第254話 遅れてくるからヒーロー

 ユーリとトーマが本気でぶつかり始めた頃、地表での戦いはモンスター側に勢いが移り始めていた。倒しても倒してもキリがないモンスターに対して、人類側の疲弊が目立ち始めているのだ。


 それでも誰も逃げ出さないのは、この場に集まったのが覚悟を持った人々だからだろう。


 ここで負ければ、人類に明日はない。ここで死ぬか、明日死ぬかの違いを理解しているのだ。


 厳しい戦いになると分かって集まった、覚悟を持った人々だからこそ、この状況でもまだ総崩れにならずに済んでいると言えるかもしれない。


 そんな人々の期待に応えるように、サイラス自らも武器を手に戦場を駆け回っているのだが、いかんせん敵の数が多すぎて焼け石に水状態だ。


「くそっ! このままじゃジリ貧だぞ!」


 叫ぶロランが周囲に群がるモンスターを吹き飛ばした。


「ルッツ! あのデカいのに一発食らわせられねーのか?」


 駆け出したロランが片手でイヤホンを抑えながら、すれ違いざまにモンスターを斬り捨てる。視線の先にはモンスターしか見えないが、その向こうには魔導銃マジックライフルを構えているだろうルッツ達狙撃隊がいるはずだ。


『何発かぶち込んだが……火力が足りねーな』


 イヤホンの向こうから聞こえたのは、焦燥が感じられるルッツの声だ。


「伊達にデカいだけあるな」


 歯噛みしたロランが、自身の手にある双刃を見た。小型モンスターから大型と言われる巨人クラスまで……戦い方一つで十分渡り合ってきた代物だ。エルフの集落に辿り着く前には、ユーリやダンテと協力して巨大な空飛ぶ獅子すら倒した。


 彷徨う大顎ミタスタシス相手でも倒せる自信はあるが、恐らく少なくない時間がかかるだろう。であれば――


「ブルーノ。無茶を承知で言うが、あの女を先に倒したい」


 ――イヤホンを押さえたロランの耳に、『確かにそうだが』とブルーノの苦い声が届いた。


 この状況をひっくり返すには、タマモを倒してエレナやクロエと言った火力役と協力して彷徨う大顎ミタスタシスを叩くのが一番良い。


『俺の見立てじゃ、お前とディーノが抜ければそのラインは瓦解するぞ』


 ブルーノの言う通り、今も無言で敵を屠っているディーノと、話しながらも敵を倒すロランあっての戦線維持だ。そしてそれはここだけの話しではない。


 エミリア、ルカ、ゲオルグ、リンファ、ルチア……前衛で戦うメンバーと、アデル、ヴィオラ、ルッツ、イリーナと後衛からの的確な援護が噛み合っているからこそ、押されながらも踏みとどまっている部分がある。


 ロラン一人抜ければ、その穴を埋めるのはルッツやディーノだ。


 そうすれば二人の負担が増し、別の部分にシワ寄せが行く。そのシワ寄せは、別の部分へと……波及したシワが亀裂に変わるのは火を見るより明らかである。


 ロランだって分かっている。分かっているからこそ「クソ……」と苦虫を噛みつぶしたような表情と恨み節を呟くことしか――


 その時、ロランの耳に……いや、戦場にいた全員の耳に、地を揺らす轟音が響いた。


 震える大地。

 巻き上がる土煙。

 響く阿鼻叫喚。


「今度は何だよ」


 ロランが顔を顰めた瞬間、曇り空を覆う黒い影が見えた。


 見覚えのあるそれに、ロランが瞠目して空を見上げ……


『喜べ。――』


 ……ブルーノの嬉しそうな声がロランの耳に届いていた。


 空をかける黒い影――古代竜エンシェント・ドラゴンが、彷徨う大顎ミタスタシスやモンスターへ向けてブレスを放っていた。







 ロランがブルーノと通信でやり取りをしていた頃、エレナ達四人は本気のタマモを前に手も足も出ないでいた。


 クロエの炎と剣も

 エレナの刀剣術も

 ノエルのトリッキーな動きも

 ダンテの二丁拳銃も


 そしてそれらが作り出す完璧な連携も、どれもこれもがタマモに掠りもしないのだ。


 圧倒的強度の防護壁。

 得意ではないと言いながらも、エレナ顔負けの近接戦闘能力。


 そして――


「次はー何にしよかー」


 ――パチンと指を鳴らすだけで、アデルやヴィオラ級の魔法をポンポン放ってくる凶悪さだ。


 地水火風はもちろんの事、雷に氷。豊富な属性に加え、それらを組み合わせる多芸ぶりだ。目の前にいるのは一人の筈なのに、大勢の敵を前にしているかのような疲労感が四人を襲っている。


「どないしたんー。もう諦めるんー?」


 タマモが鉄扇で口元を隠して「ホホホ」と上品に笑った。


「諦めるわけなどないだろう」


 切っ先を向けるエレナに「ふぅん」とタマモが面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「星を壊しー、悲しみを増やすだけやのにー?」


