第246話 サイラスは多分政治も上手です

 リリアの声が戻って数日後――


 イスタンブールの街は、いつになく落ち着きのない雰囲気だった。


 それもそのはず。今日の正午から、サイラス商会がモンスターを生み出す存在――便宜上、人々はマザーと読んでいる――に関する重大な事実を報告する……と昨日からアナウンスが流れているのだ。


 マザーの存在。それを活用しようとした【女神庁】。それから音沙汰のない【女神庁】に関して、人々の心はすでに離れてしまっている。


 それでも街が大きな混乱もなく通常通り運行できているのは、偏にサイラスが運営する商会が大きな力でもって全体を引き締めているから他ない。


 しかもイスタンブールだけではない。他の街もすでにサイラスの影響下にあるというのだ。【女神庁】が姿を隠し――ようやく民衆もロイド達が死亡した事を認識しだした――それからたった数日で、人類の生存圏へ影響力を及ぼすという偉業。


 実際はユーリの持ち帰ったデバイスによるシステムの乗っ取りと、クロエという元反乱組織のトップによる軍事力の掌握、そしてゲオルグやルカと言った良心による各都市の警察組織への訴え……などなどが複雑に絡み合った成果なのだが。


 とは言え、それを上手く扱い一本に纏めたサイラスの手腕は流石と言ったところだろう。


 とにかく、今やサイラスこそが新たに人類を率いる存在として広く認知し始められているのだが……その指導者たるサイラスが「マザー」というタブーに触れたのだ。


 マザーに関わったせいで【女神庁】は地に堕ち、マザーがあるせいで、人々はいま黄昏の中にいる。


 あえて火中の栗を拾いにいくようなサイラスの発表に、街は期待と不安が入り混じった落ち着きのない一夜を過ごしていた。


 そうして人々の期待と不安が、最高潮に高まる中、ユーリは一人大通りに面したビルの屋上で電光掲示板を眺めていた。


 先程から繰り返し流れる『もうしばらくお待ち下さい』という文字を眺めながら、ユーリは「ケッ」と鼻を鳴らして腰を下ろした。


「相変わらず、気に食わねぇジジイだ」


 そうは言うが、ユーリは口角が上がるのを抑えられない。


 何ともサイラスらしいやり口に、やはりこの男に陣頭指揮を任せて正解だったなとすら思っているのだ。


 わざわざ昨日から今日の演説を告知したこと。

 あえて「マザーに関する」と曖昧かつ限定的な情報を公開したこと。

 そして……


 何ともで、合理的なやり口にユーリは「あいつは地獄行きだな」と完全に鑑賞モードで、屋上の柵に背中まで預けた。


 丁度その時、ユーリのデバイスが正午を示し――街頭ビジョン電光掲示板がサイラスのアップを映し出した。


『人類の皆様、初めまして――』


 そう切り出されたサイラスの挨拶に、ユーリは「もっと偉そうにしろよ」と一人ヤジを飛ばしている。


 落ち着いた雰囲気で始まったサイラスの演説は、ジャブも何もなくダンジョンの様子を映し出すという、ストレートを繰り出した。ダンジョン前に溢れるモンスターの群に、民衆の顔が青ざめ、世界の終わりを嘆くものが出るしまつだ。


 完全に狼狽える民衆の中から、「マザーさえ居なければ」という言葉が出たのは必然と言えるかもしれない。それでもユーリは耳に届いたその嘆きに、「仕込みもバッチリだな」と大きな溜息をついていた。


 昨日から今日の演説を告知したこと。

 あえて「マザーに関する」と曖昧かつ限定的な情報を公開したこと。

 そして……


 それら全てが、先程の「マザーさえ――」という嘆きへと繋がっているのだ。


 日を空けて、情報を絞ることで、人々にマザーという存在に向き合わせた。

 そういった話が盛り上がりを見せる中、サイラスの息がかかった人間が、マザーの存在を否定するような意見を、さり気なくばら撒いていく……


 マザーさえ居なければ……と。


 当たり前の事に聞こえるだろうが、【女神庁】が示したマザーの有効活用は侮れない。それこそ昨日までは「マザーを活用して人類を次のステップへ」と言い張る人間が少なくない数いたのだ。


