪悪感が! 救えなかった無力さが!」
トーマから迸る闘気が、巨大な異形を象っていく。恵梨香が見せた異形よりも大きな鬼……鬼神の名に恥じぬ、巨大な異形を背負ったトーマが刀を霞に構えた。
「ユーリ……俺はこの復讐を完遂させる。お前を殺してでも」
鬼の形相。この言葉がこれほど似合う顔つきはないだろう。憤怒に染まった表情でトーマがわずかに腰を落とした。
「やってみろフニャチン野郎」
嘲笑を浮かべるユーリもまた、背後に異形を背負う。形容し難い何かを背負ったユーリが、イヤホンケースを親指で真上に弾いた。
その瞬間トーマの姿が消え、遅れて彼の立っていた床が弾けた。
ユーリが殴ってもびくともしなかった床、それを弾けさせる程のトーマの踏み切りは、一瞬でその身体をユーリの目の前に運んだ。
突き出される神速の突き。
迎え撃つのはユーリの左クロスカウンター。
トーマの切っ先がユーリの左耳を掠め、文字通り空を貫いて吹き飛ばす。
走る衝撃がユーリの肩と左耳を裂いた。
とほぼ同時にユーリのカウンターがトーマの顔面を捉え――たかと、思った瞬間トーマが後ろへ飛んだ。
開いた間合いにユーリの拳が空振り、トーマが着地と同時に回転。
ユーリの右首に迫る刃。
その切っ先をユーリの右拳が打ち上げた。
真上に逸れた切っ先が、落ちてきたイヤホンケースを両断する。
宙でわずかに走った雷光に、一瞬それたトーマの視線。
ユーリが右足でトーマを押しのけ距離を取った。
二、三歩下がったトーマの目の前では、ユーリがケースから飛び出したイヤホンを掴んで装着する。
「カノン!」
「ひゃいい」
急に呼ばれたカノンが、素っ頓狂な声を上げた瞬間、トーマが再びユーリに斬り掛かった。
トーマの乱舞――「BGMだ」――ユーリが躱し手甲で弾く。
トーマの三連突――「かっくいいやつな!」――ユーリのヘッドスリップ……からのカウンターの正拳。
ユーリの左正拳をトーマが
回避の勢いを乗せたトーマの回転横薙ぎ。
迫る刃をユーリがダッキングと同時に足払い。
ユーリの足払いにトーマが跳躍。
丁度背中を向けたユーリをトーマが飛び上がりながら蹴飛ばした。
「アダッ――」
背中を蹴られたユーリがゴロゴロと転がる。
ゴロゴロと転がるユーリ目掛けて、鬼の形相のトーマが飛び上がり刀を両逆手に突き立てた。
迫る切っ先にユーリが仰向けで停止……かと思えばそこから跳ねるように後方回転。
トーマの突き立てた切っ先が、ユーリの尻を掠めて床を穿つ。
それとほぼ同時、ユーリが突き出した両足がトーマの胸に突き刺さった。
吹き飛ぶトーマが宙で受け身を取った頃、ユーリの耳にようやく待望のBGMが届いた。
「いいね……踊ろうか」
獰猛な笑みを浮かべたユーリが加速。
ダンッ、ダンッ、と音を上げる程の一歩一歩が、再びユーリの身体を三つに――
「一つ覚えが!」
トーマが全ての分身と天井のユーリへ同時に剣撃を飛ばした。
分かたれ霧散する残像と、弾けた天井……
その瞬間、遠くで「ドン」と何かが弾けた音が……聞こえたと思った時には、トーマの真横からユーリが突っ込んでいた。
ユーリの跳び後ろ左横蹴り。
辛うじてトーマが右腕で受け止めるも、ミシミシと骨のなる音がカノン達の元まで聞こえて来そうだ。
勢いに堪らず吹き飛ぶトーマが、壁にぶつかり部屋中を揺らした。
「おら、さっさと立て」
逆手で手招きするユーリに、トーマが壁を弾けさせて立ち上がる。
「こんなもんか? 悲劇のヒーロー」
「黙れ! 何も知らないくせに!」
