第235話 配信はドヤ顔でするな

「まさかヒョウが……」


 ユーリと分かれ、イスタンブールへと戻った一行を待っていたのは、ダンテ達の帰還と、ヒョウの喪失であった。


 その報を聞いたエレナは大きく目を見開き、しばらくショックを隠せずにいた。


 それでも、「負傷者を治療する」と気丈に振る舞うエレナに、誰も声をかけられないでいる。


「お嬢……すまねー」


 うつむき肩を震わせるロランに、「任務なんだ……気にするな」とエレナが下唇を噛み締めて治癒魔法をかけ続けている。


「それに、君達が見たのは崖に落ちた姿だろう? まだ死んだと決まったわけではない」


 自分に言い聞かせるようなエレナに、誰も何も言えないでいる。


 全身を血が流れる程斬られ、片目を失い、そして腹を貫かれて崖下へと落ちたのだ。普通に考えれば助かる道理はない。いくら始まりの八人、古の大英雄とて死ぬ時は死ぬ。


 自分達の目で、その最期を看取ったばかりなのだ。


 それでも誰もその事実を認められない。あのサイラスでさえ、「わずかな望みにかけるとしよう」とはぐらかす程度にはショックを受けている。


 それはエレナへの気遣いと、カノンへの気遣いだ。


 クロエとカノンだけは、ダンテ達がなぜ別働隊として動いていたか知らない。カノンを人に戻すために、ヒョウが命を賭けたのだと知ったら、カノンはどんな反応をするだろうか。


 既にカノンの祖父であるクラウス博士には、ダンテ達が必死に持ち帰った遺伝子を手渡してある。あとは準備が済み次第、カノンの遺伝子を入れ替えるだけだが、それをカノンにどう説明したものか、と全員が顔を見合わせた。


 悲しみを押し殺し、それでも自分の仕事に向き合うエレナ。

 己の命を繋ぐために、皆が危険へと飛び込んだと知らないカノン。


 こんな時にユーリがいれば、上手く場を収めてくれるのだろうか……そう考えればユーリという男が、あそこまで自分勝手で破天荒な男が、【八咫烏】の中で慕われていた理由がよくわかる。


 良くも悪くも重心なのだろう。チーム全体のバランスを取るための。


 何とも言えない空気の中、一先ず疲れを癒やすために全員への休息指示が出た。疲れ切った頭では、何も解決策など浮かばない。いや、体の良い時間稼ぎかもしれない。


 それでも誰もその意見に異を唱える事なく、明るくなり始めた街へと散っていった。


 悪夢から逃れるために、夢へと堕ちる……何とも本末転倒だが、全員に休息が必要なのも確かなのだ。






 そうして皆が一時の休息に瞳を閉じている頃……街は異様な熱狂に包まれていた。


 街頭の電光掲示板をジャックするのは、【女神庁】の広報だ。


 ロイド率いる【女神庁】の精鋭部隊が、ついにダンジョンの奥底へと到達する。そこにあるというモンスターを生み出す存在、それに手が届くのだと街は先程から新しい時代の到来への期待で爆発寸前だ。


 まるで【奪還祭】直前のような熱気に、先程眠りについたばかりだというリンファも眠りの底から思い切り引き戻された。


「……るっせーな。ったく、何の祭りだよ」


 ガンガンと寝不足を訴えてくる頭痛に、リンファが顔をしかめながらカーテンを開いた。明るい光と共に、リンファの瞳に飛び込んできたのは、電光掲示板に映るロイドと、謎の物体だ。


 大きな球状の物体。生きているかのように不気味に脈打つ姿は、贔屓目に見ても綺麗だとは思えない。


「……なんだよあれ。何かの心臓か?」


 状況が理解できていないリンファが、眉を寄せて電光掲示板を注視する。


『親愛なる人類諸君……ついにこの日が来た。我々が進化する日が――』


 電光掲示板の向こうで勝ち誇ったように笑うロイドに、リンファはようやく状況に気がついた。リンファ達が【八咫烏】と斬った張ったしている隙をついて、【女神庁】が星の核へと一足早く手を伸ばしたのだ。


 完全にしてやられた……そう歯噛みするリンファの前で、【女神庁】の職員と思しき連中が、星の核を取り囲むように無数の機材を設置していく。恐らくあの機器で星の核を制御し、意思をコントロールするのだろう。


 ただただ状況を見守るしか出来ないリンファの前で、作業は着々と進み、ついには星の核を覆う大きな装置が完成した。装置からはケーブルのようなものが星の核へと繋げられ、いよいよもってにしか見えない。


『さて諸君……まずは小手調べだ。パリに雨でも降らそうか』


 笑顔のロイドが手を挙げれば、電光掲示板の液晶が二分割されて左側に晴れ渡ったパリの街が映し出された。ロイドの指示で、一人の男が装置を動かすと、星の核が大きく脈動する。


 星の核が脈動してすぐに、パリの街を暗雲が覆い、間もなく雨が降り始めた。


 小手調べで天候を操る……まさしく神の如き所業に、街のボルテージも最高潮だ。


 ――人の身に扱えるとは思えんが


 リンファの脳裏に響くのは、竜神イルルヤンカシュの言葉だ。かの竜神が間違えるとは思えないが、今の状況はどう見てもロイド達が上手くコントロールしている。


 勝ち誇ったロイドの笑顔。

 熱狂する市民。


 確実に新たな時代の到来を、その場の全員が感じていたその時、それは起こった。


 初めは小さな変化だった。画面端で機器を操作していた男が、首を傾げた。そうして何かに気がついた男が、高速でタイピングを始め、『オーバーフローです!』と叫び声を上げた。


