第242話 何も考えずに暴れてると思っただろ? …………不正解だ!

 イスタンブールの街へと連行されたユーリは、その足でサイラスの商会ビルへ連れてこられていた。


 まだ日の出には早い時間だが、朝と言っても問題無い時間。そんな時間にもかかわらず、商会ビルは上を下への大騒ぎである。


「後で皆に謝るのだぞ」


 ジト目のエレナに「へーへー」とユーリが口を尖らせた。


「全く……考えなしの馬鹿だと思っていたが、ここまで来ると大物だな」


 呆れたエレナの声にカノンやリンファ、そしてルカまでもが頷いた。


「今に見とけよ。俺にバカバカ言った事を後悔させてやるからな?」


 眉を寄せるユーリに、全員が「なに言ってんだお前?」と言いたげな視線を向けた……今度はトアですら。


 突き刺さる疑いの視線に、ユーリは開いたエレベーターの扉を無視して皆を睨みつけた。


「何だよその目は……俺だって、こうなる事くらい分かってたからな」


 ユーリがバタバタと走り回る職員を顎でしゃくってみせた。ユーリの起こした騒動のせいで、今も右往左往する職員はある意味彼の一番の被害者かもしれない。


 閉まり掛ける扉に、リンファが慌てて上を示すボタンを押した。


「分かってて起こしたのかよ。よりタチがわりーな」


 ボタンを押し続け眉を寄せるリンファ……。早く乗れ、と言わんばかりのリンファに「あのな……」とユーリが溜息をついてエレベーターの扉を手で押さえた。


「お前らマジで俺が何の考えもなく、こんな騒動を起こしたと思ってんのかよ?」


「思ってるぞ」

「それ以外ないだろ」

「……ゴメン。僕も」

「まあ、敢えて言えば楽しそうだったからでしょうか?」


 順番にエレベーターに乗り込みながら、辛辣な回答を残していくエレナ達。ユーリが「テメェら……」と蟀谷に青筋が浮かべて最後にエレベーターに乗り込んだ。


 ユーリを指さしてケラケラと笑うトアの姿が、閉まるエレベーターの扉に消えていく。




「ユーリ・ナルカミちょー信頼ないじゃん。ウケる」


 微妙な浮遊感の中、お腹を抱えて笑うトアに、ユーリが「お前は黙ってろ」と口を尖らせた。


「つーか、フルネームで呼ぶなって。ゲオルグのオッサンかよ……」


 顔をしかめていたユーリが、自分の発言で思い出したように、怪訝な表情を浮かべながらエレベーターを降りた。


「そういや他の連中はどうした?」

「万が一に備えて門の警備、各方面への連絡、市中の見回り、墜落した輸送機の回収……全員が君の後始末中だ」


 肩をすくめたエレナが「反省したか?」と呆れた顔を見せた。


「ったく……見とけよ。今に『凄いですね、ユーリさん』って言わせてやるよ」


 そう言いながらユーリが開いた商会長室の扉を開いた……その時、リリアがユーリの胸に飛び込んできた。


「っと――」


 それを受け止めたユーリの胸の中で、リリアが上げた顔は心配そうな泣き顔だった。


「ンな顔すんなって。ちゃんと帰ってきたろ?」


 リリアに向けて優しく微笑むユーリに、リリアもただ黙って頷いた。


「お前の方は大丈夫か?」

「そうか。そりゃ良かった」

「ジジイもクレアも優しい? そりゃ騙されてるだけだ」


 話せないリリアと器用に会話を交わすユーリ。


「あれ、なにしてんの?」


 その奇妙な様子にトアが小首を傾げれば、「愛の力ってやつだ」とリンファが悪い顔で笑って返した。


「へぇー……ってよく見れば、あの時歌ってた女じゃん」


 頬を膨らませたトアにとって、リリアの歌はあまりいい思い出ではないのだろう。なんせ自分の力を抑制させる歌だ。天敵と言って良い存在に、警戒心を持ってしまうのも無理はない。


「やめとけよ。オーベル嬢に傷一つでもつけたら、ナルカミに殺されるぞ」


 肩をすくめたリンファの言葉に、「ふぅん」と気のない言葉を返した。


「もしかしてそれも?」

「ああ。愛の力だ」


 悪い顔で笑い合う二人に、「お前ら絶対ぇ仲良しだろ!」とユーリが眉を寄せて叫んだ。




 ☆☆☆





「で、今度はあれ何してんの?」


 リリアを前に「だから悪かったって」と口を尖らせるユーリをトアが指さした。帰ってきた安堵はどこへやら……ユーリは今リリアに先程までの騒動をチクられて絶賛怒られているのだ。


