第236話 エゴ。それが人の性

 全世界へ配信されたロイド達【女神庁】の醜態を、ユーリは墓所近くにあるの街で見ていた。ちなみにここがストラスブールだと知ったのは、先程街へ入る時にドローンに告げられたからである。


「めちゃくちゃ遠いじゃねぇか」


 ドローンを見送るユーリが溜息をついたのも無理はないだろう。


 ――登録はストラスブール支部でお間違いありませんか?

 ――ああ。


 あれから一年も経っていないというのに、えらく遠くまで来たような気がして仕方がない。


 それでも目的のために、ひとまずの休憩をと立ち寄ったこのストラスブールで、ユーリはロイド達の醜態を目の当たりにしていた。竜神イルルヤンカシュの言っていた通り、人の身に扱えるような代物ではなかったようだ。


 混乱に包まれる街を尻目に、ユーリは近くのカフェでミネラルウォーターのコップを傾けていた。


 イスタンブールへ戻る前に、どうしても片付けておきたい事があったというのに、何とも間の悪いことだとユーリは軽く水を呷った。


 ズキズキと痛む頭は寝不足のせいか、それともロイド達の馬鹿なやらかしのせいか。


 イスタンブールへ帰る前に、【女神庁】をぶっ潰そうと思っていたのだ。恵梨香の事もあるし、もうそろそろ限界だ、と。それがどうだ。ロイド達は今しがたダンジョンを離れ、そのダンジョンからはモンスターが溢れている。


 ロイド達がパリへ帰って来るのを待っている間に、イスタンブールへモンスターが辿り着く方が先かもしれない。


 一旦イスタンブールへ帰る……それでは間に合わない。


 ロイド達が体勢を整える……事などどうでもいい。間に合わないというのは、ロイド達の首をトーマが掻っ攫っていく事だ。


 馬鹿馬鹿言われるユーリだが、この状況を見ればトーマ達の目的くらい分かる。


 トーマ達が【女神庁】を野放しにしていた理由、つまりトーマ達はこれを待っていたのだ。人類に勝ちの目がない事を見せつけ、己の愚かさを噛み締めさせた上で、星の核を滅するつもりだろう。


 この演出が済んだ以上、【女神庁】はお役御免だ。彼らの行動の全てが、星を滅するというトーマ達の計画の一部でしかなかった。そう理解させた上で【女神庁】の連中を殺す。


 何とも用意周到で、トーマとタマモらしい計画だ。


 だからこそトーマ達より前に【女神庁】をぶっ潰したい。別にトーマ達の作戦をどうこうという理由ではない。単純に自分の手で過去の因縁を叩き潰したいだけだ。


 とはいえ、イスタンブールとダンジョンの位置関係を考えると、真逆のパリへの遠征は難しい。


「途中で捕まえられれば良いんだが」


 グラスを握りしめたユーリが、ゆれる水面を見つめる。


「さて、どうしたもんかな……」


 誰ともなく呟いたユーリに、カフェのオーナーらしき老人が「そうじゃな」と頷いて顎髭を擦った。


「まさかモンスターが溢れるとはの……」


 微妙に会話が噛み合っていないが、それでも成立している事実に、ユーリは思考の切り替えくらいにはなるか、と老人の話を黙って聞くことにした。


「馬鹿な連中じゃ。人間、欲など出してはいかんと言うのに」


 鼻を鳴らした老人は、どうやら【女神庁】の熱に浮かされていなかったようだ。彼のようなまともな人間も、少数ながらいたのだろうが、今となっては後の祭りである。


 【女神庁】の口車に乗ったのは民衆で、そのツケを払うべき民衆は、今も【女神庁】のせいにしてただ好き勝手喚くだけだ。あれから二五〇年以上経過したというのに、人間というものの本質は全く変わっていない。


 もしかしたらトーマ達が言うように、星ごと滅ぼした方がいいのかもしれない……とすら思える愚かさである。だがユーリは別にこの馬鹿な民衆を救いたいわけではない。ただ自分の周りにいる大事な人を救いたいだけだ。