 声が大きい集団を無視したまま、決戦に突っ込むことなど出来はしない。


 全員に納得などさせられなくとも、大多数を味方につけ、動きやすい地盤を固めねば勝てる道理などないのだ。


 そのために必要な舞台をサイラスは作った。


 情報を絞り。

 日を空けて。

 人々を扇動し。


 上手く自分が立ち回れる舞台を作ったサイラスが、『諸君の思いは最もだ』と敢えてそれが人々が望んだ事だと強調した。


『そのマザーを消滅させる方法を我々は発見した』


 サイラスの発する言葉に、民衆が一瞬キョトンとした表情を浮かべ、そしてわずかな喜びと、大きな困惑に包まれた。


 無理もない。「マザーを消す方法」と言われても、彼らにはピンと来ないし何よりもマザーへ辿り着く前の地獄を抜けられるとは思えないのだ。


 もちろんサイラスとて、裏付けの準備を怠りなどしていない。


『ここに、旧【人類統一会議】の議事録がある――』


 そう言って映し出されたのは、数代前の【人類統一会議】で語られた、亜人の存在とそれらが「魔」を打ち消す方法を知っているという内容だ。


 映し出された情報に、民衆が思わず湧いた。亜人、そしてモンスターを消滅させる方法。それがサイラスの言葉と結びついたのだ。喜びに湧く民衆へ、サイラスは追撃の手を緩めることはない。


『もちろん、今からをするつもりはない』


 サイラスがニヤリと笑った瞬間、街頭モニターが二分割され、とある人物が、とともに映った。


「んにゃろ……」


 ここでそのカードを切るのか……そう言いたげなユーリが、どよめきの収まらない民衆同様、モニターを見つめている。ユーリの視線の先には、顔だけを見せる竜神の隣で微笑むの姿があった。


 急に現れた耳の長い老人と巨大な異形に、民衆はわかりやすく混乱している。エルフ……という存在が語られなくなって久しいが、それでも彼らが普通の人とは違う事くらいは分かるのだろう。


『人類の皆さん。初めまして。エルフの長老をしている、ウドゥル・ルガル・ウレ・イルクゥ・アル・ガナと申します』


 ビルの真下は、今や驚きと混乱のごった煮状態だ。そんな民衆を無視して、ウドゥル老がマザー……星の核の存在と人類の置かれている逼迫した状況を話しだした。


 ユーリ達からしたら、既知の事実だが、何も知らない民衆からしたら寝耳に水の話であろう。モンスターが星が見る夢の住人などと、即座に信じられるわけがない。それでも目の前のモニターに映る、エルフと巨大な竜という存在に嘘はない。


『信じる信じないは、諸君らに任せよう。だが一つだけ――』


 微笑んだままのウドゥル老が人差し指を立ててみせた。


『サイラス殿が仲間を引き連れ、という事実は知っておくといい』


 微笑むウドゥル老の言葉に、民衆がモニターの中のサイラスを見た。皆が浮かれている頃から、サイラスは先を見越して行動していたように映っているのだろう。


民衆がわずかに帯びた熱に、今度は竜神イルルヤンカシュが、『フン』と鼻を鳴らした。


『我が言えるのは、このままでは貴様ら小さき者共は滅びるという事だけだ』


 鎌首をもたげたイルルヤンカシュに合わせてカメラがズームアウトしていく――


『どうせ滅びるなら、戦って見せよ……小さき者共よ』


 大きく羽ばたいたイルルヤンカシュが、画面にノイズを残しながら画面から消え去った。困惑して黙り込む民衆を他所に、モニターには再びサイラスのアップが映し出される。


『人類諸君、これが最後の戦いになる。我らと、モンスターとの……』


 サイラスの言葉に、民衆は黙ったままモニターを見上げている。


『モンスターを生み出すマザー……いや、星の核を目覚めさせるためには、とある人物を星の核へ送り届ける必要がある』


 抽象的な言葉に、そして人を送り届けるという発言に、民衆がにわかに騒がしくなった。口々に発せられるのは、「生贄ではないのか」という旨の杞憂だ。


 確かにサイラスの言い方だと、そう取られても仕方がない。だがリリアの身の安全を考えれば、ここでリリアの名前やその歌の話をするわけにはいかない。


 リリアの存在は、人類に残された唯一の希望なのだから。


 民衆の騒がしさが一段階上がったか、という所でサイラスが大きく咳払いをして再び自身へ注意を引き戻した。


『心配せずとも、諸君の考えるような犠牲や生贄などではない……特別な力を持った、星を目覚めさせる力のある人物だ』


 今出せる最大の情報だろう。あまりにも抽象的だが、これ以上情報を開示したとして、誰が「歌を歌えば星が目覚める」という話を信じるだろうか。与太話にしか聞こえない内容よりも、サイラスならばやってくれる、そんな信頼に訴える方が吉とも取れる。


