第240話 ジェット機の正しい発進は……こう!
「いやー。最初っからこうしときゃ良かったぜ」
ビルをよじ登ってきたユーリが、ガラス壁の縁から笑顔を覗かせた。
「わざわざエレベーターなんて使う必要なかったな」
今しがた登ってきたガラス窓を振り返ったユーリが、「ま、今更だけどよ」と気持ちを切り替えるように溜息をついた。
「さーてさてさて……お目当てのジェット機ちゃんは――」
周囲をキョロキョロとするユーリだが、もちろんこんな部屋の中にジェット機などあるはずがない。あるのは頭が潰れた二つの死体と、呆けたまま壁にもたれるトアの姿。そして激闘で破損してしまったコンソールの残骸だ。
「おい、トア」
つかつかと歩いてくるユーリに、「な、何?」とトアが肩を跳ねさせた。先程見せた圧倒的なユーリの力は、トアに警戒心を持たせるには十分だったようだ。
「お前、ジェット機知らね?」
覗き込むユーリにトアは黙って首を振った。そもそもトア自身、ここにジェット機があるだなんて初めて知ったのだ。
「マジかよ……ぶっ殺す前に聞いときゃよかったぜ」
眉を寄せるユーリだが、その表情は一瞬。思い当たる節にポンと手を打った。
「こういうのって、やっぱ屋上だよな」
言うが早いか、ユーリが再びガラスから飛び出し、「いやヘリじゃないんだし……」というトアの言葉を残して真上へと消えていった。
ユーリが消えてしばらく……
「無ぇ!」
……顔をしかめたユーリが返ってきた。
「そりゃそうじゃん。ヘリじゃないんだし」
呆れ顔のトアは、ポーションと自己再生機能のお陰か、ユーリがここに来た時より元気だ。
「ならどこにあんだよ」
「アタシが知るわけ無いじゃん」
眉を寄せるユーリにトアがそっぽを向いて口を尖らせた。
「てか、アンタ敵じゃん。もし知ってても教えないし」
「ンだよ。可愛くねぇな」
鼻を鳴らしたユーリが、「どっかに書いてねぇのか?」とブツブツ呟きながら、アナントの遺体からデバイスを引ったくった。
既にアナントは死に、
唯一無事だったデバイスを取り上げたユーリが、アナントの遺体の指をデバイスをに充てがった。
――ピピッ
ロックが解除される音に、「ヒュ~♪」とユーリが口笛を吹いた。
しばらくデバイスを操作していたユーリを、トアはチラチラと盗み見ている。先程まで見せていた圧倒的なユーリの姿と、今のユーリの姿のギャップが大きすぎてトアには同一人物に見えないのだ。
不意にユーリが勢いよく顔を上げた。それこそ「バッ」と音がなりそうな程の勢いで。
あまりの勢いと、上げられた悪い笑顔に、トアが思わず「な、何?」と肩を跳ねさせる程だ。
「最高だ……女神屋。クソだと思ってたが、分かってんじゃねぇか」
カラカラと笑うユーリが、「よし行くぞトア」とトアに声をかけた。
「は? 行くって?」
「決まってんだろ。ジェット機の格納庫だよ」
眉を寄せるユーリに、「いやいやいや」とトアが首を振った。
「さっきも言ったけど、アタシ一応アンタの敵なんだけど?」
眉を寄せたトアに、ユーリが盛大な溜息をついた。
「お前、帰る所あるのか?」
唐突なユーリの質問に、「ない……けど」とトアが顔を逸らして呟いた。
「ならついて来い。恵梨香の弟子なら、俺の妹分みたいなもんだ」
強引な理屈で手招きするユーリに、トアは過ぎし日の恵梨香を見ていた。
――よっし。お前の名前はトア。今日からオレの弟子な。
奔放で、人の話を聞かなくて、それでいて誰よりも優しかった恵梨香。もう帰ってこないそんな彼女の影を打ち消すようにトアが頭を振った。
「早くしねぇと置いてくぞ」
振り返るユーリに恵梨香を思い出すのは頂けないが、それでもユーリならば悲しみを分かち合えるかもしれない。そう思ったトアが、「そ、そこまで言うなら」と口を尖らせながら渋々と立ち上がった。
「んじゃ、行くか」
大手を振って部屋を後にしたユーリに、トアが小走りでついていく。
☆☆☆
