第238話 有言実行が信条です

 【女神庁】の本拠地、巨大ビルの最上階。全面ガラス張りのそこにトアはいた。デボラ、ジョゼフ、アナント、そしてロイドに囲まれて。


 ちなみにシェリーはこの場にいない。トアを捕らえた時点で、に備えロイドは彼女を外へ脱出させているのだ。


 なぜわざわざシェリーを避難させたのか……それはトアの背景が見えないからである。


 ロイドにとって、シェリーは心の底から味方と呼べる存在だ。トアの襲撃の背後に【八咫烏】が居た場合、このビルが戦場になる可能性を否定できない。故に万が一を考え、シェリーはこのビルから逃がし、オロバスに護衛をさせながら隠れ家へと走らせていた。


「【八咫烏】の差し金か、それとも別の誰かか……」


 そう呟くロイドの目の前では、全身傷だらけで、既に虫の息のトアが横たわっていた。先程から「さっさと吐きなさい」とデボラ局長がヒールでトアを踏んでいる。


 あまり褒められた行動ではないが、今は少しでも情報が欲しいとデボラの好きにさせているのだ。


「へへへ……だから、言ってんじゃん。アタシの独断だって……」


 力なく笑うトアに、「この……」とデボラが顔を歪めた。


 先程から「お前たちが気に食わない」とその一点張りで、何の目的があって、誰に唆されたかなどを語らないトアに、デボラの怒りはついに頂点に達した。


 奥歯をギリリと噛み締めたデボラが、トアの腹を思い切り蹴り上げた。


 サッカーボールのように跳ねたトアが、床の上を滑っていく。ゆっくり歩いて距離を詰めるデボラに、「女の恨みは怖いの」とジョゼフですら肩をすくめて苦笑いを隠せない。


 トアを踏みつけたデボラがロイドを振り返った。


「長官。やはりあのの薫陶を受けた個体は破棄すべきです」


 デボラ個人の恨みが前面に押し出された発言だが、ロイドとしても処分の必要性は感じている。いくら特殊個体と言えど、反乱を起こした以上、処分は免れない。


 とは言え、もう少し色々と背景を聞きたいのも事実だ。


 気に食わない。本当にそんな理由だけで、こんな無謀な事をしたのか。

 ロイドが想像している通り、ジョゼフ本体の死亡には関わっているのか。

 【八咫烏】達は関係ないのか。


 特に【八咫烏】二人の状況は、ロイドとしても把握しておきたい所だ。彼らがトアを囮に何らかの行動に打って出るのであれば、ここでその情報を手に入れなければならない。


 実際はトアの言う通りで、トーマもタマモも何の関係もない。だが一度失敗をしたロイドとしては、石橋を叩く堅実さに固執してしまっているのだ。


 処分と情報……突飛なトアの行動に、理由をつけたいロイドが逡巡する――


「長官――」


 叫ぶデボラを遮るように、ロイドが手を挙げた。


「博士、この個体から情報を聞き出せるか?」

「ふむ……まあ脳をイジれば多少は」


 顎を擦るジョゼフが、「だが、出来れば戦力として記憶を全消去したいがな」と転がるトアに下卑た視線を向けた。


「長官も見ただろう? こやつの戦闘能力を」


 ジョゼフの意見にロイドが黙って頷いた。トアを捕らえるのに、精鋭を十数人やられ、最後は結局ロイドとオロバスの連携で何とかトアを捕らえたのだ。味方に出来れば、戦力としては申し分ない。


