第244話 カノン・バーンズ

 エレナの慟哭から逃げるように一回へと降りた一行を迎え入れたのは……薄暗いホールで待っていたのだろうトアとリンファ、そして――


「ナルカミ、ようやく戻ったか!」


 報告に訪れたのだろうクロエや他のチームの面々だ。かわるがわるサイラスへ報告を済ませたメンバーは、これまたかわるがわるユーリを睨みつけて口を開いた。


「いないほうが静かで良かったですわ」

「へ、へへへ平和だった街は、もう過去の話……」

「ユーリ・ナルカミ。お主はもう少し落ち着きというものをであるな……」


 口々に苦言を漏らしていくメンバーに、「へーへー」とユーリは気のない返事をしている。再び計算だ何だを説明するのが面倒なだけなのだが、その態度が主にエミリアの怒りに火を着けた。


「アナタと言う人は――」

「パーシヴァル。今は止めてやれ……今は、な」


 額に青筋を浮かべたエミリアを、リンファが視線を向けることなく制した。


「リンファ、何故止めるのですか?」


 眉を寄せるエミリアに、リンファが視線を合わせることなく、薄暗いホールの天井を見上げた。


「デカい声出したら、がビックリするだろ……」


 その言葉で、勘の良い連中はある程度察したのだろう。


 天井を見上げたまま、「少しくらい静かにしてやろうぜ」と呟いたリンファは、エレナの不在に触れることはない。トアも意外に空気を読んでいたようで、「大事な時間だよねー」と呟いただけでそれ以上は何も言うことはなかった。


 ホムンクルスと言えど、リクや恵梨香との別れを経験しているのだ。別れの辛さは人一倍知っているのだろう。


 状況を察した面々が、「じゃあ今日はこの辺で……」とビルを後にしようとする背中に、まさかのユーリが待ったをかけた。訝しげに振り返った皆に、ユーリが「せっかくだからな」と呼び戻すように手招きをしている。


 サイラスやクレアでさえ、何のことか分からない、という具合に小首を傾げる中、ユーリはカノンへと向き直った。


 薄暗いホールの中、皆の顔はぼんやりとしか見えない。それは近くにいるカノンも同様だ。それでもユーリは構わないと言った具合に、カノンへ微笑みかけた。


「カノン――」


 優しげな表情か、それとも皆を呼び止めておいて話かけられたことか。とにかく不意に話を振られたカノンが「は、はい」と思わず敬礼で応えた。


「ここは、いい街だよな」


 カノンへ話しかけながらも、ユーリはエントランスホールの入口ガラスから見える街並みへと視線を映した。


 あまりにも唐突な質問に、「はい?」と小首を傾げたカノンだが、ユーリ同様入口ガラス扉を振り返ってしばらく街並みを眺めてから大きく頷いた。


「……はい」


 再びユーリへと視線を戻したカノンに、「だよな」とユーリが笑って、今度は集まったメンバーを見渡した。


……どうだ?」


 その言葉にカノンの肩が跳ね、エミリアやヴィオラ、アデルらは目を見開いた。他のメンバーも驚きや狼狽えの中にあるが、ユーリはそれを無視して話を続ける。


「エレナの悲しみを聞いたろ。それを踏まえてもう一度聞くぞ。消えちまう事が平気か?」


 ユーリの真っ直ぐな視線を、カノンが初めて睨み返した。


「平気なわけないじゃないですか……って言ってどうにかなるんですか?」


 わずかだが、初めて見せる憤怒の色に、ユーリは少しだけ申し訳無さと嬉しさを覚えていた。とは言え、それを表に出すわけにはいかない。


 努めて冷静に振る舞い、努めて機械的に、そして事務的に……何でも無いふうに口を開く。


「なる」


 スッパリと何でもない事のように断言するユーリに、「へ?」とカノンが間の抜けた声を上げた。


「お前は、生きていられる……って言ったら?」


「いくらユーリさんでも、そんな冗談は酷いです!」


 先程よりも濃い憤怒の色に、他のメンバーもハラハラしたようにユーリとカノンを見比べている。いまいち状況が掴めていないリリアやトアでさえ、ユーリを止めようかどうしようか、と逡巡する程だ。


