第245話 二人の決意

 皆が繋いだ希望にカノンが納得した後……目覚め始めた街とは対照的に、ユーリ達はそれぞれが寝床へと帰っていった。それから皆が起きたのは結局昼過ぎだ。


 ユーリを始め、皆が寝ぼけ眼のままボンヤリと活動を開始して、フワフワとした日を過ごしていた。


 クレアやサイラスだけはモンスターの動向を確認していたが、結局動きのない状況が分かっただけで、今のところ打つ手がないのだ。


 こちらの切り札であるリリアの歌……それが復活しないことには。


 それでも何か出来る事はないか、とユーリから明日以降に威力偵察の案が出された。モンスターを減らしてみても、今と同じだけに増えるのか、それとも今が最大で、減らすことが出来るのか。それを調べるだけでも、今後の作戦立案への指針になる。


 方針が決まれば、やることは一つだ。早めに休んで、翌日の任務へ備える……そうして迎えた朝、今から全員が集合して威力偵察が開始されるわけなのだが……


「ふぁーあ。眠ぃ」


 『ディーヴァ』の奥から静かな店内へと顔を出したユーリは、大欠伸をかましていた。


「全く……遅くまでシゲさん達と麻雀なんかしてるからよ」


 頬を膨らませ、両手を腰に当てたリリアに「いいだろ」とユーリは口を尖らせた。リリアの言う通り、昨晩は『ディーヴァ』常連の老人二人と一緒に麻雀に興じていたのだ。


 とは言えユーリとしても久々の息抜きだ。そのくらい許してほしい……とリリアを振り返った。


「気持ちは分かるけど、大事な作戦前でしょ?」


 腕を組むリリアに、ユーリが「ゴミ掃除みたいなもん……だ……?」とその語尾がすぼんでいく。


「リリア、お前……」

「うん」


 頷いたリリアの声に、ユーリが「何でまた……」と呟いた。


 リリアの声が戻った事は喜ばしいことだが、特に何かをしたわけでもないのに声が戻ったのだ。


 エルフの秘薬。

 クラウス博士が作った最新の薬。

 毎夜のデートや

 リリアの両親が見せる優しさ。

 それに美味しいお菓子。


 様々なものが効果を発揮しなかっただけに、ユーリとしては「何で?」という疑問が強いのだ。


 ユーリの視線に、少しだけ俯いたエレナが「色々考えて……」と呟いた。


「エレナさんの涙と、カノンちゃんの涙……」


 俯いたまま呟くリリアに、ユーリが小首を傾げた。


「エレナさんの涙……すごく悲しそうだった」


 俯いたままのリリアに「そう、だな」とユーリも頷いた。


「もし……もしもこのまま私の声が出なかったら、色々な人が無茶な任務の果に、誰かを残して死んじゃうかもしれない」


 リリアが震える自身の右腕を左手で握りしめた。


「お別れも言えない。ちゃんとサヨナラも出来ない。すごく、すごく悲しそうで、寂しそうで」


 肩を震わせるリリアに、「お前のせいじゃねぇよ」とユーリがその肩に手を置いた。


「分かってる」


 頷くリリアだが、その震えが止まることはない。


「分かってる……でも、もしかしたら、ユーリがそうなっちゃうかもしれない……そう思ったら――」


 わずかに潤んだ瞳をリリアが上げた。


「そう思ったら、ちゃんと自分の口でお別れを言いたい、って思ったの」


 リリアの頬を涙が伝う。このまま戦いを続けてもジリ貧で人類は滅亡する。リリアが歌えばユーリは消えてしまう。どう転んでも、ユーリに助かる道はない。それならば、面と向かってちゃんと別れを告げられる方を選んだのである。


