第234話 決意と決別と

 ヒョウが崖下へと落ちていったその頃、恵梨香の死というショックからユーリもようやく現実へと戻ってきていた。泣きはらした瞳を隠すように立ち上がったユーリが、恵梨香の遺体を大事そうにゲートへとしまった。


 リクの遺体も……と思い遺体のあった場所をキョロキョロするユーリ。


「あのトアとか言うやつが持っていったぞ」


 リンファが溜息交じりに壁の外を親指で差した。リンファ達も止めようか迷ったが、トア自身もショックを受け憔悴していたようで、止めるに止められなかったとの事だ。


 流石にそれは仕方がない、とユーリが頭を掻いてリクの痕跡から視線を逸らした。


「悪ぃけど先に戻っててくれ」


 皆に背を向けたユーリに、「どこにいくんだ?」とエレナが眉を寄せた。


「こいつを……恵梨香をに帰したくてよ」


 鼻をすすったユーリに、エレナ達が難色を示した。それもそうだ。ユーリは今の今まで、見たことのないくらい悲しみに暮れていたのだ。そこまで長い付き合いではないエレナ達ではあるが、それが異様だという事くらい分かる。


 そんな人間を一人で行かせるのは、憚られてならないのだろう。とはいえ、故人を埋葬したいというユーリの意思も尊重したい。


 葛藤するように、顔を見合わせるエレナ達にユーリが「あのな」と盛大な溜息をついた。


「ガキじゃねぇんだ。ちゃんと帰ってくるわ」


 口を尖らせるユーリは、瞼こそ腫れているがいつものユーリと変わらない。


「本当に本当だろうな?」

「うるせぇな。お前は俺のオカンか」


 顔をしかめるユーリに、もう一度皆が顔を見合わせた。


「ユーリさん、これ私のお気に入りのお菓子です」

「ナルカミ、これは我が家の紋章を刻んだブローチだ」


 カノンとクロエが、それぞれユーリに大事なものを差し出した。それを貸すから、必ず帰ってきて返せとでも言いたいのだろう。


「いらねぇ」


 盛大に眉を寄せるユーリだが、カノンもクロエも引き下がらない。しまいにはユーリのポケットにそれぞれの大事なものをねじ込み、「では、我々はミュラーで帰還します」と敬礼を残して去っていった。


「……ったく、お節介どもめ」


 小さくなっていく背中、今も「バーンズ、ミュラーとは?」「それはですね」と賑やかなに去っていく仲間達を見送って、ユーリは思わず微笑んだ。


 ――いい仲間たちじゃねーか。


 そんな恵梨香の声が聞こえてきそうで、ユーリは思わず下唇を噛み締めた。溢れそうになる感情を押し殺し、皆に背を向け要塞の壁を飛び越えた。





 デバイスの地図を頼りに、暗い道をユーリが走る。





 要塞も墓所も流石は人類の生存圏内だ。整備された道になかなか姿を見せないモンスター。特に大きな障害もなく、また二つの距離が近かった事もあってユーリは半日もせずに墓地へと辿り着いた。


 時間で言えばもう朝……と言っていい時間帯だが、寒くなってきた朝は、太陽にもつらいのだろう。起きているだろうことは、白んできたそらで分かるが、その姿はまだ見えない。


 わずかに明るくなった空が、ユーリとヒョウが立てた大きな岩を薄っすらと浮かび上がらせている。


「……久しぶりだな、皆――」


 墓を前にユーリが笑顔を浮かべた。実際この場所に来るのは久しぶりだ。


「ちっとだけ、するかもだが……もう朝だし勘弁してくれよ」


 肩をすくめたユーリが、途中で摘んだ花を備えて手を合わせた。しばらく祈った後、ユーリはゲートから適当な棒を取り出し、穴を掘り始めた。


「くそ、掘りにくいな……」


 顔を顰めるユーリだが、自身の魔法や恵梨香の野太刀を使うことはない。ただただ無心に棒を突き刺し穴を掘り進めていく。


 そうして穴を掘り続けてしばらく……空が少しだけ明るくなったと思った頃、暗い影がユーリを覆った。感じる気配に空を見上げれば、いつかユーリがイスタンブールで叩き落とした龍が空を覆い、ユーリに影を落としていた。


