第247話 最後の夜

 サイラスの演説で熱気に包まれた街は、一日を通してその話題で持ち切りであった。特に夜ともなれば、最終決戦まであと僅かの時を、人々は興奮と熱気に包まれながらも、思い思いに過ごしていた。


 少々浮ついた街にあって、ユーリはいつものように過ごしていた。


 ダイニングバー『ディーヴァ』。ユーリとリリアが暮らす店、そのカウンターで、ユーリは一人、いつものお酒といつもの料理に舌鼓を打っていた。


 全てがいつもと変わらない。


 開店と同時に訪れる常連の爺二人も。

 リリアの歌目当てで訪れる客も。

 マスターの作る絶品カクテルを味わいに来る通も。

 女将さんに胃袋を掴まれた若者たちも。


 皆が皆、ほとんど顔見知りのような存在だ。そんな彼らは誰もが浮かれ、誰もが明日の作戦の成功を祈ってグラスを傾けている。


 リリアが忙しそうにテーブルの間を縫って歩き、無言のマスターがひたすらカクテルを作り続け、厨房から女将さんのきっぷの良い声が響く。


 少しだけ浮ついてはいるものの、いつもと変わらない雰囲気に、ユーリもいつもと変わらず、今もカウンターの一番端で感慨深げに料理を口に運んでいる。


 最後の晩餐。


 何とも賑やかで自分らしいそれに、思わず「なあ――」とユーリは隣の席に声をかけてしまった。


 そこにあるのは、『Reserved予約席』と書かれたプレートだ。いつもなら、そろそろヒョウが入ってきてもいい時間帯なのだ。もちろん、ヒョウが来る事などないし、リリアの家族もその事は知っている。


 それでも、気を利かせてくれたマスターにユーリは小さく頭を下げた。


 グラスを傾けたユーリが真っ直ぐ前を向いたまま口を開いた。


「お前が死んだなんて、信じらんねぇよ」


 何だかんだ怒涛の日々を過ごしたせいで、ユーリとしては初めてヒョウの死と向き直る時間かもしれない。


 目を瞑れば、騒がしい店内に紛れて、「親っさん、いつもの一杯……ユーリくんの奢りで」と聞こえてきそうなのだ。


 喧騒に紛れる幻聴に、ユーリが静かに瞳を閉じたその時――隣の席で「カラン」と氷が揺れる音が聞こえた。


 思わずユーリが目を開け、隣を見れば……そこにはヒョウがいつも飲んでいた酒が置いてあった。今しがた置かれたばかりのグラスは、店内の淡い光を反射して静かに佇んでいる。


「なんで……?」


 グラスとマスターを見比べるユーリに、マスターがグラスを磨きながら口を開いた。


「聞こえた気がしたからな」


 ぶっきらぼうだが温かい優しさに、ユーリは小さく「……ざっす」とまた頭を下げた。


「明日の夜は祝勝会だろう。貸し切りにしといてやる」


 ユーリをチラリと見て微笑むマスターに、「うっす」とユーリが応えて微笑んだ。恐らく彼は明日の夜、ここと隣を『Reserved予約席』で取っていてくれるだろう。そして、いつものお酒も――


 わずかに滲む感情を飲み込むように、ユーリはグラスの中身を呷った。


 カウンターに肘をついて店内を振り返れば、初めて来た時が嘘のような繁盛ぶりだ。賑やかな店内を、オレンジ色の照明を浴びたグラスがキラキラと輝かせている。


「悪く……ねぇよな」


 微笑んだユーリが、隣で少しだけ汗をかいたグラスに自身のグラスを軽く当てた。


 ――チン


 響いたグラスの音に、ユーリが微笑んで最後のひとくちを傾けた。


 店はその日、ラストまでキラキラと輝きユーリと空席を照らし続けていた。



 ☆☆☆




「ありがとうございましたー」


 最後の客を見送った『ディーヴァ』は、いつもより早い閉店時間を迎えていた。もともと今日は早仕舞いのアナウンスがしてあったのだが、それでも渋る客を何とかなだめて帰ってもらった形である。


 その理由はもちろん……ユーリのためだ。


 閉店作業が進む店内で、ユーリは相変わらず一人だけいつものカウンター席で、肘をついたまま店内を見ていた。


 ユーリが見つめる先には……


「なんか緊張するね」


 ……舞台に立つリリアの姿だ。


 明日、リリアは世界のために、そして人類のために歌を唄う事になる。だから今日だけは、今日くらいはユーリ一人だけのために歌を唄いたい、とリリアが言ったのだ。


 そうして決まったリサイタルだが、いざその段になると緊張するようで……「そんなにジッと見ないでよ」とリリアが赤らめた頬を膨らませている。


「別にいいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし」


 眉を寄せたユーリが、グラスを置いて「手拍子でもしてやろうか?」と悪い顔で笑ってみせた。


「要らないわよ」


 口を尖らせたリリアが、「ん、ンン――」と軽い咳払いで喉の調子を整えた。まだ片付けの途中だと言うのに、店内の照明が落ちる……ユーリの真上にあるダウンライトと、舞台を照らすスポットライトだけを残して――


