第232話 命の炎

 ユーリやエレナ達が恵梨香の最期を看取っていた頃……パリよりさらに西、旧ルーアン近郊にある旧医療保険局の施設へ、ヒョウと砂漠の鷲アクィラがカノンの遺伝子を求めて潜入していた。


 ヒョウの持つハッキング技術とディーノのトンネルを駆使し、秘密裏に施設へと潜入した五人は、目的の物を目指し、真っ直ぐに巨大な地下をひた走っていた。


「なんでこんなに深い場所にあるかね〜」


 眉を寄せるダンテに、「お約束やろ」とヒョウが苦笑いを浮かべてみせた。


「ゲームでも何でも、大事なもんは、いっちゃん奥やねん」


 肩をすくめたヒョウに、「現実なんだけどな〜」とダンテが肩を落とした。


「言ってる間につくけどな」


 デバイスに表示された地図を見ながら、先頭を走っているロランが笑った。事前にヒョウがシステムに侵入し、最短ルートかつ目的の部屋まで割り出しているのだ。ホムンクルスも殆ど出払っている今のここは、イージーすぎるダンジョンだ。


 目的の部屋を視界に捉え、周囲に気を配るヒョウが、「OKや」と頷けば、ロランとディーノが一気に部屋へと転がり込んだ。


 ダンテとルッツもその後に続き、そしてヒョウが殿を務めるように、扉の向こうに気を配っている。


「あったぜ。これだ!」


 目的の物を発見したロランが、ディーノの持つ特性保管箱へとカノンの遺伝子の片割れを大事にしまった。


「ミッションコンプリート……かな?」


 拳を突き合わせ、笑顔をみせた四人と対照的なのは、額に汗を浮かべるヒョウだ。


「アカンな……勘付かれてしもうたわ」


 呟いたヒョウがゲートから刀を取り出した。


「勘付かれたって?」

「そのまんまや……来るで」


 表情を引き締めるヒョウの言う通り、静かな部屋に廊下から無数の足音が響いてくる。確実に一人二人ではない。大勢の人間がこの場所を目指して、真っ直ぐ向かってきているのが嫌でも分かる。


「……やっぱ気づかれるわな」


 眉を寄せたヒョウが、ダンテ達に下がるようにジェスチャーを送り、自身は扉の真正面で刀を左手に腰を落として構えた――


「危うく騙される所だったよ」


 開いた扉から、笑い声を含んだ明るい声が響いた。


「騙されて欲しかったんやけどな」


 姿を見せたトーマに、ヒョウが苦笑いを見せた。


「まさか、お前が俺達以外の人間を連れて任務に当たるとはな」


 ダンテ達へ視線を向けたトーマが、「あの剣姫の娘を思い出さなければ、今頃出し抜かれていただろうな」と以前、能力開発局局長邸で遭遇したことを引き合いに出した。


 事実トーマの言う通り、ヒョウをよく知るトーマ達だからこそ一人ではなく複数で乗り込んだ側面もある。しかもただ五人で潜入しただけではない。ちょっとした細工を加えての潜入だったのだ。


「五人全員をホムンクルスの気配に変性させる……か」


 一つだけ動く気配なら早々に察知されただろうが、五人全員がホムンクルスの気配を纏って動けば、それだけでかなりのカムフラージュになる。結果として、こうやって部屋へ辿り着くまで至ったのだ。ヒョウの読み自体は悪くなかったと言える。


 だが結局バレてしまっては同じこと……「考えたな」と笑うトーマには余裕すら見えているのだ。


「ほんの小細工や」


 笑うヒョウだが、その頬を流れる汗が状況の悪さを物語っている。トーマにタマモ、そして二人が引き連れてきた無数のホムンクルス。


 ヒョウとトーマの力が五分。贔屓目に見て、砂漠の鷲アクィラがタマモと五分だとしても、残るホムンクルスの数だけ相手に天秤が傾いているのだ。


 どう足掻いても逃げ切れはしない。そもそもトーマとタマモの二人に補足された時点で、この任務はほぼ失敗に近い。だからこそ、仲間をつれて集団でホムンクルスの気配を纏ってここまで来たのだが……結局捕捉されてしまった。