叫ぶトーマに、ユーリが「フン」と鼻を鳴らした。
「知らねぇし、知りたくもねぇよ」
その言葉にトーマの顔が更に怒りに染まっていく――
「生きてる奴らを蔑ろにしてきた阿呆の戯言なんて、な」
ユーリが初めて見せたのは、トーマすら凌ぐ程の憤怒の表情だ。初めて見せるユーリの表情と、その言葉を噛み砕けなかったトーマが「何を?」と眉を寄せた。
「奴らが俺達にした事は許せねぇ。リンコ達の事は特に、な。あのリンコが世界を呪ったくらいだ。連中を皆殺しにするくらい、俺でもやっただろうよ」
唇を噛み締めたユーリが、ゆっくりと構えを取った。
「なら、ならばなぜ――」
「でもな。それを恵梨香やタマモンに押し付けんなよ」
ユーリの言葉にトーマがハッとした表情を浮かべた。
「死んだやつの願いを聞き入れる? 大いに結構だ……だがな、生きてる奴の気持ちは、思いは汲んでやったのかよ?」
真っ直ぐなユーリの視線に、トーマはわずかに視線を逸らした。事実、恵梨香たちには折に触れて意思を確認していたが、果たしてそれが本心だったかは分からないのだ。
「お前が真にするべきだったのは、生き残った二人に朝日を見せてやる事じゃなかったのかよ?」
唇を噛み締めうつむくトーマに、ユーリが大きく溜息をついた。
「っても……俺もヒョウも、お前に任せっぱなしだった責任はあるわけで」
ニヤリと笑ったユーリがトーマにもう一度手招きをした。
「詫び代わりに俺がお前らに見せてやるよ――」
大きく息を吸い込んだユーリが優しく微笑んだ。
「――悪夢を打ち払う、朝日ってやつをよ」
ニヤリと笑ったユーリが、爪先をトントンと打ち鳴らした。
――トン、トン、トン、ト――
完全に姿を消したユーリがトーマの目の前に。
目にも止まらぬ右の連撃を、トーマがスウェイ気味のヘッドスリップで躱し――続けていたトーマの身体が後ろに傾いた。
トーマが顔を歪めて、足元を盗み見た。
トーマの右踵に添えられるようなユーリに右足。
足払い……ジャブのステップに混ぜて、ユーリは右足を密かにトーマの足に絡めていたのだ。
グラリと傾いた身体でトーマが無理やり後ろへ跳んだ。
叩きつけるようなステップで、トーマが体勢を整えた――
――頃には、既にトーマの右側頭部にユーリの右踵が迫っていた。
間合いを詰めながらユーリが放った右後ろ回し蹴り。
その追撃にトーマが堪らずガードの右腕を上げた。
空間を震わせたユーリの蹴りが、トーマの身体を吹き飛ばす。
吹き飛んだトーマが宙で受け身を取る――先に、現れたユーリの右オーバーハンドブロー。
叩きつけるような一撃で、トーマの身体が地面を跳ねる。
跳ねて転がるトーマをユーリが追う。
駆けるユーリへ向けて、トーマが堪らず幾重もの魔法を放った。
炎、氷、礫、風、雷。ありとあらゆる種類の魔法が、真っ直ぐ駆けるユーリ目掛けて襲いかかる。
飛来する魔法の数々に、ユーリは怯むことなくただ真っ直ぐに駆ける。
幾つかの魔法がユーリを穿つ……が、爆風を突き破って現れたユーリに効果があったとは思えない。
それでもトーマは、稼いだわずかな時間で体勢を整えた。
迫るユーリへ「舐めるな!」とカウンター気味に切っ先を突き出した。
体勢は万全。
タイミングも完璧。
リーチの差もある。
誰も彼もが完璧なカウンターに息を飲んだ。
ユーリの額に吸い込まれていく切っ先――が当たる直前でユーリがわずかに顔を逸らせた。
トーマの切っ先が、ユーリの左耳からイヤホンを吹き飛ばしたのと同時、ユーリが踏み込みと共に両拳をトーマの刀の腹に向けて叩き込んだ。