 細められたタマモの瞳には、言い表せぬ程の憤怒が見える。込められた怒りと殺気に、エレナの頬に汗が伝ったその時、「例え――」と隣で同じようにクロエが切っ先をタマモへと向けた。


「例えー?」

「例え先に待つ未来に悲しみが待とうとも……我々は明日を諦めるわけにはいかない」


 クロエが叫んだその時、全員の耳に巨大な爆音が届いた。


 空を駆ける黒い影と、全員の耳に届いた『援軍』という喜びに満ちたワード。どうやら竜神イルルヤンカシュが、この戦場に眷属を遣わせてくれたのだろう。


 人々が上げていた阿鼻叫喚はいつの間にか喜びに。

 燃え上がるモンスターが上げる煙がそこかしこに。

 食いちぎられ、破壊された彷徨う大顎ミタスタシスが倒れていく。


 一気に転がった状況に、タマモが「わややわー」と困った表情を見せ――たかと思えば、急に鉄扇で頭を隠した。


 響く金属音に、タマモが魔弾を弾いたとエレナ達が気づいた。


『この距離で止めるの? めちゃくちゃじゃない』


 全員の鼓膜を叩いたのはイリーナの声だ。最後方から放たれた狙撃に反応したタマモだが、その顔が少しだけ強張っている。


 初めて見せるタマモの表情だが、その理由にエレナ達は即座に気がついた。


 最後方からここまで通る射線。

 モンスターではなくタマモを狙った狙撃。


 つまり、モンスターを無視しても構わない状況になったのだ。


 それを証拠に、「騎士道に反するが」と飛び込んできたゲオルグが、タマモへ拳を振り抜いた。


 面での攻撃にタマモが防護壁で己を覆うが、防護壁を一撃で砕くゲオルグの拳に、タマモが初めて驚いた表情を浮かべた。


「恐ろしいーお人やなー」


 それでも笑顔に変わったタマモが、指を上に持ち上げれば、ゲオルグの足元が勢いよく突き出した。


 宙へ放り出されたゲオルグ目掛けて、三六〇度全方位から数え切れぬ程の氷の槍が襲いかかる。


 受け身も取れていないゲオルグに、タマモが興味をなくしたように視線を逸らし、「次はー」と口走った瞬間、飛び込んできたルカがゲオルグの背を庇うように大剣を振り回した。