 なんとか打開策を、と頭をフル回転するヒョウを前に、トーマが「フッ」と笑った。


「ヒョウ、戻って来る気になったか?」


 トーマがヒョウへ向けて手を差し出した。この手を取れ、そうすればお前は助けよう。そう言いたげなトーマの行動に、ヒョウが小さく溜息をついて口を開く。


「やなこった」


 舌を出すヒョウに、トーマの眉がピクリと動いた。


「カムフラージュの水増し要員に、義理立てする必要もあるまい?」


 眉を寄せるトーマを前に、ヒョウがカラカラと笑う。


「ホンマにそう思っとるん?」


 呆れたようなヒョウに「なに?」とトーマが更に眉を寄せる。


「ホンマにそうやと思っとるんなら、自分お前……だいぶ拗らせてんで」


 ヒョウの右腕がわずかに動いたかと思えば、扉側の壁に大穴が開いた。壁が吹き飛んだ衝撃で周囲に埃を含んだ風が吹きすさぶ。


「僕が彼らとここに来たんはな……


 ニヤリと笑ったヒョウが腰を落として叫ぶ。


「ダンテはん、走り! その大事なもん持って、今直ぐこっから逃げや!」


 叫ぶヒョウに、ダンテ達から躊躇ためらいの気配がもれた。この状況でヒョウを一人置いていくなど、仲間を見殺しにするなど、彼らのプライドが許さないのだ。


 だが、それを許すヒョウではない。


「早う行き! この意味分かるやろ!」


 ここで砂漠の鷲アクィラが残ったとしても、最終的な結果は変わらない。そこに至るまでの時間が伸びるだけで、最期を迎えるという事実に変わりはない。


 それだけの戦力差なのだ。


「何で僕がエレナ達やのうて、君らを連れてきたか考えーや」


 背中を見せたままのヒョウに、砂漠の鷲アクィラが顔を見合わせた。


「君らなら、任務に優先すべき事項を間違えへん……せやろ?」


 チラリと振り返ったヒョウの笑顔に、砂漠の鷲アクィラは信頼の二文字を見た。砂漠の鷲アクィラを連れてくる事を指定したのはヒョウ自身だ。


 つまり、ヒョウは最悪の事態を想定していた事になる。最悪の場合でも、砂漠の鷲アクィラなら迷わず任務を成功させてくれると信じて彼らを選んだのだ。


「くっ……皆、行くぞ!」


 いつもと違い間延びしないダンテの声に、三人が頷いた時、トーマがその腰の刀を抜いて薄く笑った。


「……逃げられるとでも?」


 トーマから漏れる殺気が部屋全体を包み込む。


「僕が『逃がす』言うてんねん……逃げられるに――」


 ヒョウの姿が消え、「――決まってるやろ」次の瞬間にはトーマと刃を交えていた。


 獰猛な笑みを浮かべたトーマとヒョウ。二人の刀が交わる度、周囲を吹き飛ばさんがごとき衝撃波が広がる。


「走りやぁー!」


 ヒョウの叫びに呼応するように、ダンテ達四人が一目散に駆け出した。向かうのは、ヒョウが開けた大穴。そこから壁の外へと飛び出し、後は来た道を一気に駆け上る。


 大穴へと辿り着きそうになった四人へ、「逃さへんー」とタマモが巨大な火球を放り投げた。


 このまま進めば間違いなく全員が巻き込まれる。一度退いて、火球をやり過ごして――四人が考えを共有仕掛けた時、


「止まんなー!」


 叫んだヒョウの言葉に、全員が一歩を踏み出し更に加速する……あわや火球が四人を襲わんとした瞬間、割り込むように現れたヒョウが火球を粉微塵んに斬り裂いた。


「いけずやわー」


 タマモが頬を膨らませた時には、ヒョウは既にトーマの相手に戻っていた。


 大穴へと辿り着いた四人は、ヒョウを振り返ることなく群がるホムンクルスを張り倒して地下空間を駆けていく――小さくなった背中と足音に、ヒョウが「やるやん」と小さく笑顔を見せた。


 ヒョウは分かっていた。これが厳しい任務になることなど。

 ヒョウは分かっていた。一歩間違えれば、帰れぬことなど。


 だがここが己の命の使い時だとも確信していた。気がつけば二五〇年の歳月が流れ、ユーリと二人、【八咫烏】の影を追うことだけが生きる事になっていた。


 死んでいないだけ……そんな生活に生を与えたのはユーリであり、彼が紡いだ縁だった。


 ユーリがヒョウに巡り合わせたのは、気の良い連中だ。自分のような得体のしれない奴を迎え入れ、仲間として接してくれたのだ。もしかしたら能力のお陰かもしれない。それでも……それでも、少ない時間だが仲間として過ごしてきた日々は、ヒョウにとって楽しい日々だったのは間違いない。


 唯一心残りがあるとしたら、エレナのことだろうか。


 彼女は怒るだろうか……今こうして命を投げ出そうとしていることに。


 彼女は悲しむだろうか……一人先に逝ってしまうことに。


 許してくれとはいわない。だが、そういう男だった分かってほしい。残り少ない命の期限。己の信じるもののために、その炎を燃やすことを許してほしい。


「フー」


 大きく息を吐いたヒョウが、その瞳を開いた。


「源 飄……推して参る」


 抜き打った刀が、トーマの刀をわずかに逸らせた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る