 そのくらいカノンが見せる怒りの表情は、ここにいる誰もが経験がない。


 皆が狼狽える中、初めて見せてくれる相棒の表情に、ユーリだけは喜びを感じていた。


(人並みに怒れるじゃねぇか)


 喜怒哀楽の「喜」と「楽」しか見せることがないカノンの、初めて見せた「怒」の部分だ。


「言っていい事と、悪いことがありますよ?」


 眉を盛大に寄せたカノンに、ユーリは変わらぬ微笑みを返す。


「冗談じゃねぇよ。ましてや与太でもねぇ」


 言い切るユーリだが、「笑顔が胡散臭いです」とカノンが眉を寄せたまま距離を取った。


「いい度胸だ。バカノン……」


 先程までの喜びはどこへやら……顔をしかめて指を鳴らすユーリが、「俺様が与太飛ばしてるって言いてぇんだな」とその距離を詰めた。


「ぎぇぇぇぇ」


 小さな悲鳴を上げて、カノンがリリアの背後に隠れた。リリアという最強の盾を手に入れたカノンが、その後ろからユーリに「べーッ」と舌を出してみせた。


 完全に敵対行動ともとれるカノンの行動だが、こればかりは説明していなかったユーリ達にも非がある。故に「チッ」と舌打ちをもらしたユーリが頭を掻いて言葉を探す。


「お前、ヒョウやダンテ達が何しに行ったか聞いてねぇだろ?」


 怖ず怖ずと頷いたカノンに、ユーリは一度大きく深呼吸をしてから口を開いた。


「お前を、を取りに行ってたんだよ」


 真っ直ぐ真剣な表情を浮かべたユーリに、「はい?」とカノンがリリアの裾を掴んだまま首を傾げた。


「お前はこれからホムンクルス・カノンじゃなくて、カノン・バーンズという一人の人間になる。つまり、お前は消えなくてもいいんだ」


 手を差し出したユーリの言葉に、「そんな……」と呟いたカノンが息を飲んだ。


「そんな事、誰が頼んだんですか!」


 ユーリの手を払い除け、声を荒げるカノンが続ける。


「そのせいで、ヒョウさんは、エレナさんは――」


 言葉に詰まったカノンの瞳に大粒の涙が溢れた。


 カノンの言いたいことは分かる。カノンに黙って危険を冒し、実際に命を散らした仲間がいるのだ。誰かの犠牲の上に生きるなど、カノンからしたら御免被りたいところだろう。


 それでもユーリは払われた手を、カノンの頭へと乗せた。


「分かってくれとは言わねぇ」


 頭を撫でるユーリの言葉に「分かりません!」とカノンが涙と声を溢れさせた。


「許してくれとも言わねぇ」


 それでも頭を撫でるユーリに、「絶対に許しません!」と再びカノンが声を荒げた。


「でもな……」


 頭を撫でていた手をユーリが止めた。わずかに震えるユーリの手に気がついたのは、触れていたカノンだけかもしれない。


 ふとカノンが上げた視線の先では「でもな……」ともう一度呟き、下唇を噛み締めているユーリの姿があった。


「俺もヒョウも、お前みたいな面白いやつに生きてて欲しいんだよ」


 震えた声を隠すように、もう一度下唇を噛み締めたユーリの姿から、カノンは思わず視線を逸らした。


「俺達と違って、わずかでも可能性があったんだ。それに賭けたくなった……仕方ねぇだろ?」


 チラリと盗み見たユーリの悲しげで優しげな表情に、カノンは思わず息を飲んだ。


 仲間の命に見えたわずかな可能性……カノン自身、同じ立場に置かれていたとしたら……迷わずその可能性を掴みにいくだろう。どうせ先が無い命なら、誰かの命を繋ぐために使っても良い。そう思えただろう二人を、カノンは責められない。カノンだけは責められないのだ。