 男をロイドが振り返った時には、すでに装置の間から煙が上がり始めていた。


 確実にトラブルと思しき状況に、民衆の熱狂が一気に冷めた……かと思えば、星の核が大きく脈動した――それと連動するように、間違いなく空が、地面が、空気が、大きく脈動したのだ。


 明らかな異常現象。機器の異常と晒される醜態に、『カメラを止めろ!』とロイドが叫ぶが、『な、何故か止まりません!』と情けない声が電光掲示板の向こうから流れてくる。


「おいおいおい……やべーぞこれは」


 リンファの頬を冷や汗が伝う。これが星の意思なのだとしたら、間違いなくなのだけは間違いない。このご立腹が、どう転ぶか分からないが、残念ながらリンファを始め多くの人間が、この状況を見守るしか出来ないのだ。


 既に軽い爆発まで起こした装置は、最早使い物にはならないだろう。


『一時退却だ!』


 これ以上ここに留まるのは危険だと判断したのだろう、全ての装置を置き去りに、ロイド達がその場を後にした。


 完全に世界に醜態を晒すことになったロイド達に、民衆の温度は一気に急降下だ。それでもまだ民衆はロイド達を見捨ててはいなかった。一度目のトライは失敗したものの、天候を操作するという実績を見せたのだ。


「次はもっと上手くいくんじゃないか?」


 どこからか聞こえてきた楽天的な声が、民衆と【女神庁】の気持ちを反映しているといっても過言ではないだろう。一度の失敗くらいで、見限られるほど【女神庁】が一瞬だけ見せた奇跡というのは軽くはなかった。


 だがそれは、深い事情を知らない民衆だからこその感想である。


 先程の脈動は、確実にヤバい。事情を知っているリンファ達ならば嫌でも理解できる現象だ。世界全体が脈動するなど、これから事態が好転する兆しなわけがない。


 そんなリンファの予想は、思っていた以上に早く顕現することとなった。民衆の淡い期待を裏切る大いなる怒り……それは静かに、だが確実に始まっていたのだ。


 放り投げられたカメラ。未だ回り続け、世界の深淵を映し続けているそれが、絶望へのカウントダウンを映し出しすのに、然程時間はかからなかった。


 繋がれたままパチパチと火花を散らす装置。

 脈動を続ける星の核。


 変化のない映像に異変が現れたのはロイド達が退いてからしばらくしてからだった。ジャックされたままの映像に、誰しもが興味を失い日常へと戻っていた頃、誰かが「おい、見ろよ!」と電光掲示板を指さしたのだ。


 デバイスで仲間と連絡を取り合っていたリンファも、その声に慌てて窓際へと駆け寄った。先程まで変化のなかった映像、そこに突如として文字が現れたのだ。一文字ずつ、ゆっくりとであるが、それは間違いなく脈動する星の核に連動するようにモニターへと映し出されていく。


『オロカナル ジンルイ ヨ ワガ イカリ ヲ シレ』


 そう文字が映し出され、誰かがそれを呆けた顔で読み上げた瞬間、それに呼応するように星の核から無数のモンスターが溢れ出した。夥しい数のモンスターが溢れて画面を埋め尽くしていく――


 溢れ出したモンスターが、星の核にへばりついていた装置を無理やり剥がした。起こった爆発のせいか、流れる映像にノイズが混じる。


 見えにくくなった映像だが、相変わらず溢れるモンスターを映し続けている……かと思えば一匹のモンスターがカメラを拾い上げた。


 オーガ種だろうか、画面へ向かってニヤリと笑うモンスターは、間違いなく人類へ笑いかけている。まるで、「覚悟しておけよ」とでも言いたげな笑顔に、民衆たちが思わず「ヒッ」と声を漏らした瞬間、カメラの映像が途絶えた。


 恐らくモンスターによってカメラが壊されたのだろう。


 ショッキングな映像に、街は一転パニックに陥った。そこかしこで、「どうなっている?」「何をしてくれたんだ!」と今や【女神庁】への不満が大爆発だ。


 ロイド達の行為は、虎の尾を踏む愚行だった。パニックの中、一瞬でそう結論付けられた今、ロイド達に上がり目はない事をリンファは察している。


 それと同時にリンファはようやく理解した。なぜ、【八咫烏】がロイド達をダンジョンの奥底へと送り込んだのかを。彼らはロイド達【女神庁】が大っぴらに失敗すると知っていたのだ、いや予想していたと言うべきか。


 とにかく、ロイド達の愚行を世界へ見せつけ、そして星が人を憎んでいるという事実を世界へ知らしめるのが目的だったのだ。


 人類に自らの罪を自覚させ、絶望に突き落としてから世界を滅ぼす。それが彼らの言う復讐の全容だ。


 彼らの恨みはそれほど深かったのだろう。それを理解したからこそ、やるせない気持ちも浮かんでくる。


 なんせ彼ら【八咫烏】同士が争っているのだ。


 世界を滅ぼしても

 世界を救っても


 彼らは消えてしまう存在だ。それなのに、それぞれの信念を胸に命をかけている。


 命をかけ、世界に罪を知らしめようとした。

 命をかけ、新しい世界へ命をつなごうとした。


 自分達は命を繋げぬ存在だというのに、命をかけて争い続けている。


「……アタシ達は、一体何が出来るんだろうな」


 呟いたリンファのデバイスが、集合を示すメッセージを着信した。


「今は眼の前の事に集中するか」


 頭を振ったリンファが、カーテンを締めて上着を羽織った。少なくともこんな場所で、立ち止まってるわけにはいかない。


 世界の命運を決める瞬間は、直ぐそこまで迫っているのだから。

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