 そこから飛び降りてくる二つの影――


「……おまえら」

「ユーリか?」

「ユーリくん……」


 墓の横で棒を担ぐユーリに、トーマとタマモが一瞬だけ驚いたように瞠目し、そして全てを理解したように目を伏せた。同時にユーリもタマモが大事そうに抱えている刀を見て、全てを理解した。


 ユーリとトーマが再開するのは久しぶりだ。それでも変わらぬ旧友の姿に、ユーリは「久しぶりだな」と泣きはらした顔で笑みを見せた。


「そうだな」


 硬い表情で頷くトーマも、よくよく見ればユーリと同じ様に泣きはらした顔だ。


「タマモンも……」


 タマモに視線を向ければ、「そうやなー」とこちらは今にも泣きそうな笑顔を見せた。ユーリがここにいる意味、恵梨香の事を思っているのだろう。


「言いてえ事は色々あるが、今はちっと忙しくてな。後にしてくれ」


 それだけ言うと、ユーリは再び墓掘りへと戻った。一心不乱にただの棒で墓を掘るユーリに、タマモが近づく。


「ユーリくんー、これ使いー」


 タマモがユーリに大きめのシャベルを差し出した。シャベルとタマモ、そして自分の手の中にある棒を見比べたユーリが苦笑いを浮かべた。


「悪いな、タマモン」


 シャベルを受け取ったユーリが、「こりゃいいな」と乾いた笑いを上げながら土を掘り進めていく。


「相変わらずー、行き当たりばったりやなー」


 背中にかけられた声に、「うっせ」とユーリが鼻を鳴らして土を大きく放り投げた。


 その隣では、トーマとタマモが小さめのスコップで穴を掘っていく。


 薄暗い明け方の空に、「ザッ、ザッ――」と三人が土を掘り起こす音だけが響いている。


「ヒョウは――」


 土を掘る音に混じり、ユーリが不意に口を開いた。


「ヒョウは強かったか?」


 ユーリの固い表情に、「ああ」とトーマが短く答えた。


「強かったよ。二人がかりでやっとだ」

「そうか」


 それだけ言うと、ユーリは奥歯を噛み締めて一際強く土を掘り返した。


「恵梨香は……どうだった?」


 今度はトーマが口を開いた。その言葉にタマモがわずかに肩を震わせ、そしてユーリはトーマを見ずに、口を開いた。


「強かったよ。ギリギリ……紙一重だ」

「そうか」


 再び訪れる沈黙に、土を掘り進める音だけが響いていた。




 空がだいぶ明るくなった頃、三人の作業は終わりを迎えた。


 ようやく出来上がった墓穴を前に、ユーリがゲートから恵梨香の遺体を取り出した。優しく、慈しむようにそっと遺体を寝かせたユーリに「穏やかな顔しとるなー」とタマモが涙ぐんだ。


「そうなのか。それなら……良かったのか、な」


 言われてみると、恵梨香の死に顔は微笑んでいる。あの時、何も出来なかったと思っていたが、少しでも彼女の最期を彩れたのであれば、ユーリやエレナの行為は無駄ではなかったのだろう。


「エリーちゃんなー……本人は絶対認めへんかったけどー、多分自分を止めてくれる人をー探してたんやでー」


 涙を流したタマモが、恵梨香の頭を撫でて教えてくれた。恵梨香が何故アダマンばかりを狙っていたのか、それは自分を殺せる人間、止めてくれる人間を探していたのだと。


 恵梨香なりに悩んでいたのだろう。皆のために復讐という行為を選んだこと、それを止められなかったこと。口は荒いが、面倒見のいい優しい女の子だったのだ。それを思い出したユーリの唇がわずかに震える。


