第231話 閑話 それぞれの因果
無機質なアラームの音と、ユーリのすすり泣く声。それが響く要塞から少し離れた森の中に男はいた。
「一号を取り返せないどころか、誰も殺せんとは」
取り巻きのホムンクルスを護衛に、遠く離れた位置から複数のクローンを操作していたジョゼフだ。自身は危険に飛び込まず、クローンに埋め込んだ小型カメラ経由で様々な指示を下していた。
「まあ、良いデータが取れたと思っておくか」
デバイスを閉じたジョゼフが、「ロイドの小僧達も、もう一方も佳境かな」と下卑た笑みを浮かべた。
ジョゼフの中では完全に計画通り。カノンを取り戻せなかった事は予定外だったが、目の上のたん瘤であった恵梨香を葬れただけで、ジョゼフとしては上機嫌なのだろう。
「なんとかあの脳筋女の死体を手に入れられれば、もっと面白い――」
ジョゼフが呟いたその時、近くの草むらが揺れた。
「誰だ!」
ジョゼフが慌ててホムンクルス達の影に隠れた。警戒するホムンクルス達が、その両手を刃に変えた時――
「アタシ、アタシ」
――草むらから現れたのはトアだ。先程まで恵梨香に付き添っていたトアが、あの時と同じ鼻血にまみれ、ボロボロのまま姿を現した。
「十ノ二四号か……」
トアを確認したジョゼフが、ホッと一息つき、「そうだ」と思いついたように手を打った。
「十ノ二四号、貴様は師匠が好きだったな? 師匠の遺体をあいつらから取り返してこい」
下卑た笑いのジョゼフが、「敵の手に渡したままでは駄目だろう」とトアの肩に手を置いた……その時、ジョゼフが何かに躓いたようにその場で転げた。
「な、なんだ……」
転がったジョゼフが、手足をバタバタと動かすが、どうも思い通りに動いていないように見える。
「十ノ二四号! 貴様、私に何をした!」
口角泡を飛ばすジョゼフを、トアは冷え切った瞳で見下ろしている。
「……博士」
トアの口から発せられたのは、恐ろしいほどに冷え切った声だ。
「なんで、ししょーとリクを殺したの?」
ジョゼフを覗き込むトア。真っ暗な森の中で、トアの真っ赤な瞳だけが爛々と輝いている。
「あ、あれは、あれは必要な事だったんだ! 十ノ二四号! お前にもいずれ――」
「トア」
ジョゼフの言葉を遮るように、トアが更に顔を近づけた。
「へ?」
「トア。アタシの名前。ししょーがくれた、アタシの名前」
トアがそう言いながら、ジョゼフの首を掴んで持ち上げる。
「ぐっ……貴様……」
顔を歪ませたジョゼフが、手と足をバタバタとさせるが、狙い通り動かない身体では何の効果もない。
「お前ら! 十ノ二四号を殺せ!」
ジョゼフが叫ぶが、ホムンクルス達は身動き一つ取れない。
「お前ら!」
「無駄だよ」
トアがジョゼフを放りだし、その姿を消した。再びジョゼフの前にトアが戻って来た時には、周囲を固めていたホムンクルスは全て肉塊へと変わっていた。元ホムンクルスであった肉塊を、悲しげに見下ろしていたトアがそっと瞳を閉じた。
「……ごめんね、君達には恨みはないけど……これ以上悲しみはいらないからさ」
小さく頭を振ったトアが、冷え切った瞳でジョゼフを見下ろした。トアの瞳に宿る殺気に、流石のジョゼフも気がついたのだろう。手足をバタバタとさせて逃げようと試みるが、うまく体が動いていない。
「ま、待て。私が悪か――ぎゃああああああ」
ジョゼフの足をトアが踏み潰した。
バタバタと藻掻くジョゼフに、視線を合わせるようにトアが屈んだ。
「ねえ博士知ってる?」
ジョゼフと目を合わせたトアが、「な、何をだ」と下がるジョゼフへ更に近づいた。
「この森……クソ雑魚の
ニコリと笑うトアに、「そ、それがどうした!」とジョゼフが声を荒げた。実際ジョゼフもここが雑魚モンスターの住処だと知っているし、知っていたからこそ潜伏先に選んだのだ。
「雑魚の住処でなければ、危険な森に潜むものか」
眉を寄せるジョゼフに、「ふぅん」とトアはしたり顔を浮かべてみせた。
「知ってるなら、ちょうどいいや」
「だから何がだ!」
苛立ちを隠さないジョゼフを無視するように、トアが「しーっ」と口に人差し指を当ててみせた。
「さて問題です。モンスターの巣の中に、足を怪我したお爺さんが一人」
ニコリと笑ったトアが、ジョゼフの左手からデバイスを引き千切った。
「武器も
笑顔のトアが「な、何をする」と叫ぶジョゼフを無視して、デバイスを暗闇へと放り投げた。
「さて、お爺さんは、どうなるでしょうか?」
