第239話 本戦前の準備運動みたいなものです

 ロイドとオロバスがユーリへと迫る。


 ロイドが踏み込みとともに直剣を振り下ろした。

 ユーリが右に体を開いて左足を引いて躱す。

 鼻先を掠める切っ先――

 ユーリの目の端には、ロイドを飛び越えるオロバスの姿が映っている。

 飛び上がったオロバスが、ユーリへ両腕を叩きつけた。


 体を開いたままのユーリがバックステップ。


 ロイドの直剣とオロバスの拳が床を穿つ。


 初撃が外れてもロイド達は止まらない。


 オロバスの背をロイドが越え再び接近。

 床を割る踏み込みと共に、ロイドが平突き。

 ダッキング――するユーリの背後から、オロバスが足払い。


 屈んだユーリが、体育座りのように足を抱え込んで飛び上がった。


 頭上を通過する剣。

 足元を過ぎるオロバスの脚。


 と同時にユーリが半回転しつつ縮めていた身体をへ開放。


 ドロップキックでロイドを蹴り飛ばし

 オロバスの鬣を両手で掴んだ。


 吹き飛ぶロイドを尻目に、ユーリが鬣を引っ張りオロバスの顔面を床へ叩きつけた。


 床に抑え込んだオロバスの頭を支点に、ユーリがハンドスプリング。


 背後に回ったユーリに、オロバスが慌てて転がるように間合いを切った。


 跳ねるように立ち上がったロイドと、その横で歯を剥き出しにするオロバス。一人と一柱を前に、ユーリがゆっくりと構えをとった。


 右手前、右足前のいつもの構え……恵梨香を彷彿とさせるその構えでユーリは右掌を天井へ向けて手招き――


「どうした? さっさと本気で来い」


 ――ニヤリと笑うユーリに、壁際で眺めているトアは恵梨香をダブらせている。


「舐めるなよ……小僧!」


 顔を歪めたロイドが、再び加速。それを追うようにオロバスもユーリ目掛けて突っ込んだ。


 剣と拳の乱舞。

 一つ一つが明確な殺意を持って振るわれるそれらを、ユーリは涼しい顔で避けていく。


 異常な速度の剣と拳が、ユーリの髪を舞い上げ、服をはためかせる――それでも、ロイド達の攻撃はユーリに掠りもしない。


 再びロイドの平突き。

 体を開いたユーリに、ロイドがニヤリと笑う。


 突き出した刃をロイドが即座に横薙ぎ――

 しようとした刃は、動かない。


 気がつけばユーリの右手と左手が、上下から抑え込むようにロイドの剣を止めているのだ。


 白刃取りとは違う、位置をズラした両手の配置にロイドが気付いた時には遅かった。


「オロバ――」


 体を開いたユーリの真横から突っ込んでくるオロバスを止めようとしたが遅い。


 ユーリが右手を抑え込み、左手をカチ挙げれば、ロイドの剣が梃子に負けて吹き飛んだ。

 激しく回転して向かう先はもちろん、突っ込んでくるオロバスの鼻先だ。


 思わぬカウンターにオロバスが慌ててダッキング。

 止まったオロバスをユーリの右横蹴りが吹き飛ばし、

 引き戻した膝がロイドの腹へ突き刺さった。


 辛うじてバックステップで威力を軽減したロイドだが、その力の差は歴然としている。


 オロバスと二人がかり、それでも完全に子供扱いなのだ。ロイドの脳裏には今、恵梨香に言われた言葉が響いていた。


 ――あの人こそ、頂点にして【深淵】


 例えそうだとしても、あまりにも力の差がありすぎる。【八咫烏】の強さは理解していたつもりだが、想像を絶する強さにロイドの顔に悔しさが滲む。


 無理もない。【八咫烏】を利用して、いいように扱ってきたつもりだった。だがどうだ、彼らからすればロイドなど取るに足らない相手だった、と言われているようなものである。