「馬鹿だな、本当に……本当に、馬鹿だよ」


 そう呟いたユーリの頬を、一粒の雫が流れた。


「俺が……巻き込んだんだろうな」


 呟いたトーマが、ヒョウの刀を掘った穴へと横たえた。


「アイツが選んだ生き様だろ。何でもかんでもお前が影響できると思うな、勘違いのバカ野郎が」


 乱暴に涙を拭ったユーリに、「そうか……そうだな」とトーマが声と肩を震わせた。


 黙ったままの三人が、しばらく手を合わせて瞳を閉じた。吹き抜ける北風が、三人の髪と服をなびかせる――


「トーマ、それにタマモン……その刀、悪ぃが俺がもらっていってもいいか?」


 流れた沈黙を破ったユーリは、トーマが今しがた墓穴へと置いた刀を指さした。


「……いくらお前でも」


 眉を寄せるトーマとタマモに、ユーリが「俺じゃねぇよ」と首を振った。


「ヒョウの大事な人に届けるんだよ」


 呟いたユーリにトーマとタマモが同時に顔を見合わせ、驚いた表情でユーリを見た。


「ヒョウの……」

「……大事な人ー?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔の二人に、「なんつー顔してんだよ」とユーリが盛大な溜息をついた。


 しばし呆けていた二人だが、「それなら」とユーリに刀を差し出した。その代わりと言ってはなんだが、ユーリは自身のゲートからヒョウとエレナと三人で映った写真とヒョウの好きだった酒をを取り出した。


「この娘ー……【戦姫】の娘やなー」


 呟くタマモに「ああ。結構いいコンビだったんだぜ」とユーリが微笑んだ。


「ヒョウ……お前の部屋に残ってる写真は貰ってくぞ」


 呟いたユーリが名残惜しそうに写真を墓穴へと置き、酒を重しのように乗せた。


 しばし無言で墓穴を見下ろしていた三人だが、誰ともなく穴を埋め始めた。少しずつ、少しずつ見えなくなっていく恵梨香と、最後まで土をかけられないヒョウの写真。


 それでも陽の光が顔を見せた頃には、全ての作業が終わり三人で墓石を見繕い立てる所まで終わっていた。


「恵梨香とヒョウがそっちに行ったと思うんだが……恵梨香は方向音痴だからよ」


 墓に話しかけながら、ユーリは途中で摘んだ花を再び供えた。


「ちゃんと迎えに来てやってくれよ」


 わずかに唇を震わせたユーリが「ヒョウは……」とその言葉をつまらせた。


「ヒョウ……俺達かユーリが行くまで、問題児たちを頼むぞ」


 変わりに手を合わせたトーマに、ユーリが「ケッ」と鼻を鳴らした。


「一番のー、問題児二人が残ってるからー、大丈夫やーって言うてそうやわー」


 タマモの辛辣な意見に、ユーリとトーマが思わず吹き出した。


 それから三人で再び祈ることしばらく。立ち上がったユーリがトーマ達へと背を向け歩き出した。


「お前らのどっちかは、あのロイドとかいう野郎を張ってると思ってたぜ」


 背中越しに鼻を鳴らしたユーリが、「あいつらに出し抜かれたんじゃねーのか?」と振り返らずに吐き捨てた。


「……残念ながら、計画の一部だ。俺達の復讐は、もう間もなくオーラスを迎える」


 トーマもユーリを振り返ることなく、「今の人では、星の意思は操れん」と背中越しに吐き捨てた。


「まだ下らねぇ復讐なんて続けんのかよ……」


 呟くユーリが濃密な殺気を纏う……「ヒョウをぶっ殺してまで」と続ける言葉に、トーマも背を向けたまま「こちらの台詞だ」とその背中に殺気を纏う。


「恵梨香を殺してまで、こんな世界を救ける意味は何だ?」


 トーマの言葉にユーリは反論しない。実際恵梨香を助けられなかったのは事実だ。あそこで自分が油断をしていなければ、恵梨香が腸をえぐられることなどなかった。だから、恵梨香を殺したのはユーリ自身の弱さだと思っている。


「クソ分からず屋め」

「それはお互い様だ」


 振り返った二人の顔は、今にも殴り合いを始めそうな程獰猛なそれだ。その顔のまま二人が無言で睨み合い、そしてほぼ同時に溜息をついて視線を反らした。


「ここで殺り合うのは……」

「皆に悪ぃわな」


 そう吐き捨てたユーリが、再びトーマ達に背を向けた。


「次、会った時は覚悟しとけ……そのスカした顔をボコボコにしてやるからよ」


 いつものように笑ったユーリが、後ろ手をヒラヒラ振りながら墓所を去っていく。


「やはり、交わっても元の水ではなかったな」


 トーマが残念そうにその背中を見送る――昇ってきた太陽が、墓石と三人の影を大きく伸ばしていた。

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