第243話 迫る刻限、託されし思い

 リリアに二度目の説教を食らい終わったユーリが、話題を切り替えるように大きく息を吐き出した。それだけでピンと張り詰めた空気に、全員がその顔を引き締めた。


「それで? 溢れたモンスターはどんな感じだ?」

「映像があるが、見るかね?」


 眼鏡を押し上げたサイラスに、「とーぜん」とユーリが頷いた。


 サイラスがクレアに視線を向けると、クレアが黙って頷く。静かな部屋にコンソールの仮想キーボードを叩く音だけが響いている。


「モンスターが溢れ出して直ぐ、我が社で秘密裏に開発していた超長距離ドローンをとばしております」


 パタパタとキーボードを叩くクレアの言葉に、恐らくゲンゾウが開発したのだろうな、とユーリは意外に器用な偉丈夫を思い出していた。


「まず、こちらが到着後、直ぐの映像になります」


 そう言ってクレアが映し出したのは、ダンジョンと思しき穴の周辺にモンスターが集まっている様子だ。


「そしてこれが、現在の状況です」


 クレアが画面を切り替えれば、ダンジョンの穴がほとんど見えない程モンスターがその周囲を覆っている。


「すげぇ数だな」


 眉を寄せたユーリに、サイラスとクレアが頷いた。到着直後から今までどれだけの時間が経っているか分からないが、この調子で増え続ければ世界は一瞬でモンスターに占拠される事になるだろう。


 苦い顔をしたユーリに、「朗報……と言っていいか分かりませんが」とクレアが画面を切り替えた。


 先程とほとんど変わらない、モンスター溢れるダンジョン前に、ユーリが「これは?」とモニターからクレアに視線を移し替えた。


「これは、ドローン到着から五、六時間後の映像です。今から……そうですね。十時間程前の映像でしょうか」


 たった五、六時間でモンスターが溢れている……だが、現在とモンスターの密度が変わったようには見えない。


「朗報っつったな?」


 眉を寄せるユーリに「はい」とクレアが頷いた。


「……こっから……でいいのか?」


 モニターを見上げるユーリに、クレアが黙って頷いた。


 通常考えるならば、モンスターの密度が増えていない……どこかへ流れている。というのが一般的な考え方だろう。だがそれを「朗報」と言うには無理がある。


 つまりモンスターはここから動いておらず、これ以上増える素振りはない。そう結論付けられるのだ。


「確かなんだろうな?」


 とは言え、あまりにも希望的観測すぎる。ダンジョン内がモンスターでという可能性もなくはない。


「ダンジョン内……浅層から中層に限りますが、地中レーダーによる調査では空洞が確認されています」


 クレアが画面を切り替えれば、モニターには断面図が現れた。アリの巣のように張り巡らされた空間は、空洞を表しているのだろうか、真っ黒だ。


への移動は?」

「もちろん、イスタンブールまでの道中を監視しております」


 モニターが幾つにも分割され、様々な映像が流れるがどれもこれもが静かなものだ。時折何かの影が映る程度で、モンスターの大行進は今のところ見られない。


「つまり、奴さん達も最終決戦の準備万端……て訳だな」


 ユーリが大きく溜息をついてモニターから視線を逸らした。ダンジョン前に詰める無数のモンスター。そして移動する形跡のない連中が示すのは、此処から先は通さない……という強い意思だ。


「守りに入ったってことは……」

「その時が近いのだろう」


 ユーリの言葉にサイラスが頷いた。星は無理に攻めることなく、厳重な守りの布陣を敷いている。時間を稼げば星は勝てる……その段階まで来たのだ。


「これを落とすのは骨が折れるな……」


 もう一度モニターを、いやうごめくモンスターの群を見上げたユーリが苦笑いを浮かべた。


「ある意味正解だったかもな……アンタが全権を握れるように立ち回って」


 ニヤリと笑ったユーリに、「期待が重すぎるのだが」とサイラスが肩をすくめた。それでも「出来ない」と言わないあたり、流石サイラス・グレイと言ったところだろう。


「人類対星の意思……総力戦ってわけだな」


 モニターを見上げ指を鳴らしたユーリが、ふと思い出したようにサイラスへと視線を戻した。


砂漠の鷲アクィラの連中どうしてる?」


 その言葉にリリアとトア以外の全員に緊張が走った。ユーリが敢えて「砂漠の鷲アクィラは」と強調したのだ。つまりユーリもヒョウの事を知っていると暗に告げている。


 その事実にエレナがわずかに肩を震わせ口を開いた。


砂漠の鷲アクィラ無事だ」


 わずかに震えるエレナの唇が、「ダンテとロランは負傷しているが」と続けた。


「そうか」


 それだけ告げたユーリがもう一度大きく息を吐き出した。それ以上は何も言わない。言葉を探すユーリが、幾度となく口を開きかけては閉じ、それを繰り返す様を誰もがただ黙って見ていた。