 それでも未だ半信半疑の民衆へ、サイラスは大きく息を吸ってもう一度モニターにダンジョン前の様子を映し出した。モニターに映ったモンスターの群に、人々がまた顔を覆い、悲観に満ちた声を上げる。


『諸君、目を逸らしてはいけない。これだけのモンスターが、ダンジョン前を動いていないのだ。その理由を考えねばならない』


 サイラスの言葉に民衆が怖ず怖ずと顔を上げ――


「奴ら、何かを護っているんじゃ……」


 ――そう発したのは、サイラスの子飼いだろうか。とにかく、その一言で民衆達にもサイラスの話を信じる筋道が出来た。


 モンスターがダンジョンを離れず、今もその前から動かない。それは自分達を滅ぼす存在を、星の核へ近づけたくないことへの証左と取れるのだ。同時に、星の核が彼らにとってのアキレス腱だということの証左でもある。


 誰かを近づけたくない。だから、入口前を大群で固めている。


『既に数度の威力偵察を行ったが、何度モンスターを倒しても、時間が経てばどこからともなく奴らはダンジョン前に集まってくる』


 続くサイラスの演説で、民衆の思考は一気に加速する……やはり、モンスターはこのダンジョン入口を護っているのだ、と。


『諸君、もう一度言おう……これが最後の戦いである、と――』


 モニターの中で自信ありげに笑うサイラスに、民衆が再び熱を帯びてきた。


、我々はモンスターの壁を突破して、目的の人物を星の核へと送り届ける』


 具体的な日取りに、民衆の熱が更に増していく。


『諸君、改めて言おう……これが最後の戦いである、と――』


 念押しするサイラスの言葉に、そこかしこから、「俺もやるぞ!」と言った声が上った。民衆の中に投じられた火が、少しずつだが確実に大きくなっていく。


『それと朗報だ……すでに同内容の演説を、西から順に行っている。つまり――』


 サイラスが言葉を切ったとほぼ同時、大通りへ多数の車両が唸りを上げて乗り込んできた。


『各都市からの応援も到着したようだね』


 車両の中から顔を見せる能力者達に、民衆の熱はさらにヒートアップしていく。


『さて諸君、ともに人類を救おうではないか』


 笑顔のサイラスに、熱気が最高潮に達した人々から喝采が飛ぶ……真冬の空気すら燃え上がらせる程の熱気に、ユーリは大きく伸びをして立ち上がった。


「ジジイの独裁政権か……人類のお先は真っ暗だな」


 ケラケラと笑ったユーリが、屋上から姿を消した。真下で上がる熱狂は、止むことなく街中へと伝播していく――





 ☆☆☆




 サイラスがイスタンブールで最後の演説を行う前日……ダンジョン前に現れたのは、トーマとタマモだった。


 夜の闇に紛れ、モンスターを使役するホムンクルスを引き連れたトーマ達。彼らは迷うことなくダンジョン前を警備するモンスターへ、手駒のモンスターをぶつけていく。


 一瞬にして局地的な合戦状態になった広場を、トーマとタマモが優雅に歩いていく……


「なんやー、肩透かしやなー」


 タマモが軽く手を振れば、襲いかかってきたモンスターが数体吹き飛んだ。


「俺達はではない……のだろう」


 肩をすくめるトーマが刀を振るえば、一瞬で数匹のモンスターが真っ二つに。夥しい数のモンスターが、二人の味方をしている……とは言え、ダンジョン前に集まっているモンスターの数はその比ではない。


 それでもトーマもタマモも、その足を止める事なく真っ直ぐにダンジョンへと向かって一歩一歩進んでいるのだ。


 あまりにも桁外れな二人の力……叙事詩エピックが溢れた時代に、常にその群と戦いを繰り返したトーマ達だからこそ出来る強行突破だろう。


 ついにダンジョンの入口へとたどり着いた二人が、襲いかかるモンスターを同時に弾き飛ばした。


「ユーリ、来るなら来い」


 その言葉だけを残して、トーマとタマモがダンジョンの奥へと消えていった。残ったのはトーマ達の連れてきたモンスターを飲み込む暴力的な大群だけだった。

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