「そやつの頭から、今までの記憶を全て消して、忠実な兵隊にする……良いと思うのだが?」


 ジョゼフの提案に、「や、め……ろ」とトアがか細い声を上げた。


 本気の拒否に、ロイドの眉がピクリと動いた。このカードは使えるかもしれない。そんなロイドの表情に、ジョゼフが「ヒヒヒヒ」と醜い笑い声を上げる。


 記憶を消されたくなければ吐け。そうしてトアに背景を吐かせた上で、記憶を消す。


 そんな絵を描いたロイドがトアへ向き直った。


「トアとやら、お前の記憶を――」

「お、ちゃんと居るな。よーしよし」


 ロイドの発言を掻き消したのは、扉から入ってきたユーリだ。左手にぐったりとした将官を引きずり、「いやー参ったぜ」とカラカラと笑うユーリに全員の視線が集まった。


「専用カードキーが必要なエレベーターとか、どんだけ用心深いんだよ」


 ニヤリと笑ったユーリが、右手でカードキーをヒラヒラとさせ、部屋の中を見渡した。


「えーっと……ジジイにジジイ。それとオバサンと……」


 ロイドへと視線を合わせたユーリがニヤリと笑った。


「会いたかったぜ……オッサン」


 ユーリの見せる獰猛な笑みに、ロイド達は思わず目を見開き身構えた。たった一人とは言え、ここまで侵入を許した……確実に緊急事態である。


「さて、さんたちよ……ちと聞きてぇんだが」


 ユーリが放つプレッシャーに、ロイド達が緊張した面持ちでユーリを睨みつける。少しの油断も見せない……そう言いたげなロイド達を前に、


「ジェット機のパイロットってどこにいる?」


 ユーリはその殺気とプレッシャーを一気に霧散させた。一瞬で緩んだ空気と思いもよらぬ質問に、毒気を抜かれたように、全員が顔を見合わせ……


「あれは……」

だから」

「パイロットはいないな」


 と思わず質問に答えてしまった。


「そうか。良かったぜ。いやー、自動操縦か。そりゃ二五〇年も経ってりゃ、自動操縦くらい出来るか」


 納得してウンウン頷くユーリを前に、ロイド達が思い出したように顔を引き締めた。


「【深淵】……なぜここに?」


 眉を寄せるロイドに、「さっき言っただろ?」とユーリが鼻を鳴らした。


「パイロット探しに来たんだよ。あと……」

「あと?」

にお前らを皆殺しにな」


 殺気も出さずに、カラカラと笑うユーリが「お前らムカつくしな」と続ける。言動が全く一致しない状況に、ロイド以外の三人は目を白黒させている。


 混乱の中、一瞬静まった空気を破ったのは、意外な人物だった。


「こ……ここまで……案内したんだ……もう、いいだろ」


 ユーリの左手に足を掴まれた将官が、苦しそうに顔を上げた。ただの兵士とは違う、精鋭の彼がカードキーの提供者兼、道案内である。


「おお、そうだったな」


 そんなガイド役の兵士をユーリが引っ張り、足元まできたその頭に足をゆっくりと持ち上げた。


「ちょ……まって――」

「待たない」


 無慈悲に叩きつけられるユーリの靴底が、男の頭を潰す。撒き散らされた血と脳髄が床を赤黒く染め上げた。


 黙りこくる全員を無視して、ユーリがブーツをブラブラとさせて返り血を軽く飛ばし「さあ、始めようぜ」と笑顔を見せた。


 笑うユーリを前に、【女神庁】の面々は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。トアの襲撃に加えユーリの襲撃。そして間髪を入れない無慈悲な殺しだ……あまりにもイレギュラーが過ぎる。