 一緒だったから。


 生まれてきた命に、意味を見出したかったから。


 ヒョウはその命を投げ売って、カノンを繋いでくれた。それが分かってしまえば、カノンとしてはもう何も言うことが出来ない。


 それでも自分の命のために、誰かが命を投げ売ったことは納得出来ない。いろいろな感情が渦巻くカノンが、黙って俯いた。


「俺は……いや俺達みんな、お前に生きてて欲しいんだよ」


 ユーリの言葉に、頷くことも、首を振ることも出来ないカノンが俯いたまま下唇を噛み締めた。嬉しさと困惑、そしてやはり勝手に決められた事へのわずかな怒り……ないまぜになった感情を整理しようとするカノンのの耳に――


「君に生きていて欲しい……私もそう願っているのだが」


 ――廊下の向こうからエレナの声が響いた。


「エレナさん……」


 廊下から現れたエレナに、全員の視線が集まった。泣きはらした瞳と、赤くなった頬。薄暗いはずなのに、何故か皆がエレナに深い悲しみを乗り越えた顔を見ている。


「エレナさんがそんな事言ったら、何も言えないじゃないですか」


 口を尖らせたカノンに、エレナが微笑んで頭を撫でた。


「ヒョウが繋いだ命を受け取ってくれ……と言った方が良かったか?」


 いたずらっぽく笑うエレナに、カノンが顔を上げて頬を膨らませた。


「ずるいです……」


 また口を尖らせたカノンに、「ズルさは専売特許だ」とユーリが腕を組んで笑ってみせた。


 しばし流れる沈黙は、先程までのそれと比べると柔らかく、少しだけ温かい。


「私……生きていていいんでしょうか?」


 ポツリと呟いたカノンの言葉に、全員が顔を見合わせ喜びの表情を見せた。


「いい。俺が保証する」


 力強く頷くユーリを、カノンが真剣な表情で見上げた。


「生きて、いられるのでしょうか?」


 真っ直ぐなカノンの視線からユーリは少しも目を逸らさない。


「任せろ。俺が世界を平和にしてやる」


 いつもの、ユーリが見せる自信に満ち溢れた笑顔に、カノンが下唇を噛み締めて頷いた


「……だから、最終決戦でぽっくり死ぬんじゃねぇぞ」


 悪い顔で笑ったユーリが更に続ける。


「これから先、お前が嫌になるほど楽しいことが待ってんだからよ」


 その言葉でカノンの瞳から涙がポロポロと溢れ出した。今まで心の奥底に秘めていた、「生きていたい」という願望に手が届いたのだ。その喜びを知ってしまえば、押さえていた感情に歯止めなど効くわけがない。


 ポロポロと溢れた感情は、静かな川となり、そして――今や大河のように大きな声と共にカノンの頬を激しくつたっている。


 まるで子どものような鳴き声に、ユーリが「よしよし」とカノンを抱きしめその頭を優しく撫でた。


「ユーリさんが優しいです。気持ち悪いです」


 鼻水と涙をなすりつけるカノンに「失敬なやつだな」とユーリが苦笑いを浮かべた。


「お前の涙と乙女扱いは、って言ったろ?」


 したり顔で笑うユーリに、なおもカノンが涙と鼻水を押し付け――


「うわあああん。馬鹿のくせにたまに格好いいですー」


 ――褒めているのか貶しているのか、微妙な言葉を吐き出した。あまりにも微妙なカノンの評価に、額に青筋を浮かべたユーリが拳を握りしめ――その拳をリリアが思い切り首を振って抑え込んでいる。


 結局気がつけばいつものユーリとカノンの様子に、全員が胸を撫で下ろし、そして薄暗さをはねのけるような明るい笑顔を浮かべていた。

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