最上階を後にしたユーリ達は今、ビルの地下へと辿り着いていた。二人の目の前には、頑丈そうな大きく無骨な両扉。
「ここが?」
「そう。地下格納庫だ」
何故か自慢げなユーリを、トアがジト目で見ているがユーリはそれを気にしない。おもむろに扉の脇にあるスキャナーへアナントのデバイスをかざした。
『お帰りなさい。アナント局長』
流れる電子音の後、巨大な大扉が音を立てて開き始めた。扉の向こうから漏れる強い光が二人を照らす。
「これ、生体認証とかだったらどうするつもりだったのさ?」
トアが光に目を細めながら口を開いた。
「ンなもん扉をぶっ壊せばいいだろ?」
当たり前のようにトンデモナイ事を言うユーリは、まさしくトアが知っている恵梨香にそっくりだ。
(ああ、ししょーでもそう言うだろうな)
どうしても思い出してしまう恵梨香に、トアがわずかに俯いた。心の隙間に風が吹き抜けるようで、それを何とか誤魔化したくて「さっさと行くし」とユーリの背中を押して進んだ。
扉の中に入った二人の前には、黒光りする小ぶりのジェット機。どうやら壁と同じ素材で作られているのだろう。輸送機としては大した容量はないが、人を運ぶ程度ならば十分すぎる大きさだ。
開きっぱなしのハッチから、中へ進入したユーリ達を迎え入れたのは、機械が殆どを締めるコックピットだった。
「一応客室みたいなんも、あるにはあるな」
コックピットの後ろにある扉を開けば、がらんどうとした空間が広がっている。これを客室と呼んでいいのか迷うが、椅子を並べれば客室と言っても良いだろう。
「ユーリ・ナルカミ。これ、どうやって動かすの?」
扉に頭を突っ込んでいたユーリが、「まあ待てって」とコックピットへ戻ってきた。アナントのデバイスを暫く操作していたユーリだが、そこに操縦方法は載っておらず……。
「仕方ねぇな」
溜息をついたユーリが、とりあえず一番目立つボタンを押した。
――ブゥン
と起動音がコックピットに響き、間もなく機体が目覚めたように振動し始めた。
目覚め始めたジェット機に「さっすが俺」とユーリが上機嫌でホログラムを見ながら、適当に操作をし始めた。
操作自体は意外に簡単で、目的地をセットして後は席についてフライトするだけ……という段になったのだが――
「さて、どうやって上のハッチを開けるか……なんだが」
浮かぶホログラムに従い、ユーリが適当にコンソールを操作するが、どうも上手くいかない。
「くっそ。こんな時にヒョウがいたらな」
ブツブツと呟くユーリが、「これかな?」と仮想キーボードをタップするが、ガラスの向こうで存在感を示す巨大なハッチが開くことはない。それでも楽しげにコンソールをいじるユーリを、トアは先程から冷めた瞳で見ていた。
先程まではわずかにユーリの事を認めていた。恵梨香が死に、その仇討に乗り込んだトアと同じ目的だと言っていたのだ。
彼女の死を同じように悲しめるのなら……ユーリについていってもいい。少しだけそう思っていたが、今のユーリはどう見ても恵梨香の死を悲しんでいる風には見えない。
外へ見せていないだけ……とも取れるが、やはり今のユーリは玩具を前にした子どものように楽しげなのだ。
ユーリとなら恵梨香の死の悲しみを共有できるかも……そう思っていただけに、今のユーリには苛立ちを覚えてならないのだ。
そんな苛立ちを抑えきれないように、トアがきつく結んでいた口を開いた。
「ねぇ、ユーリ・ナルカミ……」
「んだよ。フルネームで呼ぶなってーの」
口を尖らせながら、今もコンソールへ集中するユーリに、トアがしばし考えてから口を開いた。
「……なんでアンタは悲しそうにしてないの?」
ししょーが死んだばかりなのに。そう言いたげなトアの瞳には、眉を寄せてトアを振り返るユーリの姿が映っていた。
「悲しそうになんてするかよ」
鼻を鳴らしてコンソールへと向き合ったユーリに、トアが奥歯を噛み締めた。やはり自分は間違っていたのだ、と己への苛立ちも含めた怒りがトアを包み込んだ。その時、