「そう考えると、俺もあいつらと変わらねぇなのかもな」


 ユーリは自嘲気味に笑い、カフェの窓越しに見えるデモ行進を眺めた。彼らも彼らの周りの事だけで精一杯であるなら、ユーリも彼らと然程変わらない。


 人間らしさ……を残していることに、喜んで良いものか、それともこんな人間らしさなら要らなかったと嘆くべきか。


 出ない答えに盛大な溜息をついたユーリに、カウンターの向こうで老人が眉を寄せた。


「若いのに溜息とは情けないの」


 ニヤリと笑う老人に、ユーリは肩をすくめて視線だけで通りの様子を示した。


「あれじゃ気が滅入っちまっても仕方ねぇだろ」


 苦笑いのユーリに、「確かにの」と老人が肩をすくめて続ける。


「ただ、にでも何かしらの発表があるじゃろう」


「明日の朝ぁ? いくら何でも早すぎるだろ」


 眉を寄せるユーリに、老人は「なんじゃ、知らんのか?」とロイドたちがジェット機でダンジョンまで行っていた事を教えてくれた。どうやら壁と同じモンスターの素材で出来た新しい輸送機だと、大々的に発表してダンジョンへと飛び立ったらしい。


「飛行機……ねぇ」


 ニヤリと笑ったユーリに、「旧時代には飛び交っとったらしいがな」と老人が再び肩をすくめた。


「そいつぁ良いことを聞いた。爺さん、ごちそうになったな」


 笑顔のユーリが立ち上がり、デバイスを近くの機器へと近づけ会計を済ませた。


「まいどあり……兄ちゃん、こりゃ多すぎるぞ?」


 眉を寄せる老人へ、「気にすんな。情報料込みだ」とユーリが笑って店を後にした。向かうのは街へついた時に確認していた都市間定期便、パリ行きへの停留所だ。


 今から向かえば、夕暮れにはパリへと辿り着く。【女神庁】をぶっ潰して、飛行機を奪って……何とかなりそうだ、とユーリが笑顔を浮かべた。


 自分勝手上等。それが人間としての本質ならば、消える最期の瞬間まで、人間らしく振る舞って逝こうではないか。


 単純なユーリの単純な思考。帰ってきた【女神庁】の面々をぶっ殺して、飛行機を奪ってイスタンブールへ直帰する。


 ちなみに飛行機の操縦はしたことがない。


「久々に皆殺しといくかー……パイロット以外は」


 爽やかな笑顔で物騒な事を口走るユーリを、通行人が奇異の視線を向けて通り過ぎていく――





 ☆☆☆





「さて、困ったことになったな」



 ダンジョンの奥底で醜態を晒した【女神庁】の面々は、ユーリよりも早くパリへと辿り着いていた。


 巨大なビルの最上階、全面ガラス張りの執務室では、作戦の要であった元技術開発局アナント局長が、「計算上では上手くいくはずだが」と眉をよせて今もコンソールを操作している。


 サイラスとほぼ変わらない年齢で、白髪の目立つ彼は今回の探索には同行せず、ここで結果を見ていただけに歯がゆい思いをしているのだろう。


 アナント局長から視線を逸らしたロイドは、デボラ元通信放映局長へと視線を向けた。


「デボラくん……民衆の反応はどうかな?」

「芳しくありません」


 頭を振ったデボラが、「今も……」とガラスの近くへ寄り、顔をしかめて下を見る。そこには、【女神庁】の前に詰め寄る市民の姿があった。


 高いビルの上まで声は届かないが、デボラがデバイスを操作すると執務室にホログラムが浮かび、地上の様子を映し出した。


『責任を取れ!』

『何が進化だ!』

『どうしてくれる!』


 口々に声を荒げる市民の様子を睨みつけ、「このような有り様です」とデボラがホログラムを切った。


「全く……馬鹿ほど声が大きいものだな」


 盛大な溜息をついたロイドが、今度はジョゼフのクローンへ向き直った。


「博士……君の提案した作戦の状況はどうかな?」


 せめて話題を変えよう、とジョゼフへ振った話だが、ニヤリと笑うジョゼフにロイドも思わず口角を上げた。どうやら予想以上の結果が得られたようだ、と自然と身体が前のめりに……