 背後の半分をルカが、前方をゲオルグが担当し、上下の槍は空中で弾けるように霧散した。


『隊長、勝手につっこむなよ』


 ゲオルグの耳を叩くリンファの声に、「面目ないのである」とゲオルグが恥じたように頭を掻いた。


 ゲオルグ達と対照的に、面白くなさそうなのはタマモだ。


「かわいないなー」


 わずかに眉を寄せたタマモへ、エミリアの蛇腹剣が襲いかかった。


 飛び退くタマモの背後にロランの姿。


 振り抜かれた双刃を、タマモの鉄扇が受け止め――た真上からフェンが降ってきた。

 突き立てられた双刃を、タマモが防護壁で受ける。


 切っ先と防護壁がチリチリと火花を散らす。

 完全に受けきったタマモの真横から、ラルドの戦鎚が叩き込まれた。


 防護壁を砕き、タマモを捉えた一撃がその身体にめり込む。

 骨を砕き、肉を潰す音を残してタマモが吹き飛んだ。


 地面に跳ねて転がるタマモに、全員がわずかに気を緩めたその時、一気に加速したエレナが、ラルド目掛けて刀を振り下ろした。


 迫るエレナにラルドが思わず目を瞑り――響いた金属音と訪れなかった痛みに、恐る恐る目を開いた。


 そこにあったのは、タマモの鉄扇を受け止めるエレナの姿だ。


 吹き飛んだはずのタマモとエレナが切り結ぶ状況に、「え?」とラルドは思わず声をもらして、飛ばしたはずの方向を見た。そこにあったのは、破れた紙人形だ。


 呆けるラルドを尻目に、エレナは刀を押し込もうとその力を込めている。


「クロエ!」


 エレナの叫びに「すまない!」とラルドを弾き飛ばしてクロエが滑り込んだ。


 炎を纏ったクロエの横薙ぎ――それをもう一本の鉄扇でタマモが受けた。


「まだだ!」


 クロエの剣が纏っていた炎がタマモへ襲いかかる。

 タマモを包みこんだ炎に、クロエとエレナが大きく飛び退いた。


 燃え上がるタマモ……が両手の鉄扇を振り回した。

 巻き上がる竜巻がクロエの炎をかき消し、服が煤けたタマモの姿を顕す。


「アレで死なんのか」

「だが、押してる」


 同時に頷いたエレナとクロエを、タマモが睨みつけた。


「皆、行くぞ――」

「待って!」


 声を上げたエレナとタマモの間に、トアとカノンが滑り込んだ。


「君達……」


 たたらを踏んだエレナに、「お願い、待って」とトアが真剣な顔で掌を突き出した。その隣では、なぜか通せんぼの格好で立ち塞がるカノンの姿もある。


「マモ姉さん……」


 振り返ったトアに、タマモが「生きとったんやなー」と微笑んだ。


「うん……ししょーの仇討ちに行って、返り討ちにあったんだけど――」


 そうして今まであった事を話すトアに、「うんー、うんー」とタマモが優しく頷いている。


「だから、この人達は悪い人じゃないし、マモ姉さんもタイチョーさんも、もう――」

「ありがとなートアちゃんー」


 タマモがトアの頭を優しく撫でた。今だけは黒い気配も霧散し、その見た目同様優しげな姉にしか見えない。くすぐったそうに目を細めるトアに「でもなー」とタマモが一瞬だけ悲しげに目を伏せた。


「もうー戻れへんとこまで来てるんよー」


 微笑むタマモがその身体に再び夜を纏った。


「マモ姉さん!」

「ありがとなートアちゃんー。


 獰猛な笑みのタマモが、呆けるトアを抱き寄せ指を鳴らした――だが何も起きない。


 ……不発か?


 誰もがそう思った瞬間、エレナ達や古代竜エンシェント・ドラゴン目掛けて紫雲を斬り裂き無数の礫が落ちてきた。


 真っ赤に燃え上がる無数の礫が、激しい音を響かせる。


「【星降り】……味わってやー」


 古代竜エンシェント・ドラゴンを叩き落とし、地表目掛けて降り注ぐ礫に誰も彼もがただただ全力で防護壁を展開して逃げ回るしか出来ないでいた。


 降り注いだ星が止んだ頃には、モンスターの死体と辛うじて生き延びた人々の姿……狙いがエレナ達なのと、 古代竜エンシェント・ドラゴンだったのが幸いしたが、その余波だけでこの惨状である。


「時間が足らんくてー


 頬に手を当て困ったようにタマモが微笑んだ。その視線の先では、膝をつくエレナ達と、一人爆心地から逃れていたトアの姿だ。


 タマモを振り切り倒れるカノンに駆け寄ったトアが「ノンノ!」とその身体を揺すった。


「死ぬ……死ぬかと思った」


 ホコリまみれの顔でわずかに笑うカノンに、トアがホッと胸をなでおろした。


「皆、大丈夫か……」


 刀を杖に立ち上がろうとするエレナだが、想像以上の威力に身体があまり動かない。回復しようにも殆どの魔力を防護壁に回したのだ。一気に魔力が抜けた身体は、魔力欠乏状態で思うように動かないのだ。


 周囲を見回せば、一応全員無事には見えるが継戦が可能かと言われれば微妙なラインだろう。


 しかも間の悪いことに、打ち漏らされたのか、彷徨う大顎ミタスタシスの姿が向こうに見える。そこから溢れ出してくるモンスターを前に、今この場に集った人々はあまりにも無力だ。


「ホンマー、風情の分からへん連中やなー」


 そう言いながら彷徨う大顎ミタスタシスを振り返ったタマモが、「まーエエけどー」とエレナ達に向き直った。


 ゆっくりと手を上げるタマモが「ー吹き飛ばすさかいー」と笑顔を見せた……練り上げられていく強大な魔力に、紫雲が割れそらが顔を覗かせた。


 青空ではない、真っ暗な星空……そらごと呼び寄せるような馬鹿げた魔力に、その場の誰もが動けないままそらを、いやその先に見える巨大な岩を見ていた。


 礫などと表現出来ない大きさ。直径数キロはあるかと思われる巨大な大岩は、星と呼んで差し支えない大きさだ。


 それがそらを経由して紫雲を貫いて顔を覗かせているのだ。


「ほなーさいな――」


 タマモの顔が歪む……目の前には立ち上がりタマモに向かい合うトアの姿があった。


「トアちゃんー。何の真似やー?」

「アタシはししょーとリクに約束したし……後悔しないように生きるって」


 大きく息を吸い込んだトアが、タマモを睨みつけた。


「アタシのせいでこんな事になったなら、アタシが責任取らないとっしょ!」


 タマモ目掛けて掛けたトアだが、タマモが鉄扇を一振りするだけでトアを全方位から風の刃が切り刻む。


 タマモの直前でトアが倒れ込む……あとわずかの距離に、トアがその腕を伸ばす……が、タマモには届かない。


「残念やったなー」


 悲しげに微笑むタマモに「また……また届かない……」とトアが瞳に涙を浮かべて歯噛みしたその時――



「いんや、届いてんで――」



 ――皆には耳馴染みのある声が降ってきた。


 フワリと裾を翻し、タマモとエレナの間に降り立った影に、エレナが目を見開きわずかに涙を浮かべた。


「ヒョウ……」

「お待っとさん。ヒーローは遅れて登場するもんや」


 振り返った眼帯姿のヒョウが、エレナ達にいつもの笑顔を見せた。

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