 自分達は体よく利用されていただけではないか。それを認めるわけにはいかない。


 歯噛みしたロイドが新たな剣を引き抜き、構えをとった。


 ロイドの瞳に宿る、意思の炎にユーリが笑う……


「ガッツがあって結構なこったが――」


 首を鳴らしたユーリの姿が消えた。

 一瞬でロイドの前に現れたユーリの右ジャブ。

 辛うじてロイドがヘッドスリップで躱し――た、がユーリの拳は慣性で遅れたロイドの束ねた後ろ髪を掴んだ。


 引き寄せられるロイドの頭。

 それを止めようと駆けるオロバス……の目の前で、逃げ場のないロイドの顔面へユーリの左肘が叩き込まれた。


 後方へ回転して床に叩きつけられたロイド。


 ピクピクと動くロイドに、オロバスが『おのれぇぇええ』とその鬣を逆立てた。


 歯を剥き出しに怒りを顕にするオロバス。それを前にユーリが「さっさと来い」と悪い顔で手招き――


 完全にタガが外れたようなオロバスが、『いいだろう……』と両手を前脚に変えて四足歩行の形をとった。


「おー! ようやく思い出したぜ……あの時の馬野郎じゃねぇか」


 相変わらず悪い顔で笑うユーリに、『分体風情と一緒にするな!』とオロバスが床を破裂させて突進。


 目に見えぬ疾さの突進。

 オロバスの姿が消えた……かと思えば、ユーリが右腕を振り下ろした。


 ――ズシン


 とビル全体が揺れる衝撃は、が発生源だ。


 渾身の力を込めた突進。

 それすらも、ユーリへ届くことなく、ハンマーパンチ一発で地面へと叩きつけられていた。


 床に減り込みピクピクと動くオロバスの顎をユーリが踏み抜く。


 オロバスの綺麗な歯にヒビが入り、「グハッ」と低い苦悶の声がもれた。


「ヒヒンって鳴けって言ったろ?」


 髪を掻き上げたユーリの姿に、トアは唖然としていた。


「これが……」


 自分と戦った時とは比べ物にならないくらい強くなっているユーリに、恵梨香から聞いていた彼の伝説が真実だったことに、トアはただただ驚きを隠せないでいる。


「どうすんだ? 三下連合。まだやんのか?」


 驚くトアの視線の先では、床に倒れるロイド達をユーリが覗き込んでいる。


「い、いいだろう……」

『……後悔するなよ、雑種がぁ!』


 ユーリを睨みつけた二人が輝く――その光にユーリが顔をそむけて腕で光を遮った。


 部屋全体を包んでいた光が収束していく。


 光の中から現れたのは、白銀に輝く鎧に身を包み、馬上槍ランスを片手に持った人馬一体の異形だった。


『我らの本気、受けてみよ』


 前脚を持ち上げいななく異形に、「手間が省けたぜ」とユーリが笑った。


 振り下ろされる前脚。

 ユーリのバックステップ。

 叩きつけられた前脚が、床を砕き部屋全体を揺らした。


 揺れる床に、ユーリが眉を寄せた、その時――


 異形が馬上槍ランスをユーリへ突き出した。

 サイドステップで躱すユーリ。

 異形が方向転換とともに、後ろ脚を蹴りつける。

 堪らず両腕を交差させ、ユーリがそれを受け止めた。


 ――ドゴン


 ど大きな音を立てて、ユーリの両足が床の上を滑る。


「デケェのに、俊敏だな」


 笑うユーリが両手をぷらぷらと振って、ノーダメージをアピール。


『こんなものでは――』


 異形がおもむろに馬上槍ランスを投擲の構えに。


『――ないぞ!』


 放り投げられた馬上槍ランスが、光となってユーリに迫る。

 ダッキングするユーリの真上を、が通過。

 後れ毛を弾けさせ、壁のガラスを貫通した光る馬上槍ランスに、


「こんにゃろ、禿げたら――」


 どうすんだよ。というユーリの文句は続かない。

 間合いを詰めていた異形が、どこから取り出したのか、馬上槍ランスをユーリへ突き出していたのだ。


 迫る馬上槍ランスにユーリが跳躍。

 引き戻されるより前に、ユーリが馬上槍ランスに着地。

 馬上槍ランスを抑え込むように飛び上がり、


「話してる途中だろ!」


 跳び左前回し蹴り。


 馬上槍ランスを突き出し、無防備な異形の右側。

 完璧なタイミングの蹴りだが、異形の右腕が馬上槍ランスを手放しユーリの蹴りを受け止めた。


 広がる衝撃波――の最中、異形の右手がユーリの左足蹴り足を掴んだ。


 放り投げられるユーリ。

 宙で反転したユーリの両手が床を捉えた。

 二度三度のバク転で、投げの威力を殺したユーリが低い姿勢で地面を蹴る。