 それでもいち早く復帰したロイドが、ユーリを睨みつけて口を開いた。


「……彼を殺す必要があったのか? それとも我々に対するパフォーマンスのつもりか?」


 眉間にシワを寄せたロイドが、ユーリの足元に転がる死体を見た。


「パフォーマンスぅ? なんの?」

「我々をビビらせたかったんだろう?」


 呆れ顔で肩をすくめたジョゼフが、「まあ、意味はなかったがな」と下卑た笑みを浮かべた。


「何言ってんだ? ジジイ。バカなのか……ああ、あれか耄碌してんのか」


 ケラケラと笑うユーリに、ジョゼフが分かりやすく顔を赤くする。


「役目が終わったは処分する……お前らだってそうしてきだだろ?」


 ユーリが放つ殺気に、ジョゼフの顔が一気に青くなった。事実ユーリの言う通り、足元で死んでいる将官は、似たような事をしていたのだ。


 ユーリが彼と出会った時、将官は傷を負い動けなくなったホムンクルスを、処断していた真っ最中だったのだ。


 ユーリからしたら、助ける必要性など一ミリもない男である。


「さてと、こいつの次を追いたいのは――」


「あなた、状況が分かってるのですか?」


 デボラがユーリを遮るように声を張り上げ続ける。


「まさかこれが見えない、とでも?」


 加虐的な笑みを浮かべるデボラが、足元に転がるトアをもう一度踏みつけた。


「新生【八咫烏】でもこのザマなんですよ? たかが元末席が一人増えた所で――」

「キャンキャンうるせぇオバハンだな」


 小指を片耳に突っ込んだユーリが大きく溜息をついて、右手のカードキーを指の上でクルクルと回した。


「オバハン。今直ぐその足を退けろ」


 左手の中指と薬指でカードを挟み、「さもねぇといっちまうぞ」と笑ってみせた。


「……口の聞き方に気をつけなさい。あなたもこうなりたいなら――」

「はい、ギルティ」


 ユーリが口走った瞬間、トアを踏みつけていたデボラの太腿上半分がザックリと斬れた。

 投げられたカードキーは、デボラの足を斬り裂き、壁面の強化ガラスに突き刺さっている。


「きゃあああああ! 足が、私の足が……」


 盛大に血を吹き出す太腿を抑えてデボラがうずくまった。一瞬の出来事に、ジョゼフやアナントはおろか、ロイドですら呆けてその様子を眺めるだけだ。


「さて、と。まずは……」


 振り返ったユーリがジョゼフとアナントに笑いかけた。


 一瞬で間合いを詰めたユーリが、二人の顔面を掴んで床に叩きつける。二つの頭が潰れたトマトのように弾け跳び、床を血と脳髄で赤黒く染め上げた。


「あとはテメェとオバハンだけだ」


 獰猛な笑みを見せるユーリの前で、ロイドの背後から見覚えのある馬人間が現れた。ようやく姿を見せたオロバスに、ロイドが心配そうな表情を一瞬だけ見せた。


「オロバス……戻ったか」

『ああ。娘は無事送り届けた』


 鼻を鳴らすオロバスに、「そうか」とロイドが安堵の溜息をついた。


『久しいな。滅びの子よ』


 歯を見せて笑うオロバスに、ユーリは鼻を鳴らした。


「悪ぃが裸に馬の被りモンなんて、変態の知り合いはいねぇんだ」

『相変わらず減らず口を』


 顔を歪めるオロバスに、ユーリは「表情が変わるのか、すげぇ被りモンだな」と悪い顔で笑っている。


『面白い……その口、今直ぐ塞いで――』

「まあ、待てって」


 いきり立つオロバスを、ユーリが掌を向けて制した。その行動にオロバスとロイドが眉を動かすが、ユーリは彼らを無視して未だ喚くデボラに視線を向けた。


「あし、足がぁあああああああ」


 バタバタと暴れて金切り声を上げていたのは最初だけ、今はすすり泣くデボラに、「とりあえず、お前は邪魔」とユーリが近づいて髪の毛を引っ掴んだ。


「いだだだだだだだだ! な、何を――」


 髪を掴まれ引きずられるデボラは、なすがままだ。ズルズルとデボラを引きずったユーリが、デボラを思い切りガラスへ放り投げた。


 先程カードキーが突き刺さり、ヒビの入ったガラスへデボラが打ち付けられ……その土手っ腹にユーリが足を押し付けた。


 ミシミシと鳴る音は、ガラスに入ったヒビが広がる音――。


 死刑宣告のような音に、「や、やめなさい……」と懇願するデボラをユーリは無視……ゆっくりと口角を上げながらその足に力を込めた。


 バキバキと音を立ててガラスが割れ、デボラの身体が外へと放り出された――


「いや……」


 空を掴むようなデボラに、ユーリが笑顔を向けた。


「妹分の妹分を痛めつけてくれた礼だ」


 ユーリのは届かない。既に重力に従い加速したデボラの身体はビルの中ほどだ。ぐんぐん加速するデボラが手をバタバタと動かし……ビルの周囲を巡らせていた柵に突き刺さった。


 衝撃で柵がひしゃげ、返り血と臓物が辺りを染める。


 地上に咲いた真っ赤な花に、「手向けに出来ねぇ汚さだな」とユーリがもう一度鼻を鳴らしてトアのもとへと近づいた。


「おい、生きてるか」


 ペシペシと頬を叩くユーリに、「な、んで?」とトアが瞳をわずかに開いた。


「お前と似たような理由だ」


 笑顔を見せたユーリが、トアを優しく抱きかかえて部屋の隅へと横たえた。


「トア、手ぇ出せ」


 ユーリの言葉に、、眉を寄せたトアが弱々しく手を伸ばした。その手を軽く叩いたユーリが、ポーションをトアの前に置いて立ち上がった。


 トアを背中に庇うように、ユーリが部屋の中央へとゆっくり歩いていく。


「さて……もしたし、選手交代ってことで良いよな?」


 ロイドとオロバスに向き直ったユーリに、一人と一柱が構えをとった。


「かかってこい。三下連合……


 手招きをするユーリへ、ロイドとオロバスがその顔を憤怒に染めて突っ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る