 声の出ないリリアが説教をする。何ともシュールな光景だが、ユーリだけはリリアの表情だけで、言いたいことが分かっているように謝るのだから器用なものである。


「愛の力は?」

「あれも一種の愛だな」


 小首を傾げたトアに、リンファが訳知り顔で大きく頷いた。それでも納得出来ていないようなトアの表情に、リンファが小さく溜息をついて肩をすくめた。


「あの説教が愛の裏返しなんだよ。愛の反対は無関心……ってやつだ」


 ヘラヘラと笑うリンファに、「ふぅん」とトアが気のない返事をする。しばしリリアに怒られるユーリを見ていたトアだが、「愛って難しいね」と興味をなくしたように視線を逸らした。


 既にエレナによってユーリのは報告され、今はユーリが叩き潰してしまった【女神庁】の後始末を協議中である。


 混乱の中、曲がりなりにも人類を統括していた組織が、壊滅してしまったのだ。これから起きる混乱は、昨日の比ではない事は明白だ。


「全く……少しでも目を離すと問題しか起こさないな」


 苦虫を噛み潰したようなサイラスに、「うるせぇジジイ」とユーリが鼻を鳴らした。そんなユーリの頭を下げさせようと、リリアが奮闘するも……ふんぞり返ったユーリはピクリとも動かない。仕方無しにリリアが頭を下げる構図に、またもやカノンから「悪ガキですね」と呆れた声がもれた。


「うるせぇな。俺が潰してなくても、どの道トーマ達が潰してたんだ。一緒だろ」


 鼻を鳴らしたユーリが、「むしろ、あいつらの出鼻を挫けたんだ」といつものように勝ち誇った笑みを浮かべてみせた。


「それは一理あるな」


 サイラスも頷いた通り、ユーリが潰さずともトーマ達が潰していたのは事実だ。それも最悪のタイミングで【女神庁】へ襲撃をかけただろう。それこそ彼ら【女神庁】が対応策を打ち出す発表の時にでも、大々的に襲撃をかけるかもしれない。


 民衆の見ている前でロイド達を惨殺。そしてその場でと、それに対する復讐を宣誓する。


 世界を牛耳る組織を易々と壊滅させうる力。そんな彼らはモンスターと同じく人類の敵だと言う。溢れ出すモンスターに、強大な力を持った新たな組織の台頭……人類が絶望するには十分すぎるカードだ。