「さんざっぱら泣いたんだ。これ以上は恵梨香が心配しちまうだろ」
淋しげな微笑みを浮かべたユーリの横顔に、トアは思わず息を飲んだ。悲しんでいないわけじゃない。それでも恵梨香のために、前に進むと決めたのだろう。だからいつも通りに振る舞っているだけなのだ。ユーリの中に秘めた思いを、トアが気がつくには十分すぎる横顔だった。
「俺もお前も、アイツの分まで生きねぇとだからな。最期まで笑って逝かねぇと、アッチで怒られるだろ?」
肩をすくめてトアを見つめるユーリが更に続ける。
「しかもアレだ。俺もお前もいつかは死ぬんだ。そん時にまた会えんだろ」
心の底から……そういった雰囲気のユーリの笑顔に、トアは思わず「アタシも……」と口走っていた。
「ん?」
小首を傾げたユーリに、トアが恥ずかしげに視線を反らした。
「アタシも……ホムンクルスも、行けるのかな――」
俯いたトアが、「ししょーのところに」とか細い声で続けた。
「なに言ってんだお前?」
眉を寄せて盛大な溜息をつくユーリに、トアの肩がビクリと震えた。人ではない自分では、恵梨香の下へなど行けないのだ、と暗に言われたようでトアが更に俯いた……のだが――
「行けるに決まってんだろ」
――続くユーリの言葉で「え?」とトアが思わず顔を上げた。
「死んだんなら、俺もお前も皆あの世だ。つーか恵梨香だぞ? 頼まれねぇでも迎えに来るぞ」
ケラケラと笑い、「覚悟しとけよ。しつけーからな、アイツ」と再びコンソールに視線を落としたユーリに、「そっか……そだよね」とトアが大きく頷いた。
トアが内心で喜びを噛み締めているその時、「お、これじゃね?」とようやくそれっぽい項目を見つけたユーリが、コンソールの仮想キーをタップした――
『ビー! ビー!』
盛大な警報音とともに、先程ユーリ達が入ってきたジェット機のハッチが開いた。
音を立てて開いたハッチ。それを見つめるユーリとトア。何とも情けない状況に、ユーリとトアがお互いに顔を見合わせた。
「ハッチ違い?」
「っるせ」
恥ずかしげにハッチを閉じるユーリに、トアが初めて笑顔を見せた。何と言うか、恵梨香に聞いていた通りなのだ。どこか抜けていて憎めない人物。それがユーリ・ナルカミだと。
「てかさ、基地のハッチを開くんなら、基地のどっかにボタンがあるんじゃないの?」
呆れたトアの顔に、「俺もそう思ってた所だ」とユーリがもう一度警報音を鳴らしてジェット機のハッチを開いた。
「さっきはこれで外に行こうとしてたんだからな」
「ユーリ・ナルカミ必死すぎじゃん。ウケる」
ケラケラと笑うトアに、「るせぇな。フルネームで呼ぶなっつーの」とユーリが口を尖らせて基地へと戻った。
ジェット機の射出用ハッチは、基地入り口付近にあったコンソールですんなり開けられた。しかも、トアが一発でそれを引き当てたのだ。
ゆっくりと開く発射口……既に外は暗闇に包まれる時間帯だが、拓けた視界に映る星空は中々壮観な光景だ。
「らくしょーじゃん。ユーリ・ナルカミ、ちょー雑魚なんだけど」
クスクスと笑うトアに「やかましい」とユーリが軽く手刀打ちで頭を小突いた。
「暴力反対なんだけど」
「古巣にカチコミするバカに言われたくねぇよ」
ギャーギャーと騒ぐ二人が、コックピットの椅子へとそれぞれ腰を下ろしてシートベルトを閉めた。
既にエンジンは準備万端と言った具合に唸りを上げ、暫定機長であるユーリの号令を待つだけだ。
「さーて、帰るか」
笑顔のユーリがフロントガラスに広がる星空へ向け、声を張り上げた。
「目標イスタンブール、発進!」
ユーリとトアを乗せたジェット機が大空へと飛び立った――
「ししょー、リク。もう少しだけこっちで頑張るね。返したい恩が出来たから――」
トアの呟きをかき消すジェットエンジンが、静かな宵闇へ爆音を響かせていた。
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