第256話 空気を読んでこそ大人

 エレナは黙ったままヒョウを眺めていた。タマモを優しげに起こす姿も、ヘラヘラとしているようで、今も隙のない立ち振舞も。何もかもがヒョウそのものなのだ。


 今まで幾度となく言葉を交わし、剣を交えて来たというのに、今はただ黙って見ているしか出来ない。


 生きていた事への喜び。

 今まで連絡一つ寄越さなかった事への憤り。

 タマモを見逃す事への不安。


 様々な感情がごちゃ混ぜになって、エレナはヒョウの背中に上手く言葉を紡げないのだ。そんなエレナの気持ちを知ってか知らずか――


「ヒョウ〜!」

「お前、生きてたのかよ!」

「……俺は信じてた」

『お前ら、俺が行くまで待てよ!』


 喜びを爆発させた砂漠の鷲アクィラの面々が、ヒョウに向けて突っ込んだ。


 ヘッドロックした頭を撫で回すダンテ。

 脇を小突くロラン。

 その周りをウロウロするディーノ。

 そして――『俺も混ぜろ』――未だ遠くから駆けてくるのだろうルッツ。


 四人の他にも、カノンが破顔し、あのクロエでさえ「息災だったか」と微笑みかけている。輪の中に中々入れずエレナの横で、不意に「パァン」と激しい音が響いた。


 音のした方向を見やると……そこには扇を開いて溜息をつくエミリアの姿があった。


「行かないんですの?」


 視線を向けるエミリアに、「いや……」とエレナは歯切れの悪い言葉を返した。


「こんな時、どんな顔をすれば――」

「何言ってんだよ」


 頬を掻くエレナは、背後からの衝撃にわずかにつんのめる。後ろからエレナの肩に手を回したリンファが、「簡単だって」とニヤリと笑ってみせた。


「簡単?」

「ああ。簡単だ」


 頷くリンファが、「こういう時はな――」と笑いながらエレナの背中を強く押した。リンファに押される形で勢いよく飛び出したエレナの背中に声がする。


「こういう時は、『会いたかった』って抱きつきゃ良いんだよ」


 エレナの後ろで、リンファはニヤニヤしているのだろうか。だがそれを振り返る事は叶わない。なんせ、勢いよく飛び出したせいで、ヒョウを囲んでいた輪がエレナを迎え入れるように割れてしまったのだ。


 向かい合うエレナとヒョウ。


「……その、なんだ――」


 視線を下に、モゴモゴと呟くエレナ――を不意にヒョウが抱きしめた。周囲から響く「ヒュ~♪」という口笛を他所に、ヒョウが力強くエレナを抱きしめる。


「……連絡もせんとごめんな」

「いや……仕方がないだろう」


 ヒョウの背中に手を回すエレナは、彼の左手にデバイスが無かった事に気づいている。崖から落ちた時にでも破損してしまい、そのままだったのだろう。


 しばし抱きしめあっていた二人だが……


「さて、イチャコラしたい所やねんけど」

「まだ戦いの途中だからな」


 ……同時に微笑んだ二人がその手を話して同時に頷いた。エレナの言う通り、彷徨う大顎ミタスタシスこそ消えたが、未だ溢れたモンスターは健在なのだ。人類側が再び押し返しているとは言え、ここでノンビリ談笑している場合ではない。


 それに、ユーリとトーマも未だ戦っている途中だろう。二人の戦いも見守らねばならない、とヒョウはタマモを振り返った。


「タマちゃん、行けそう?」

「なんとかー。誰かさんがしてくれたさかいー」


 自身をある程度癒やしたタマモが、大きく深呼吸をしている。砕けた肋骨も問題なく治ったらしい。


「ほな行こか」


 ダンジョンの入口を顎でしゃくったヒョウに、タマモが黙ったまま頷いた。


「ちょいとユーリくんの様子を見てくるわ」


 笑顔のヒョウが親指で入口を指し、そのままタマモと二人でダンジョンへ向けて歩きだした。遠ざかるヒョウの背中に、エレナが思わず「ヒョウ……」と呟き手を伸ばしてしまう。