暗闇に消えたデバイスを見送ったトアが立ち上がった。ようやく状況を認識できたジョゼフが「ま、待て」と手ではなく足を伸ばした。
「さあ、答えをどうぞ」
満面の笑みを浮かべるトアに、「じょ、冗談だろう? 私はお前の生みの親だぞ!」とジョゼフが地面を這って近づく。
「ブブー。時間切れです」
微笑みを残したトアが、ジョゼフへ背を向けゆっくりと歩きだした。
「ま、待ってくれ! 十ノ二……いや、トア!」
叫んで足を伸ばし続けるジョゼフだが、トアは何も答えず振り返ることもない。そうしてついにトアの姿が木々の合間に見えなくなった頃、足を伸ばしていたジョゼフが、急に手を伸ばした。
トアの能力が効果を失った。
つまり、トアはもう遠くへ去ったという事実に、「じょ、冗談じゃない」とジョゼフが足を引きずり立ち上がったその時、周囲からカサカサと何かが這いずり回る音が聞こえてきた。
「……待て、私は、私の頭脳は人類のために必要なものだぞ」
ジョゼフが周囲を伺うようにキョロキョロと視線を彷徨わせる。森全体が反響するように、カサカサと不気味な音を響かせている。
「ま……ヒッ!」
ジョゼフが思わず悲鳴を上げた。木々の合間から真っ赤な瞳がこちらを見ているのに気がついたからだ。それも一つではない、少しずつ増えていく真っ赤な瞳は、今やジョゼフを取り囲むように全方位に出現しているのだ。
「は、話せば分かる……」
足を引きずり後退りしたジョゼフが、何かに躓いて転ぶ。それはトアが刻んだホムンクルス……自分が道具のように扱ってきたホムンクルスだ。
虚空を見つめる瞳と目があった。その瞳が、「お前も死ね」と言っているように見えてジョゼフが思わず顔を背ける――その方向から
「来るな!」
腐っても能力者の端くれ……ジョゼフが殴りつけた
「は、ははは。見ろ、雑魚な――っつう!」
感じた痛みにジョゼフが視線を向ければ、そこには無事だった片足へと齧りつく二匹の
「よ、寄るな!」
足を振り回し、
「やめろ! やめ、や……あああああああああ」
ジョゼフの断末魔が暗い森の中へ響き渡る。能力者として、なまじ頑丈さがあるゆえ、直ぐには死ねない。雑魚モンスターに生きたままゆっくりと齧られるという拷問に、ジョゼフの断末魔は長いこと暗い森の中で反響していた。
☆☆☆
真っ白な空間、全てが白いそこに恵梨香は立っていた。
「ンだここ?」
「あ! 来た来た。待ってたよ」
恵梨香が眉を寄せ周囲を見回した時、眼の前に黒髪をポニーテールにした女性が現れた。ユーリやヒョウが持っていた写真に映っていた女性と、何ら変わらない姿で――。
「……サトリン。ってことは、ここがあの世か?」
「そうなのかな? 分かんない」
肩をすくめる凛子に、「しっかりしてくれよ」と恵梨香が呆れた笑顔を向けた。
「真と鈴もいるよ」
「そりゃいい。なら皆で高みの見物と洒落込むか」
笑いながら歩きだした恵梨香の肩を、凛子が叩いて微笑んだ。
「ユーリ君の腕の中はどうだった?」
「言うと思うか?」
ニヤリと笑った恵梨香に「感じ悪いなー」と凛子が口を尖らせた。
「でも結局、ユーリ君に想いを伝えなかったんだね」
首を傾げた凛子に、恵梨香が一瞬眉を寄せて視線を反らした。
「……競争相手が死人じゃ、かわいそうだろ?」
「覚えてたんだー」
照れるように笑う凛子に、「呪いの言葉だからな」と恵梨香が口を尖らせた。かつて凛子とどちらが先にユーリへ想いを告げるかで揉めた時、平和になるまでは一時休戦で決着がついていた。
その理由は、想いを伝えて死んでしまったら、ユーリとライバルの足枷になるからだ。優しいユーリの事だ、死んでしまった相手を想いながら生きるだろうことは想像に難くない。
競争相手が死人では、勝てる道理がなくなるからこそ、恵梨香も凛子も「平和になるまでは」とその思いを胸にしまっていた。
その結果、こうして二人あの世で肩を並べているので因果なものである。
「結局オレ達二人共、リングに上がりもしなかったんだな」
「それは……ごめん」
「別にいいよ。オレが選んだ道だし」
落ち込んだ凛子を恵梨香が軽く小突いた。
「あの世でいい男でも探そうぜ」
「だね」
笑いあった二人を真っ白な光が包んでいく……恵梨香たち二人を迎え入れる光の中には、三つの人影――彼らに迎え入れられた恵梨香が一度だけ振り返った。
――バイバイ……ユーリ
迷いのない、屈託のない笑顔をみせた恵梨香が、今度こそ光の中へと消えていった。
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