「まず。此度の作戦で第二席【朧雲】と第四席【戦鬼】の死亡を確認――」


 ジョゼフが口を開いた瞬間、「死んだの?」とデボラが思わずと言った具合に声を張り上げた。


「し、失礼しました……ですが……」


 己を恥じるように口を抑えるデボラだが、それでも震える肩に隠せない喜びが見える。


 事実今もブツブツと


「死んで当然よ。脳筋女」

「……私を散々脅して……」

「あー、私が殺したかったわ」


 喜びの呪詛を呟いているのだ、その様子に流石のジョゼフですら「拗らせておるな」と鼻を鳴らす程だ。


「博士。話を続けてくれ」


 ロイドに再び水を向けられたことで、ジョゼフが再び報告を始める。


 本体であるジョゼフ本人は死亡したこと。

 ホムンクルスの研究施設が破壊されたこと。


 どちらも【女神庁】にとってはかなりの痛手ではあるが、ジョゼフは「問題無い」と首を振って笑ってみせた。


「ホムンクルスの研究施設は第三まで拡張済みだ。加えてオリジナルが死のうとも、私がオリジナルとして研究を再開すれば何の問題もない。能力値は全く変わらないのだからな」


 傲慢に鼻を鳴らしたジョゼフに「期待しよう」とロイドも大きく頷いた。


「とは言え、気になる点がないわけではない」


 ロイドが考え込むように机を指で叩き始めた。


「博士……君の本体は、基本的に遠隔でクローンに指示をしているな?」


 ロイドの疑問に「そうだが」とジョゼフが頷いた。


「遠隔地にいた博士の本体を、誰がどうやって殺したのか……それが少々気になってね」


 呟くロイドだが、アナント局長は未だ機器の調整に忙しく、デボラ局長に至っては、今だ妄想から帰ってきていない。唯一話せるのはジョゼフと、黙ったままのシェリーなのだが……


「分かりません。ジョゼフ局長は、時折突飛な行動を取る方でしたから」

「確かにな。モンスターにでも襲われたか、色気を出して戦場にノコノコ顔を出したか」


 ジョゼフのクローンですら、その原因を言い当てられない。とは言え、ジョゼフ本体がカノンへ執心だったことは周知の事実。自身の望むものを眼の前にして、自制が効かなくなった……と言われれば、普段の突飛な行動をするジョゼフならありえなくもない。


「そんなものか……」


 そう結論付けたロイドが、「とりあえずモンスターの対応を協議しようか」と話題を切り替えた。この判断が、自分達の運命を決定づけるなど、今この場にいる誰もが予想だにしていなかった。


 ここで、ホムンクルスの裏切りを予想できていれば、或いは……。


「ひとまず博士には、新しいホムンクルスの補充をお願いしよう」


「任された」


 頷いたジョゼフが、デバイスを操作して……顔をしかめて首を傾げた。


「どうしたのだ?」


 様子のおかしなジョゼフに、ロイドが声をかけた。それに「いや……」と返したジョゼフが再びデバイスを操作し……強張った顔を上げた。


「……第二、第三研究室と連絡が取れん」


 ジョゼフの言葉に「何?」とロイドが眉を寄せた瞬間、ビルの真下で巨大な爆発音が響いた。


「何事だ!」


 声を荒げるロイドに従うように、デボラがカメラの映像を再びホログラムへと映し出した。そこに映っていたのは――


『やっほー。遊びに来たよー』


 数十体のホムンクルスを連れ、カメラに向かって手を振るトアの姿だった。


「十ノ二四号? なぜ貴様が――!」


 声を荒げたジョゼフと、その反応を見たロイドだけが瞬時に理解した。ジョゼフ本体を殺したのが、十ノ二四号ことトアであると言うことを。だが、肝心の「何故?」という部分までは理解できていない。


 何故ホムンクルスが生みの親へ牙を剥いたのか。

 何故そのホムンクルスが、ここまで来たのか。


 それを考える間もなく、トアが建物の中へと侵入した……それを見たロイドは「全館に警戒態勢を」とマニュアル通りの指示を出した。


 襲撃があったと言っても、たかがホムンクルス数十体だ。

 ロイドを始めとした局長連中も能力者で、加えて館内にも無数の能力者とホムンクルスがいる。


 いかに【八咫烏】の席次を与えられたホムンクルスと言えど、ロイド達が負ける道理はない。その余裕が、その怠慢が、この先には広がる【】を隠す事になるとは知らずに――







 ☆☆☆



 一方その頃我らが【深淵】は……


「なんで入れねぇんだよ!」

『パリへの訪問には、専用の住民カードが必要でーす』


 ……入口のセキュリティAIと格闘していた。

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