 声が聞こえたのだろう、振り返ったヒョウが「ちゃんと戻って来るさかい」と笑顔で手を振り、再びダンジョンへ振り向く――


「ヒョウ。お嬢も連れて行ってくれ」


 ――その背中に今度はロランの声が届いた。


「いや、私は……」


 驚くエレナを尻目に、大きく溜息をついたロランがヒョウに笑いかける。


「お嬢一人いなくても、俺達なら大丈夫だ……?」


 笑顔のロランに、「そうだな」とクロエも頷いた。


「エレナばかり活躍していて、困っていた所だ。ここらで我々にも活躍の場を残して貰わねば」


 ニヤリと笑ったクロエがエレナの肩に手を置き、「バーンズ、お前も見届けてこい!」とカノンを振り返って一足早く戦場へと駆け出した。


 クロエの背中に「ガッテンです!」とカノンが敬礼を返す横では、ダンテが同じようにクロエの背中を見送っていた。


「これが終わっちまったら、気軽に暴れられなくなるからな〜」

「それは困る! 全員ワシが切り刻んでやるッ!」


 言うや否や駆け出したノエルに、ダンテが苦笑いで肩をすくめた。


〜」


 まるで何でも無い別れのように、ダンテはヒョウに手を挙げ、既に小さくなったノエルとクロエの背中を追うように戦場へと戻っていく。


「さて、焦土の鳳凰フェニックスも最後まで務めを果たしますわよ」


 扇を閉じたエミリアの言葉に、ゲオルグ、ルカがそれぞれ武器を手に戦場へと駆ける――


「トア」

「リンリン……」


 もじもじとするトアに、リンファが「お前も見届けて来いよ」と軽く額を小突いた。


「こっちは片付けとくからよ」


 魔導銃マジックライフルを肩に、格好良く去っていくリンファの背中に、トアが「わかった」と力強く頷いた。


 リンファの背中が小さくなった丁度その頃――


「……はぁ、はぁ……あれ? 皆は?」


 ようやくたどり着いたルッツに「……戻るぞ」、とディーノが今来たばかりの道を顎でしゃくってみせた。


「は? 戻るって? え?」


 呆けるルッツをディーノが引き摺って、ルッツが今来たばかりの道を戻り始めた。


「ヒョウ、なんか分かんねーけど、元気な姿が見れてよかったぜ」


 引き摺られながらも手を振るルッツに、ヒョウも笑顔で手を振った。


「フェン、ラルド。俺達も戻るぞ」


 ロランに肩を叩かれた二人が、「はい」と力強く頷いて、一度だけエレナを見た。


「リーダー。こっちは任せろ」

「ぼ、僕たちも頑張ります」


 エレナの言葉を待たずに、駆け出した二人の背中をロランが眩しそうに眺めている。


「じゃ、お嬢の事頼むわ」


 二本指で気障ったらしい敬礼を残して、ロランも皆が暴れまわる戦場へと戻っていった。


 全員がヒョウとエレナのための時間を作るために、疲れた身体にムチを打って戦場へと帰っていったのだ。仲間の気遣いに、ありがたいやら、申し訳ないやらで……エレナはどうしていいのか分からず、ヒョウを振り返った。


 そこにあったのは、優しいヒョウの微笑みだ。


「ほな、一緒に行こか」

「いいのか?」


 首を傾げたエレナに、「良いも悪いもないやろ」とヒョウが肩をすくめた。


「皆が大丈夫や、って言うてんねやったら、信じたらな」


 微笑むヒョウにエレナが黙って頷いた。


「アタシは駄目って言われてもついていくし」


 胸を張ったトアを、タマモが優しく撫でる。


「エエよー。一緒に行こかー」


 優しく微笑むタマモに、トアも黙って頷いた。


「皆さん、急ぎましょう!」


 既にダンジョンへ突入しそうなカノンに、ヒョウとエレナが顔を合わせて少しだけ微笑んだ。


 ダンジョンの入口からは、中の激闘を表すような音が響いていた。



 ☆☆☆



 ダンジョンの中をヒョウ達五人が駆け抜ける。地表でも感じられた気配は、ダンジョンを進む毎に圧力を増し、今や踏み出す一歩を躊躇わせるほどの重さだ。


 気配だけではない。揺れる壁も天井も、パラパラと落ちてくる砂埃も……どれもこれもが二人の戦いの激しさを物語っている。


 エレナの持つ地図と二人が発する気配を頼りに、四人は迷うことなくダンジョンを駆け抜けていく。


 一度もモンスターに遭遇しない奇妙なダンジョンだが、それだけ星の核が入口前の戦いに力を使った証左だろう。


 つまりこの戦いの勝者が星の核へと手を伸ばせる。


 星の核を覚醒させるのか。

 星の核を破壊するのか。


 まさしく世界の、星の命運をかけた戦いへ、ようやく四人がたどり着いた。


 淡く光るだだっ広い空間……そのほぼ中央でユーリとトーマは、誰も見たことがないような楽しそうな顔で、命のやり取りの真っ最中だった。


 ぶつかり合う二人を、入り口付近でリリアが心配そうに見つめている。


「リリア!」


 不意に名前を呼ばれ、リリアの肩がビクリと跳ねた。振り返った先に見たエレナにリリアが泣きそうな顔で「エレナさん!」と駆け寄る。


「ユーリは?」

「分からない……」


 首を振るリリアだが、その不安そうな顔が全てを物語っている。


「分からないけど、何だか相手より沢山血が出てる気が……」


 リリアがそう呟いた時、激しい音を立ててユーリが入口近くの壁に衝突した。


「ハァ…はぁ……どうだ、ユーリ……」


 肩で息をするトーマが、壁に減り込んだユーリを睨みつけた。


「……バカか。ちっと足を滑らせただけだ」


 ニヤリと笑ったユーリが、一度壁に背を預け大きく足を振り上げ反動で立ち上がった。


 ゆっくりとトーマへ向けて歩きだすユーリが、唐突にリリア達を振り返った。


「おいバカヒョウ。


 生きていた事を知っていたかのようなユーリの口ぶりに、「ゴメンゴメン」とヒョウが思わず謝ってしまう。


「ったく、覚えとけよ。上が心配で気が散って仕方なかったんだぞ」


 ブツブツ呟くユーリが大きく息を吐き出して「リリア」と今度はリリアを見た。


 血だらけで、埃まみれのユーリの顔に「な゙、何?」とリリアが思わず声を上ずらせた。


「よく見とけ。お前が惚れた男が、この世界最強の男が、きっちりバッチリ世界を救うところをな」


 いつものように勝ち誇った笑顔のユーリに、リリアも思わず「うん」と頷いしまう。


「よしよし。覚悟しろよトーマ。こっからユーリくんの反撃開始だ」


 トーマを前に獰猛に笑ったユーリが、その姿を消した――

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