衝突箇所をズラした左右からの挟撃。見覚えのあるそれに「あれは……」とエレナが呟いた頃、トーマの刀がやたら輝いて宙を舞っていた。
「くっ――」
折れた刀を放り、新たな刀を――出そうとしたトーマの顎に、ユーリが右拳を真横に振り抜いた。
刀を折り、交差していた腕を開放するような横薙ぎ。
今までのユーリらしからぬ変則的な軌道に、トーマの反応がわずかに遅れる。
迫る拳にトーマがスウェイ。
ユーリの拳が開かれ、手刀の形に――
伸びた指の分、わずかなリーチが勝敗を分かつ。
トーマの顎先をユーリの指が捉えた。
カクン、とトーマの顔が揺れ――「マズい」――た時には遅かった。
軽い脳震盪。
身体の自由が効かないトーマの前で、ユーリが両拳を握りしめ獰猛な笑みを浮かべた。
「もっと色男にしてやんよ」
容赦のないユーリの両拳が、トーマの全身に突き刺さる。
激しい音を立てて、めり込むユーリの拳が、トーマの身体を浮き上がらせる。
身体が浮き、完全に
その顎をユーリが思い切り蹴り上げた。
打ち上げられたトーマは、さらに揺れらされた脳のせいで受け身も取れない。
フワリと浮かぶトーマが見たのは……全身の黒い闘気を突き出した両腕へ集めるユーリの姿だ。
「テメェの恨みも、悲しみも、何もかんも、ふっ飛ばしてやるよ」
笑顔のユーリが両手に集まった魔力を解き放った。
迫る暴力的な魔力の奔流に、トーマは「強すぎるな……相変わらず」と小さく笑って目を閉じた。
ユーリの放った破壊光線が天井を、ダンジョンの階層を、そして雲をを突き破って宙の向こうへ消えていった。
開いた大穴から見えるのは、ユーリが雲をかき消した事で現れた太陽だ。天から降り注ぐ日の光が、ユーリと傍らに転がるトーマを照らしている。
「……なぜ、外した?」
納得がいかない、そんな表情のトーマにユーリは「フン」と鼻を鳴らした。
「朝日見せるっつって、ぶっ殺しちゃ意味ねぇだろ」
ドサリと音を立てて腰を下ろしたユーリに、「お前は本当に変わらないな」とトーマがわずかに顔を背けた。
「お前も変わってねぇよ」
笑うユーリがトーマの胸を拳で軽く叩いた。
「思い込みが激しくて、仲間思いで、情に厚いくせに……自分の事は直ぐに犠牲にする」
ユーリの言葉に、顔を背けるトーマの瞳が少し潤んだ。
「変わんねぇ。昔のまんま。俺らが信じた大嶽冬真のまんまだ」
トーマの隣にユーリが大の字に寝転んだ。
「だから、恵梨香もタマモンも、お前について行ったんだろ。破滅の道だとしても」
大きく息を吐き出したユーリの横で、トーマの肩が震える。
「で? どうよ。朝日を拝んだ感想は?」
「……まぶしいな」
「んだよそのバカみてぇな感想はよ」
口を尖らせたユーリの横で、目に涙を浮かべたトーマが開いた大穴へと向き直った。
「……忘れていたよ。陽の光とは、世界とは、こんなにも眩しいものだったのだな」
トーマの瞳から一筋の涙が溢れた。
「ようやくらしい事言えたじゃねぇか。それで良いんだよ、このポエマーが」
悪態をつきながらも、ユーリはその涙を見ないように、ただ真っ直ぐ大穴を見つめていた。
「まあ、時間的には朝日というには遅いが」
「お前な、そういう所だぞ」
大穴を見上げる二人が、ほぼ同時に笑い声を上げた。二人が上げる笑い声を、天から降り注ぐ太陽が祝福しているようだ。
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