「確かに君が先んじて【女神庁】を叩き潰した事は、【八咫烏】の出鼻を挫いたと言える……」


 そう言いながらも非難めいた視線を向けるサイラスに、「分かってんよ」とユーリが顔をしかめて頭を掻いた。


 トーマ達の出鼻を挫けた事実と、統括組織がなくなった混乱は全くの別軸なのだ。いかにトーマ達を出し抜いたとて、それを知らない民衆が混乱する事は防げない。


 だがその程度の事はユーリとて理解している。理解した上で【女神庁】を叩き潰したのだ。いや、正確には叩き潰しても問題無い、という思考だろうか。


「そこはアンタが何とかしてくれんだろ? 【】さんよ」


 ニヤリと笑うユーリに、「君という男は……」とサイラスが笑顔を引きつらせた。


 ユーリの中では、【女神庁】が潰れたとて、イスタンブール程度ならサイラスが即座に掌握する事を見越していたのだ。……いや、正確には


 とにかくまずは、これからモンスターと、いやダンジョンを叩く上で最も重要な街……それをサイラスが抑える以上、【女神庁】を叩いても問題ないと踏んでの行動だ。


 そんなユーリの考えに気がついたサイラスは、「買いかぶり過ぎだよ」と盛大な溜息を返した。


「なに言ってんだよ。既に?」


 ニヤニヤとするユーリを前に、サイラスが片手で顔を覆って天井を仰いだ。


「なるほどだった、というわけかな?」


 サイラスの溜息交じりの言葉に、「当然だ」とユーリがふんぞり返って笑みを浮かべてみせた。


「まさか知事が行方不明とは思わなかったがな」

「知事閣下がいた場合はどうするつもりだったのかね?」

「馬鹿か。がトラブル時に役立つかよ」

「なるほど……居た方が君にとっては都合が良かったわけかね」


 お互い笑顔だが睨み合うような二人を前に、トアが「ねー、どゆこと?」とリンファを肘で突いた。


「全部って事だよ」


 呆れた表情でユーリを眺めるリンファが、「あの」と溜息をついてトアに説明する。


 サイラスならば【女神庁】無きイスタンブールを掌握できると踏み、そしてあえて【女神庁】の消滅が露見する前に騒動を起こした。


 夜明け前の一番暗い時間での騒動だ。民衆が混乱する事など火を見るより明らかである。


 その混乱を、サイラスならば沈静化するだろう事は必至。つまりあの騒動は、民衆が持つサイラスへのイメージを戻す一手だったのだ。ただの商会長から【イスタンブールの英雄】へと。


 夜が明ければ、パリから【女神庁】の消滅が街々を伝ってイスタンブールへも伝播するだろう。だがそれが届く頃には民衆のサイラスへの信頼が復活している……というわけだ。


 しかもユーリの考えはそれだけではない。


「それと、クレアさんに


 そう言ってユーリがゲートから放り投げたのは、三つのデバイスだ。一つはもちろん技術開発局アナント局長のもの。後の二つは――


「【女神庁】幹部の女と頭目から掻っ払ってきた奴だ」


 悪い顔で笑ったユーリが更に続ける。


「アンタなら、上手いこと使いこなせるだろ? ジジイをトップに

「もちろんです」


 悪い顔で笑うクレアが、「たまには機転が利きますね」とユーリに嘲笑を浮かべた。


「いつも利いてんだろ。深謀遠慮に長ける男だからな、俺は」


 勝ち誇ったようなユーリが悪い顔で笑った。


「しんぼーえんりょ?」

「思慮深くて先を見通して計画を立てること、だな」


 リンファの説明に、トアが胡散臭そうにユーリを見てもう一度リンファへ視線を向けた。


 胡散臭そうに小首を傾げるトアへ、リンファがユーリの行動を説明する。手に入れたデバイスの情報から、【女神庁】のサーバーから何から何までクレアとサイラスが掌握出来るということ。そのシステムを持って、イスタンブールだけでなく各街への情報伝達も可能になったこと……。


 つまり、サイラスは今イスタンブールだけでなく、各街へも指示を出せる状況になったわけだ。もちろん、他の街がサイラスの言うことを簡単に聞くとは思えないが、そこはそれ。サイラスとクレアなら上手くやるだろう、と見越してのユーリのパスである。


 トアが驚きのあまり感心した様子でユーリを見た。


「しんぼーえんりょ!」

「いや、正確にはただの嫌がらせだな」

「でしょう! ユーリさんは嫌がらせの時だけ、驚異的に頭が回りますからね」


 カノンの言葉にエレナとリリアが黙って頷き、ユーリは「聞こえてるからな」と鼻を鳴らした。


「嫌がらせ?」


 小首を傾げるトアに、リンファは今回の騒動はそもそも黙ってする必要はなかったと説明する。事前にサイラスへ話を通しておけば、もっと落ち着いて対処できたであろうに、わざと黙って騒動を起こしたのだ。


 それは偏にあたふたするサイラスを見たかった……というユーリの嫌がらせ精神が根底にある。


「っても、今回は完全にあいつの計算通りになっちまったがな」


 苦々しげにユーリを見るリンファと、


「えー! ユーリ・ナルカミ実はちょー凄いじゃん!」


 羨望の眼差しを向けるトアに、「『ユーリさん天才ですね』と言え」とユーリが胸を張っている。


「あれ? でもアタシは巻き込まれて……」


 ジト目に変わっていくトアの視線に、ユーリが慌てたように手と首を大きく振った。


「ホ、ホムンクルスなんだし大丈夫だろ?」


 慌てて弁明するユーリだが、少女を巻き込んだ罪は重かったようで……鬼の形相のリリアが再びユーリの背後に現れた。


「待てって。誤解だ。アイツはあれで頑丈……」


 必死に弁明するユーリと、腕を組んで怒りを顕にするリリア。


「あれも愛?」

「かもな」

「愛って難しいね」

「だな」


 トアとリンファは微妙な笑顔で二人のやり取りを暫く見守っていた。

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