 そんな沈黙に耐えられなかったのだろう、エレナが唇をわずかに震わせた。


「ヒョウは……」


 声を震わせ呟いたエレナに、「聞いたよ」とユーリはあの後、恵梨香を埋葬するために向かった場所で、トーマやタマモに出会った事を話した。


 そこで交わされた三人の会話。

 泣きはらしたであろうトーマの瞳。

 敵同士がただ死者のために祈りを捧げる光景。

 決着を後回しに、その場は拳一つ交わさぬ心情。


 三人にしか分からない、いやヒョウや恵梨香も含め八人にしか分からない事なのだろう。


 ただ黙って聞いていたエレナだが、ユーリの話が終わる頃には「そうか」とだけ小さく呟いた。


 己の中で踏ん切りをつけようとしているのだろう。それでも気丈に振る舞うエレナに、ユーリは下唇を噛み締めてゲートから一本の刀を取り出した。


「それは……」


 エレナが目を見開いた。見覚えしかない刀は、今のエレナには酷すぎる気がする……それでも渡さねばならない。そのために無理をいってヒョウのを、安らかな眠りから引っ張ってきたのだから。


 それでもわずかに潤んだエレナの瞳に、ユーリは思わず視線を逸らして刀を差し出した。


「ヒョウの……あいつの愛刀だ」


 それを差し出すユーリの手もわずかに震えている。これをエレナに渡すことは、ユーリにとってもヒョウの最期を認めたようなものなのだ。


「あいつが、あの時からずっと共にしてきた愛刀……受け取る資格があるのは


 ユーリの言葉に、エレナが右手を左手で抑え込んで躊躇った。これを受け取る事即ち、エレナにとってもヒョウの最期を認める事になるからだ。


 何度か逡巡するように手を伸ばしては引っ込めたエレナが、ついに震える右手でその刀を掴んで胸に抱き寄せた。


 わずかに震えるエレナの肩から、ユーリは完全に視線を外した。


「バカ野郎が……女を泣かせるなら嬉し涙じゃねぇのかよ」


 呟くユーリの肩も震えるが、これ以上ユーリがここで立ち止まるわけには行かない。悲しみを押し殺すように、「フー」と大きく息を吐き出した時、奇しくもエレナも同様に大きく息を吐き出していた。


 何とも強い女だ……そう思うユーリだが、今はそれを口にはしない。正確には、これ以上この話題はユーリにも耐えられない。


 それに、エレナにも時間が必要だろう。気持ちを整理する時間が。微妙な沈黙をユーリの溜息が破った。


「一先ず、こんな寝不足の頭じゃどうしようもねぇだろ」


 頭を掻くユーリに、「主にお前のせいだけどな」とリンファが顔をしかめた。


「今日のところは一旦解散を提案したいんだが……?」


 エレナをチラリと振り返るようなユーリの視線に、全てを察したサイラスが「そうしようか」と大きく頷いた。


「それでは、エレナさん! 私た――ッえー?」


 エレナに駆け寄ろうとするカノンを、「カノン、お前はこっちだ」とユーリが引っ張った。


「お前に話があるからな。ちっと面貸せ」

「い、嫌な予感が……」


 後退りするカノンに、ユーリが「いいから早く来い」と小さく溜息をついた。いつものユーリと違う雰囲気に、カノンが小首を傾げながらもユーリとリリアのもとへ。


「トア、お前はどうする?」


 振り返ったユーリに、「うーん」と考え込むように腕を組んだトアがリンファを見た。


「アタシはリンリンとこに行くよ」

「リンリン……ってアタシのことじゃねーよな?」


 引きつった笑みのリンファに、「かわいーっしょ? リンリン」とトアが腕を絡ませいち早く扉の外へと飛び出した。


「じゃ、じゃあ僕も帰ります」


 ペコペコと頭を下げたルカに、「途中まで一緒に行こうぜ」とユーリが声をかけた。


 残ったサイラスとクレアが目配せして頷きあい……


「エレナくん、大変申し訳無いがここの戸締まりをお願いできるかね?」


 声をかけられたエレナは、「は、はい」と訝しげに頷いた。


「いやなに……少々野暮用でやらねばならぬことがあってね……それをド忘れしていたようだ」


 肩をすくめるサイラスに「何だ? もう痴呆か?」とユーリが悪い顔で笑い、リリアがその頭を「スパーン」と叩いている。


「それではエレナさん。これがこのフロアのカードキーになります」


 そう言ってカードキーを渡したクレアが、「返却はいつでも大丈夫ですから」と言いながら、扉付近でまごつくユーリ達を押しやるように扉の外へと出た。


 閉まる扉に別れを告げ、ユーリはリリアとカノンに「速歩きだ」と小さく呟いてその手を引いた。


 訳が分からない、と言いたげな表情を二人が浮かべた時、遠くなったはずの扉からわずかにすすり泣く声が聞こえてきた。


 その声に立ち止まったリリアがユーリの手を振りほどき、先程の部屋へ――向かうリリアの手をユーリが掴んだ。


 ――なんで?


 そう言いたげなリリアの視線に、ユーリはただ黙って首を振るだけだ。


「一人で泣かせてやってくれ……頼むよ」


 力のないユーリの笑顔に、リリアの瞳がわずかに潤んだ。暗い部屋の中、刀を抱いて泣くエレナを想像したら、居ても立っても居られないのは分かる。


 分かるが、エレナにも一人で悲しみと向かい合う時間が必要なのだ。


 ユーリが墓を掘ったように。


 エレナも刀を、ヒョウの面影を抱いて、その思いを吐き出す時間が――


 すすり泣きが、慟哭に変わり、廊下へ響き渡る。


 エレナの魂が上げる悲しみに、誰もが黙ったまま廊下を歩いた。


「女の涙は嬉し涙にかぎらぁな」


 呟いたユーリが、声を殺して涙を流すリリアの頭を優しく撫でた。自分達にも遠くない未来、訪れる別れを遠ざけるように……。

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