 床が弾け、ユーリの姿が消える。


 異形の前に現れたユーリ。

 飛び上がったに見せかけたユーリが急降下。

 着地と同時に右手を支点に左の足払い。


 異形が前脚を持ち上げ回避。

 回転するユーリの左手が地面を捉え――回転しながらその身体を押し上げた。


 カチ上げるような右後ろ横蹴りが、振り下ろされる前脚にぶつかる。


 思わぬ下からの攻撃に、異形がわずかにバランスを崩した。


 ユーリが回転の勢いを殺さず両手で跳躍。

 バランスを崩した異形の付け根人馬の境界部分に左前回し蹴りを叩き込んだ。


 後ろへ滑った異形――が、顔を上げた時には既にユーリの姿はない。

 天井へと飛び上がっていたユーリに異形が気付いた時には遅い。


 天井を凹ませ、重力加速度も味方に、ユーリの跳びけりが馬の背に突き刺さった。


 ガクンと膝をついた異形。

 異形から飛び降りたユーリの足が床を捉える。

 ギュゥゥと靴底が唸りを上げ、ユーリの身体を一瞬で運ぶ。

 異形の真横へ瞬間移動したユーリの左飛び横蹴り。

 異形の身体が大きく傾く――間髪を入れず、ユーリが宙で回転。

 右後ろ横蹴りが、異形の身体を吹き飛ばした。


 吹き飛んだ異形がガラスの壁と壁の間の柱に突き刺さる。


「虚仮威しか? 野郎め」


 鼻を鳴らすユーリに、異形が『いいだろう……』と立ち上がって闘気を纏った。


『ビルをあまり壊したくなかったのだが』


 闘気を纏った異形が、虚空から馬上槍ランスを新たに取り出した。


 睨み合う両者。

 割れたガラスから一際強い風が吹き抜けた。



 異形が馬上槍ランスを片手に突進。


 オロバス以上の速度で、しかも馬上槍ランスのリーチだ。

 一瞬でユーリに到達した穂先。

 それがトアの目の前でユーリを貫いた。


「――っ」


 思わず目を見張ったトアだが、ユーリは馬上槍ランスを小脇に抱え回避している。

 ユーリの両足が床を捉えた。

 床をわずかに滑ったユーリが、突進を止める。

 馬上槍ランスを締め上げたユーリ。

『馬鹿な……』

 驚く異形の言葉は続かない。

 馬上槍ランスを締め上げたユーリが、ブリッジの要領で異形を真後ろへ放り投げた。


 宙を舞う異形へ、振り返りながら跳んだユーリのオーバハンドブロー。


 真上から叩きつけるような拳を、上下が反転した異形が馬上槍ランスを真横に受け止めた。


 馬上槍ランスを砕く一撃入魂、異形が再び地面を滑る。

 四本脚で器用に飛び上がった異形が、着地と同時に新たな馬上槍ランスを掲げて投擲。


 オーバハンドブローを打ち終わったユーリへ迫る光の槍――

 迫る馬上槍ランスの穂先をユーリが白刃取り。


 両足が激しいスキール音を立てて滑る。

 背後に迫るガラス壁……ギリギリの所でユーリが停止。


『……ありえん』


 呆ける異形を前に、ユーリが「ひょー、ギリギリだぜ」と笑顔を見せ、槍を投擲の形に構えた。


「返すぞ」


 その言葉に異形が気づいた時には、もう目の前に馬上槍ランスが迫っていた。

 篭手で覆われた両腕を交差させ、四本脚で踏ん張る異形が耐える。


『ぬぁああああああ――っあああ!』


 投擲された馬上槍ランスを異形が弾いた。

 拓けた視界に映ったのは――目の前で飛び上がり、左拳を構えるユーリの姿。


「一に一を掛けても、一だったな」


 鼻で笑ったユーリの左正拳。


 異形の胸部にユーリの左拳が突き刺さった。

 吹き飛ぶ異形がガラスを破って外へ――


 それを追いかけるユーリが跳躍。

 宙を飛ぶ異形の真上に現れたユーリが組んだ両腕を叩きつけた。


 異形の巨体が地面へ急降下。

 街を揺らす衝撃で、異形が地面に突き刺さり……その真上から降ってきたユーリの飛び蹴りが異形を完全に貫いた。


『私の……我々の……夢が――』


 虚空を掴むように異形が手を伸ばし、光が再びその身体を包んだ。


 光が収まった後には、大きなクレーターの中で、腹部に風穴を開けたロイドとオロバスが転がっていた。


「じゃあな……」


 二つの遺体に背を向けたユーリがビルへと再び歩き出した。


「神様ごっこの続きは、あの世でやれよ……まあ出来れば、だけどな」


 振り返る事なく吐き捨てたユーリの言葉を、吹き抜ける風が攫っていった。

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