 暗闇に映し出された二人……二人だけの、世界を邪魔しないように、今だけは片付けの音が止んだ。


沈黙に包まれた店内で、二人のための一曲かぎりのリサイタルが静かに始まった。


 流れる伴奏に、リリアが気持ちを整えるように、ゆっくりと息を吸い込んだ――リリアの口から紡がれる歌詞が、ユーリは己の中に溶けていく。


 暗闇に浮かび上がるリリアを見ながら、ユーリは初めて会った時の事を思い出していた。店で会った数時間後に、偶然通りで再会したあの時を。


 時を超え、仲間達は死に、世界に取り残されたような気持ちでいたあの頃。

 あの場所で、リリアと出会った時からユーリの中で、ゆっくりと時が動き出したのかもしれない。




 リリアは唄いながら、暗闇に浮かび上がるユーリを目に焼き付けていた。


 あの日、あの時、偶然道端で会ったユーリ。

 声をかけたのも、お店に招いたのも、何もかもが気まぐれと言っていい。


 あれが運命だったのだろうか。


 そうじゃない。運命なんかじゃない。ユーリと出会えたのは偶然で、ユーリを招いたのはリリアの意思だ。決して運命などという、定められたレールの上で起きた事ではない。


 偶然会えたのだ。……また会いたいと願ったから。


 だから……明日も、その次の日も、会いたいと願うことくらい許して欲しい。




 最初のサビが終わり、間奏に入った。


 少しずつ進む時を噛みしめるように、リリアはユーリから目を逸らさない。





 ユーリは自身を見つめるリリアを、見つめ返していた。


 最初は変なやつだと思っていた。それが気づけばどうだ。ひとつ屋根の下で暮らし、毎日歌を聞いて、毎夜様々なお喋りに興じた。


 そう言えば奪還祭の時にはデートもしたな……と、我ながら、早い段階で惚れていたのだと今更ながら気付かされている。


 再び始まる歌……歌いだしがわずかに震えたそれに、ユーリはリリアの運命を決定づけたオペレーション・ディーヴァを思い出していた。




 二番が始まって直ぐ、リリアはオペレーション・ディーヴァを思い出していた。あの作戦がきっかけで、リリアは逃れられぬ運命という大きな星の下に、生まれたと知ることとなった。


 こんな運命など知らなければ。

 こんな力などなければ。


 今もこの胸を締め付ける思いを、知らずにすんだのだろうか。



 そんなものを持たずに、ユーリと出会いたかった。そう望むことくらい今は許して欲しい。




 最後に繰り返されるサビに、ユーリは思わず瞳を閉じた。


 明かされた真実。

 二人にのしかかった重すぎる運命。


 それを知ってなお、ユーリとリリアは二人で今日まで生きてきたのだ。それでも迫る別れに、間もなく来る終わりの時に、ユーリをしても現実から目を逸らしたくなったのだ。


 この歌が終われば、二人は明日の作戦に備えて休まなければならない。迫る刻限から目を逸らしたユーリだが、その瞳を開いて再びリリアを視界に捉えた。


 心を込めて歌う彼女の姿を、しっかりとまぶたに焼き付けねばならない。

 最期の時を迎えるその時まで、リリアの手を離すまいと誓ったからには、彼女の覚悟を見届けねばならない。


 そうして二人が見つめ合う中、余韻を残すようなビブラートも終わった……後奏の中、リリアが涙ぐんだままユーリを見つめている。


 泣かないと誓ったから。己に誓ったから、今はまだユーリに涙はみせまい、とリリアがぎこちない笑みで口を開いた。


「どう、だったかしら?」


 あの日と同じように微笑むユーリに、二人の時が始まったあの日を思い出したリリアが、「でしょ……?」と下唇を噛み締めて涙を堪えた。


「帰って……帰って来る、目印に……なりそうかしら」


 涙を堪えながら笑うリリアに、ユーリが優しく微笑んだ。


「途中で痺れちまってぶっ倒れなきゃな」


 あの日、あの時と同じ台詞……だが重みの違うそれに、リリアが思わずユーリに駆け寄り抱きついた。


「待ってるから! 私……ずっと歌って待ってるから――」


 その言葉に、何も返せないユーリは、ただ黙ったままいつまでもリリアの頭を撫でていた。


 ユーリの胸に顔を埋めるリリアと、その頭を撫でるユーリを、橙のダウンライトがずっと照らしていた――



 ※No Promises to Keep(FF7 Rebirthのテーマ)をBGMにどうぞ。

 初めて聞いた時は、二人の状況に近すぎてビックリしました……。


 とにかくめちゃくちゃいい曲なので、ぜひお聞き下さい。

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