「それに……」

「それに?」


 繰り返したユーリに「カノンちゃんも」とリリアが涙を流しながら微笑んだ。


「命をつなぐこと……ユーリやヒョウさんが残した事を、私もちゃんと繋ぎたいから」


 頑張って微笑むリリアに、「そっか」とユーリが微笑み返した。


「ありがとな」


 ユーリの笑顔に、リリアが「うん」と頷いた。


「ごめんね……」


 リリアの悲しげな顔に、「何がだよ?」とユーリが笑顔のまま首を傾げた。


「ユーリの命……私が終わらせる事になって」


 下唇を噛んでこらえるリリアに、「気にすんな」とユーリがその頭を優しく撫でた。


「声が戻ってくれて良かったぜ」


 頭を撫でたユーリが、優しい笑顔で続ける。


「お前の歌がねぇと、寝付きが悪くてよ」


 肩をすくめたユーリに「あ」とリリアが声をもらした。疲れているはずなのに、息抜きだなんだのと言って、老人二人と麻雀に興じていたユーリの真意に気がついたのだ。


「これで今晩からはグッスリ眠れるな」


 笑顔で扉に手を掛けるユーリに、「うん」とリリアが小さく頷いた。


「じゃあ今晩から枕元で歌ってあげるわ」


 微笑むリリアに、ユーリが悪い笑顔を返した。


「別の意味で寝られなくなるかもしれねぇけどな」


 悪い顔で笑ったユーリに、リリアの顔が見る間に赤く――そんなリリアに後ろ手を振りながら、「行ってくるわ」とユーリが扉を開け、まだ暗い通りへと消えていった。


 赤い顔のまま、閉まった扉を見つめていたリリアだが、その顔を抑えてその場にうずくまった。顔を抑えるリリアから漏れるのは、すすり泣くような小さな声。


 声が戻った理由に嘘などない。


 エレナの悲しみ。

 カノンの喜び。


 それらを見て、リリアなりに一晩考えたらいつの間にか声が戻っていたのだ。ユーリと別れるならば、ちゃんと自分の口から「サヨナラ」と感謝を伝えたい。その気持に嘘は一つもない。


 それでも……声が戻ってしまった以上、ユーリが世界の犠牲になるために進む事が決まってしまった。


 後戻りは出来ない。ユーリの最期を自分が告げる事になる。今でも声なんて戻らなければ良かったのに、と思わないでもない。


 嬉しそうに笑ってくれたユーリの顔が忘れられない。

 ユーリに「サヨナラ」なんて言いたくない。

 それでもユーリの最期を見届けねばならない。


 複雑すぎる感情が、抑えようとしてもこうして溢れてきてしまうのだ。


 それを分かっているからだろう。ユーリはずっとユーリのままだ。昨日も今日も変わらない。まるでリリアがユーリの最期を告げるのなんて、大した事はない、とでも言うかのように。


 あと何回こうしてユーリを見送れるのだろうか。

 あと何回ユーリに「お帰り」と言えるのだろうか。


 そう思えば涙が止めどなく溢れてくる。


 情けないと自分でも思ってしまう。それでも、どうしようもないのだ。


 だが泣いてばかりいられない……うずくまり、一頻り涙を流したリリアが、鼻を啜りながら立ち上がった。大きく息を吸い、そして大きく吐き出す――


「大丈夫……もう、泣かない」


 両腕で涙を拭ったリリアが、「よし」ともう一度大きく息を吐き出して、両手で頬を叩いた。


 乾いた音が店内に響いて消えていく。


 その余韻に浸りながら、顔を上げたリリアが店の奥へと戻っていった。来たるべきその日まで、リリア自身の日常を歩むために――







 『ディーヴァ』を出たユーリは、その壁に凭れて静かにプレートを見上げていた。店内からわずかに聞こえた啜り泣きに、ユーリも上を向いたまま黙って目を瞑っている。


 ユーリとて別れが辛くないわけでは無い。それでもリリアに気負わせないよう、注意して振る舞っているだけだ。


 だというのに――


「こう泣かせてばかりじゃ格好がつかねぇな」


 ――呟くユーリの言葉に応えるかのように、店内から「大丈夫……もう泣かない」と震えるリリアの声が聞こえてきた。


 ユーリの背中を押してくれるようなリリアの宣言に、ユーリはようやく壁に預けていた背を起こして、未だ暗い街へと歩きだした。


 暗い路地は、もう何度通ったかわからない。初めて通ったのは、確か連行されていた時か……そう思えば、感慨深いものだとユーリはわずかに口角を上げた。


 暗い路地を、ユーリが立ち上げたデバイスの明かりが照らす。浮かび上がったホログラムに映るのは――


『どうしたのかね。任務の前に会えるではないか』


 ――訝しげなサイラスの姿だ。


「ジジイ。リリアの声が戻った」


 短く、そして淡々と放たれたユーリの言葉に、サイラスが瞠目し、『本当かね?』と画面に近づいた。


「近ぇ近ぇ」


 アップになったサイラスに苦笑いを浮かべたユーリが「与太なんて飛ばすかよ」と路地裏の壁に背を預けた。


「ちゃちゃっと世界を救っちまおうぜ?」


 挑発するような笑顔のユーリに、『いいのかね?』とサイラスがホログラムの向こうで眼鏡を上げた。


「いいんだよ。長引かせたら、そのぶん別れが辛ぇだろ」


 ホログラムから、再び頭上のプレートへと視線を向けたユーリに『らしくないな』とサイラスが嘲笑めいた笑顔を浮かべた。


「っせ。それに早くしねぇと、トーマ達に掻っ攫われるかもだしな」


 鼻を鳴らしたユーリに、ホログラムの向こうでサイラスが頷いた。


『それは一理あるな』


 考え込むようなサイラスが、『分かった』と再び大きく頷く。


『作戦とは任たまえ』


「頼りにしてんぞ」


 それだけ言うと、ユーリは一方的に通信を切った。


 ユーリはポケットに手を突っ込んで、再び路地裏を歩きだす。


「さみぃ~。さっさと終わらせて帰るか……」


 小走りになったユーリは直ぐに暗い路地裏へと消えていった。

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